三 : 凡愚な分別者の苦慮-(7)再出征へ
前田家中で利政の背反行為でゴタゴタしている間も、世情は大きく動いていた。
上杉征伐に加わっていた東軍方の諸大名は福島正則の尾張・清州城まで進むも、いつまで経っても到着しない家康へ苛立ちを募らせていた。そこへ家康から遣わされた徳川家家臣・村越直吉が到着、不満が爆発寸前だった正則は「何故内府様は来ないのか」と詰め寄ると「お主達が本当に殿の為に戦ってくれるか分からないからだ」と直吉は答えた。それを聞き正則はそれまでの不機嫌が嘘のように呵々大笑し、直ちに出撃すると宣言した。
慶長五年八月二十一日、東軍勢は美濃の最重要拠点である岐阜城を目指し出陣。福島正則と嘗て岐阜城主だった池田輝政が先鋒で北上。美濃国境である木曽川対岸には西軍方の岐阜城主・織田秀信の手勢が待ち構えるも、多勢に無勢で撃破。二十三日に東軍勢は岐阜城攻めを開始し、僅か一日で攻め落とした。
まさか要害堅固な岐阜城が一日で陥落するとは想像もしておらず大垣城の石田三成は凍り付いた。東軍を迎え撃つ構想が根底から覆され、三成は伊勢・北陸の軍勢へ大至急美濃へ向かうよう要請を出した。伊勢方面に展開していた西軍勢は二十五日に安濃津城を開城させた事で制圧が完了、東軍勢が集結する美濃へ向かった。
一方、江戸に居た家康も岐阜城陥落の報に仰天した。不信感から豊臣恩顧の諸大名を焚き付けた筈がこのままでは自分抜きで戦が決着してしまう。大いに慌てた家康は諸大名へ戦を自重するよう求めると同時に、大急ぎで美濃行きの支度を進めさせた。九月一日に家康は江戸を出発すると、東海道を西へ急行。中山道を進む主力の徳川勢を率いる別動隊の秀忠にも急ぎ美濃へ向かうよう命じた。
美濃で戦雲が垂れ込める状況で、北陸でも変化が現れた。吉継が広めた流言に惑わされた前田勢が金沢へ戻り再出兵の兆しが見られない事から、北陸方面を司る吉継は越前の一部諸大名を連れて南進。途中近江の大名を加え、九月二日に美濃・関ヶ原へ到着した。
こうした中、九月八日に家康から利長へ再度美濃へ出兵するよう要請する書状が届いた。前回同様、茶室に右近と二人きりで籠もり、対応を協議する。
「今のままだと、美濃が決戦の舞台になりそうだな」
ふと、利長が呟く。
七月下旬に東軍勢が侵攻したのを発端に両軍の主力が続々と美濃へ集結している事は、細作の報告で利長も把握している。この時家康は東海道を西へ全速力で移動していたが、それは知らない。
「内府様も我等の動きにさぞ気を揉んでおられるかな」
「そこまで切羽詰まっているとはこの文面だと感じられませんでした。ただ、先達ての出陣要請に応じなかったのは気懸かりでしょう。何れにしましても、味方は大いに越した事はありませんから」
利長が何気なく訊ねると、右近は見解を述べる。直後、少し沈んだ顔で利長が問うた。
「……やはり、先日の要請で出兵しなかったのは拙かったか」
先月半ばに出兵を求めながら利政の軍令違反で実行できなかった事を、利長は懸念していた。前田家の内情など家康には無関係で、命令不履行で家康の機嫌を損ねたのでは? と心配していたのだ。
それに対し、右近は首を振る。
「以前に勘六殿が申されましたように、内府様は敵方を利する行動さえ除けば我等の振る舞いはある程度黙認されるでしょう。些か癪に障りますが、徳川の草も前田領に紛れ込んでおりますから、何故出兵しなかったか内府様にも伝わっているかと」
右近は不本意そうに答える。
徳川家には伊賀者を中心に多数の細作(忍び)を抱えていた。前田家も細作を雇い主に機密秘匿の任に就かせているが、領内全域を網羅しているとは言い難い。前田家中で不和が生じている事は必ず家康の耳に届いていると考えていいだろう。……他家へ前田家の内情が漏れているのは謀臣たる右近にとって忸怩たる思いのようで、悔しそうに唇を噛む。
隠しておきたい内情が徳川家へ筒抜けになっているのは腹立たしいが、今回は好都合だ。
「まぁ、今回応じれば不問とされよう。前向きに考えようではないか」
腹臣の言葉を受け、利長は冷静になれた。今度の出陣要請を無視すれば背信行為と捉えられる可能性が高く、応じるしかあるまい。
「出撃準備はどうなっている?」
「万事、整っております。あとは殿の御下知を待つのみ」
利長から確認された右近も、気持ちを切り替え答える。
前田勢が動けない理由だった利政の問題も解消し、利政麾下の将兵も金沢へ到着している。いつでも出陣可能な態勢は整っていた。
右近からの報告を受け、暫時考えた利長は告げる。
「流石に今日明日とはいかぬ。三日後の十一日に発つ。その旨、家臣達の前で伝える」
「畏まりました」
日にちが決まり、右近は早々に退室して行った。家臣達に集まるよう手配する為だろう。
自分一人になった利長は、溜め息を吐いた。自らの意志に反して戦へ赴くこと、解消されない家中の不和に弟の別心、自分の為に忠義を尽くしてくれる者の少なさなど、儘ならぬ事ばかり頭に浮かぶ。それでも御家を守るべく、前へ進むしかなかった。
よっこいしょ、と声を出して立ち上がる。茶室から出れば前田家当主に相応しい顔や立ち居振る舞いを求められる。邪念を断ち切るよう、利長は勇ましく部屋の外へ一歩を踏み出した。




