【19】蛮剣姫の愛し方
「ハルピュイアの寿命って、人間の年齢でいう二十歳とちょっとぐらいだから」
ティアにそう言われた時、レンは言われた言葉の意味を受け止めきれないまま、「え」と声だけ発した。
魔物の寿命は、種によって異なる。
上位種の魔物は繁殖能力を持たないが、その代わり長命で、百年、千年と生きるものもいるという。
一方、下位種は繁殖能力を持つが、その代償で寿命が短い──ただし、深淵から直接生まれたものはその限りではない。だから、〈原初の獣〉は今も生きている。
……そこまでは、共通授業で習って知っていた。
下位種の魔物は寿命が短いと授業で聞いた時、その寿命は人間と同じぐらいだろう、とレンは漠然と思っていたのだ。
(ティアは、人間の年齢で十五歳って言ってた。ってことは、寿命はあと五年かそこら?)
ドクドクと心臓がうるさい。頭の中が真っ白で、それでいてどこかで納得している自分もいる。
ティアは「空を飛びたい」という目先の目標ばかり口にして、それより先の未来を語らない。
大人になったら、じいさんばあさんになったら──そういう、十年、二十年先の未来を見ていないのだ。
「あ、で、でもさ……」
レンは動揺のまま、口を開いた。
自分でも何が言いたいのかよく分からないまま喋ると、碌なことにならないと分かっているのに。それでも口がペラペラ動いてしまう。
「〈楔の塔〉は色んな技術があるし、もしかしたら、魔物の寿命を伸ばす魔術もあるかも……そしたら五十年とかさ……」
「ピヨ?」
ティアが眼を丸くしてレンを見る。
不思議そうに。理解のできない生き物を見る目で。
「そんなに長く生きて、どうするの?」
あ、やばい、どうしよう……と思った。
頭の中がグチャグチャで、何も考えがまとまっていないのに、感情そのままの言葉をぶちまけてしまいそうだ。
──なんでそんなこと言うんだよ、オレ、メチャクチャ長生きするぜ、美少年から美青年を経て、美親父、美ジジイになるぜ。そういう先の未来で、一緒に馬鹿やろうって思わないのかよ。オレは、そういう未来があるって、当たり前に思っていたのに。
レンはやりたいことが、山ほどある。
勉強してみたいことも、友達を作ってやってみたいことも、あとはなんか綺麗な姉ちゃんにチヤホヤされたり、美少年素敵ー! と言われたり、とにかくいっぱいだ。十年、二十年じゃ足りない。
……だけど、ティアにはそれがないのだ。
歌うことと、空を飛ぶこと。本当にそれだけで。
(ティアの考える未来に、オレ達はいないんだ)
ティアが「友達」という言葉を拒絶した時のことを思い出す。
ティアと自分の間にある深い溝を思い知らされ……悔しくて、泣きそうだ。
半開きの口で、歯を食いしばるか、声をあげるか、レンは迷った。迷っている間に、ボロッと泣いてしまいそうだ──そう思った時、セビルが手のひらを大きく開いて、レンの頭を鷲掴みにした。
「ティア、少し所用を思い出したので失礼する。レン、手伝え」
「はぁい。じゃあ、またあとでね!」
「あぁ」
ティアはペタペタと駆け足で離れていく。
ティアは耳がいい。だから、その姿が完全に見えなくなったところで、レンはボソリと言った。
「……オレさ」
頭の中はまだグチャグチャだ。だから、自分の中に溜め込んだ感情を一度取り出して、整理するような気持ちで、レンは口を動かす。
「ティアは友達に良い思い出がないみたいだから、いつか、友達は嫌なものじゃないって、ティアが思えるのを待とうって、決めてて……」
「あぁ」
「だってさ、仲良くやれてたじゃん。きっと、これからもやっていけるって。人とか魔物とか、そんなの関係ねーし……って言えたら、良かったんだけどさぁ……」
時々、思い知らされる。
同じ言葉を話して、よく似た姿をして、意思疎通もできて──それでも、ティアと自分は別の生き物なのだと。
「『人とか魔物とか関係ねーし』……じゃ駄目なんだよな。眼を逸らしちゃ、駄目だったんだ」
ティアと距離を置いて、都合の悪いことに眼を瞑って、これから一年間、無難に仲良くやっていく、という選択肢もあるのだろう。
だけど、レンはそれが嫌だった。それを嫌だと思うぐらいに、レンはティアとセビルを好きになっている。
同じ見習いでも、やっぱりヒュッター教室の二人は特別なのだ。
「仲良くなりたい奴が考えてること、全部ほじくり返すのも違うし、でも、全部見なかった振りするのも違うし……セビルは、どうやって折り合いつけてんの? 大人になったら、オレもできる?」
セビルは静かにレンの話を聞いていた。
いつもと変わらない凛とした横顔が、こんなにも頼もしい。自分がぐらついているから、なおのこと。
「人と人のやりとりに正解なんてない。それが魔物相手なら、尚更であろう」
その答えに、レンは少しガッカリした。
正解なんてない、とレンも頭のどこかでは分かっているのだ。
それでも模範解答がほしい、と思ってしまうのは自分の弱さだろうか。
レンはあまり沢山の人と触れ合ってこなかったから、こういう時、大多数が考える答えに縋りたくなる。
「わたくしは、お前もティアも好きだ。愛しく思う」
セビルは堂々と胸を張って言う。後ろめたいことなど、何もないかのように──実際、セビルは後ろめたくなんて思っていないのだろう。
「いつか、ティアと決定的な決別をする日が来るやもしれぬ。それでも、愛しいと思う気持ちに嘘はない」
そう言って、セビルは右手を腰の辺りに伸ばした。
きっと、いつもの癖で曲刀に触れようとしたのだろう。今は管理室に預けていることを思い出したのか、手を下ろす。
「お前は、わたくしの素性を知っているな? 父は皇帝、母は草原の国トルガイの族長の娘だ」
レンは小さく頷く。
帝国の南にある草原の国トルガイの民を、帝国では異民族と呼ぶ。
これは他の隣国にはあまり使わない侮蔑の言葉だ。そもそも帝国自体が、複数の国が集まってできた国であるというのに。
あるいは、だからこそ、トルガイの民を異民族と呼ぶことで、帝国内の結束を強めようとしたのかもしれない。
そして、帝国に従属したトルガイ部族の族長の娘が、セビルの母親なのだ。
蛮剣姫という呼び名には、異民族の血を引く姫に対する多大な揶揄が込められている。
「トルガイは、帝国に従属する部族と反発する部族とで争いが絶えぬ。その調停のために、わたくしは何度もトルガイに赴いた」
トルガイは今、帝国に従属するか否かで割れている。
だからこそ帝国は、トルガイの血を引く姫君であるセビルを、反発する部族の説得に利用したのだ。
「昔、ある部族の調停に赴いた際、その部族の歳の近い娘と仲良くなった。嬉しかったな。わたくしのことを、アデルハイトではなくセビルと呼んで……花冠の作り方を教えてくれた」
アデルハイトは、帝国でも特に高貴で素晴らしい女性として親しまれている名前だ。過去の帝室の人間に何人も、アデルハイト姫がいる。
そしてセビルは、トルガイの名前なのだ。
「その娘と親しくなってしばらくした頃、わたくしに暗殺者が向けられた。暗殺を命じたのは、その娘の父親だった。結局、その娘の部族とは戦になってな」
「その、友達は……」
硬い声で問うレンに、セビルは目を閉じて告げる。
「その部族の者は全員殺された。友人も、だ」
トルガイの他部族は、帝国との全面戦争を避けるために、かの部族を見殺しにした。その部族を生贄にトルガイを守ったのだ。
そしてセビルは帝国の権威を保つために、生贄として差し出されたその部族を滅ぼすしかなかった。
(でも、セビルだって分かってたはずだ。そうなる可能性があるって……!)
トルガイの血を引いていようと、セビルはあくまで帝国の姫君。
トルガイの民と交流をしたところで、いつ敵対するかは分からない身だ。
……セビルも、それを自覚しているのだろう。
「帝国とトルガイの血を引くわたくしは、どこにいても、誰といても、いつ誰が敵になるかは分からぬ身だ」
それは、帝国にいても変わらない。
帝国とトルガイの関係が悪化すれば、セビルはトルガイへの見せしめに、殺されてもおかしくはないのだ。
帝国にいるセビルの部下とて、皇帝に命じられたら、セビルに剣を向けるしかなくなる。
「それでもわたくしは、自分が愛しいと思ったものを、全力で愛すると決めているのだ」
(そうだ、こいつはワガママお姫様だった)
セビルは愛しいと思ったら、愛することをためらわない。
自分がどんなに厳しい立場だろうと、相手が敵国の人間や魔物だろうと。
立場を理由にためらったら、セビルは誰も愛せなくなってしまうから。
「いずれ、親しくなった者を斬り捨てる日が来るとしても。その最期の瞬間まで愛してやる」
皇妹に相応しい高慢さで言い放ち、セビルは小さく苦笑する。
「……そうでないと、永遠にひとりぼっちになってしまう。わたくしは寂しがりやなのだ」
いつかティアが人に害をなし、セビルと敵対したら、きっとセビルは曲刀を振り下ろすのだろう。
それでも、最期の瞬間まで愛している──それが蛮剣姫の愛し方なのだ。




