1-3
太輔はシングルファーザーだ。
太輔の妻カヨ子の母は、娘を産んで間もなく命を落とした。
以来太輔は男手一つでカヨ子を育ててきた。
幸い彼女は健康そのものでこれといった問題もなく大きくなった。
優しく賢く友達も多い。特に教えたわけでもなく、自然と家のこともやってくれる。
親バカと言われるかもしれないが、出来過ぎた娘と言わざるを得ない。
少々口うるさい所がたまにきずだが一人娘のお小言なら可愛いもんだ。
カヨ子のためならどんなツラい仕事も苦ではない。
残業も汚れ仕事もなんでもやる。
「まあそんなの親として当然か……」
妻の位牌に手を合わせながら太輔は呟く。
※ ※ ※
スーパーかぐらやでは配達サービスも行っている。
店へ足を運ぶことができないお客様のために、太輔自ら三輪バイクを走らせ商品を届ける。
「ありがとうございました! またご贔屓に!」
「ご苦労様。よかったらこれ飲んでね」
そう言って配達先のご婦人から差し入れをもらうことも少なくない。
帰り道、バイクを走らせながら太輔は缶コーヒーを飲む。
だが……、
「甘いな」
コーヒーはミルクと砂糖たっぷりのやつで、最近数値が気になり始めた太輔には少々危険な代物だ。
「……」
でもこんなもの貰うだけでも嬉しいもんだなとしみじみ思う。
こういう何気ないねぎらいが日々の活力になる。明日また頑張ろうという気にさせてくれる。淡々とした日常を飽きずに繰り返すコツのようなものだ。
ありがたく頂こう。
甘いけど。
「今日は走って帰ろうかな……」
と呟く太輔の視界の端に、一瞬ピンクのふわふわが映り込む。
「……メルシー?」
すぐに通り過ぎてしまったが見間違えるはずがない。毎日見ている正義のヒーローが路地裏に降り立つ瞬間を目撃する。
そういえば配達先のご婦人が、
「近くで恐い怪人が出たみたいだから気をつけて!」
と言っていたのを思い出す。
きっと今日も華麗に怪人退治をして、人々の声援を浴びながら戻って来たんだろう。
「……」
赤信号でバイクを停めて太輔は考える。
こんな缶コーヒー一本でも彼女の力になれるだろうか。
自分には何もできないと諦めていたが、まだできることがあるかもしれない。
きっと今は千載一遇のチャンスだ。
「……よし」
太輔はぐいっと缶コーヒーを飲んでUターン。来た道を戻る。
※ ※ ※
路肩にバイクを停めた太輔は、ひと気のない路地裏を進む。
「確かこの辺りに……」
手にはお茶や缶ジュースをいっぱい抱えている。
太輔なりの感謝の気持ち、メルシーへの贈り物だ。
ありがとうと言われ慣れていても物をもらう機会は少ないはずだ。缶ジュース一本でも明日を頑張る活力になる。
と考えて途中でハッと気づく。
「もしかしておれ不審者か……?」
知らない人からものを貰っちゃいけませんなんて、今や社会常識だ。自分だって娘に教えている。
「……キモがられたらやめよう」
と肝に命じて太輔は歩みを進める。
複雑に入り組んだ雑居ビルの間、少し開けた空間にメルシーはいた。
「……」
薄闇の中、差し込む光でなんだか妙に神々しく見える。
関内くんが推すのもわからなくない。
太輔は曲がり角から顔を出して「……あの」と声をかけようとする。だがカッと強い光に照らされて息を呑む。
まずいと本能が告げる。
何か見てはいけないものを見るような気がして太輔はとっさに目を逸らす。
メルシーの正体に関して様々な憶測がなされているが真実を知るものはいない。きっとこんな所でバレて良いものじゃない。きっと自分にも彼女自身にも危険が及ぶ。
だが目を逸らすことはできなかった。
太輔の視線は釘付けになる。
光が消えて現れたのは太輔の娘、有賀カヨ子だった。
今朝見た時と同じ見慣れたランドセルを背負っている。
カヨ子は腕時計を見下ろして驚く。
「あーッ! 特売の卵売り切れちゃう!」
小学生のくせにやたらと世帯じみたことを言うのも彼女の特徴と符合する。
「父ちゃんに取っておいて貰えばいいだろ?」
カヨ子の周りを羽の生えた変な生き物が飛び回る。言葉を喋るがおそらくオモチャじゃない。
「マハロはそうやってすぐズルしようとする!」
「カヨ子がカタブツなんだよ」
カヨ子とマハロと呼ばれた生き物は、言い争いながら太輔と逆方向へ消えていく。
呆然と太輔は立ち尽くす。カヨ子の背中が見えなくなってもその場から動くことができなかった。
カランと缶ジュースが落ちるのと同時に、太輔もズルッと膝から崩れ落ちる。
「うちの娘が……魔法少女?」