1-8
太輔の妻は強い人だった。そこに太輔は惹かれて一緒になった。
とりわけ健康面に関しては太輔よりも元気なぐらいだった。
だからまさか彼女が出産で命を落とすなんて考えもしなかった。
「……」
喜び勇んで病院に駆けつけた太輔は、ベッドの上で顔に布を乗せた妻と対面する。
これは悪い夢だと太輔は思う。ここのところ残業続きで疲れた脳みそが、タチの悪い白昼夢を見せている。そうとしか思えなかった。
「……」
現実逃避を続ける太輔を無理矢理この世に引き戻したのは、赤ん坊の泣き声だ。
「ふぎゃふぎゃ」という声に導かれて太輔は妻の横のベビーベッドを覗き込む。
ベッドでは生まれたばかりのカヨ子が泣いている。
手を伸ばせば力強く握り返す。
※ ※ ※
薄暗い病室。
ベッドの上で太輔はゆっくりと目を覚ます。
「……」
頭の中にモヤがかかっていて、ここはどこで自分は何をしていたのか思い出せない。
だが太輔の足元で突っ伏して眠るカヨ子を見た途端、一気に記憶が蘇る。
「カヨ子!」
と名前を呼ぼうとして口を開くが、全身を走る激痛で息ができなくなる。
「……ッ!? !? !?」
身体中の筋肉が強ばり脂汗が噴き出る。
開いた口からは涎が止まらない。
困惑する太輔の前に、ふわふわと漂って来たのはマハロだ。
「よお、お加減はどうだ? ダンナ」
マハロはニヤニヤと笑いながら太輔を見下ろす。
「複雑骨折に内臓破裂。アンタ死んでてもおかしくなかったんだぜ? それをカヨ子が魔法で治したんだ」
「……」
「でも無茶ができないよう痛みはあえて残してある。少しでも動こうもんなら文字通り死ぬほど痛い目に合うぜ。ケケケ……」
「……ッ」
「まあこれに懲りたら二度と首を突っ込まないことだ。ディスランダーとの戦いはアンタには無関係だ」
ギリッと歯噛みして太輔は声を絞り出す。
「……関係、なくない。俺はカヨ子の父親だ!」
「まだ言ってんのかよ……」
「カヨ子に怪人殺しなんかさせない!」
「殺しじゃない。浄化だ」
「殺しだ! 耳障りの良い言葉で誤魔化すんじゃねえ」
「だとしても正義の味方は専守防衛! 「せいとうぼーえー」ってやつだよ!」
「もう一度言うぞ。殺しだ」
「……」
「お前こそ今すぐカヨ子の前から消えろ!」
カチンと来たマハロは、ぷにぷにの肉球で太輔の上に降り立つ。
「なに、考えてやがる……」
戦慄する太輔を見上げてニヤッと笑う。
「シルバーバックの恨みだ! 思い知れ!」
マハロは太輔の上で飛び跳ねる。
身動きの取れない太輔は激痛で気絶と覚醒を何度も繰り返す。その間ずっと己の無力さを噛み締めていた。
こんな羽虫一匹にやり返すこともできない。
怪人ならなおのこと……。
いや初めから全部わかっていたことだ。
それでも父親として引くわけにはいかなかった。
だがその虚勢ももう……。
「ふう、いい汗かいたぜ」
一仕事終えたマハロはカヨ子の頭に寄りかかって一息つく。
太輔は痛みも麻痺して放心状態。がっくりと項垂れたまま呟く。
「妻と約束したんだ……」
「約束?」
「……カヨ子を守るって」
もちろん死んだ妻の声が聞こえたわけじゃない。そんな都合の良い超常現象は起こらない。
だが彼女なら「カヨ子をお願い」と言うに決まっている。
交わしていない妻との約束。
それが二人を繋ぐ絆だった。
「……でも守れなかった」
項垂れる太輔を見かねてマハロは言う。
「安心しろ。カヨ子が負けることは万に一つもない」
「そんなもん、わからないだろ……」
「わかるさ。最初に奴らが撃ったレーザー『星間テラフォーミングレーザー』はディスランダー最強の兵器だ」
「……」
「それをメルシーは打ち返したんだぜ? 怪人の一体や二体、攻めて来た所でどうってことはない」
「……え?」
「あ?」
「じゃあ何で連中は毎日のように襲撃に来るんだ?」
「それは……」
黙り込む太輔とマハロ。
何かが引っかかるような気がして太輔は考える。
一方マハロは、
「諦めが悪いんだろ?」
と肩をすくめる。
そして「オイラは寝る」と言ってカヨ子の膝の上で丸くなる。
「……」
これが意味するところは何か。
今はまだわからない。だが人間が化け物同士の戦いに入り込める余地のような気がして、ぐるぐると思考を巡らせる。
生気のなかった太輔の目に再び強い意思が宿る。
諦めるにはまだ早い。そう自分に言い聞かせる。