【14】ツルツルの手羽先
指導室室長メルヒオール・ジョン・ヘーゲリヒは、近代魔術の名家ヘーゲリヒ家の三男である。
〈楔の塔〉に来る前は、とある魔法学校で教鞭を取っていた。実家の命令だったのだ。
ヘーゲリヒ家は帝国各地の魔法学校に進出したがっていて、三男の彼に、その足がかりを作るよう命じたのである。
……だがその魔法学校に、悪名高いザームエル・レーヴェニヒがいたのが運の尽き。
彼は派閥争いに敗れ、実家に見切りをつけられて行き場所を失くし、〈楔の塔〉に行き着いた。
──派閥争いなんて、もう懲り懲りだ。
そう思っていたのに、彼が〈楔の塔〉に来て少しした頃、あのザームエル・レーヴェニヒが〈楔の塔〉にやってきた。悪夢か、と思った。
紆余曲折を経て、ザームエル・レーヴェニヒは〈楔の塔〉を追放されたが、ヘーゲリヒは今も〈楔の塔〉で派閥争いに巻き込まれ続けている。
いわゆる近代魔術の使い手であるヘーゲリヒは、近代派の魔術師として扱われるが、第一の塔〈白煙〉の現塔主エーベルは古典派。更に、総務室、財務室の室長も古典派なのである。
そのため、ヘーゲリヒは非常に肩身の狭い思いをしているが、それでも腐ることなく、自分の職務に向き合っていた。
指導室室長の役割は、〈楔の塔〉の未来を担っていく人材の育成。
その責任は重く、彼は四人の指導員と密に情報交換をしながら、見習い魔術師十二名の成長を日々見守っていた。
当然に彼は多忙だが、だからこそ、規則正しい生活を心がけている。
朝は決まった時間に起床し、身だしなみをしっかりと整えて、朝の散歩兼、見回り。
見習いが朝の訓練に励んでいたら、必要に応じて助言をするためだ。
最近だと、朝の自由時間はローズ、オリヴァー、セビルをよく見かける。無論、彼ら以外にも室内で勉学や訓練に励んでいる者もいるのだろう。
(さて、代表者決めが難航しているようだが……見習い同士で、魔術を行使した諍いになってはいないだろうか)
指導員の一人、カスパー・ヒュッターは、諍い上等、見習い同士で本音をぶつけ合う機会を作るべきだ、と言う。
それを否定するつもりはないが、やはり無駄な争いは避けたい、というのがヘーゲリヒの本音だった。
(もっとも、あの顔触れを考えれば、それは難しいかもしれないがね……)
「ピヨップ!」
思案しながら歩いていたら、元気な声が聞こえた。
ヘーゲリヒは足を止めて、目を向ける。彼の前方で白髪の少女ティアが、ニコニコしながら右手を差し出していた。
小さな手のひらの上には、数個のドングリがのせられている。
「…………」
ヘーゲリヒは無言でティアを見た。
ティアは目をキラキラさせ、得意気な顔でヘーゲリヒを見ている。何か言ってほしい。
……ふと、ヘーゲリヒは実家の飼い犬を思い出した。
実家の犬は非常に賢い犬だったのだが、何故か木の枝を拾ってくるのが好きだった。
散歩の最中、木の枝を見つけると猛烈な勢いで駆け出し、それを咥えて元に戻ってくるのだ。特に程よい太さで枝分かれが少なく、葉っぱがポツンとついている枝を好む。
犬は人の言葉を喋らない。それでも、その顔がこう言っていた。
──御覧なさい人間よ。とても素晴らしい逸品でしょう。
そして今、彼の教え子であるティアが、全く同じ顔でドングリを見せびらかしている。
「…………」
「ペフフフフ」
どうでしょう、素晴らしいでしょう。と言わんばかりの笑みである。
結局ヘーゲリヒは、見たままのコメントをした。
「……それは、ドングリに見えるがね」
「そう、まんまるツヤツヤ! これから、オリヴァーさんに茹でて貰うの!」
「……火の扱いには気をつけたまえよ」
「はぁい」
ティアは存分にドングリを見せびらかして、満足そうにヘーゲリヒに背を向け、歩きだす。
だが、少し歩いたところで足を止め、クルリと振り返った。
「ヘーゲリヒ室長。代表者、決まったよ」
「……なに?」
「昨日の夜、話し合いして決まったの。今日の共通授業の前に、室長に報告するって言ってたよ」
思ったより早く代表者が決まったことに、ヘーゲリヒは少し驚いた。
代表は……やはり、あのザームエルの息子、ユリウス・レーヴェニヒだろうか。
脳裏に、底意地の悪い笑い声が蘇る。
『クックック……相変わらずお前は政治が下手だな、ヘーゲリヒ。俺の派閥に入れば、苦労することもなかっただろうに』
ヘーゲリヒは頭に実家の犬を思い浮かべて、憎たらしい男の顔を追い払った。
愛犬の力は偉大だ。
「代表者は誰に……いや、朝の報告を待とうではないかね」
はぁい、と元気に返事をしたティアは、ピヨッと声をあげてヘーゲリヒの背後を見た。なんとなくつられて振り向くと、眠そうに歩いているヒュッターの姿が見える。
「ヒュッター先生! ピヨップ!」
「おー、ピヨップピヨップ、おはよーさん」
欠伸混じりに言葉を返したヒュッターは、ヘーゲリヒの視線に気づくと、姿勢を正して挨拶をした。
「ども。おはようございます、ヘーゲリヒ室長」
「君は確か、昨晩外出の申請をしていたと思うのだがね。よもや、今帰ったとは……」
「やー、すんません。ちょっと、用事が長引いてしまいまして」
〈楔の塔〉は、周辺に幾つかの小さい村や町がある。
〈楔の塔〉の魔術師達の中には、そういった村や町に家を構えていて、家から通う者もいないわけではなかった。財務室のアイゲン室長などがそうだ。
ただ、ヒュッターが近辺に家を持っているという話は聞かないし、遊び歩いていたと考えるのが妥当だろう。実際、ヒュッターは管理室のカペル室長とよく飲み歩いていると聞く。
「……程々にしたまえよ、君ぃ」
ジトリとした目で睨むと、ヒュッターはヘラヘラ笑いながら頭をかく。
その手をじっと見ていたティアが、何かに気づいたような顔をした。
「ヒュッター先生」
「どうした?」
ティアはヒュッターの手を凝視したまま言う。
「今日は手羽先がツルツルしてるね」
「あ? 手羽先?」
ヒュッターが怪訝そうな声を漏らす。
地方の言い回しなのか、外国出身なのか、ティアの言葉選びはいつも独特で分かりづらい。各地の人間が集まる〈楔の塔〉ではよくあることだ。ティア以上に帝国語が下手な者も珍しくない。
それはさておき、手羽先とは一体……と悩んだヘーゲリヒは、すぐにティアの言いたいことに気がついた。
今日はヒュッターの手がやけに綺麗なのだ。よく見ると指の毛が綺麗に剃り落とされている。
手羽先がツルツルしている、とはつまり、指の毛がない状態を指しているのだろう。
ヒュッターもティアの言いたいことに気づいたのか、「あー」と呟く。
「まぁな、モテる男は手を綺麗にしてないと駄目なんだよ」
「モジャモジャの方がモテるよ」
「じゃあ、ローズはモテモテだな」
「うん。ローズさんは、モジャモジャが素敵だから、きっとモテモテさんだと思う。ヒュッター先生もモジャモジャにしないの? 特にね、お胸の毛がフカフカだと、すごくモテるよ」
「なるほど、お前は胸毛肯定派か」
「こーてーは? うん、きっとそう。お姉ちゃん達も、みんな大好き」
やけにモジャモジャを褒めるティアに、ヒュッターはチッチッチと舌を鳴らし、ツルツルの指を振る。
「都会じゃ手を綺麗にするのが流行ってんだよ。大人の嗜みなのだよ、君ぃ?」
「……それは、私の真似のつもりかね?」
「やー、ははは。出てませんでした、威厳?」
まったく調子の良い男だ、とヘーゲリヒはため息をついた。
ヘラヘラと笑いながら、ヒュッターは内心冷や汗をかく。まさか、指先をそこまで見られているとは思っていなかった。
(ティアのやつ、意外と目敏いよな……!)
外に出ていたのは、黒獅子皇の部下であり連絡係でもあるハイディと連絡をとっていたからだ。
ついでに、色々と用意してもらった物を持ち帰っている。
(俺の勘だと、そろそろ面倒臭いことになるから……準備は念入りにしとかねーとな)




