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三 : 凡愚な分別者の苦慮-(4)浅井畷の死闘

 金沢城へ戻った利長だが、ゆっくり休む暇は無かった。海陸両面から北上している(と思われる)大谷勢の動きを探るべく頻りに物見や細作を放っているが、別動隊の情報を集めさせた。

 利長が出陣後に留守を預かっていた家臣の話では、越後で一揆が起きている事や西軍が十日以上費やして伏見城を落とした事などの報告を受けていたが、大谷勢に関する情報は風邪の噂程度の域から脱していなかった。その為、金沢に戻った利長は『我々の南進を阻止したい敵の空言(そらごと)だったのでは?』と思い始めていた。流説を耳にした五日以降、敦賀に戻ったとする確かな情報を除いて流説を裏付ける動きは見られず、宮腰や大野を出入港する漁船や廻船(かいせん)から『北を目指す大船団を見た』とも聞いていない。三万の兵を載せた船が金沢へ向かっているなら目撃されて(しか)るべきだ。

 一人悶々としている利長の元へ、物見に出ていた者の一人から報せが入った。『別動隊、間もなく金沢へ到着する』の吉報である。


 天守の大広間に現れた七将の姿を目にした家臣達は、息を呑んだ。疲労困憊の色より鎧や脛当(すねあて)籠手(こて)に至るまで汚れが目立つ。主君の面前に出るのである程度は拭かれたと思われるが、返り血や泥の痕跡が薄っすらと残っていた。激戦を繰り広げていた事が容易に想像がつくくらいに。

「皆、よくぞ帰ってきてくれた」

 まず高座の利長が無事の生還を喜び労いの言葉を掛けると、大将格の連龍を含めた七名が黙って(こうべ)を垂れる。謝意を表し顔を上げた七名へ、今度は辛そうな顔で利長が訊ねる。

「早馬を受けた。丹羽が、攻めて来たのだな」

 あの場では平静(へいせい)を保つ為に深く聞けなかった事を利長が質す。旗色が悪いと伝えられていたが、居並ぶ面々の様子を目の当たりにし確信した。あの日あの時、筆舌に尽くし難い死闘があったのだ……と。

 利長率いる本隊を逃すべく、文字通り身命を賭して奮闘してくれた。その役割を完遂してくれた七名に感謝で胸がいっぱいだった。それだけに前田家の当主として先日起きた事を聞く責任があると感じていた。

 主君の問い掛けを真正面から受け止めた連龍は、代表して口を(ひら)く。

「えぇ。我等が想像していた以上に、激しい攻防でございました」

 こう述べてから、連龍は当時の事を語り始めた――。


 八日夜に御幸塚城へ入った七将は、丹羽勢が攻めて来る前提で隊列の順番を話し合った。

 先頭は大聖寺城攻めで武功第一の山崎長徳勢、二番手に利長の参謀役・高山右近勢、三番手は若年ながら家中で大禄を得て七将の内で最も兵数の多い奥村栄明勢、四番手に手勢が尤も少ない富田長吉勢、五番手には実戦経験を重ねている義父・重直が補佐する今枝直恒勢、六番手に実績充分な太田長知勢、殿(しんがり)に別動隊で最も戦に強い長連龍勢。

 不安材料は富田・今枝の両勢が他の面子と比べて格も戦力も劣るが、奥村・但馬守の両勢を前後に据え対応する態勢を敷いている。理想は先陣を切る山崎勢が高山勢の援護を受けながら敵勢を切り崩し、富田勢と合力し奥村勢が()けた風穴を拡げ、今枝・太田勢が突破し、最後尾の長勢が敵の反撃を受け流しながら離脱する……という流れだが、そう上手く運ぶとは思えない。大軍ではあるが気を引き締めて臨む事で一致した。

 そして迎えた、運命の日。九日の日の出と共に山崎勢が出発したのを皮切りに、次々と城から出発していく。一万の軍勢が敵に見つからず移動するのは非常に難しく、加えて“敵が恐ろしくてコソコソ通過した”と思われるのも言われるのも前田家の矜持に関わり、さらに本隊から目線を逸らす目的から別動隊は堂々と進軍した。

 山崎勢は丹羽勢が籠もる小松城から視認出来る程の距離を進むが、城は静かなままだ。続けて高山・奥村勢も付近を通過するが、丹羽勢は仕掛けてこない。それが逆に不気味で、緊張は後続の部隊に自然と伝播(でんぱ)していく。

 前の部隊に続いて富田・今枝勢が小松城から南東にある浅井の地に差し掛かった、その時――待ち伏せしていた丹羽勢が遂に牙を剥いた!!

 丹羽勢は凡そ一千、大将は江口“三郎右衛門”正吉(まさよし)。生年不明だが天正十年六月に開催された清州会議で主要重臣四名の家から京奉行を出す取り決めとなった際、丹羽家代表として正吉が選ばれている。凋落(ちょうらく)する丹羽家を去る者も多い中、正吉は家老として主君と御家を支えた。丹羽家が小松城主へ加増された際は正吉へ一万石が与えられている。

 小松は今江(がた)・木場潟・柴山潟の通称“加賀三湖”や梯川(かけはしがわ)から堆積(たいせき)された流れてきた土の影響で稲作に適した土壌が広がっていた。また、湖が近い事から小さな沼地も点在していた。丹羽方が選んだ浅井の地は深田や泥沼が広範囲にある中を細い道が幾つか通る場所だった。その道(手)も縄のように細い事から“(なわて)(縄手)”と呼ばれ、人が二人並んで歩ける程度の幅しかなかった。

 始めに丹羽勢は畷を通り前田勢へ突撃し、応戦態勢が整わないを相手に大いに暴れ回った。対する前田勢は多くの鉄砲兵を抱えていたが前日から降り続く雨の影響で火縄や火薬が湿気(しけ)り使い物にならず、不意打ちされたのと相まって丹羽勢の突撃をまともに喰らってしまった。

 一通り掻き乱した丹羽勢は頃合を計り来た道を引き返し始めた。それを前田勢も追うも、畷の先には予め弓兵が待ち構えており、突っ込んで来た兵は次々と矢の餌食(えじき)になる。飛来する矢を躱そうとすれば畷から落ち、深い泥に足を取られ矢や長槍で仕留められてしまう。出足が鈍れば突貫し、反撃されそうになれば引き揚げる。こうして数で劣る丹羽勢に翻弄され、前田勢は死傷者を増やす一方だった。

 この悪い流れを変えたのは、連龍率いる長勢だった。損害の大きい富田・今枝勢を逃すと丹羽勢と対峙し、混乱していた自軍の立て直しを図った。突っ込んで来る丹羽勢を真正面から受け止め抗戦し、引き揚げる兵へ追い(すが)る際は弓兵や稀少な戦える鉄砲兵で援護する。連龍も戦場に立ち自慢の薙刀(なぎなた)を振るい粘り強く戦う内に、形勢は徐々に前田勢へ傾き始めた。そこへ太田勢や急遽(きゅうきょ)引き返してきた山崎勢も加勢し、丹羽勢を押し返すようになった。正吉は不利を悟り城への退却を決断、追撃する前田勢は山代橋で丹羽勢に損害を与えたが深追いはせず、軍勢をまとめ金沢へ向け撤退を再開した。

 後年“浅井畷の戦い”と呼ばれる合戦は長家は九名の将・江口家で三名の将が討死。この方面で最も激しい戦闘が行われた事から“北陸の関ヶ原”とも称され、結果的に両者痛み分けで終わったものの、数で圧倒的に上回る前田勢が勝ち切れなかった点では惜敗と言えよう。


「――以上、今回の戦の顛末(てんまつ)にございます」

 泰然とした姿勢、冷静な語り口で経緯を述べた連龍。その報告を聞き終えた利長は一つ息を吐いてから言った。

「庄兵衛」

 予想外の人物名が出て、家臣達は驚愕の表情を浮かべる。ただ、長徳は呼ばれるのを覚悟していたらしく、落ち着き払って応える。

「はっ」

「先陣を務めながら役を放棄し、隊列を乱した事は譴責(けんせき)に値する。その点、承知しておるな?」

「はい。弁明は致しません。何なりと処罰を受ける所存」

 深々と(こうべ)を垂れる長徳。戦の功労者である長徳を責める利長の発言に、皆仰天していた。味方の窮地を救うべく奮戦したのに問責された事に対して戸惑いや同情の空気が広がる。

 ただ、前田家の総大将である利長は心苦しいながらも言わねばならなかった。苦境に立つ連龍を助けるべく長徳の(おこな)った行動は称賛されるべきだが、その一方で軍令違反を犯している。事前に決められた順番を破り敵中へ取って返したのは長徳の独断であり身勝手な行動だ。幸い無事に帰還を果たせたが長徳の行動で隊が崩壊していた可能性を(かんが)みれば大目に見る事は出来ない。

 他の武辺者なら「御家の為を思って戦ったのに責められるとは!」と反発や怒りを露わにするだろうが、長徳は殊勝に受け容れた。細かく言えば但馬守も同罪だが、連龍の前列や本人の性格もあり言及は避けた。もし咎めれば日頃から不満を抱く但馬守が同じ思いの譜代達と徒党を組み家中の分裂を招く恐れがある。現状でも譜代・本座・新参・外様の間で微妙な(ひび)が入っているのにそれを広げたり深めたりしないよう、利長は細心の注意を払っていた。その為、言いたい事はあれど素直に罪を認め詫びる長徳の姿勢に利長は頭の下がる思いだった。

 気まずい雰囲気が場を覆う中、再び利長が口を(ひら)く。

「九郎左衛門、但馬守、庄兵衛」

 口調を改め利長が呼ぶと、三名は居据まいを正して応じる。

「本隊を安全に進軍させる為に囮を務めたのみならず、丹羽勢に押される逆境を撥ね()け危地から脱した事、実に天晴(あっぱれ)である。此度の帰還は三名の比類なき働きがあったからこそ、実に見事であった。全てが終わり次第、正式に行賞(こうしょう)を行う」

「ははっ!!」

 今回の戦で武功があったと認め後日の恩賞を利長が示唆した事に対し、三名は謹んで受ける。信賞必罰(しんしょうひつばつ)は公正公平かつ明瞭でなければならない。その匙加減は難しいが、命懸けで味方を救った功績はこの場で褒めておきたかった。まだ戦は道半ば、これからも将兵達にはしっかりと働いてもらいたい。それ故の褒誉(ほうよ)だった。

 それから満座を見渡した利長は、全員へ向けて告げた。

「一旦、軍を解く。各々の領地へ戻り、次の出陣へ向けて将兵を休め矢弾の補充を行うように。再出兵の日取りが決まり次第、追って知らせる」

「はっ!」

 利家の命に家臣達が一斉に応じる。

 大谷吉継を始めとする北陸筋の西軍方に与する諸侯の趨向(すうこう)は依然調査中だが、北陸唯一の東軍方で群を抜いた戦力を誇る前田家が侵攻半ばで撤退し金沢へ戻った事により何かしらの反応がある筈だ。また、上杉征伐へ東上していた東軍の動静も気懸かりだ。下野国小山から引き返したとされる家康から具体的な指示を伝える書状はまだ利長の元に届いていない。それ等全てを引っ(くる)めて情報を集めるのが先だ。どう動くか利長の中で判断してから軍を再結集し行動へ移す。そう考えていた。

 まずは自分を含め、しっかり休むこと。疲れを取り、心を憩い、英気を(やしな)う。それが次に結び付くと信じていた。

 そして何より……主君がいつまでも肩肘張っていては部下も心の底から(くつろ)げないからな。自分への言い訳を胸の内で説く利長だった。


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