【23】葉っぱのお湯
それは、随分昔の話だ。
屋敷から殆ど出たことのなかったゾフィーは、ある日、祖母の用事につきそう形で一緒に馬車に乗って街に出た。
張り切ったゾフィーは、出かける前、髪の毛とブラウスにリボンを結んだ。幼いゾフィーなりの精一杯のお洒落だ。
初めての街。歳の近い子もいるだろうか。友達になれるだろうか。可愛いね、って声をかけられたらどうしよう。
ドキドキしながら馬車を降りたら、周囲の人間の空気が変わった。
可愛いものを見る目じゃない。人ではない恐ろしい何かを見る目だ。
「シュヴァルツェンベルク家だ……」
「人殺し一家だ。目が合ったら呪い殺されるぞ」
祖母は何も感じない顔をしていたけれど、ゾフィーは怖かった。
どうしてみんな、そんな怖い顔をするのだろう。
ゾフィーはキョロキョロと辺りを見回して、自分達の味方になってくれそうな人間を探した。目が合ったのは、歳の近い少年だ。
「こっち見んな、ブース!」
悪態を吐きながら、その少年はゾフィーに怯えていた。
呪術師になんてなりたくない。人殺しになんてなりたくない。
それでも、自分は他のみんなが持っていない、すごい力を持っていると思われたい。だから、レンに話してしまったのだ。五つの呪いを使えるなんて、得意気に。
呪術なんて使いたくない。だけど、それを完全に手放したら、これまでの自分の人生はなんだったんだろう、と不安になる。
だって、ゾフィーには呪術しかない。それしか持ってない。
──呪術を使いたくない。でも、呪術を手放すのが怖い。
──呪術師になりたくない。でも、お前は特別だと褒められたい。
街に出た呪術師が人々から向けられるのは、いつだって恐怖と侮蔑だ。
『人殺しのシュヴァルツェンベルク家……』
『目を合わせるな、呪い殺されるぞ』
『街に来るなよ。不吉な奴らめ……』
(うっさい、うっさい、ばーか、ばーか、お前らみんな、ばーか! アタシはすごいんだぞ。お前らにはできないすごいことができるんだぞ。特別な力を持ってるんだ! いつか見返してやるからな!)
そう胸の内で呟いて強がっても、心の奥の、奥の奥で、ゾフィーはこう願っている。
(……アタシも、そっちにいれてよ)
* * *
〈楔の塔〉では一週間に一度、休日がある。
無論、〈楔の塔〉の全ての人間が同じ日に休むと、防衛等が上手く回らなくなってしまうので、部屋によってはずらして休むこともあるが、指導室は指導員も見習いも皆、同じ日に休む。
その日、ゾフィー・シュヴァルツェンベルクは朝食を抜いて、ずっとベッドの中にいた。
(……ベッドから出たくない)
昨日の夜の見習い会議で、大泣きしてしまった。あれは、絶対皆ドン引きしたに決まっている。
あの会議の後、ずっと泣いていたゾフィーはエラに宥められながら歩き、そのままベッドに潜り込んだのだ。
同室なのはルキエなのに、送ってくれたのはエラである。そういうところに人間性は出ると思う。ルキエは優しくない。
落ち込んでいる者をそっとしておくのも優しさなのかもしれないが、ゾフィーは構ってほしいタイプなのだ。
落ち込んでいたら、これでもかというぐらい甘やかしてほしい。お姫様のように。寧ろ生まれ変わってお姫様になりたい……などと現実逃避をしていたら、本物のお姫様の声がした。
「邪魔するぞ! ゾフィーは起きたか!」
大変勇ましい声のお姫様だった。
続いて聞こえてくるのは、軽やかで楽しげな歌声。
「『ティケルトット、ティントット、ティンケルドゥドゥ、ティンケルドゥ!』……ピヨ。朝っていうか、もうすぐお昼だね!」
どうやらセビルとティアが、部屋に入ってきたらしい。
あーあ、勝手に入ってきて、ルキエに怒られるぞ。と思ったところで気がついた。
(そういえば、ルキエは何をしてるんだろ……)
ゾフィーは二段ベッドの上の段を使っていて、ルキエが下の段だ。
休日はぐうたらしているゾフィーと違って、ルキエは休日でも黙々と何かを作ったり、設計図を描いたり、本を読んだりしている。
ゾフィーが毛布を被って、ベッドの下をそっと見ると、ティアと目が合った。
ティアが先ほどの歌を繰り返す。
「『ティケルトット、ティントット、ティンケルドゥドゥ、ティンケルドゥ!』……ピヨップ、おはよう!」
「……おはよ」
心に傷を負った繊細な少女の声を出したつもりだったのに、泣きながら寝たせいで、酷くガサガサした老婆みたいな声が出た。
これはちょっと、お姫様にはなれない声だ。
(……恥ずかし)
ゾフィーが頭から毛布を被り直していると、更に部屋にエラとロスヴィータが入ってきた。二人は手に盆を持っている。
盆の上にのっているのは、ティーポットとカップだ。
「おはようございます、ゾフィーさん」
「ねぇ、このお茶、どこに置けばいいの? うわ、こっちの机、汚っ……」
「それじゃあ、こっちの机を借りちゃいましょう」
二人はそんな会話をしながら、ルキエの机に盆を置いた。なお、ロスヴィータが「汚っ」と言ったのはゾフィーの机である。基本的に物が出しっぱなしなのだ。
慌ててゾフィーは毛布から飛び出す。
「ちょちょちょ、ちょっと待ったぁ! この部屋で何する気だよぉ……というか部屋っ、掃除してないのにぃ……」
人が来るなら、もう少し掃除していた。多分。
焦るゾフィーに、セビルが尊大な態度で言う。
「うむ、急に押しかけてすまんな!」
全く「すまん」と思ってなさそうな声である。
だが、皇妹であるセビルにそう言われて、文句を言える者がどれだけいるだろう。
ゾフィーが唇を曲げて黙っていると、エラがゾフィーを見上げて微笑んだ。
「ゾフィーさん」
「な、なんだよぉ……」
「今日は休日だから、女子会しませんか?」
女子会。女の子同士でお茶やお菓子を持ち寄って、他愛無いお喋りをする、ゾフィーが憧れていたイベントだ。
はわわぁ、とゾフィーは唇を震わせた。
やりたい。すごくやりたい。女子会! 憧れの女子会!
「や、やるっ! でも、どうして急に……あっ、もしかして昨日のアレで……」
きっと昨日ゾフィーが大泣きしたから、優しいエラが気遣って、女子会を提案してくれたのだ。やっぱりエラは優しい。エラが代表で良かった──と思っていたら、ロスヴィータがボソリと言った。
「ルキエが提案したのよ。あんた、日頃からルキエに漏らしてたんでしょ。女子会したいって」
「い、言ったけどぉ……」
ルキエに、いつか女子会したいよね、と言った記憶はある。
だけど、ルキエの返事は素っ気なかった。
「ルキエは、そういうの好きじゃないって……」
「好きじゃないわよ」
耳に馴染みのある素っ気ない声。
大きなバスケットを抱えて部屋に入ってきたのはルキエだ。
「でも、あんたは好きなんでしょ」
それだけ言って、ルキエはバスケットを机に置くと、ティアに声をかける。
「折り畳みの椅子を二つ借りてきた。廊下に置いてあるから、広げてくれる?」
「ピヨップ! 了解!」
ゾフィーとルキエが普段使っている椅子が二つ、折り畳みの小さい椅子が二つ。それだけで狭い部屋はいっぱいなので、残る二人は二段ベッドの下段──ルキエのベッドに座る形になる。
早速とばかりに、ティアとセビルがベッドを占領した。他人のベッドなのに遠慮がない。
ゾフィーはノロノロと二段ベッドから降りて、普段自分が使っている椅子に座る。
ルキエも自分の椅子に座ったので、折り畳みの椅子はエラとロスヴィータが使った。
(うぅ、休日だからか、みんなお洒落してる……気がする)
セビルは髪を緩い三つ編みにしてサイドに垂らしている。いつもは軍服のような服を着ている彼女だが、今日はシャツにベスト、ズボンという軽装だ──ただし、軽装だけど安物ではない。どれも見るからに質の良い物で、襟に巻いたスカーフがお洒落である。
ルキエはいつもより袖がゆったりしたワンピース姿。髪は細い三つ編みを幾つか作って、それをまとめた髪の根本に巻きつけている、凝った髪型だ。
エラはブラウスとスカートで、肩からストールを羽織っていた。砂色の髪はいつもと同じ三つ編みで、ちょっとホッとする。
ロスヴィータは、リボンのブラウスにフリルを重ねたスカート。可愛い。フリフリだ。前から思っていたが、ロスヴィータとは私服の趣味が合う。
いつも低い位置で二つに分けて結んでいるオレンジ色のフワフワした髪は、今日はとんがり帽子がないからか少し高い位置で結んでいた。
(って、アタシだけ寝起きじゃんかぁぁぁ……女子会なら、アタシもお洒落したいぃぃぃ)
あうあう呻いていたゾフィーは気づく。ティアはいつも通りだ。襟足の長い白髪に、質素なシャツと膝上のズボン。
良かった、一人でもそういう人間がいると安心する──と見ていたら、ティアと目が合った。
「あのね、わたしとセビルは、お菓子の調達係をしたんだよ」
「うひぃ……もしかして、嗜好品販売会? あそこ、めちゃくちゃ混むよねぇ……」
「うん。セビル、すごいんだよ。人混みをシュババババーって素早く動いて。でも……」
そこまで言って、ティアは少しだけ虚ろな目をする。
「わたし、何もできなかった……ペフゥ……無力だった……とても、無力……」
「ティア、人混みを駆け抜けるには、人の流れを読むのが秘訣なのだ」
「人の群れ、すごかった……獲物にわーって行く、強い生き物の戦いだった……」
人混みを駆け抜けて菓子を勝ち取るお姫様とは一体。
セビルの戦利品からはとても良い匂いがした。薄切りにしたリンゴを重ねて焼いたケーキだ。あれは絶対美味しい。
ゾフィーがケーキをジッと見ていると、セビルが微笑む。
「今日のところは菓子で許せ。時間があれば、猪でも狩ってきてやるのだが……」
「やめてそれ女子会じゃない。お菓子で充分だよぅ……!」
その時、ゾフィーの腹がキュゥと鳴る。昨日から何も食べていないのだから当然だ。
セビルが「ふむ」と顎に指を添えた。
「そんなに腹が減っていたのか。やはり、猪か熊でも……」
「やめてぇぇぇぇ」
叫ぶゾフィーに、エラが遠慮がちに声をかけた。
「ゾフィーさん、喉乾いていませんか? お茶、淹れてきたんです」
「いるぅ……」
そういえば昨日から何も飲んでいないので、喉がカラカラだ。
エラはポットの茶をカップに注ぎ、ゾフィーに渡す。
お茶は微妙に濁った色をしていた。それでも、エラが用意したのなら大丈夫だろう、とゾフィーは口をつけ……。
「ぶばぁ!?」
むせた。
「苦ぁっ、なにこれ、苦っ……!? これ変な味するんだけどぉ!?」
ゾフィーの悲鳴にエラが、あの真面目で優等生のエラが、そっと目を逸らした。
「すみません、実は私、お茶を淹れるのが上手じゃなくて……」
「アタシは誇り高きオーレンドルフの娘なのよ。魔法薬は作るけど、お茶を淹れるのは使用人の仕事でしょ」
お茶係の二人の発言に、ゾフィーは理解した。
この二人、実はお嬢様だ。
ちなみにゾフィーもシュヴァルツェンベルク家のお嬢様ではあったけれど、お世辞にも裕福とは言えない家だった。
(こんなまずいお茶、本物のお姫様に出していいのかよぉ……)
姫がお怒りあそばれるのではなかろうか、とゾフィーはセビルを見る。
セビルは胸を張って言った。
「問題ない。茶など適当に煮出せば良いのだ!」
「うひぃ……お姫様が一番雑じゃんかぁ……!」
「わたくしは、ミルクを入れれば、大抵の物は飲める! 誰か、ミルクをもて!」
「す、すみません、ミルクは用意できなくて……」
エラが申し訳なさそうに謝る。
今まで黙っていたルキエが、カップの紅茶を一口舐めて、顔をしかめた。
「一番良識人のエラが、やらかすとは思わなかったわ」
「すみません……お茶には、あまり興味がなくて……」
「ピヨッ、葉っぱのお湯、みんな好きだよねぇ」
お茶をろくに淹れたことがないお嬢様二人に、大雑把なお姫様。そして、葉っぱのお湯発言のティア。
恐ろしい。この場には、まともに茶を用意できる人間がいないのだ。
ゾフィーも大概に人のことは言えないが、ここまでまずいお茶は、逆に再現が難しいのでは、と思う。
ルキエがカップを盆に戻して、深々とため息をついた。
「……あんた達に任せられないことは、よく分かったわ。ちょっと淹れ直してくる」
しばらく更新ペースが、2~3日に1話ぐらいに落ちます。
いっぱい書くので、ゆるっとお付き合いいただければ幸いです。




