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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
四章 空を飛ぶ
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【幕間】誰かを愛する才能

 誰かを愛するということは、一つの才能だ──ルキエ・ゾルゲは常々思っている。


 ルキエは帝国南部のそこそこ裕福な家の生まれで、兄が二人、姉が一人、妹が二人いた。

 裕福だけど、ルキエは学校に通っていない。女は学校に通う必要はない、という考えの地域だったのだ。

 女は結婚し、子どもを産んで育てるのが役目だ。夫となる人を愛して尽くしなさい、と大人達は言う。

 だけどルキエには、その才能が致命的に欠如していた。

 誰かを好きになることはあっても、愛することはできない。

 そんなルキエに、周りの女達は言った。


 ──まだ、運命の人に出会えていないだけよ。


 ──婚約したら、きっと気持ちが変わるわよ。


 困ったことに、ルキエにはどの言葉もしっくりこなかった。

 多分、ルキエのことを一番理解していたのは一つ年上の姉だ。

 美人で気立てが良くて甘え上手で、皆から愛されている姉は、ルキエと特別仲が良かったわけじゃない。

 ただ、ルキエの性格を理解して、適度に放っておいてくれた。それがルキエにとって丁度良い距離だった。

 そんな姉は結婚して家を出ていく時、ルキエに言った。


『あんたには向いてないかもね。結婚(こういうの)


 それをたまたま聞いていた叔母達は、こぞって眉を吊り上げた。


『なんて酷いことを言うの!』

『ルキエが可哀想!』

『大丈夫よルキエ。あんたは美人だから、ちゃんと嫁ぎ先が見つかるわ!』


 叔母達の中では、美人で誰からも愛されている姉が、未婚の妹を馬鹿にした──という物語が出来上がっていたらしい。

 だけどルキエにとって姉の一言は、とてもしっくりくる言葉だったのだ。


(私に結婚は向いてない。そうよ、その通りだわ)


 そう自覚したらとても気が楽になって、ルキエは心の底から姉に感謝した。




 その頃、ルキエにはやりたいことがあった。彫り物だ。

 父が扱う商品の中に魔導具のブローチがあって、ルキエはそれに魅せられた。

 最初は木を彫るだけで満足していたけれど、できれば金属を熱して曲げたり、模様を彫ったりもしてみたい。

 だけどルキエの生まれた地域では、女は火を扱う鍛冶場には入れなかった。

 だからルキエは、調理場の残り火でこっそり金属を曲げたり、叩いたりして加工し、彫金の真似事をした。

 刺繍や編み物も嫌いではなかったけれど、やはり彫り物が自分には一番しっくりくる。

 親はルキエが彫り物に夢中になることをよく思わなかったけれど、服飾品の飾りビーズを自作しているのだと言って誤魔化した。

 親もルキエが彫刻刀を握るのは、趣味の範疇だと思っていたのだろう。

 上の姉が嫁いで一年が経った頃、父に婚約を命じられた。相手は父の取引先の息子で、ルキエの二つ上の青年だった。

 温厚で、親切で、偉ぶらない好青年だった。

 多分、婚約者としてでなかったら、普通に好きになれたと思う。だけど、それだけだ。ルキエは誰かを愛する才能なんて持っていない。

 姉は、誰かを愛するのが得意な人で──人を愛する才能があった。

 姉のことを、男に媚びるのが上手いなどと僻む者もいたが、それなら媚びを売るのだって才能だ。

 姉は人を楽しませることが好きで、相手の好きな物や、人間関係を覚えるのも得意だった。他人に興味がないルキエとは大違いだ。

 夫の姉はどこに嫁いでいて、どこそこのワインが好きだの、姑は誰それと不仲だから同席にならないように気をつけてだの──そういう気遣いがルキエは不得意だ。

 何故なら他人に興味がないから。

 だけど、婚約をするのなら、相手のことを知らなくてはいけない。

 気が進まない、相手のことを思うなら別の人にした方がいい、と消極的な態度を見せたが、相手は是非ともルキエが良いのだという。

 そこまで言われると、ルキエも強くは拒めず、ズルズルと出会いの日を迎えてしまった。


 ──今思うと、強く拒むべきだったのだ。お互いのためにも。


 婚約者となる男は、善人だった。

 彼はルキエの好きな物を訊きたがった。ルキエを理解しようとしてくれた。

 彼は、彼の考える優しさと誠実さで、ルキエを愛する努力をしてくれたのだろう。

 愛する人を知ること、理解することは当然なのだと、ルキエの周りの人間は口を揃えて言う。


 ──それが、煩わしかった。


 ルキエは、好きな物を誰かと共有したい人間ではなかったのだ。一人で好きな物を愛でていればそれで良かった。他人に自分を理解してほしいとも思わなかった。

 だから、彫り物に興味のない彼が、ルキエの「趣味」を理解しようとしてくれた辺りで……どうしようもなく、気持ち悪くなってしまったのだ。

 彼はルキエの作った彫り物を見て、優しく微笑み、こう言った。


「これからも、趣味は続けて良いんだよ」


 あ、無理だ。と思った。


 彼は何も悪くない。誠実にルキエを理解しようとしただけだ。

 ただ、ルキエは理解されなくていいし、しないで欲しいと思った。思ってしまったら、もう駄目だった。

 結局のところ、ルキエは誰かを愛する才能も、誰かに愛される才能もなかったのだ。

 何より、ルキエはそんな才能など欲していなかった。

 愛せなくていい、愛されなくていい。神様に才能を一つ貰えるなら、物作りの才能がいい。

 だから、親不孝も自分勝手も承知で、家を出ると決めた。

 愛せなくてごめんなさい。

 愛されなくてごめんなさい。

 ……そういう申し訳なさはあったけれど、それだけだ。

 特に悲嘆に暮れるでもなく、ルキエは淡々と荷物をまとめて家を出た。

 女が職人になれる場所は限られている。そうでなくとも、実績のない家出娘を受け入れてくれる工房なんて、都合良く見つかるはずもない。

 そういった諸々を考慮して選んだのが、〈楔の塔〉だ。


 自分は一生、誰からも愛されなくていい。理解されなくていい。

 だからどうか、職人として生きることに、全てを捧げさせてほしい。

 それが、ルキエ・ゾルゲの望みだ。


 * * *


 ある日、ルキエが第一の塔〈白煙〉の食堂で朝食を食べていると、隣にティアが座った。

 他に空いている席があるのに、何故わざわざ自分の隣に座るのか。

 この間、魔導具を粗末にしたティアに、かなりキツイことを言った自覚はある。

 間違ったことを言ったつもりはない。ただ、あの時のルキエは、ティアが魔導具の価値を知らない、という可能性を意図的に無視した。自分の怒りを押し通したかったからだ。

 ──なんてことを考えていたら、隣に座ったティアがパンを小さく小さく千切りながら言った。


「ねぇねぇ、ルキエはお姉ちゃんがいるの?」


 そういえば、そんな話を宿舎で同室のゾフィーに話した記憶がある。

 ゾフィーは雑談のとっかかりにしたいのか、そういう話をよく振ってくるのだ。兄弟姉妹はいるの? とか、気になる人はいる? とか。

 自分のことを根掘り葉掘り聞かれるのが好きではないルキエは、面倒臭くなって適当に返事をしていた。


「……それがなに? あんたに関係ある?」


「関係ないけど、わたしにもお姉ちゃんいるから、嬉しくなったの。ルキエは、お姉ちゃんと仲良し?」


「あんた、それで仲が悪いって言われたら、どうするつもりだったの」


 ルキエが素っ気なく言うと、ティアはピロロ……と喉を鳴らした。

 ティアは時々、こういう奇怪な声を上げる。


「考えてなかった。ルキエは、お姉ちゃんと仲が悪い?」


「……良くも悪くもなかったわよ。ただ……」


 美人で、社交的で、皆から愛されていて。誰かを愛して、愛される才能を持っていた姉は、ルキエのことも愛していたのだろうか。

 別にどちらでも良いけれど、あの一言は嬉しかったな、と思う。


 ──あんたには向いてないかもね。結婚(こういうの)


「仲が良かったわけじゃないけど……姉は、私のことをよく見てた。あぁ、私の姉なんだな、って思ったわ」


「ペフフフフ。そっかぁ」


 ふと、気づく。

 ティア・フォーゲルは入門試験の時からずっと、空が飛びたいと主張し続けていた。魔術の勉強なんてしたことがないけれど、そのために〈楔の塔〉に来たのだと言っていた。

 空が飛びたいティア、職人になりたいルキエ。

 魔術師の家の出ではないし、何の使命もないけれど、どちらも自分の夢を叶えるために、〈楔の塔〉の門を叩いた。

〈楔の塔〉に来た動機だけを見れば、ルキエとティアは似ているのだ。

 もしかしたら、姉には自分がこんな風に見えていたのだろうか──とティアを横目に見ながら、ルキエは頭の隅で考える。




 愛する才能がなかった人間と、繁殖に愛を伴わないハルピュイア。

 一人と一匹は互いの事情を知らぬまま、朝食のパンをパクリと食べた。


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