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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
一章 楔の塔
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【9】黒い魔物

 羽を生やした異形の大蛇の背中にしがみつき、頬に当たる風を感じながら、ティアは頬を緩める。


(空だ。空だ。わたし、飛んでるんだ)


 嬉しいなぁ、と喜びを噛み締めている時間はない。大蛇がティアを振り落とそうと体を捩り始めたからだ。

 ティアはフンと鼻から息を吐き、大蛇の体にしがみついた。

 ティアは指の力はあまり強くないけれど、腕力はある。だから腕をめいっぱいに伸ばし、大蛇の体に抱きつくようにして、そのままズリズリと羽の近くに移動した。


(空を飛んでいる時に、何をされたら一番嫌かって。そんなの決まってる)


 蛇の羽が見えてきた。コウモリのそれに似た、皮膜のある羽だ。


「レン! セビル! 落とすよ!」


 ティアは上半身を少し浮かせ、そして勢いよく片方の羽にしがみついた。

 宙に浮いていた大蛇の体が大きく傾き、地面に落ちる。体が傾いた拍子にティアは見た。

 蛇の尾にある鉤爪が、自分に向かって振り下ろされるのを。


「ティアっ!」


 レンが叫びながら跳躍し、ティアの足にしがみついた。レンの重さに引っ張られ、ティアはレンもろともベチョリと地面に落ちる。

 ティアを狙った鉤爪は、何もない虚空を空振りした。


「うぉぉぉぉ、ビビった、ほんとビビった、同じことやれって言われてももう無理だからな、おいティア感謝しろ奇跡の美少年レスキューに!」


「ありがとう、美少年レスキュー!」


 早口で喚くレンに、ティアは元気良く礼を言う。お礼は大事だ。

 レンは土と汗で汚れた顔で、それでもしっかり決め顔とウィンクを返した。


「ティア、レン、よくやった。褒めてつかわす!」


 セビルが跳躍し、蛇の鼻っ面を踏みつける。

 そうして片手で曲刀を横に振るい、一振りで大蛇の両目を切りつけた。

 ハッと気づいたティアは叫ぶ。


「セビル! 蛇に目はあんま意味ない! 見えなくても動く!」


「ならば、ぶつ切りにするまでだ!」


 のたうち回る大蛇に再びセビルが曲刀を振り上げたその時、頂上の方で声がした。


「そこまでにいたしましょう──お戻りなさい」


 それは柔らかな女の声だった。

 夕焼けを背に、こちらに歩み寄ってくるのは、ローブを着た四十歳過ぎの女だ。優しげな顔立ちで、癖のある金髪を緩く編んで垂らしている。

 女は手に革表紙の分厚い本を手にしていた。

 女が口の中で何かを唱えながら本を閉じると、異形の大蛇の姿も空気に溶けるように消えていく。


(消えた? なんで? あの本に何かあるの?)


 女は本に帯をかけて、鍵をかける。その流れをティアがジッと見ていると、女は閉じた本を胸に抱いて、ティア達に笑いかけた。


「魔術が使えぬ者は、いかにこの子を避けて、鍵を開けるかを考えるものですが……正面から戦闘を仕掛けるなんて、少し驚きました」


「貴女は〈楔の塔〉の魔術師か?」


 セビルが剣を鞘に納めながら問う。

 女は小さく頷いた。


「〈楔の塔〉蔵書室室長リンケと申します。受験者の方々ですね、こちらへどうぞ」


 リンケは静かな足取りで歩きだす。彼女が進む先に何があるのか、ティアはすぐに気づいた。

 スタート地点から最も遠い位置にある、最北の×印だ。

 少し歩いたところで、リンケは足を止めた。彼女の足元には石で組んだ台座があり、そこに少し大きめの金属製の箱が嵌め込まれている。

 今までに見た×印の金庫は目立たぬよう隠されていたし、大きさも両手で持てる小箱くらいの大きさだった。

 だが、この金庫は一抱えほどあるし、台座が設置されているので分かりやすい。

 やはり、この場所に来ることには、なんらかの意味があるのだ。

 金庫の上部には、丸い窪みがあった。鍵を嵌めるための窪みだ。


「ティア、レン、鍵を出してくれ。わたくしが開けよう」


 セビルが金庫の周囲を調べながら言う。罠を警戒しているのだろう。

 もし何か罠があるとして、自分では素早く避ける自信がなかったので、ティアは素直に肌着の中から木片を取り出し、セビルに渡した。レンも同様だ。

 セビルは自身の木片と、金髪の男から奪った木片を取り出し、四つの木片を組み合わせて金庫の窪みに押し当てる。

 カチリという音がして、金庫が開いた。


「……! これは」


 金庫の扉を慎重に少しだけ開けたセビルは驚いたような声を漏らし、ティアとレンにも見えるように大きく開けてくれた。

 金庫の中には、赤銅色のメダル──〈楔の証〉がギッシリ詰まっていた。その数、百以上だろうか。どうりでこの金庫だけ大きいはずだ。

 金庫を覗き込む三人の背中に、リンケが声をかける。


「一人一つずつお持ちくださいね。他の方に配られると困るので、私がここにいるんです」


 言われた通り、ティア達はそれぞれ一つずつ〈楔の証〉を手に取った。

 ティアは手にしたメダルを素早く肌着の中にしまい、リンケが手にしている本をジッと見る。

 視線に気づいたリンケが訊ねた。


「どうしました?」


「その本の中に、あの蛇がいるの?」


「えぇ」


 レンとセビルが息を呑んで、本を凝視する。

 二人とも、あの大蛇が幻か何かだと思っていたのだろうか。

 レンが恐る恐る言った。


「さっきの羽の生えた蛇ってさ、えーっと……リンケ室長の魔術?」


「どうでしょう」


 リンケの表情はずっと穏やかなままで、だからとぼけているのか、からかっているのか、それとも真面目に返しているのか分かりづらい。

 今度はセビルが口を開いた。


「魔物は旧時代の生き物だ。現代にはもう存在しないと、わたくしは聞いている」


「魔物はいますよ。今も、まだ」


 リンケの細い指が、革表紙を撫でる。


「そのことを理解してもらうための、試験です」


 優しく穏やかなのに、どこか背筋が冷たくなるような声だった。

 レンとセビルが黙り込む。自分達は、まだ何かを試されている。賢い二人はそう理解しているのだ。

 ティアはピロロロロ……と言葉を舌の上で転がし、訊ねる。


「あの大きい蛇は、死んじゃった? 両目、スパッてしちゃったけど」


「心配いりませんよ。魔物は傷の治りが早い。この子もいずれ、回復するでしょう」


 その言葉にティアは確信した。

 やはり、〈楔の塔〉は知っている人間達の集まりなのだ。

 強張るティアの頬を夜風が撫でた。日は既に半分ほど沈んでいる。

 セビルが険しい顔で宣言した。


「すぐにここを下りるぞ。そうすれば、明日の正午には集合場所に戻れるはずだ」


「下まで辿り着けるか微妙じゃないか? 暗いのに無理して、足を滑らせたら洒落になんねーぞ」


 レンの指摘ももっともだ。この切り立った崖の天辺に至るまでの道は、狭い上に滑落の危険がある場所も多い。

 だが、今から野宿をしたら、相当時間が厳しくなる。

 セビルは少し思案し、折衷案を出した。


「ならば、無理なく下りられるところまででいい。途中何箇所か、野営できる程度にひらけた場所があったからな」


「まぁ、仕方ねぇか。ティアもそれでいいか?」


 ティアは無言で森の方角を見た。

 ザワザワと風が強くなっている。その風に乗って、微かな声が聞こえた。


(……悲鳴?)


 髪の生え際がムズムズする。

 無意識にティアの喉がシュゥッと低く鳴る。


「おい、ティア、聞いてんのか? おーいってば! ほーら、美少年だぞー」


 ズイッと顔を近づけるレンに、ティアは抑揚のない声で言った。


「……うん、早く行こう。少しでも南に行った方がいいと思う」


 その低い声に何か感じたのか、レンは鼻白んだ顔で「お、おぅ」と返した。



 * * *



「うぅ……どうしよう、これ……」


 日が沈みかけている森を、灰色のローブを着た十代後半の娘がトボトボと歩いていた。

 砂色の髪を三つ編みにして垂らし、眼鏡をかけた彼女の名はエラ・フランク。

〈楔の塔〉の入門試験で森に入った彼女は、地図に記された×印の少なさから、この試験の違和感に気づき、受験者同士で協力した方が、合格の可能性が上がるのではと考え……そして見つけた受験者を説得しようとしたら剣で脅され、鍵を奪われたのである。

 ザイツと名乗った中年男の、人の良さそうな笑顔に騙されたのだ。

 それでも他の受験者と協力できないかと森を彷徨い歩いていたら、恐ろしいバケモノを見つけた。今まで見たことのない、それはそれは恐ろしいバケモノだ。

 これは非常事態だ。試験官に知らせなくては──そう考え、森の入り口を目指していたエラは、途中、地面に落ちているある物を見つけた。

 赤銅色のメダル。

 つまりは〈楔の証〉である。受験者の誰かが落っことしたのだろうか?


(これを持っていけば、合格できる……ううん、今は、そんなことを考えている場合じゃないっ)


 一瞬でも狡いことを考えてしまった己を恥じつつ、エラは早足で森の入り口に向かう。

 幸い、試験官達は夜でも滞在しているようで、集合場所には松明やランタンが複数用意されていた。

 その灯りを頼りに入り口に辿り着いたエラは、松明の下に佇む試験官──金髪を切り揃えたヘーゲリヒと、短い前髪のレームの姿を見つけ、駆け寄った。


「あのっ、私、受験番号一番のエラ・フランクですっ」


「はい、お疲れ様でした。〈楔の証〉は見つかったかしら?」


 にこやかに訊ねるレームに、エラはもつれそうな舌を動かし、早口で告げる。


「大変なんですっ。森の中に、見たこともないバケモノが……!」


「それは、こちらで用意したものだとは思わなかったのかね?」


 ヘーゲリヒの冷静な声に、エラはハッと我に返り、赤面した。

 そうだ。これは一流の魔術師達が集う〈楔の塔〉の試験なのだ。ならば、そんな仕掛けを用意できてもおかしくはない。

 幻術と複数の魔術を併用すれば、あのバケモノの再現も不可能ではないだろう。


「そうだったんですか……すみません……私ったら早とちりを……あの、それじゃ、これ……」


 モゴモゴと口ごもりながら、エラは先ほど拾った〈楔の証〉を取り出す。

 レームがそれを受け取り、表面の模様を確認した。


「〈楔の証〉ね。確かに確認しました。明日の昼まで、そこの天幕で休んでいてちょうだい」


「あっ、違うんです。これは、たまたま落ちてたのを拾ってしまって…………届けにきました」


 もう一回森に入ろう。そして、協力してくれる受験者を探そう。

 鍵は奪われてしまったし、合格は絶望的かもしれないけれど、まだ試験は終わっていないのだ。

 だが、エラが歩きだすより早く、ヘーゲリヒが言った。


「『期限までに〈楔の証〉を持ち帰った者を合格者とする』……そのルールを我々が覆すわけにはいかないのだよ。分かるかね?」


「でも……」


「明日行われる合格者への説明を聞いて、それでもなお〈楔の塔〉に入門したいと思ったのなら、サインをしたまえ。レーム君、彼女を天幕へ」


 レームが優しく微笑みながら、「こっちよ」とエラを促す。

 エラが戸惑い、動けずにいると、ヘーゲリヒが「早く行きたまえよ」と犬を追い払うように片手を振った。

 エラはヘーゲリヒに深々と頭を下げ、レームの案内で天幕に向かい歩きだす。


「大変だったわね。中に温かい食事もあるから、ゆっくり休んで」


「はい……」


 レームは親しみやすい女性だ。私的な質問も、多少は許してくれそうな雰囲気がある。

 だからエラは、気になっていた疑問を口にした。


「あの二足歩行の狼(、、、、、、)は、どういう魔術なんですか?」


 森で見かけた狼のバケモノは、幻術とは思えない迫力だった。

 魔術を学ぶ身としては、あれがどんな仕組みなのか、とても気になる。


「……君ぃ、今なんと?」


 エラの疑問にヘーゲリヒが反応した。

 レームも顔が強張っている。


「森で見かけたバケモノです。人より二回りは大きな狼で、二本足で歩いて、爪がこんなに太くて、……」


 エラが身振り手振りを交えて、己が見たものを告げると、レームが早口で訊ねた。


「貴女が森で見かけたのは、羽のある蛇ではなかった?」


「蛇ではないです。黒い毛並みの、二足歩行の狼です」


 ヘーゲリヒがレームに目配せをする。

 丸眼鏡の奥の目は、鋭く細められていた。


「レーム君。至急、討伐室に連絡を」


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