氷の側面
今日の天気は最悪だ。入学式だというのに雨、それもどしゃ降りだ。高校生活早々にこんなテンションが下がることになるとは思わなかった。
「はあ……」
溜息をつきながら玄関に入ろうとする。すると、隣に人が来た。傘を忘れたのかその子は雨に濡れていた。しかし、彼女を見た時俺は息をのんだ。この世のものとは思えないほどに整った顔。肌荒れと言う言葉を知らないかのような肌。そのすべてに俺は魅了された。
水も滴るいい女。彼女を見た時に浮かんできた言葉だ。その姿を見て俺、桜田渚は反射的に口からこぼれてしまった。
「好きだ」
と。
「は? なんですかあなた」
「いや……何でもない、あまりにも君が綺麗だったからさ」
「なんですか……口説いているんですか?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「そうですか、それでは失礼します」
そういって彼女は去っていった。その姿も美しく。しばらく見惚れてしまっていた。
「おっといけない、遅刻する」
俺はすぐに靴を履き替え教室に向かう。するとそこには、さっきの女の子がいた。
「同じクラスだったのか……」
内心でラッキーと思いつつも、チャイムが鳴る前に自分の席に座る。
しばらくして、先生が来てオリエンテーションが始まった。まずは自己紹介から始まった。次々に自己紹介が終わってきて次はとうとう俺の番だ。少し緊張しながら話し始める。
「初めまして、桜田渚です。趣味は映画鑑賞で、好きな食べ物は辛い料理です。これからよろしくお願いします!」
なんとか噛まずに言えた。そして、俺の後に何人かが自己紹介を終えた時、クラスに衝撃が走った。
「おい……なんだあの美人」
「キレイ……」
などとクラスがざわめき始める。そんなことには目もくれず、彼女は自己紹介を始める。
「初めまして、藤原優香です。趣味は読書、それとチェスです。よろしくお願いします」
あまりにも凛とした挨拶だった故か今度はクラスが静まり返ってしまった。
そんなことがありつつも自己紹介は無事に終わった。
「よし、全員終わったな。俺は担任の吉住羊だ。よろしくな! 早速決めてもらいたいものがある。……それは学校祭の出し物だ。知っているやつもいるだろうが、この学校は入学してすぐに文化祭とは別で学校祭と言うものがある。これは伝統行事で昔からの決まりらしい。……それで、何かやりたいことはあるか?」
初耳だった。まさかそんなものがあるとは思いもしなかった。俺はあまり乗り気ではなかったが、どうやらクラスメイト達はやる気満々らしい。すぐに手が上がる。お化け屋敷や、喫茶店、たこ焼きからクレープまで。色々な意見が出そろった。
「うーん、どれも一年生の予算的に厳しいな。他、なんかあるか?」
周りから残念がる声が聞こえてくる。そして、誰も手を上げなくなった。そんな中一人だけ手を上げた生徒がいた。そう、藤原だ。
「私は、日本の歴史を調べ、それをまとめた物をクラスに展示すればいいと思います。これなら予算は掛かりません」
「他に意見がないなら藤原の意見になるが、いいか?……よし決まりだな。では明日から準備に取り掛かってくれ」
藤原の意見が通ってしまってからクラスはモチベーションを失っていた。かくいう俺もその中の一人なのだが。
俺が帰り支度をしていると一人の男が話しかけてきた。
「よう! 桜田、俺のこと分かる?」
「ああ、お前は確か……葦沢だな」
「せいかーい! なあ、途中まで一緒に帰えろーぜ!」
「まあ……いいけど」
「よっしゃ! それじゃ早く行こうぜ」
そうして俺は、葦沢と帰ることになった。
帰り道葦沢が口を開いた。
「そういえばさ、学校祭の出し物どう思った?」
「俺は硬すぎると思った」
「だよなー昔からああなんだよ、藤原って」
「昔から? 同じ中学だったのか?」
「ああ、そうさ、あいつとはクラスも一緒だった。そして、昔からあんな感じだった。だからクラスでもあまり受け入れられてなかった。顔は良いが、性格がダメ、周りに流されず、ずっと勉強してたよ。絵にかいたような優等生だったぜ」
「そうだったのか……でもあれだけ顔が良かったら性格が多少悪くても男は寄ってきそうだけどな」
俺は至極当然のことを言う。それほどまでに藤原の顔は整っていた。
「俺も最初はそう思ったよ……でも告白の返事が酷すぎていつしか誰も近寄らなくなったんだ」
「どんな振り方をしたんだ?」
「あるクラスメイトは誠意を込めて告白した……しかし、そいつは藤原に認知されていなかった」
「嘘だろ? クラスメイトだろ?」
「ああ、そうさ、そして、告白した奴はショックでしばらく学校を休んだ。あいつはそういうやつなんだ。自分が興味を持たないと認知されもしない」
「それは……ひどいな」
想像の何倍も上を行く言葉に俺は冷や汗を流す。
「でも俺はいくぞ、葦沢」
「まじか……」
そう……一度憧れてしまったんだ。それは今も炎のようにメラメラと燃えている。それは到底すぐに消えるようなものでは無かった。
そんな話をしていると曲がり角にぶつかった。
「俺こっちだけど、葦沢は?」
「あー俺逆だわ、じゃ、また明日」
「……また明日」
そして、帰路につきながら考える。なぜすぐに学校祭があるのか、そして俺の予想が正しかったらこのままいけば大変なことになるかもしれない。
「杞憂だったらいいけどな……」
それから何日かが過ぎたある日、玄関に行くと件の藤原がいた。俺は勇気を振り絞って声をかける。
「おはよう、藤原」
藤原からの返事は帰ってこなかった。
「無視かよ」
「はあ、普通に考えて知らない人から挨拶をされても怖いだけじゃないですか……それでは」
それだけ言うと藤原は去っていった。俺一応クラスメイトなんだけどな。どうやら藤原にとっては知らない人らしい。
教室に着くと葦沢が話しかけてきた。
「おはよう! 桜田」
「ああ、葦沢か、おはよう」
そう簡単に返事をする。
「そういえば聞いたか? 今日から学校祭の準備期間で午前授業らしいぜ」
「そうなのか、でも……」
「そうだ、クラスが乗り気じゃない」
クラスメイト達の雰囲気を見れば一目瞭然だった。
「やっぱりか、これじゃまともなのができないぞ」
「お前もそう思うか」
やはり、と言うべきか。遊び盛りの高校生が日本の歴史を調べるだけなんてやる気になる方がおかしい。しかし、そんな中で一人日本の歴史本に目を通している人物がいた。その本には付箋が大量に貼られていて、その様子からもやる気が伝わってくる。
「藤原はやる気満々だな」
「あいつは中学でもそうだったからな、グループワークの時だって、誰もやる気がない中あいつ一人はやる気で満ち溢れていた」
「いいことじゃないのか? それともそのせいで衝突があったのか?」
「すごいな……そうだ、それによってグループワークのメンバー達と衝突した」
確かに、緩くやろうとしている人たちにとっては、藤原は厄介な存在と言えるかもしれない。
「もうそろそろまずいぞ……グループワークの時と同じ雰囲気だ、あれは今日の準備で噴火するかもしれねぇ」
準備中、葦沢が言っていたことを思い出しながら見てくれだけの手を動かす。すると……
「なんで本気でやらないんですか!」
どこからか怒気のはらんだ声が聞こえてくる。その方向を見ると案の定藤原だった。
「いや、こんなつまんないこと本気でできないって(笑)」
「あなたたちはこれを完璧にしたいと思わないのですか⁉」
「いや、完璧って、たかが学校祭で大げさでしょ」
「なんですか……それ」
そういい藤原は教室を出てってしまった。目に涙を浮かべながら。
「葦沢、俺ちょっといってくるわ」
「やめとけ! 桜田無意味だぞ」
「それでも行く、あいつには教えなくちゃいけないことがある」
そういって俺も教室を出た。藤原の背中が見えたので、追っていく。やがて空き教室に入っていくのが見えたので俺も続くように入った。
「藤原、戻ろう。ちゃんと話し合わなきゃ駄目だ」
「誰ですか……あなたは」
「ただのクラスメイトだよ」
「説教をしに来たのですか?」
「いや、藤原の考えが聞きたい」
そういうと、驚いたように目が開かれる。
「なんですか……それ、別にいいですが。私には理解できないのです、なぜ本気でやらないのか、完璧にしたくないのか」
「藤原はなんで完璧にしたいんだ?」
「それは、当り前じゃないですか、やるからには完璧に、それが普通でしょう」
「それが間違っている。お前の考えは少数派だまずはそれを受け入れろ。お前の行動は理にかなってる、だが人間の大多数は理より感情で動くんだ。今回で言うところのモチベーションだ、やりたくもないものに大体の人間はモチベーションを高く維持できない、お前はできるかもしれないが少なくともあいつらにはできないんだろう」
「じゃあ、諦めろと言うんですか!」
「そうは言ってない、要はあいつらのモチベーションを高くすればいいんだ。……今のままじゃ無理だけどな。なぜならお前の熱が強すぎるからだ、行き過ぎたものはやがて周りが付いていけなくなる」
「じゃあ、どうすれば……」
「簡単だ、お前が寄り添ってやればいい。お前についていける奴はいないだろう。モチベーション的にも技術的にも。だからお前が指示をすればいい。なにをやればいいかわかんない状況で的確な指示がきたらそれはやろうとするはずだ。まずはそこからだな、後はお前次第だ」
そう言って俺は背を向け扉に手をかけるすると、後ろから小さいが確実に声が聞こえてきた。
「あの……ありがとうございました」
その声を最後に俺は今度こそ部屋を出た。
あれから藤原は変わった的確に指示を出し、クラスメイトに寄り添った。その結果学校祭は良いものになった。
「お前、どんな魔法を使ったんだ?」
「俺は魔法なんか使えない、あれはあいつが変わったからだ」
学校祭の打ち上げ途中に葦沢がそんなことを言ってきた。
「そんな謙遜するなよ~」
「謙遜じゃない事実だ」
そんなやり取りをしていると後ろから話しかけられた。
「あの!」
そこには、藤原が立っていた。
「へ? おれ?」
「はい、あなたです……名前を教えてくれませんか?」
まだ覚えられてなかったのかと少しショックを受けつつも俺は答える。
「桜田渚だ」
「そうですか……渚君……ふふっ! ありがとうございます」
そう言って笑う藤原の笑顔はまるで雨上がりの太陽のように美しかった。その笑顔を見た瞬間俺は、反射的に口から
「好きだ」