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三 : 凡愚な分別者の苦慮-(2)妹婿から届けられた密書

 八月一日に伏見城を攻略した西軍は次の段階へ移行、西進してくる東軍へ備えるべく各方面の掌握に着手した。東軍が進む可能性が最も高い美濃は石田三成、中小大名の多くは東軍へ与すると予想される伊勢は毛利秀元・吉川広家、そして大老で唯一東軍に属す前田勢へ備える北陸は大谷吉継がそれぞれ担当する事が決まった。

 その吉継、伏見城攻防戦に参加していたものの陥落まで十日以上も費やした影響で北陸入りが遅れていた。三日に敦賀へ戻った吉継だが既に前田勢は南下を開始しており、越前へ踏み込まれるのも時間の問題だった。小松の丹羽長重は健在も後背を突くのは難しく、越前の諸大名は小身(しょうしん)ばかりで各個撃破されてしまう。自らも日本海屈指の港湾都市・敦賀を治め石高に対し実入りは多かったが、それでも六千程度。これに北陸方面の与力を合わせても二万五千の前田勢には分が悪い。そこで吉継は(はかりごと)(たくら)んだ。虚実混在の噂を大々的に流したのだ。

『越後で一揆が起き、景勝が旧領を取り返した』『西軍が伏見城を落として畿内を制圧した』『大谷吉継が大軍を率いて越前北部へ向かっている』『大谷勢の別動隊三万が海路北上し、金沢を急襲しようとしている』

 俄かに降って湧いた情報の数々に、前田勢は困惑し確認に追われた。

 始めに、越後。事前の予想通り上杉家は越後へ残った旧臣や(上杉家が持ち逃げした為に)重税で苦しんでいる百姓・寺社勢力にも働きかけ、会津から越後入りした者達と合わせて蜂起。但し、公式の史料で確認が取れる交戦の初日は八月一日。一揆は越後全土へ拡がるも一進一退の攻防が続き、“景勝が取り返した”は誤りである。

 次に、畿内。大坂城西ノ丸に居た徳川家の留守居を追い出し、先述した通り八月一日に唯一残っていた東軍方の拠点・伏見城は落城した。これは正しい。

 最後に大谷勢の動向について。三日に敦賀へ着いたばかりの大谷勢は前田家の侵攻へ対処すべく北進する支度の真っ只中で、行動へ移すまでまだ時間を要する。そして、敦賀移封後に独自の水軍を編成したとされるが、規模はそれ程大きくない。この点に関しては嘘が多い。

 以上の点から、吉継が広めた情報の大半は虚報だったが、真偽不明な情報が一挙に押し寄せた前田勢には効果覿面(てきめん)だった。裏取りに奔走する一方、もし全てが正しいなら大変な事になる。加賀・越前を席巻する心算(つもり)が東と南・さらに予想外だった海の三方から侵攻を受けると考えただけで、身が震える思いだ。

 混乱の渦中にある前田勢へ、さらなる新情報が飛び込んできた。大坂に居る利長の妹婿・中川光重から密書が届いたのである。


「何? 清六郎(光重の通称)殿から危急の報せだと?」

 八月五日、それを伝えられた利長は驚きの声を挙げた。

 中川“清六郎”光重。永禄五年生まれの三十九歳。利長と同い年で、永禄六年に生まれた利家の次女・(しょう)姫を正室に迎えている事から一門衆に準ずる扱いを受けていた。但し、一時職務怠慢を咎められ蟄居処分を受けている。処分明けに秀吉の御伽(おとぎ)衆を務めていた縁から現在は秀頼の御伽衆を務め、大坂に居ると聞いていたのだが……。

 不可解に思いながらも利長は届けられた密書を(ひら)く。ただ、文面を読み進めていく内に手が震え出した。

 全てに目を通し終えた利長は、文を畳むと固い声色で告げた。

「直ちに軍議を行う。急ぎ家臣達と集めよ」

 只ならぬ雰囲気を察した近習達が応じると駆け足で散って行った。陣幕の内では軍議の為に陣卓子(じんたくし)床几(しょうぎ)の準備が進められる。その間、利長は生きた心地がしなかった。


 緊急の要請に続々と参集する重臣達。どうして呼ばれたか知らず怪訝な顔を浮かべる者が多い。全員が着座するのを待ち、利長は切り出した。

「我が妹婿である中川“清六郎”殿より、密書が届いた」

 直後、密書を傍らに座る右近へ渡す。文面を読んだ右近は眉を(ひそ)める。

『今回大軍を催され、近隣を打ち(なび)かせながら上方へ向かっていると聞き及んでおります。この動きに対し、大坂から大軍が敦賀へ送られました。大谷刑部(吉継)は敦賀に兵や船を揃え、貴殿が不在の加賀を攻めんとしております。足長(遠方まで足を伸ばすこと)していては海陸両面から敵に攻められますから、よくよく思慮なさいますように』

 目を通した者が次の者へ手渡す形で密書が回され、利長の元へ戻ってくる。全員が確認し終えたのを確かめ、再び利長が口を(ひら)く。

「まず皆に問いたい。“清六郎”殿の密書は信じるに足るか(いな)か」

 投げ掛けた利長へ、直ぐに答えようとする者は居ない。まず発言したのは、利政だ。

「大坂に居られます妹婿殿が偽りを伝えてくるとは思えませぬ。検討に値すべき内容かと」

 利政の主張へ同意を示した右近も発言する。

「孫四郎様の仰られる通りです。昨今広まる噂と大きな差異はなく、これを補足する情報と考えてよろしいかと」

 右近の見解に、他の者達から異論は出ない。それを確かめてから利長が訊ねる。

「……下卒の者達は、流布している風聞は知っておるのか?」

「残念ながら、全ての者が耳にしていると考えて(しか)るべきかと」

 但馬守が言い辛そうに答える。与力格として家中でも別格の連龍も苦しそうに頷く。全ての将兵が把握しているとなれば秘匿にしておくのは無理だった。下手に隠そうとした場合、軍内で疑心暗鬼が広がり統率が取れなくなる恐れがある。混乱を生じさせるより(つまび)らかに開示した方が得策だろう。

「雑兵達の反応は?」

「多少の動揺は見られますが、怯えているくらいで恐慌を(きた)す程ではありません。我等が掴んでいる情報とほぼ同じ程度かと」

 一孝の答えに、利長も納得したように頷く。上層部でさえ情報の真偽不明な状況で、末端の兵達の方が詳報を掴んでいるとは考えにくい。尾鰭(おひれ)が付いている可能性はあるが。

 ざっと聞きたい事を聞き、腕組みをして考え込む利長。

 ここ数日で入ってきた西軍の動向に関する報せは噂の域を出ず、真相を確かめるまで決断を保留する必要があった。しかし、後追いで光重から(もたら)された謀報は、裏付けの根拠になり得る。何より、大谷勢の動きが本当ならば由々しき事態である。

 金沢には宮腰(みやのこし)(後の金石(かないわ))・大野の二つ港がある。宮腰は後年金沢城下まで一直線の道路(宮腰往還(おうかん)、後の金石街道)が整備される程に近く、その距離は約一()(ちょう)〈約五キロメートル、一里四キロメートル・一町百メートルと概算(がいさん)〉とされた。片や大野は金沢城下へ繋がる河口に程近い事から船を用いれば容易に城下へ侵入出来る。何れにしても前田家は交易と漁業の港と解釈していたが、外敵による海からの侵攻は全く想定していなかった。無防備な状態で大谷勢が来襲すれば、確実に金沢城は危機に(ひん)する。

 加えて、前田勢が南下しているのを受け軍勢が北上しているという。二万五千の大軍を(よう)しているが越前は敵地である上に後方の丹羽長重は健在、見知らぬ土地で前後を挟撃されては数で上回っていても敗北または大損害は必至。そして、西軍方の大将は生前秀吉が『百万の兵を与えて指揮する姿を見てみたい』と将器を絶賛した吉継。数的不利でも覆せるだけの才を持っているのは脅威である。

 暫時考えていた利長は、組んでいた腕を解いて告げた。

「――兵を、退()く」

 当主が表明した重大決定に、重臣達は黙っている。皆この決断を支持している様子だ。

 噂の真偽は扨措(さてお)き、“正しい”前提だと居城のある金沢が(おびや)かされる状況は看過出来ない。ここは一旦撤退し、領国を守る。新たに得た領地よりも治める本国を優先するのは常識的な価値観で、利長の決定は妥当と言える。

 異論が出ない事を確認した利長は、改めて皆に命じた。

「一先ずは北上する大谷勢の動向を探るべく、そちら方面へ物見や細作を出す。動きが(にぶ)ければ直ちに金沢へ戻る。各々方、それでよろしいな?」

「ははっ!!」

 利長の呼び掛けに、頭を垂れて同意を表す重臣達。これで方向性は決した。

 本拠である金沢へ海から敵が迫っていると意識させられやきもきする利長ではあるものの、前田家当主であり前田勢の総大将であるからには泰然自若(たいぜんじじゃく)とした姿で振る舞わなければならない。そうした立場と自覚し、(おのれ)を律していた。

 右近を始めとする重臣達が利長の意を受け動いている様を眺めながら、頼りになる家臣達に託せば何とかなると前向きな気持ちになれた。実際、この後の前田勢は越前を北上していると思われる西軍勢の対応に向け、結束した対応を執ることになる。

 因みに――光重が利長に宛てた密書は虚報だった。大坂に居た光重は西軍挙兵に際し金沢へ向かおうとするも(とら)われ、吉継が脅して書かせたのだ。前田家は流説によって足止めさせられ、光重の偽書で惑わされ、結果的に吉継の掌の上で転がされる事になった。


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