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一 : 命を削りて尽くす忠-(13)一つの時代の終わり

 家康との会談を終えた父に、死期が迫っていた。食事は水のように薄い(かゆ)が喉を通ればマシな方、起きている時間より眠っている時間が上回るようになり、前田家中にも“その時”を意識する雰囲気に包まれていた。

 そして――慶長四年三月二十一日。利家の部屋に前田家の主立った者達が顔を揃えた。皆、どうして呼ばれたか理解している。利家の遺言を聞く為、だ。

 枕元には正室のまつが筆を手に、控えている。口述された内容を(したた)める書記の役目だ。

「皆、揃ったか」

「はい」

 父の問い掛けに、利長が代表して答える。それを受け、上を見ながら父は語り始める。

「儂の遺骸(いがい)は金沢へ運び、野田山へ埋葬せよ。また、大坂に詰める女子達も国許へ帰らせよ」

 諸大名は豊臣家へ叛意が無い証として妻子を大坂へ人質を住まわせる決まりになっている。代替わりで利家の妻子は役目から解き放たれ、逆に利長の妻・永姫がその務めを負う。

「又若は金沢へ戻れ。そして、前田家の内で八千は孫四郎(利長)の居る大坂に置き、もし上方で変事があれば又若は直ちに八千の兵を率いて上坂せよ」

 それから父は遺産の分配について述べる。事細かにスラスラと挙げていく様に目を丸くしていた利長に、種明かしをしてくれた。

「形見分けと言えど物を分け与えるのは内紛の元だからな。予め(まかな)(がた)立ち合いの(もと)、調べておいた。目録もまつに預けてある」

 先々の禍根(かこん)も考慮する父の用意周到さに、利長は頭の下がる思いだった。金銭の多寡や物の価値、または授ける物品の重複等、些細な事でも家中で争いの原因になる。刃傷沙汰(にんじょうざた)に発展すれば公儀の心象を損ねる恐れがある。

「孫四郎は向こう三年国許へ帰ってはならぬ」

「……はっ」

 儼乎(げんこ)たる口調で言い渡され、畏まった様子で応じる利長。父の目には三年の内に畿内で事態が大きく動くと睨んでいるのだろう。

 吸い飲みで一旦喉を潤した父は、続いて薫陶に移る。

「合戦の折は必ず自領の外へ出て戦え。……かの右府様も、そうだった」

 偉大で絶対的な主君の名を口にした父は、どこか懐かしそうな顔を浮かべている。

 信長の戦いは尾張統一や織田包囲網の苦境時を除けば、自分の領地外へ攻め込む事が多かった。仮に攻撃が失敗に終わっても攻め込まれた敵側は田畑が荒れたり人や物の損失が発生し、それが積み重なれば疲弊していく。攻め続ければ失敗を重ねても大敗を喫しても最終的には勝利を得られる。そういう戦いを信長はしていたと父は説く。

「譜代の者は大事にし、二十年仕えた者達も本座者として譜代並に扱っていい。但し、新参者は形勢不利になると裏切るものと思え」

 前田家に長年仕えている者は信頼に値するが、仕官して年数の浅い者は目先の利害で動く傾向がある故に注意せよと父は言う。人材登用の戒めと利長は受け止めた。

「そして、この先は武辺も大事だが文武両道を目指すべきだ」

 当時は戦場に立ち命懸けで武功を挙げて初めて“一人前”と認められる風潮が常識とされるも、父はこれからの時代は槍働きだけでなく治政や算勘も出来るようになれと語る。情勢は不透明だが、秀吉の築いた天下泰平の世が今後も続けば武辺一辺倒の者達は役割を失ってしまう。そうなる前に武士達へ文官の仕事を覚えよと奨励すべきだと父は諭すのだ。

 そして最後に、家臣の扱いについて父は述べる。この者は大切にしろ、この者は用心せよ、と個人名を挙げて助言を(のこ)した。

「……これで、以上だ」

 父が終わりを宣言し、拝聴していた家臣達が一人また一人と退室していく。中には涙を浮かべる者も居て、信望の篤さが窺い知れる。一門の者達も席を立ち始め、利長も下がろうと腰を浮かせかける。

「孫四郎」

 微かな声で、父が呼び止める。何かあると利長は座り直し、全員が退室するのを待つ。

 そして、父・母・利長の三名だけになると、小姓達は予め言い含められていたのか襖を閉め部屋の外へ出て行った。どうやらこれより先は内密の話のようだ。

 まつが再び吸い飲みで水を含ませると、父は告げた。

「今の遺言はあくまで家中に向けたものだ。儂が死んだら無視して結構」

 衝撃の発言に、利長は絶句する。あれだけ長時間に渡り伝えられた遺言を破っていいと当人が語ると誰が思うか。

 目を点にし固まる利長へ、父は続ける。

「あぁでも言わない限り、家中は纏まらず納得も難しい。儂ありきの前田家から脱却せねば、いつか潰れる。……お主には重い宿命を背負わせ、申し訳なく思っておる」

 心から詫びる父に、利長は鉛を飲み込んだような気分になる。

 豊臣家は秀吉が水呑み百姓の(せがれ)から徒手空拳(としゅくうけん)で天下人まで昇り詰めた為、俗に“譜代”と呼ばれる家付きの家臣が()らず(()いて挙げるなら三成・清正など小姓上がりや行長など武家以外で登用された者か)、大部分は織田家旧臣か独立していた地方大名で構成されていた。昨今では槍働きで出世してきた“武断派”と行政や兵站などで頭角を現した“文治派”の間で修復不能な程の対立が顕在(けんざい)化しているが、前田家でも同様の問題を抱えていた。いや、前田家の方がより複雑で深刻である。

 前田家の家臣は大きく四つに分けられる。一つ目は、前田家が尾張荒子の土豪時代から仕えている者。これは村井長頼(ながより)や奥村永福(ながとみ)に代表される。二つ目は、利家最初の赴任地である越前府中や能登・加賀を治めた時に家臣となった者。こちらは畠山家旧臣の(ちょう)連龍(つらたつ)高畠(たかばたけ)定吉(さだよし)が該当する。三つ目は、利長独自の家臣団。横山長知(ながちか)や神尾之直(ゆきなお)など。四つ目は、別の大名家の出身者。高山右近や山崎長徳(ながのり)などが当て嵌まる。他に利政を始めとする一門衆も存在し、なかなかな混沌具合である。

 近い将来に利長は前田家の棟梁となるが、父に長く仕えてきた古参の家臣達からすれば利長の直臣だった者が編入してくる事を面白く思う筈がない。家臣内の不和は分裂の温床になる。それこそ、今の豊臣家のように。

「儂が死んだ後、家臣の扱いについてはお主に一存する。融和を目指すのは当然として、お主を軽んじたり不満を抱いたりする者は容赦せず粛清しろ。ただ、難癖と諫言をくれぐれも取り違えるな。それから、相性は誰にでもあるが好嫌(こうけん)を抜きに能力や器量で量才録用(りょうさいろくよう)するように。……まぁ、これに関しては心配要らぬだろうが」

 家臣の処遇に関して父は釘を刺す。その金言を利長は真剣な表情で受け止める。

 信長に仕えていた頃から自前の家臣を持っていた利長は、人事の難しさを実感している。依怙贔屓(えこひいき)好悪(こうお)で差をつけないよう意識してきた甲斐もあり、利長の家臣達は忠心を抱いて仕えてくれている。この先は全く異質な父の家臣団へ編入するが、利長に長年付き従ってくれた家臣を登用すれば父を支えてきた古参の者達を冷遇する事に直結する。その匙加減が重要となる。

「最後に、どうしても伝えたい事がある」

 残った気力を振り絞るように、父は声を一段階強める。自然と利長の背筋も伸びる。

 ここまで、秀頼公や豊臣家について一切触れられず、遺言でも言及していない。恐らく、今から述べるのだろう。利長も心して臨む。

 一拍の間を挟み、父は口を(ひら)く。

「この先、豊家に危機が訪れるかも知れぬ。また、豊家への忠義と御家の存続を天秤に掛ける場面が到来する事も考えられる。……どうするかは、お主に委ねる」

 父の言葉に理解が追い付かず、利長は「は?」と()頓狂(とんきょう)な声を上げてしまう。

「……てっきり『これまでの厚恩(こうおん)に報いるべく全力で忠義を尽くせ』と仰ると思いました」

「それは儂の場合だ。太閤殿下には返しきれぬ程の恩を受けたし、薨去なされた後も豊家の為に全身全霊で尽力した。それは当然の務めだからな」

 率直な感想を述べた利長に、真顔で返す父。

「然れど、それをお主に()いる資格は、儂に無い」

 キッパリと断言した父は、さらに続ける。

「今後前田家の行く末を決めるお主が儂の遺志で選択を縛るのは間違っているし、儂も真っ(ぴら)御免だ。先に逝った友への義理は儂の代で充分果たした。故に、お主の思った通りにするがいい」

 父の言葉に、利長は暫く俯いたまま動けなかった。確かに、父の先行きの見通しについてはあくまで現時点での予測であり、未来を予知して話している訳ではない。父の死後に前田家の舵取りを行うのは利長であり、遺言を遵守する事を最優先にし選択の余地を(せば)め誤った道へ進む事を父は望んでいなかった。死後の不安を抱きつつ“亡者の遺した命令より生者の判断を優先しろ”とは、なかなか言えるものではない。

「儂は良き主君と友に恵まれた。尾張荒子の些末な家の四男坊が仕えた主の引き立てで国持ちの身となり、親しき友を持ったお蔭で日ノ本全土を治める家の重臣となれた。愛する妻とも巡り合い、安心して後を託せる跡取りも居る。……儂は類稀(たぐいまれ)なる果報者よ」

 穏やかな眼差しで語る自らの生涯を振り返る父は、本当に悔いが無いみたいだった。

 傍らで、母が目元を袖で拭う。相思相愛、二人三脚で歩んできた夫婦の想い出や苦労が込み上げてきたのだろう。

 一方で、満足そうな表情で横臥(おうが)する父の姿を眺めながら利長は同じ立場で「悔いは無い」と胸を張って断言出来るだろうか? とふと考えが(よぎ)った。

 全てを伝え終えた父は、体力気力を使い果たしたのか(まぶた)を閉じた。静かな寝息で眠りについた父の顔は、実に安らかだった。


 慶長四年(うるう)三月三日。遂にこの時を迎えた。

 前田利家、死去。享年六十二。仕える主・上役・同輩・部下の垣根を超えて慕われ、多くの人々に愛された生涯を閉じた。

 ただ、豊臣家重鎮の死は家中に甚大な影響を及ぼした。日頃から三成に憎悪していた“武断派”七名が、利家という重石が取れた事で長年の鬱憤(うっぷん)が爆発。この機に三成を討つべく行動に移したのだ! 事前に襲撃を察知した三成は伏見へ逃れ、最終的には家康が主導し輝元・景勝に北政所を加えた計四名による裁定で騒動の元となった三成に隠居・佐和山での謹慎処分が言い渡された。

 さらに、利家の死後から十日後。家康は“留守居”の名目で向島城から伏見城へ転居。公儀に無断の行動で増田長盛・長束正家・前田玄以の三奉行は強く抗議するも封殺した。

 睨みを利かせていた利家の死をキッカケに、豊臣家は締められていた(たが)が外れ各々の思惑で動き出した。父を亡くした利長は引き継ぎに忙殺され、大きなうねりが生じている世間を他人事のようにぼんやりと眺めていた。


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