【25】ワガママ姫と西の戦狼
「お前達は、我が帝国が誇る剣聖を知っているか?」
セビルの言葉に、ティアが元気良く「知らない!」と応じ、エラが控えめに言った。
「ヴァルムベルクの戦狼、ですよね」
その言葉に、ゾフィーは戦慄した。
帝国最西端に領地を持つ、先々代ヴァルムベルク辺境伯テオドール・ブランケ──通称、ヴァルムベルクの戦狼。
その卓越した剣の腕から剣聖の称号をもらった人物であり、皇帝に深い忠誠を捧げ、五十年以上前の隣国との戦争で活躍した英雄だ。
……つまり、結構なお年のおじいちゃんである。
二十歳近く年上のダマーが気になるティア。
三十歳以上年上のメビウス首座塔主が好きだというロスヴィータ。
そして、五十歳以上年上の剣聖が好きなセビル。
(ひぃぃん……どうしよう、どんどん歳の差が開いてくぅぅぅ……)
絶句するゾフィーをよそに、セビルは続ける。
「その剣聖の孫──現ヴァルムベルク辺境伯もなかなかの強者だと聞いてな、わたくしは会いに行ったのだ」
「良かった! 孫の話だった! おじいちゃんじゃなかった! ……あっ、ごめんごめん、続けて〜」
ゾフィーはパタパタと手を振り、安心して話の続きを促す。
セビルはルキエのベッドの上で足を組み替え、昔を懐かしむ目で言った。
「あの頃のわたくしは、強さこそ全て。弱者は何も得ることができぬと思っていてな」
ロスヴィータがビスケットを食べる手を止め、半眼で呟く。
「今も似たようなもんじゃない」
「当然に、わたくしの夫となる男も、強くなくてはいけないと思っていた」
「今も思ってるでしょ、絶対」
セビルはロスヴィータが膝にのせている菓子の紙袋を素早く取り上げ、最後のビスケットを確保した。
「ところが、わたくしを出迎えた現当主は、ヒョロリと痩せた頼りない男だった。覇気のない、しょぼくれた犬のような男だ」
セビルほど覇気に満ちた男を探す方が難しい、とゾフィーは思った。
いるとしたら、セビルの兄──黒獅子皇ぐらいではなかろうか。直接見たことはないが、噂だとかなり苛烈な人物らしい。
「現ヴァルムベルク辺境伯ヘンリック・ブランケ。あの男は、わたくしに自分の城を犬小屋呼ばわりされても、怒らずヘラヘラしている」
(し、失礼だぁ……)
「わたくしはガッカリした。折角ヴァルムベルクに嫁いで、帝国からの独立を促し、わたくしはヴァルムベルクの女王として君臨しようと思っていたのに……!」
この発言には、流石のゾフィーも顎が外れそうになった。
現皇帝の妹であるセビルが、帝国領内にある辺境に嫁ぎ、その領地が国として独立──荒唐無稽に聞こえるが、帝国内の内部紛争が絶えない現状、条件さえ揃えば不可能ではない。
「──って、内紛の火種、ボンボンぶち込みすぎぃ!!」
ゾフィーが叫ぶと、セビルはフッと美しく微笑んだ。
その手にビスケットを握りしめていなければ、ちょっと見惚れていたかもしれない。
「今のはキレのある良い突っ込みだったぞ、ゾフィー。褒めてつかわす。レンを思わせるキレだ」
「うひぃん、褒められても嬉しくないぃ……ていうか、コイバナはぁ? ねぇ? 甘くて酸っぱい初恋の思い出はぁ?」
甘くて酸っぱいどころか、血生臭い話が飛び出す予感がしてきた。
多分、ゾフィーの勘は正しい。
「うむ。ヴァルムベルク辺境伯──ヘンリック殿を試してやろうと考えたわたくしは、こうワガママを言った。『ブローチが欲しくなった。竜の鱗で作った物がいい。一つ、調達してはいただけないだろうか?』と」
ポソポソとビスケットを齧っていたティアが、「ピヨッ」と声をあげる。
「あ、分かった! セビルのブローチのあれだ! ……でも、竜って魔物より強いよね?」
いつも温厚なエラですら、「そ、それは……えぇと」と言葉を濁している。
若き日のセビルの横暴っぷりに、流石のエラも言葉を失っているのだ。
ルキエが色糸を編む手を止めて、顔を上げた。
「……竜の鱗って、まさか生きたまま剥いだやつのこと言ってる?」
「いかにも、その通りだ」
「死ねって言ってるも同然だわ」
「『剣聖の孫ならできるであろう』と当時のわたくしは返したな」
ルキエが眉根を寄せる。
「……いかにもワガママ姫の横暴って感じね」
「許せ。あの頃は、わたくしも若かったのだ」
* * *
当時、まだ若かったセビルのワガママに、ヴァルムベルク辺境伯ヘンリック・ブランケは困ったような顔で言葉を濁した。
くすんだ金髪に、ヒョロリと痩せたその男は、セビルより六つか七つほど年上で、それなのに威厳や覇気が微塵もない。
いつも困ったような顔をしている、貧相な犬のような男だ。端的に言うと、ヘラヘラして、ヘコヘコしている。
「アデルハイト殿下、それでは竜の鱗はその内、献上させていただくということで……」
「わたくしは今欲しいのだ」
「やー、それはちょっと…………あの、竜は後始末が大変と言いますか……」
「意気地なしめ。貴殿は先ほどから言い訳ばかりではないか」
折角遠路遥々足を運んだというのに、まったくの無駄足であった。まさか、剣聖の孫がこんなにも情けない男だったなんて!
腹を立てたセビルは、この男を驚かせてやろうと考えた。
「もういい。わたくしが自分で取ってくる! 貴殿はそこで指を咥えて待っているがいい!」
そう言ってセビルは愛馬に飛び乗り、竜の目撃情報があった地を目指した。
セビルは地竜討伐なら参加したことがある。火竜は火を吹く竜だが、地竜より体が小さい。だから、馬の機動力があれば勝てると考えたのだ。
* * *
「まぁ、今思えば無謀だったな」
しみじみと言うセビルに、ロスヴィータが半眼で呻く。
「今思わなくても無謀よ。あんた、ティアの顔を見てみなさいよ」
ティアは「うわぁ」という感じの顔で「ピロロロロ……」と鳴いていた。
見習い一能天気なティアですら、無謀と分かる愚行である。
ティアが喉をペフゥペフゥと鳴らしながら訊ねた。
「それで、セビルはどうしたの? ……ピヨ……火竜の鱗、手に入れたんだよね?」
「うむ。わたくしは一人で討伐に赴いたが、火竜は二匹いてな。危うく丸焼きになりかけたところに、ヘンリック殿が駆けつけたのだ」
ゾフィーは自分の記憶を遡った。
ヴァルムベルク辺境伯、代替わりしてたっけ? あれ、生きてるその人? の確認である。
結局思い出せなかったので、訊ねることにした。
「大丈夫だったのぉ? その辺境伯、しょぼい犬みたいな感じだったんでしょ?」
「ヘンリック殿は剣を持たせると、普段とはまるで別人でな。これが滅法強かった。わたくしを助けざまに竜の鱗を削ぎ、そのまま火竜二体にとどめを刺したのだ」
おぉ、とルキエ以外の全員が声を漏らした。
竜はもはや生きる災害だ。セビルの話に出てきた地竜や火竜は下位種という分類だが、数次第では大規模な討伐隊が組まれることもある。
一対一で倒せるような相手ではないのだ。それを一人で二体も。とんでもない強さではないか。
お姫様のピンチに駆けつける辺境伯。だんだんコイバナっぽくなってきたぞ、とゾフィーは前のめりぎみになった。
「それでそれでっ、辺境伯様に抱きしめられて胸がドキドキして馬に二人乗りして凱旋して二人は愛を誓い合っちゃったの!?」
「うむ。火竜二匹を倒したヘンリック殿は、わたくしを見つめ、こう言った……」
セビルは昔を懐かしむような顔で、かつて言われた言葉を口にする。
「『自分の実力も分からぬ者が戦場に出るな!!』と」
「…………あ、うん。正論〜……」
そりゃそうだ。である。
ゾフィーが妄想した素敵なラブシーンはぶち壊しだが、辺境伯の反応は真っ当だ。
セビルは腕組みをし、それはそれは楽しげに微笑みながら言った。
「その一喝に痺れてな。わたくしは、結婚するならこの男が良いと思ったのだ」
「怒鳴られたのに、好きになっちゃったんだー……そっかー……」
「以降、熱烈な求婚をしているのだが、兄上に妨害されている」
ゾフィーは自分を怒鳴る人とは絶対に結婚したくないけれど、セビルだと妙に納得できる。このお姫様はへりくだった態度が嫌いなのだ。
ただ、セビルの気持ちはどうあれ、問題なのは彼女の立場と思想である。
「そりゃ、独立考えてちゃ、妨害もするよぉ……」
ゾフィーが呟くと、エラが「あっ」と何かに気づいたような声をあげた。
「あのぅ、私、セビルさんが他国に嫁ぐよう陛下に命じられて、それが嫌で〈楔の塔〉に来たって聞いたんですけど……」
ゾフィーもエラが言いたいことを理解した。
黒獅子皇が、何故セビルを他国に嫁がせようとしたのか? ──ヴァルムベルクに押しかけて勝手に独立されては困るからだ。
「うむ。兄上に北方連合のダーウォックに嫁げと命じられてな。頭にきたので皇位簒奪してやろうと思ったが返り討ちに遭い、今に至る」
すごい。清々しいほど自業自得だ。ワガママお姫様だ。それも武力で強引に解決するタイプの。
唖然としているゾフィーに、物騒なお姫様は美しく微笑みかける。
「どうだ、ゾフィー、お前の望むコイバナだぞ。ロマンチックであろう? さぁ、存分にわたくしの恋を応援して良いぞ」
実はその辺境伯もセビルに思いを寄せているけれど、セビルの幸せを願って身を引いた──と、妄想で補完したストーリーをゾフィーは考えてみた。
駄目だ。妄想の中でも、セビルの覇気が強すぎて恋愛が始まらない。
その辺境伯、絶対迷惑してる。とゾフィーは確信した。




