三 : 凡愚な分別者の苦慮-(6)例え惰弱と誹られようとも
再度の出兵命令から数日後、利政は金沢城へ出仕した。但し、伴うは供廻りが五騎。当然ながら軍勢は連れていない。
天守の大広間、両側に具足姿の重臣がズラリと居並ぶ中、平服の利政は一人浮いていた。
「……どういう趣意だ?」
明らかに顔を顰め尋問する利長へ、堂々と胸を張りながら利政は答える。
「恐れながら、殿はやや惰弱が過ぎるように存じます」
「何だと?」
どう釈明するか待っていた利長へ返す刀で批判を口にする利政。重臣達が困惑するのも怯まず、利政はさらに続ける。
「人質を取られている事情はあれど、殿は内府様の要求に唯々諾々と従うばかり。我が前田家は仮にも大老に列し、格に相応しい版図も兼ね備えております。聞けば、内府様は旗色の悪い美濃へ出兵を求められたとか。ならば、圧倒的兵力を材料に御母堂様を始めとする人質の返還を約束させるなど強気に交渉すべきではありませんか?」
滔々と熱弁を振るう利政。その内容に一部の家臣もピクリと反応する。
天下を巡る形勢はまだ定まっておらず、どう転ぶか誰も分からない。そうした情勢下で、前田勢二万五千の数字は大きかった。正に、前田家がどちらに付くかが両軍の勝敗を左右する命運を握ってると言っても過言ではない。
前田家の軍事力を背景に家康から有益な条件を引き出すべきと主張する利政に対し、利長の姿勢は一貫していた。
「御母堂様や又兵衛達を手元に置いているからこそ内府様は優位に立っておるのに、それを易々と手放す訳がなかろう!! 取引を持ち出して内府様の気分が害すれば、人質の身が脅かされるのが分からぬのか!?」
「ならばいっそ、交渉に応じない事を理由に敵方へ鞍替えすればいい!! 匂わせるだけでも充分な揺さぶりとなりましょう!!」
利政の鋭い指摘に、利長も言葉に詰まる。
大坂には豊臣家に差し出した利長の妻・永姫が居るだけでなく、利長と別個の大名として扱われた利政の妻・籍も西軍の厳重な監視下に置かれている。今は屋敷を包囲するだけに留まっているが、今後の戦況次第で西軍側から脅しを掛けられる可能性も有り得る。そうなった場合、“母”か“妻”か究極の選択を迫られる事になる。
兄が返答に窮したのをこれ幸いに、利政は一気に捲し立てる。
「大体、殿は内府様へ肩入れし過ぎのように思います。今こそ内府追討が果たされた時の方策を講ずる絶好の機会かと」
これまでの論調とは一転し穏やかな声で諭すように述べる利政。兄弟間で交わしていた議論が一旦収まると、家臣の中にも利政の主張も一理あると捉える者がちらほら出始める。
上杉征伐が発表されてから“御母堂様達が人質に取られている為に不本意ながら”徳川方に属してきたが、畿内で内府追討の兵が挙がってから情勢は混沌としており、それに伴い前田勢二万五千の価値も高まっている。家康も手放したくないだろうから、今後も東軍方で働くのと引き換えに徳川が押さえている人質の返還や戦勝の暁に大幅な加増を約束させる事も交渉次第で実現する可能性がある。立場は逆転したのだからそれくらい要求しても罰は当たるまいと利政は言うのだ。寧ろ、従順に言いなりとなっている兄を暗に“弱腰”と詰っている。
そして、徳川が勝つ(または勝つ為に働く)前提で動いてきた利長の姿勢にも利政は一石を投じた。内府追討の軍勢には“秀頼公”という錦の御旗を有し、風の噂では西軍の規模は総勢十万を超えると聞く。大義名分の上では秀頼公が居わす大坂へ攻め上る東軍は豊臣家の敵、亡き太閤殿下にも数で劣りながら負けなかった戦巧者の家康でも果たして勝てるかどうか。徳川一辺倒は止め、西軍が勝利した場合に備え対策を考えるべきだと利政は提唱するのだ。
検討に値する利政の主張に、利長はどう返すか。家臣達は息を潜めて成り行きを見守る。
(……そうだ。孫四郎は『内府ちがひの条々』が届いてから、ずっと徳川へ与する事を自重すべきだと説いていたな)
思い返せば、あの時からそうだった。利長は回顧する。
西軍挙兵を受け内々に開いた密議の席で、利政だけは控え目ながらも東軍参加に否定的な発言に終始した。利長が『東軍が負ければ全責任を私に負わせ、前田家は孫四郎が継げ』と罪を被る覚悟を表明した事で利政も折れたが、心中では西軍へ味方すべきだと思っていたのだろう。
ここに来て利政が公然と兄の命令を拒み徳川の言いなりに動いている点を痛烈に批判したのは、必ずしも東軍有利と言い難い天下の情勢を察知し燻り続けていた不満が一挙に噴出した……利長はそう解釈した。
確かに、利政の言は尤もだ。安直に斥けるべき意見ではないと利長も思う、しかし――。
努めて平静を保ちながら、利長は弟へ問う。
「……もし、もし仮に我等の方から先々味方する事を担保に内府様へ人質の返還を求めたとしよう。“西軍への翻意”を仄めかした事で『分を弁えない猪口才な輩』と立腹した内府様が御母堂様へ危害を加えるかも知れぬ。それでも踏み切るべきと考えるか?」
「御母堂様も又兵衛も他の者達も、徳川へ人質になった時点で生きて帰れぬ覚悟は出来ているでしょう」
「この馬鹿垂!」
自信たっぷりに答えた利政へ激昂する利長。普段は家臣へ怒号を発さない利長の姿に、居並ぶ面々も慄く。
「敵中へ連れて行かれた者達の心情を手前勝手な解釈するなど言語道断! 我等を利する心算が人質の身が危ぶまれれば本末転倒も甚だしいわ!」
語気を荒げバッサリと斬って捨てる利長へ、息巻いた様子で利政は言い返す。
「笑止! 取引を持ち掛け徳川が応じるのは明白にも関わらず交渉すら行わない方が馬鹿げている! 前田家が徳川の犬へ成り下がった事、泉下の父もさぞ嘆いておられることでしょう!」
「黙れ!」
利政が“犬”と表現しただけに留まらず亡くなった父にも言及し、流石の利長も堪忍袋の緒が切れた。
「前田家の未来を託されたのは当主たる私だ! 御家の為に有益な意見なら聞き入れるが、お主の言動は血を分けた弟ながら僭上が過ぎる! 臣下の身にある事を決して忘れるな!」
思い上がった物言いが余程腹に据えかねたのか、利長は厳しい口調で責め立てる。
今際の際に父から『お主の思った通りにするがいい』と直接聞かされた利長は、自分なりに御家の存続を第一に最善の道を模索し続けてきた。途中で道を外れそうになった時も功臣や母に引き留められ、今日まで貫き通せた。幾度もあった存亡の危機を乗り切った事を称賛されるならまだしも、それを家中から批判されるなどあってたまるか。利長はそういう心境だった。
だが、父が利長に遺した想いを知らない利政は、注意されても自論を枉げず反駁する。
「兄上は臆病者だ! 失うのを恐れて保身に走っている! 博奕の打てない腰抜けに、御家の伸長どころか維持すら望み薄だ!」
明確な主君批判を口にした利政に対し、利長は無反応。議論は平行線のまま、行き着くところまで来てしまった。利長が今抱いているのは、怒りより哀れの気持ちが強かった。
侮蔑の言葉を吐いた弟の気持ちは利長にも分かる。利政の言い分も筋が通っており、正しい。それでもここまで拗れたのは、両者が何を優先しているか、だ。
(あぁ、そうとも。私は勝負を避ける怯懦な奴さ。御家を保ち、次代へ繋ぐ。それの何が悪い。私には先祖代々受け継がれてきた血と一族郎党・その家族や下働きの者達の暮らしや財産を守る使命がある)
烈しい怒りの込もった誹りにも、利長はドンと構えている。批判されようと疑問視されようと、自らの信義に基づいた指針を変える心算は無い。
分別者の利長は“安定”を、快男児の利政は“栄進”を第一に据えている。武家の者にとって両方大切だが、進む道は正反対だ。今ある所領や地位を賭祿に伸るか反るかの大一番へ身を投じるか、なるべく保全すべく冒険を忌避するか。どちらを選ぶかは立場や性格で異なる。前田家をさらに大きくしたい野心を抱く利政は東軍から有益な条件を引き出し、決裂した場合は西軍の提示内容次第で敵へ鞍替えするのも辞さない構えだ。そうした視点から見れば、一貫して家康の言いなりに動く兄の利長を“腰砕け”に映り歯痒く思う心理も理解出来る。
しかし、御家の道筋を付けるのは当主たる利長だ。他の者に意見を求め参考にする事はあっても、決定するのは前田家の頂点に立つ利長ただ一人。その権利を重荷に感じようとも、投げ出し逃れる事は不可能だ。利政が何と言おうとも、利長の出した結論を変える資格は無い。
暫し静寂が流れた後、利長が「孫四郎」と重い口を開く。
「此度の軍令に背いた罪は重大かつ悪質。金沢の屋敷で蟄居を命ず。頭を冷やすがいい」
弟の主張を全て聞いた上で、利長は処分を言い渡す。公然と当主たる兄を批判し家中の和を乱した罪も許し難いが、招集拒否の咎を罰した形だ。それに対し利政は申し開きせず甘受した。ある種無言の抗議を示したのかも知れない。
主君の弟で家督継承権を持つ利政へ厳しい処分が科された事に家中へ衝撃を与えたものの、出征に向けた準備の慌ただしさに掻き消され動揺は広まらなかった。利政の指揮下にあった将兵達は連龍によって金沢へ連れられ、長勢と利長勢に組み入れられた。その利政の主張や批判を耳にしていた家臣達の心中は不明だが、表面上は一枚岩で美濃へ向かう戦支度が進められた。




