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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
四章 空を飛ぶ
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【9】深淵と呪い

 午後の個別授業の時間、レンは筆記魔術について理解を深めるために蔵書室を訪れていた。

 蔵書室は一言で言えば、本を管理している部屋だ。

 蔵書室を案内してくれているのは、癖のある金髪を編んで垂らした、優しげな顔立ちの四十歳ほどの女。蔵書室のリンケ室長──入門試験の時、本に封じた魔物でレン達を試した人物である。


「魔術に関する書物は、おおまかに魔術書と魔導書の二つに分けることができます。魔術に関する実用書や教本の類が魔術書。特殊な方法で魔術式を刻み、本に魔力付与を施した物が魔導書です」


 そう説明しながら、リンケはレンの少し前を歩き、第一図書室を案内する。

 第三の塔〈水泡〉は三階建ての塔に増設を重ね、つぎはぎした建物だが、蔵書室は増設する前からある塔本体の半分ぐらいを占めている。

 塔の一階奥が第一図書室、二階が第二図書室、三階が第三図書室、そして地下蔵書室という構成になっていて、見習いは一階の第一図書室までしか使えない。

 第一図書室は先ほどの説明にあった魔術書──つまりは魔術の教本だ──の他に一般書の本棚もあった。


「すっげー、親父の書斎より全然大きい。こんなに本がある部屋、初めてだ……なんか、魔術と関係ない本もある?」


「そうですね。第一図書室には一般書と、比較的内容の優しい魔術書を置いています」


 閉鎖的な塔ともなると娯楽が乏しいので、娯楽書の類もそれなりに置いているらしい。

 中には家庭料理や庭造りの本などもあって、それがなんだかおかしかった。


「魔導書ってのは、ここにはないんだ?」


「えぇ、あれは扱いが難しいものですから」


 レンはふと思いついた疑問を口にする。


「魔導書って……魔力を流すと魔術が発動するんだっけ? つまり魔導具みたいな感じ?」


「厳密には、魔導具の前身と捉えるべきでしょうか。魔導具は近代、魔導書は古典ですけれど、中には近代魔術の技術で作られた魔導書もあります」


「ふーん」


 特殊な塗料を使って道具に魔力付与した物を魔導具と呼ぶのなら、魔導書も魔導具に含まれそうなものだが、話はそう単純でもないらしい。

〈楔の塔〉では、使われている魔術が古典か近代かということを重要視することが多い。

 面倒臭い話だなと思うけれど、この「面倒臭い」の理由を考えるのはちょっと面白いとレンは思っている。

 古典と近代魔術の違いは、ヒュッターの魔法史の授業で習った、魔術師達の歴史が密接に関わってくるからだ。学んだ知識と知識が繋がる瞬間は結構楽しい。

 レンはさりげなさを装って訊ねた。


「入門試験でリンケ室長が持ってた、魔物を封印した本も魔導書?」


「そうなります」


「筆記魔術を覚えたら、俺もああいうこともできるようになる?」


「…………」


 先を歩くリンケが振り返り、レンの顔をじっと見る。

 リンケは穏やかな雰囲気の女性だ。だけど今はその視線に、若者の無謀をたしなめるような空気を感じた。


「あれは、蔵書室の室長にしかできないことだと思ってください。魔物を封印する力は確かに筆記魔術によるものですが、使役する力はまた別なのです」


 まぁ、そんなに上手くはいかないか。とレンはあっさり引き下がる。

 魔物の使役が自分にはできない。その事実に、レンは密かにホッとしていた。

 魔物の使役。できるようになったら勿論心強い。次の魔法戦で立派な戦力になるだろう。


(でも、俺が魔物の使役をしたら……ティアはどう思うかな)


 逆の立場で考えてみる。

 魔物が人間を使役していたら、自分は凄まじい嫌悪感を覚えるだろう。


(……正直、俺にはできないって言われて良かった)


 少し頑張れば貴方にもできますよ、と言われたら、レンはその力を使ってみたいという誘惑に揺れていた気がする。

 誰もが驚くすごいことというのは、貴方にもできると言われたら手を出したくなるのが人のサガだ。


(ただ、ティアを見てると……魔物って同種以外には無関心か、縄張り争いの相手って感じっぽいんだよな)


 つまりティアの場合、ハルピュイア同士なら仲間意識があるけれど、人狼と仲間意識はない、という具合だ。

 だから雪猪や上位種のジャックに襲われた時、ティアは躊躇なく反撃した。

 その上で、使役されている魔物についてティアがどう受け止めているのだろう?

 入門試験の時、使役されていたのが羽の生えた蛇ではなく、同族のハルピュイアだったら……ティアはどうしていたのだろうか。


「〈楔の塔〉って、魔物と戦ってるんでしょ。じゃあ、魔物の封印ってのも、よくあることなの? そういうのって、簡単にできるわけ?」


「魔物の封印は高度な筆記魔術ですし、魔物を弱らせる必要があり、非常に困難なので、今はまずやりません」


「……そっか」


 それが良いことなのか、悪いことなのか、レンには分からなかった。

 ティアに出会わなかったら、魔物は退治されて当然だと思っていただろう──今でも、頭の半分ぐらいではそう思っている。

 それなのに残りの半分では、人と魔物が共存する未来もありえるんじゃないか、なんて都合の良いことを考えているのだ。


(『魔物は殺されて当然、でも人間に従うなら共存してもいい』……それって、何様っつーか……すげー自分勝手じゃん……)


 だから、そのことがレンには酷く後ろめたい。

 レンが黙り込んでいると、リンケが図書室奥の扉の前で足を止めた。


「魔物の封印措置について、詳しいことは、彼女に聞くと良いでしょう。折角の同期なのですから」


「……へ?」


 リンケが扉を開ける。

 扉の向こう側は蔵書の修復作業などに使う部屋らしい。壁際には棚が並び、中央には大きめの作業机が置いてある。

 その作業机の前で本を広げている一人の少女がいた。

 肩上辺りまで伸ばした黒髪に、左右一房ずつ紫色の髪の毛。フリルや飾りボタンをあしらったブラウスの上にローブを羽織っている。

 レンより一つ年下の少女。呪術師のゾフィーだ。


「ゾフィーじゃん」


「うひょぉうっ!? え、うわ、なんだよぉ、いきなり声かけんなよぉ……」


 今まで猫背気味で本を覗き込んでいたゾフィーだったが、レンが声をかけると勢いよく仰け反った。

 レンはゾフィーが机に広げていた本をチラリと見る。そこには赤黒いインクで魔術式がビッシリと書き連ねられていた。

 最近習った魔術式とは違う。多分、古典魔術のものだ。ふと、レンは気づいた。


「なぁ、もしかして、これって魔導書?」


「そうだよぉ。だから、勝手に触んなよ。大変なことになっちゃうからな」


「大変なことって?」


 訊ねるレンに、ゾフィーはニタァと笑った。邪悪な笑顔だった。


「呪われて死ぬ」


「げっ」


「うひひひひ、冗談だよ」


「ゾフィー」


 リンケ室長が静かにゾフィーの名を呼んで注意する。特に怒気を滲ませた声ではなかったが、ゾフィーは「うひぃ」と声をあげて、ローブの袖で頭を抱えた。


「ご、ごめんなさぁい。ちょっと同期が来たから、冗談言っただけでぇ……」


「魔導書の前でふざけるのは感心しませんよ。扱いを間違えると大変な代物なのですから」


「は、はぁい……」


 そういえば、魔導書は第一図書室には置いていない代物だとリンケが言っていたはずだ。

 当然に、第一図書室までしか出入りできない見習いは、手にすることはできない。

 それなのに、どうしてここに魔導書があって、ゾフィーはそれを開いているのだろう。

 疑問が顔に出ていたのか、リンケ室長は「おかけなさい」とレンにゾフィーの隣の椅子を勧めた。

 リンケ室長はその向かいの席に座り、口を開く。


「ゾフィーは特別なのです。呪術師の家系の人間は、常に一人は〈楔の塔〉に属し、封印した魔物の抑止力になってもらう必要がある」


(呪術師が、封印した魔物の抑止力?)


 リンケの言っていることの意味が、レンにはすぐには呑み込めなかった。

 ただ、呪術師が何らかの事情で〈楔の塔〉に必要とされているのは分かる。


「ゾフィー。レンに呪術師と魔物の封印の関係性について、簡潔に説明をしてください。これは課題です」


「えぅぅぅ、記述問題苦手なのにぃ……」


「だからですよ」


 ニコリと微笑むリンケに、ゾフィーは「うひぃん……」と悲しげな声をあげる。

 そうして考え込むように、自身のこめかみを指でグリグリ押しながら言った。


「えぇと、じゃあレンはさ、魔物がどこから生まれてくるか……共通授業で習ったこと、覚えてる?」


「人間の負の感情と魔力が結びついて、だよな」


「その、人間の負の感情と魔力が結びついた世界の澱みたいなものを、深淵って呼ぶんだよぉ。ドロドロした沼や泉みたいなイメージかなぁ。昔は、深淵は世界中のどこにでもあってさ、そこから魔物は生まれてきたんだって」


 レンの頭の中に、紫色のドロドロした沼が浮かぶ。そこからゾロリ、ゾロリと出てくる魔物達……想像したら、なかなか恐ろしい。

 魔物の中でも上位種と呼ばれる存在は、この深淵から生まれてきた者を指す。

 下位種に分類される魔獣も、昔は深淵から生まれてくることがあったらしい。魔獣は上位種より力が弱い代わりに繁殖能力を持っていて、その子孫達が今の魔獣というわけだ。ティアもそこに含まれる。

 深淵から生まれた〈原初の獣〉は、今では生き残りは一匹だけ。気に入った人間の顔に×印を残す魔物だ。

 ……と、ここまでがレンの知っていることである。


「じゃあレンは、呪術師が扱う呪いって、なんだと思う?」


「え、知らね」


「即答かよぉ〜。もうちょっと考えろよぉ……」


 ゾフィーは文句をたれているが、そもそも呪術師という存在自体が魔術師より珍しいのだ。

 世間一般で言う呪いとは、何か人に良くない効果をもたらすものだ。悪い夢を見たり、精神に不調をきたしたり、苦しみながら死んだり──そういう、魔術とは異なるよく分からない力(、、、、、、、、)だ。

 レンは少し考えてみた。

 深淵から生まれてくる魔物と、呪術師は深い関係がある。だから、〈楔の塔〉でゾフィーは特別扱いされているのだ。

 それを踏まえて、レンは慎重に訊ねる。


「えーと、つまり、呪いの力って……魔物が生まれてくる深淵と、何か関係がある?」


「正解〜。深淵のドロドロ沼の一部がそのまま外に漏れて、人に取り憑いたのが呪い。でもって、このドロドロ沼の力を操れるのが呪術師ってわけ」


 魔物を生み出す深淵に干渉できる存在──そう考えると、なんだかすごいような気がするが、実際にどの程度のことができるのだろう。

 いまいちピンとこないレンに、ゾフィーは得意気な顔で言う。


「そしてアタシは、なんと! この体に秘めた五つの呪いを操ることができるのだ!」


「…………」


「なんだよ、その微妙な顔ぉ〜!」


「いや、五つって多いのか少ないのか、よく分かんねーし……」


 それより、深淵の詳細をもっと詳しく知りたい。

 レンの態度に、ゾフィーは不貞腐れた顔でブツブツ呟く。


「……そりゃまぁ、隣の国に、呪いの数二百超えがいるって噂だけど、どうせ噂だし? 絶対ホラに決まってるし? 別に数が多ければすごいわけじゃ……すごいけどぉ……すごいけどぉ……ここはアタシを持ち上げろよぉ──!」


 最終的にバンバンと机を叩き出したゾフィーに、リンケ室長が静かだが厳しい声で言う。


「蔵書室ではお静かに」


「はぁい……」


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