表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
四章 空を飛ぶ
92/196

【20】壁を越えられない生き物達


 ペタペタと歩きながら、ティアは歌を歌う。


「『ララルゥア・ララルゥア・メーテア、ララルゥア・ララルゥア・メーテア、ララルゥア・アルシェ・ディーアーヴァ』…………」


 口ずさんでいた歌が止まる。歩く歩幅も少し落ち、忙しないペタペタがゆっくりのペタペタになった。


(……わたし、何か間違えたかな?)


 寿命の話になった時、レンは言った。

〈楔の塔〉なら寿命を伸ばす魔術もあるのではないか、と。

 それがティアにはとても不思議だった。

 例えば、体の悪いところを治したい、なら分かる。怪我をしたら治したい。

 だけど、寿命を伸ばしたいというのがよく分からない。

 だから、ティアは言ったのだ。


『そんなに長く生きて、どうするの?』


 その時、レンは傷ついた顔をしていた。

 そのことが、ティアには悲しかった。


(レンに、そんな顔をさせたいわけじゃないのに……)


 そういえば、人間は四十年、五十年……人によっては、もっと長く生きるのだ。

 それなのに「そんなに長く生きてどうするの?」は、意地悪な言い方だったかもしれない。

 だって、レンやセビルはこれから五十年、あるいはもっと長く生きなくてはいけないのだ。

 ハルピュイアは、二十五年以上生きる個体は稀だ。三十年以上生きた者をティアは見たことがない。

 だからハルピュイアは、人間で言う皺々のおばあちゃんにはならない。なれない。

 ティアにとってそれは当たり前のことで……だからだろうか、「それぐらいが丁度良い」と思うのだ。

 空を飛んで、歌を歌って、卵を産んで──ティアはもう、卵を産めないけれど。

 ハルピュイアの一生は、きっと二十年ぐらいが丁度良いから、寿命もそういう風になっているのだと、漠然と思っていた。

 寿命が二倍、三倍に伸びたら、水で薄めたスープみたいに、自分の一生が薄くなってしまう気すらする。


(人間は考えることがいっぱいあるから、二十年じゃ足りないのかな)


 そういえば、人間の寿命について、カイが──ティアを拾ってくれた男が、触れていたのを思い出す。


『人間の寿命は、百年前、二百年前と比べて明らかに伸びている』


『どうして? 人間はどんどん強くなってるから?』


『戦争の有無も大きいけれど……食糧供給の安定化、病気の対策、治療方法の確立などが、大きく貢献しているのだろうね。人間は、生きることに貪欲な生き物だ』


 人間は生きることに貪欲。それは全くもってその通りだと思う。

 魔物にも生存本能はあるのだろうけれど、それ以上に人間に対する執着が強すぎるのだ。


 ……だから、魔物は滅びつつある。


 同じ魔法生物でも、竜や精霊は人間にさほど執着しない。興味を持つことこそあれど、依存して身を滅ぼすものは稀だろう。


(あとはなんだろう、魔物と人の違い………………そうだ)


 一つ、思いついた。


 ──人は何かになりたがる。


 何かになるためには、二十年じゃ足りないから、長く生きようと必死なのかもしれない。生きることに貪欲なのかもしれない。


(……もしかしたら、魔物って、とても弱い生き物なのかも)


 そんなことばかり考えていたら、なんだか胸が苦しくなってきて、ティアは適当に草の生えている辺りで仰向けに寝転がった。

 ハルピュイアの時は、仰向けなんて無防備な体勢はまずしない。

 人に化けて初めて知った。こうすると、寝ていても空が見えるのだ。

 見上げた空は、いつの間にかどんよりと曇っていた。

 灰色の分厚い雲を、鳥の群れが横切っていく。その中に、群れからはぐれた一羽がいた。


 ──あれは、ティアだ。


(早く帰らないと、わたしを知ってるハルピュイアが、いなくなっちゃう)


 ハルピュイアは一度に二つから四つの卵を産む。

 ティアの姉は、ティアより一日早く孵った。人間で言うなら双子だろうか。

 羽の色が全然違うし、見た目はそんなに似ていないけれど。


(……お姉ちゃん、元気かな)


 自分が群れからはぐれて、もう何年が経っただろう。

 この数年で、寿命を迎えたハルピュイアもいるはずだ。


(早く、首折り渓谷に帰らなきゃ)


 なんだか無性に寂しくなって、ピョロロロと悲しい声で鳴いていたら、頭の方から声がした。


「今日は変わった歌だね」


 ティアの顔に陰が落ちる。ティアを見下ろしているのは、ヒョロリと長身の青年──薄茶の髪はツンツンしていない。兄のフレデリクだ。


「フレデリクさん」


「こんにちは」


 フレデリクがティアの横にしゃがむ。

 ティアは上半身を起こした。


「ピロロ……こんにちは」


「あれ? なんだか元気がない? ダマーさんに何か言われた?」


「ダマーさん? ううん、違うよ」


 そこまで言って、ティアは考え込む。

 自分の気持ちを上手に言葉にできなかったのだ。


 ──寿命の違いに触れたら、レンに悲しい顔をさせてしまった。


 ──寿命の違いについて考えていたら、姉に会いたくて堪らなくなった。


 考えるのが苦手なティアなりに、慎重に言葉を選んだ。


「……今ね、とても寂しい気持ちだったの。ねぇ、フレデリクさん」


「なぁに?」


 この人に何か訊いてみたいな、と思った。

 だから、人に化けたハルピュイアは、人に問う。

 おそらく魔物に欠けている、人特有の渇望を。


「フレデリクさんは、何かになりたい?」


「将来の夢の話?」


「ピロロ……そんな感じ?」


 多分、ちょっと違うけれど、本質からそんなにずれてはいないと思う。

 人は将来を語る時、何かになりたいとよく口にするから。

 そこまで考えて、ティアは気づく。


「あっ……もしかして、もう、なりたかったものになってる?」


「どうして、そう思うの?」


「フレデリクさんは魔物狩りの一族だって、リカルドさん言ってた。それなら、フレデリクさんは強い魔物狩りになりたかった人で、もうなってるのかな、って」


 フレデリクは少し困ったような顔で笑った。


「魔物狩りなんて、なりたくなかったよ」


「……ペウ? なりたくなかったのに、なってる?」


 ぺヴヴヴ……とティアは疑問の呻きを漏らす。

 フレデリクはやっぱり困ったような顔で、小さく肩を竦めた。


「そう、不思議でしょ。なりたくなかったものになってる」


「じゃあ、別の何かになりたい?」


 フレデリクは何かを言いかけて、口を閉ざした。

 そうして何かを思い出そうとしている顔で黙り込み、ポツリと呟く。


「……旅人に、なりたかったな。壁の西側を旅してみたかった」


 ──なりたかった。過去形だ。

 ふと、ティアはリカルドが言っていたことを思い出す。


『フレデリクさん、いつもニコニコしてるけど、本当は誰よりも魔物が怖い人なんで……夜はあんまり眠れてないんすよ』


 リカルドが言うには、フレデリクは魔物が怖いのだという。

 事実、魔物狩りの一族は、魔物に狙われやすいのだ。

 それなのに、彼は討伐室の前線で戦っている。


「フレデリクさんは、魔物狩りをやめて西側に逃げちゃおうって、思わなかった?」


〈楔の塔〉の西には壁と呼ばれる大きな結界があって、魔物達はその壁を越えられない。

 もし、フレデリクが魔物と戦うのが嫌ならば、魔物がいない西に行けば良いのだ。


「逃げられないよ」


 応じる声は、硬質な響きだった。

 フレデリクの目元がかげる。静かで暗い怒りに。

 その怒りに、ティアのうなじがチリチリする。


「僕達は逃げられない。壁の西側には行けないんだ」


「……ピヨ? 壁を越えられないのは、魔物だけじゃないの?」


「魔物狩りの一族も、壁を越えられないんだよ。一説だと、先祖に魔物がいるとか、魔物に呪われてるとか言われてる」


 それはどちらもあり得る話だ、とティアは思った。

 ハルピュイアは人間の男性を攫って交尾する。それならば、ハルピュイア以外にも、人と交尾する魔物がいてもおかしくはない。

 そうして生まれた人と魔物の合いの子が、人に近い姿をしていて人里で育ち──それが、フレデリクやリカルドの先祖だった、というのが前者の説だ。

 あるいは、上位種の魔物が獲物につける「印」の可能性もある。

 その「印」が原因で魔物狩りの一族が壁を越えられず、それが「魔物の呪い」として伝わっている、というのが後者の説。


「真相は定かじゃないけれど、『長い手足のランゲ』と『褐色の肌のアクス』はいつも似たような容姿の人間が生まれる。どんなに小柄な人と結婚しても、子どもはこうなるんだ」


 そう言って、フレデリクは長い腕を軽く掲げた。

 頭一つ抜けた長身と長い手足は、どこにいてもよく目立つ。それが小さい町や村なら尚更だろう。


「僕達の先祖が周りの人に受け入れてもらうには、魔物狩りになるしかなかったんだろうね……怖くなった?」


「ううん。すごく納得した。じゃあ、オリヴァーさんも壁を越えられない?」


「……そうだよ」


 ハルピュイアは帰巣本能があるのか、あまり遠くへ行くことに執着しない。

 だから、ティアはわざわざ西の壁を越えたいと思ったことがなかった。


 旅人になりたくて、なれなくて、魔物狩りになったフレデリク。

 何かになるつもりはない、ハルピュイアのティア。

 こんなにも違う生き物なのに、壁を越えられないという事実だけは同じなんて皮肉な話だ。


「フレデリクさん。わたし……上手く言えないけど」


「うん?」


「寂しい気持ち、共有してくれてありがとう」


 この寂しい気持ちは、決して捨てて良いものではない。

 寂しい、嬉しい、楽しい、悔しい、色んな感情を積み重ねて、ハルピュイアは人を知るのだ。

 ティアの言葉に、フレデリクはおっとりと首を傾げる。


「僕のライバルさんは、不思議なことを言うね」


「ライバルさん! ピヨッ!」


「あれ、急に元気になった」


「ライバルさんにライバルさんって言われるって、なんだかちょっと嬉しい気持ち! 認められた、みたいな? ペフフゥ」


「ふふっ、なにそれ」


 フレデリクは肩を震わせて、息を吐くみたいに笑う。

 そういう穏やかで楽しげな笑い方が、一番似合う人だとティアは思った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ