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二 : 外の鵺、内の不和-(3)降って湧いた疑義

 利長が大坂を()って十日余り。慶長四年九月も十日を過ぎた頃、震天駭地(しんてんがいち)の報せが前田家に飛び込んで来た。

 事の発端は九月九日。重陽(ちょうよう)の節句に合わせ上坂する家康を亡きものにせんとする(くわだ)てがあると豊臣家中枢へ内々に通報があったのだ。幸い未遂に終わるも、豊臣家を支える大黒柱の命を狙った事実は見過ごせず、直ちに下手人(げしゅにん)探しが始まった。調査を終え、奉行の増田長盛・長束正家は家康へ結果を報告。実行役は大野治長(はるなが)土方(ひじかた)雄久(かつひさ)、指示役は浅野長吉。しかし、上記三名の他に裏から操る人物が居るという。その黒幕に挙げられたのが――。

「――私、だと?」

 大坂から発せられた急使より(もたら)された注進に、唖然とした様子の利長。緊急の要請で参集した重臣達も表情は異なれど“下らない”といった反応だ。

 淀の方の乳母で筆頭上臈(じょうろう)大蔵卿(おおくらきょうの)(つぼね)の長男である大野治長は別として、土方雄久は利長が治める越中国新川郡野々市二万四千石の身で前田家との関係は良好(一説には利長と従兄弟(いとこ)とされる)、浅野長吉は嫡男・幸長(ゆきなが)が利長の妹・与免と一時婚約関係にあったことから前田家と近しい関係と、嫌疑のかけられた三名の内で前田家と親しい事から大老の地位を悪用し利長が命じた……というのである。

 あまりに荒唐無稽(こうとうむけい)な話に利長は()いた口が塞がらなかった。

「馬鹿々々しい。出鱈目(でたらめ)にも程がある」

 そう吐き捨てる利長。

 仮に闇討ちするとなれば、周到な準備や綿密な計画が求められる。伏見から大坂へ家康はどのような手段で、どの経路を進むか。刺客を潜ませる地点や伏兵を待機させる箇所はあるか、複数の可能性を想定し成功・失敗・未遂の際における撤収手順。そして、一番重要なのは情報漏洩を断固阻止する事。利長が大坂に居るならまだしも、畿内から金沢へ到着するまでどんなに早くとも二・三日は掛かる。この距離で実行役に細かな指示を出したり家康の詳細な移動経路を掴むのは無理があり過ぎる。重陽の節句は九日と決まっているので利長が帰国前に予め“こうしろ”と指図した可能性もあるが、十日以上も先の話では具体性に欠ける。以上の点から、利長が長吉を介して家康を討つなど不可能だ。

 それに、今の利長に家康を排除する理由は無い。家康と肩を並べる大老筆頭で豊臣家中から信望を集めていた父・利家なら『内府の専横が目に余る』や『公儀への叛心あり』と理屈を付けて『公儀に代わり始末した』と発表すれば『加賀大納言様が仰るなら』と納得するだろう。だが、利長では『大老同士の内部抗争』と受け取られ公儀から処罰の対象となる。そして何より、利長が家康を除いても得られるものは少ない。豊臣家は一時的に脅威から脱するだろうが、絶対的権力者が居なくなった事で新たに“我こそ天下人に”と野心を抱く者が出ないとも限らない。利長が家康と刺し違えても秀頼を頂点に据える豊臣家の天下が未来永劫に安泰と言い切れなかった。故に、加能越約八十三万石の過分な扱いを(なげう)ってまで家康を謀殺しても、失う物の方が遥かに多く割に合わなかった。

()りながら、畿内では殿が首謀者という前提で話が進んでおります」

 急使は「伝え聞いたところでは」と前置きした上で説明する。

 家康へご機嫌伺いに訪れた加賀・小松城主の丹羽長重(ながしげ)に対し『小松宰相(長重の通称)の忠義、実に天晴(あっぱれ)(なり)!』と褒め称え、近々発表される前田征伐の先鋒を任せる内示を出したとされる。これが流説でないならば、家康は利長の罪を既成事実と見做(みな)し動き出している事になる。

詮議(せんぎ)はどうなっておる。私に弁明の為に上坂するよう公儀からの要請は?」

 利長が訊ねるも、急使は無言で首を振る。

 実行に移されずとも大老筆頭の家康が命を狙われた計画があった事自体が重大案件である。遠国(おんごく)の景勝はまだしも、瀬戸内海を船で移動可能な輝元・秀家なら緊急の上坂要請にも数日の内に到着出来る。利長だって出仕しろと求めがあれば五日程で大坂へ向かえる。これに奉行や三中老が加わり真偽を確かめるべく当事者から話を聞くのが筋というものだ。

 ただ、急使の反応を見るに……。

「残念ながら。内府様は他の衆に諮らず、独断で事を運ばれておられます」

 口惜しいと言わんばかりに伝える急使。利長も重臣達も呆気に取られていた。

 シーンと静まり返る大広間。本件の重大性や理不尽な詭弁(きべん)に、利長を含めた全員が言葉を失っていた。

 重苦しい雰囲気を振り払うように、一人の男が勢いよく立ち上がる。――連龍だ。

「上等だ! 売られた喧嘩、買ってやろうじゃねぇか!」

 元は仏門に入っていた者とは思えない連龍の乱暴な物言いに「そうだ!」と賛同の声が上がる。声の主は太田“但馬守(たじまのかみ)長知(ながとも)、生年不明ながら長知の母は芳春院の姉で利長とは従兄弟の関係に当たる。天正十五年の岩石城攻めや天正十八年の八王子城攻めで武功を挙げる勇将だ(※同名の横山長知との混乱を避ける為、以後横山長知を“大膳”・太田長知を“但馬守”と表記します)。他に利政を始め多くの者が家康のやり方に反発を露わにする。

「あいや暫く。先ずは我等より弁明するのが筋であろう」

 そう待ったを掛けたのは篠原“勘六”一孝。永禄四年生まれで三十九歳。利家の弟・佐脇良之(よしゆき)の次女を妻に持つ事から一門に等しい扱いを受け、利長の代になり登用された人物だ。利家に従い各地を転戦しただけでなく、石垣普請の名人として知られる。

 大膳や山崎(やまざき)長徳(ながのり)も同意見らしく頷いている。山崎“庄兵衛”長徳、天文二十一年生まれの四十八歳。朝倉家重臣の山崎吉家の弟・吉延(よしのぶ)の子とされるが、真偽は不明。朝倉家が滅ぶと明智・柴田家を経て前田家へ仕官している。

 重臣達の意見は主戦論と慎重論の真っ二つに割れている。主戦論が優勢な中、意志を表明してないのは三名。末席に加わったばかりの奥村栄明は緊張で顔が強張り、村井長頼は本心だと連龍に賛成だが永福から後を託された手前中立を保っている。そして残るは……。

「右近。其方(そなた)はどう思う?」

 利長は傍らに控える右近へ話を振る。明鏡止水(めいきょうしすい)の心地で静かに目を閉じていた右近は、ゆっくりと(まぶた)を上げる。

「……殿は、どうお考えで?」

 穏やかな声で問い返され、利長は率直な思いを明かす。

「私は――九郎左衛門の言い分が尤もだと思う」

 主君の態度表明に主戦論者達は「おぉ!!」と驚きの声が漏れる。さらに利長は続ける。

「喧嘩の売り買いなどどうでもいい。大事なのは筋目である」

 居並ぶ者全員の視線が利長に集まる。皆が全身を耳のようにして自分の話を聞いてくれる。代替わりして半年、余所余所(よそよそ)しかった家臣達との距離感が縮まり、初めて主従が一つになれた気がして利長は嬉しかった。

 熱に浮かされたように、勢いを増す利長。

「誰が吹聴(ふいちょう)したか知らぬが、疑惑があるなら当事者から取り調べるなり話を聞くのが道理。通報した者、疑わしき者の双方から説明を受け、裁きを下す。これは公儀に限らず統治する全ての者に当て嵌まる基本中の基本である」

 利長の弁舌に、一同がうんうんと頷く。治政者なら訴訟や審判は誰もが経験する道であり、公正公平の遵守や裁定・刑罰の判断で頭を悩ませる事も多々ある。その基準となるのが“法”であって、それを補う為に“掟”がある。曖昧で裁定が二転三転するような事があれば領民からの信頼や信用は地に堕ち、統治の根幹が揺らいでしまうからだ。

「しかし、内府様は原理原則を()げられた。自らが望む結論へ導くべく、恣意(しい)的な裁定を執った。……不当な扱いを受けたからには、我等も応じなければなるまい!」

 魂を込めた熱弁に、主戦論者のみならず長頼や栄明も「おぉーっ!!」と雄叫(おたけ)びを上げる。さながら、出陣直前の如き熱気を帯びていた。

 慎重論を唱えていた面々も、利長の論理的な説明を聞き苦渋の面持ちで受け容れていた。捏造だろうと前田家の言い分を公儀に伝え、公開の場で無実を証明すべきと考えていたが、ここまで肚が固まっている主君を説得し翻意を促すのは難しいと判断したのだろう。

 片や、右近。全てを聞き届け「成る程」と一言呟き、ポンと手を叩いてから答えた。

「殿は、公儀に刃向かってでも筋目を通すお考えなのですね」

 まるで世間話でもするかの如く平然と言い放った右近の言葉に、沸き立っていた場の空気が一瞬で()て付く。特に、主戦論を展開していた者達の顔から血の気が引いた。

 他の者達を置き去りにし、右近は続ける。

「まだ弁解の余地が残されているにも関わらず、それを放棄されてまで矜持を貫く為に一戦交え、自ら滅亡の道を突き進む。その心意気、実に感服致しました!」

 純粋に感動した様子の右近に対し、主戦論を唱えていた面々は居心地悪そうに萎縮していた。一方で、慎重論を考えていた者達からは信じられないと言わんばかりに驚いている。

 真っ向から右近に諭された利長は、吃驚(きっきょう)した表情で問い掛ける。

「……我等を(おとし)める結論ありきなのに、覆せると申すか?」

「はい。例え内府様でも“罪を捏ち上げる”ことは出来ても“罪を証明する”事は出来ません故」

 意味深な右近の返答に、ピンと来た利長。

「そうか、煙を立たせたはいいが肝心の火は存在せぬ。“あった”と受け取られる言質(げんち)や意図を掴ませない限り、公儀の後ろ盾を得た討伐は不可能……!!」

 家康の仕掛けた謀略の穴に気付いた利長に、右近は正解という風にニコリと微笑んだ。

 幾ら“太閤殿下より政を託された自分を闇討ちしようとした、(すなわ)ち豊家へ弓引くも同然!”と家康が声高(こわだか)に叫んでも、戦をするには大義が()る。それが大老に名を連ねる前田家なら尚更だ。黒幕と裏付ける明確な証拠が無ければ、唯々諾々と家康の(ほしいまま)に事後承諾してきた公儀も前田家討伐を認めない。では徳川家と家康に賛同する諸大名で軍事行動を起こせば私闘を禁じた『御掟』違反となり、逆に討伐の対象になる。罠に嵌めたように見せかけ、こちらが墓穴を掘るのを待っているのだ。

 暗闇に一筋の光明が差し、希望で顔色が明るくなる家臣達。しかし、利長と右近は険しい顔付きのままだ。

「問題は、誰を送るか……か」

「はい」

 利長の指摘に、右近は短く答える。

 潔白を主張しに行ったはいいが、相手の口車に乗せられ“(利長が言及せずとも)家康を排したい気持ちがあった”と捉えられては本末転倒である。弁説(べんぜつ)に優れているのは大前提として、家康やその取り巻きの狙いが読める頭の回転の早さ、利長の為なら命を捨てれる程の忠誠心を兼ね備え、相手の揺さぶりに動じない肚の据わった人物――。

 今この場に居る全ての人を見回してから、利長はこの任に適した者の名を呼ぶ。

「――大膳」

 その名が出た瞬間、一斉にそちらへ視線が向く。当の本人は呼ばれる事を覚悟していたらしく、落ち着き払った様子だ。

「頼めるか」

「身命を賭しても、その御役目果たしてみせまする」

 気負い過ぎず、神妙に応じる大膳。それに対し重臣達は冷ややかな視線を送る。

 居並ぶ面々の多くは出る筈のない名が出た驚きか譜代や古参を差し置いて新参者に大役を命じられた事への不満の二つに分かれていた。前田家の生きるか死ぬかの重大な局面を託せるのは、利家に一番長く付き従った長頼か利長が乞うて招いた懐刀の右近のどちらかと考えていた。

 確かに、父に仕えていた者達の気持ちは利長も理解している。“自分達を信用していないのか”と納得いかず批判の矛先が自分へ向けられる恐れもある。それでも敢えて大膳を指名したのは二つ理由がある。

 一つ、筆頭家老の長頼や懐刀の右近は前田家にとって何者にも替え難い存在であること。無いとは思うが徳川家に(とら)われれば前田家の運営に支障を(きた)す。その点、家中でまだ重用されてない大膳なら(利長にとって重大な痛手でも)前田家に及ぼす影響は抑えられる。

 二つ、これが最大の決め手だが……利長への忠誠心なら大膳が一番高い事だ。“前田家”への忠誠なら他の者も負けず劣らずであるのに対し、“利長”個人になると話は変わってくる。利家以来の家臣達は“亡き大殿の恩に報いる為、遺した家を守る為”に利長へ仕えるのであって、“利長の為なら火の中水の中でも飛び込む”かは疑問が残る。その微妙な主従の隙間を家康に付け込まれ懐柔されたり誤解を招かれては一大事だ。その点、大膳なら安心である。

 御家存亡の危機を救う大事な人選に多くの者は不満だろうが、利長は大膳ならきっとやってくれると信じていた。懐疑的な視線を一身に浴びながらも、大膳は重責を果たさんと使命感に燃えていた。

 一方、畿内に残った家康は着々と足場を固めていた。

 慶長四年九月二十六日、北政所は住まいである大坂城西ノ丸から退去。筆頭上臈で最側近の孝蔵主(こうぞうす)を始めとした北政所の側仕えしている者達を連れ、秀吉が晩年に築いた京都新城へ移った。その二日後、主を失った西ノ丸に家康が入り、ここに居を構え政を執るようになった。あまりに円滑な移行劇に、両者の間で前(もっ)て交渉が進められていた事が推察される。豊臣家の政権維持に家康の力は必要不可欠と考える北政所と、秀頼の威光を背景に自らの政に箔を付けたい家康の利害が一致したのが大きかった。この後、家康は西ノ丸に天守を築く為の工事に着手する。

 月が改まり、十月二日。家康は先日明らかになった自らの暗殺計画に加担した者達の処罰を発表した。大野治長は下総(しもうさ)結城(ゆうき)、土方雄久は常陸(ひたち)国水戸へそれぞれ流罪。浅野長吉は領国の甲斐で蟄居処分が下されるも家督を嫡男・幸長に譲り家康の領国である武蔵国府中へ自ら移った事を加味され謹慎に減刑された。隠居し徳川領内へ自発的に入ったとは言え先述した二名より罪が軽くなったのは、元々家康派ながら噂を流す内に尾鰭(おひれ)が付いて家康の企図(きと)しない形で名前が入った事へ家康なりの長吉へ配慮したとも受け取れる。

 三名の処分を発表した家康は同時に、前田討伐の可能性を示唆(しさ)。前田領に隣接する丹羽長重に先鋒を命じた旨を明かし、諸大名に動員へ備えるよう通達を出した。

 (にわ)かに畿内が慌ただしくなる中、利長は縁戚にある宇喜多秀家や長岡忠興へ有事の際に助力をお願いしたい旨を内々に要請。硬軟両様(りょうよう)の想定で利長は家康に対峙する心構えだった。その最中、大膳は利長と前田家の命運を背負い、一路大坂へ出立した――!!


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