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三 : 凡愚な分別者の苦慮-(5)家康の要請と弟の不可解な行動

 その報せは利長が考えていたより思いの外に早く舞い込んだ。

 慶長五年八月十三日、江戸の家康から利長に宛てた書状が届いた。中身を一読した利長は、秘かに右近を呼んだ。

 いつもと同じように茶室で二人きりの状況で、利長は右近へ書状を差し出した。

「『美濃へ向け出陣せよ』……ですか」

 受け取った書状を丁寧に畳みながら、右近は呟く。

 内容は畿内で三奉行が主導する形で徳川追討の兵が挙がったのを受け、上杉征伐は中止し東進してくる敵勢と無二の戦に臨む決意が家康の直筆で(したた)められていた。上杉征伐に参加していた諸侯は先行し西進していると述べた上で、利長にも美濃へ向かうよう要請した。

 八月五日に江戸へ戻った家康は、各方面へ書状を送る事に注力していた。上杉家の南進を警戒し後背(こうはい)から牽制してもらうべく野心家の伊達政宗へ(“余計な事をするな”と釘を刺す意味も込めて)秀吉から没収された伊達家本貫の地である伊達郡・置賜(おきたま)郡を含む旧領七郡を戦勝の暁に授ける約束(俗に“百万石のお墨付”)を八月二十二日に送ったり、前年六月に日向(ひゅうが)国で勃発した島津家の内乱で叛乱側へ極秘に支援していたとして家康の怒りを買った肥後の加藤清正へ(国許に残っていた)豊前国中津の黒田如水や(長岡家の飛び地である)豊後国木付を預かる長岡家家臣・松井康之(やすゆき)と連携し鎮西(ちんぜい)で東軍方として戦うのを認めたり、一日も早く戦いたい福島正則へ『軍監に井伊直政を送ったから指示に従って(自分が行くまで待って)欲しい』と求めたり、西軍方の大名へ内応を促したりと、八面六臂(はちめんろっぴ)に筆を取り戦況を優位に運べるよう工作に専念していた。

「内府様の中で決戦は美濃で行われると踏んでおるのかな」

「恐らくは。細作の報告によれば、敵勢は美濃や伊勢に軍を進めているとのこと」

 家康が江戸に戻ったのと同日に石田三成も居城のある佐和山へ戻り、後日美濃掌握の為に大垣城へ入った。尾張にも近い西美濃の重要拠点である大垣城と美濃国内で最重要拠点で『西軍へ味方すれば美濃・尾張の二ヶ国を与える』との好条件で味方に引き込んだ織田秀信(信長の孫)の岐阜城を軸に西上してくる東軍を迎え撃つ構想を描いていた。

 片や、五万石の小身ながら東軍方に与する大名が多い伊勢には、毛利秀元を総大将に吉川広家・安国寺(あんこくじ)恵瓊(えけい)などの毛利勢・長曾我部盛親(もりちか)・長束正家・鍋島勝茂など約三万の軍勢が八月八日に出発。伊勢に大軍を差し向けたのは東軍方の大名を鎮圧するのもあるが、伊勢湾沿いを手中に収める事で東海道を西進する東軍勢を海から襲撃しようとする魂胆も含まれていた。これに対し東軍方は安濃津五万石・富田(とみた)信高(のぶたか)や上野一万石・分部(わけべ)光嘉(みつよし)、さらに松坂三万五千石・古田重勝(しげかつ)や岩出二万五千七百石・稲葉道通(みちとお)(“つねみち”の説あり)からの援軍を加えて安濃津城へ籠城。徹底抗戦の構えを見せた。

 右近からの情勢を聞き、利長は重たい溜め息を吐く。

「成る程な。後手に回る美濃で巻き返しを図るべく、我等を利用する……か」

 合点がいったという感じで漏らす利長へ、右近は頷く。

 前田勢二万五千の兵力は、家康にとって頼もしい存在だ。もし仮に利長率いる前田勢が美濃へ入れば西軍の脅威となろう。盤面を引っ繰り返せるだけの力を利長は握っていた。

 しかし、だ。家康の要請へ直ちに応じられない事情を前田家は抱えている。

「この書状があと数日早く届いておれば、状況は違っていただろう。些か時機が悪かった」

 投げやりに(こぼ)す利長へ、同意するように右近も首肯する。

 三日前に金沢へ帰ってきた利長は、時局を見定めるのと先日来の出兵で疲弊している将兵の休養を兼ねて軍役を解いている。領国へ戻り一心地ついた直後に再招集となれば、家中の反発も大きかろう。

 ただ、それを抜きにしても曇った表情を浮かべる利長。何か応じたくない理由があると察した右近は、控え目に訊ねる。

「何か、別の理由がおありで?」

 自らの複雑な胸中を言い当てられた利長は、観念したように述懐(じゅっかい)する。

「……有り(てい)に申せば、此度の天下を賭けた争いに加わりたくない。願わくば、私が美濃へ着く前に決着していて欲しい」

 これまで利長一人の中に秘めていた想いを打ち明けられた右近は、直ぐに何も答えず静かに(まぶた)を閉じた。

 徳川が天下を獲るか、三成を中心とする豊臣家による統治の継続か。当事者達にとっては天下分け目の大戦(おおいくさ)だろうが、それに便乗して版図を拡げようと企む一握りの野心家を除いたその他大勢は“関わらずに済むならそうしたい”というのが偽らざる本音だろう。利長も母・芳春院が江戸で人質になっている事情から仕方なく家康の指図に従っているものの、叶うなら中立を保ちたかった。この点では三成と(こころざし)を同じくする兼続を介し“義”の精神で家康と対峙しようとした上杉景勝・豊臣家三奉行や毛利家の外交僧で智嚢(ちのう)の安国寺恵瓊に乗せられる形で総大将に(まつ)り上げられた毛利輝元・嘗て秀吉の猶子で豊臣家への忠誠心に篤い宇喜多秀家の三大老とは、立ち位置が異なる。利長からすれば仕える主が家康でも秀頼でも正直どちらでも良かった。加能越八十三万石の所領が多少削られようとも、前田家が存続するならそれで構わなかった。良いか悪いかは扨措き、利長は野心に乏しかった。その性格こそ一部の者達から“分別者”と呼ばれる所以(ゆえん)ではなかろうか。

 利長自身、無理だと承知している。奥羽から鎮西に至るまで日ノ本全土が東西に分かれて争っている。それが本意に(あら)ずとも、生き残る為に参加を強制された。取るに足らない吹けば飛ぶような中小勢力の悲哀(ひあい)と言えよう。しかしながら、利長は幸いにして徳川・毛利・上杉に次ぐ四番手の版図を持つ大身(たいしん)である。巨大勢力同士のぶつかり合いを傍観していても咎められないだけの力を保持していた。母を人質に取られていなければ、あれこれ理由を付けて旗幟を明らかにせず日和見を決め込んでいた事だろう。我儘だと分かっていても、この戦に関わる事を避けたかった。

 暫く静寂の時が流れる。やはり都合が良過ぎるか。利長が厳しい現実を受け容れようとした、その時――瞼を上げた右近が口を(ひら)く。

「よろしいではありませんか。誰しも大なり小なり思っている事です。殿の御気持ちを無理に蓋をする必要などございません」

「……出来ると申すのか?」

 右近の肯定的な発言に、利長は目を丸くしながら訊ねる。ニコリと微笑んだ右近は「はい」と答えてから続ける。

「内府様へは『金沢へ戻り軍を解いたばかりで、再度出兵するまで時間を要する』と返答なさいませ。事実なのですから内府様であれど急ぐよう催促は出来ません。あとはこれを口実に引き延ばせばよろしいのです」

 その言い分に、成る程と頷く利長。間違った事や騙している訳でもなく、仮に疑われ調べられても事実なのだから家康に批難される(いわ)れはない。

「どれくらい遅らせられる?」

「将兵の休息と先日の出兵の死傷者やその家族への見舞金手続きを加味して、十日程置いてから招集を掛ければよろしいかと。能越の将兵が金沢へ着くまでさらに日を稼げます」

 戦をすれば必ず死者や重傷者は出る。戦没者の遺族には弔慰金(ちょういきん)が、重傷者には見舞金が、それぞれ支払われる。将や家士(かし)だけでなく徴兵された足軽も対象で、金額の算出や家中の裁可を経て支給される為、どうしても時間が掛かる。普段なら煩雑で嫌厭したい仕事だが今回に限っては好都合である。

 将は出兵で不在の間に溜まった決裁や治政の処理、兵は戦で昂った気を(しず)める為に一定日数を必要とする。右近が提示した十日が家康の要請との兼ね合いで妥当な線だろう。

「分かった。二十日に家中へ『内府様より出陣の要請があった』旨を開示し、戦支度を整え金沢へ集結するよう命じる。……この段取りで行こう」

「畏まりました。その筋で調整しておきます」

 利長の決定を、神妙な面持ちで応じる右近。その(うやうや)しい態度の忠臣に、利長は小さな声で呟いた。

「……いつも苦労を掛けて済まないな」

 感謝とも詫言(わびごと)とも受け取れる主君の言葉に、右近は何も言わず首を振って退室して行った。一人茶室に残された利長は困った時に右近へ毎回のように助言を求めている事への申し訳なさを痛感する反面、自らの手で乗り切る力を付けなければならないと胸に固く誓った。

 八月二十日、利長の命で再招集が掛けられた。在郷(ざいきょう)していた将兵達はそれを受け、金沢へ続々と集結していく。

 だが、ここで不測の事態が起こる。前田勢の主力で一門衆筆頭の弟・利政が、居城の小丸山城から出立する兆しを見せなかったのだ。


「孫四郎は一体何を考えているのだ」

 苛立ちの混じった声で誰に言うでもなく(こぼ)す利長。

 利長は前田家八十三万石を治める身ながら、能登国二十一万石の領主は名義上利政だった。連龍の領地もこの中に含まれているのでその分は減るが、主君の長弟ちょうていで利長が急逝した際は家督を継ぐ資格を持つ利政の影響力は大きい。自らの立場を自覚しながら兄であり主君である利長の命令に応じなければ、他の家臣達から同調する動きが出る可能性がある。

「真に、申し訳ありませぬ……」

 萎縮しながら詫びるは、連龍。本来なら謝らなくてもいい立場だが、同じ能登国を治める者として後ろめたさがあるのだろう。

「九郎左衛門、孫四郎について何か知っている事はないか?」

「はっ。小丸山へ戻るまでは特段変わった点はございませんでしたが……拙者が出発した時も城下は平穏そのもので、おかしいと思ったのはそれくらいでして……」

 (ひたい)に汗を浮かべながら連龍は弁明する。

 連龍の話から推察するに、利政は自らの将兵にも戦の用意をさせてないと思われる。つまり、利政は急病など突発的な事情で来られないのではなく、始めから招集に応じる気が無かったのだ。もし戦へ出るべく準備を進めさせていたなら、お膝元の小丸山城下は賑わいや騒がしさが見られた筈だ。

 弟の意図的な命令違反を苦々しく思う利長。模範となるべき利政が主君の命令に背くのは、他の者達へ示しがつかない。

「九郎左衛門」

「はいっ!!」

 名を呼ばれ、ビクッと体を震わせる連龍。

「お手数ながら、小丸山城へ出向いて孫四郎へ再度出陣するよう促してもらいたい。もし断った時は、九郎左衛門が私の名代(みょうだい)として孫四郎の将兵に戦支度をさせ、金沢まで連れて来てくれ」

「……御意(ぎょい)

 主君の厳命に、畏まった様子で応じる連龍。なるべくサラッと述べるよう気を遣った利長だが、受け取り手である連龍はいつもの豪胆な性格は鳴りを潜め恐縮していた。

 招集を促すだけなら使い番で済むが、連龍に遣いを命じたのは“利政が拒否した場合”を想定しての人選だった。利家とは別に利長が独自の家臣団を形成していたように、利政も利長と別に家臣団を持っていた。利長からすれば陪臣に当たるが、だからと言って利政を介さず直接命令するのは反発を招く火種になる。その為、同じ能登国の領主で先代の利家からも一目(いちもく)置かれた連龍を通して極力波風を立たせず利政の将兵を集めようと利長は考えたのだ。

 責任重大な役目を拝命し、身を固くする連龍には気の毒に思う。しかし、どうしてもやってもらわなければならなかった。

 ある筈は無いだろうが、家康の要請を受けて利長が美濃へ向かった留守を突いて利政が手勢を率いて金沢を制圧……なんて事になれば洒落(しゃれ)にならない。あらゆる可能性を想定するからには、不安の芽を摘む必要があった。

 不可解な弟の行動にやきもきする中、利長は面と向かって真意を糺したかった。


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