【8】速く飛ぶ脆い鳥、高く飛ぶ強い鳥
「ピヨッ、見つけたっ、オリヴァーさぁーん!」
飛行用魔導具を背負い、ペタペタ走るティアは、槍の訓練をしているオリヴァーのもとに駆け寄った。
オリヴァーは槍を地面に突き、ティアを見る。
「ティアか……むっ」
オリヴァーは前髪に垂れてきた髪を押さえ、少し険しい顔をした。
飛行魔術の訓練をしていたのか、いつもツンツンと逆立っている髪が、今は少しペタリとしている。
そうすると、彼は驚くぐらい兄に似ているのだ。
「しばし待て」
オリヴァーはサッと手櫛で髪をかきあげ、しっかりとツンツンを甦らせた。
魔物の威嚇みたいだな、とティアは思う。
力の弱い魔物の中には自分を強そうに見せるために工夫するものもいて、毛を逆立てたり、枝葉を取り込んだりして、自分の体を大きく見せるのだ。
「オリヴァーさんは、いつも髪の毛ツンツンさせてるね」
「その方が強そうに見えるだろう」
なんと。とティアは驚いた。
なんとなく、オリヴァーは見せかけの威嚇には頼らないと思っていたからだ。
だが、オリヴァーは噛み締めるような口調で言う。
「俺が強そうなら、兄者にも安心してもらえる」
「……ペフッ! そっかぁ……ペフフゥ」
兄のため。そのオリヴァーの言葉が妙に嬉しかったのは、ティアも姉が大好きだからだ。
ティアがあんまりペフペフ喉を鳴らしているものだから、オリヴァーが少し不思議そうな顔をした。
「どうした、ティア。呼吸器官に異常があるのか?」
「違うよ。あのね、ペフフ……」
ティアは思いきり背伸びをして、オリヴァーに耳打ちする。
自分の素性はあまり大っぴらに話せないけれど、これぐらいなら大丈夫だろう。
「わたしもね、お姉ちゃんがいるから、オリヴァーさんがお兄さん想いだと、なんか嬉しい……えっと、これって共感っていうのかな」
「そうか。姉がいるのか」
「うん。すっごく羽がきれ……髪の毛が綺麗で、歌が上手なの」
ペフフフフと笑うティアを、オリヴァーはいつもより少しだけ柔らかい表情で見ていた。
いつもムッ! と険しい表情をしていることが多いオリヴァーだが、そういう表情もできるらしい。
きっと、オリヴァーもまた、ティアの姉を想う言葉に共感するものがあったのだろう。
「ところで、俺に用事があったのか?」
「あっ、うん! あのね! わたし、オリヴァーさんにお願いしたいことがあって」
ティアはクルリと体の向きを変え、背中に取り付けた飛行用魔導具をオリヴァーに見せる。
「わたし、今、飛行用魔導具で空を飛ぶ練習をしてるんだけど、上手に飛べないの……特に、飛び上がるのが難しくて」
「俺は逆だな。飛び上がるのは得意だが、前後左右に進むのが難しい」
「うんっ、だからね、合体できないかなって!」
合体、とオリヴァーが真顔で繰り返す。
ティアは両手をバタバタさせながら、己の構想を語った。
「オリヴァーさんの背中に私が引っつくでしょ、で、オリヴァーさんの飛行魔術でめいっぱい高く飛んで、そこからは私の飛行用魔導具で移動するの」
ティアの飛行用魔導具は飛び上がるのに勢いがいること、そしてその勢いのせいで回転してしまうことが問題だった。
だが、オリヴァーが飛び上がってくれれば、その問題がクリアできる。途中、勢いを出しすぎて体が回転しそうになったら、オリヴァーを錘にすれば良いのだ。
黙って話を聞いていたオリヴァーは、「ふむ」と唸った。眉間に皺はない。
「できる……やもしれぬ。実際にやってみないことには分からないが」
「じゃあやろう! 今やろう! おんぶ!」
「分かった」
パッと両腕を伸ばす、ティアの「おんぶ!」のおねだりに、オリヴァーはあっさり頷き、槍を地面に置いて、しゃがんでくれた。
いそいそとオリヴァーの背中に張りついたティアは、気づく。
(……あ、違う)
ティアは手を伸ばし、オリヴァーの肩や腕の辺りをペタペタ触ってみた。
ティアを背負って立ち上がったオリヴァーが「どうした?」と振り向きながら訊ねる。
「あのね、わたし、フレデリクさんにおんぶしてもらったんだけど」
「兄者に?」
「フレデリクさんとオリヴァーさん、体が全然違う。オリヴァーさんの方が、ガッシリしてる」
フレデリクの体は極限まで肉を削ぎ落とした、空を飛ぶための体だった。
だけど、オリヴァーは日頃から鍛えているためだろう、細身だけれど筋肉がしっかりとついている。
「単純な力比べなら、オリヴァーさんの方が強いんじゃないかな」
細身のフレデリクが槍の刺突で威力を出そうと思ったら、飛行魔術で加速するか、魔術で風の刃を纏わせて、威力を足すしかないのだ。
そういうタイプは、外殻が強固な魔物や、肉や脂肪の厚い魔物と相性が悪い。先日、ティアが遭遇した雪猪などがそうだ。
「多分、フレデリクさんとオリヴァーさんが正面衝突したら、弾き飛ばされるのはフレデリクさんだよ。だって、こっちの方が重いもん」
「……兄者は、そんなに痩せていたのか」
「うん。飛ぶためだけの体だった。人間なのにね。速いけど、脆い鳥みたい」
その時、オリヴァーの背中に力が籠るのを感じた。
ティアを背負ったオリヴァーは、前を見据えていて、その表情は見えない。だけど、きっといつもの彼らしいキリッとした表情をしているのだろう。
「次の魔法戦……勝つぞ、ティア」
噛み締めるように、オリヴァーは言う。
「勝って、兄者に言いたいことがある」
オリヴァーが詠唱を始める。彼はグッと地面を踏み締めるみたいに膝を曲げ、そして高く飛び上がった。野ウサギさんよりも、なお高く。
「うぉぉぉぉぉ!」
吠えながら高く飛ぶオリヴァーの体はグングン上昇し、やがて〈楔の塔〉のどの建物よりも高くなる。
頬に当たる上空の風。これだ。この風だ。
(飛行用魔導具、起動……!)
背負った魔導具に魔力を流し込む。すると、ティアを背負ったオリヴァーの体が勢いよく前進した。
ただ、頭が後ろに回るように体が回転しそうになる。
上に向かうオリヴァーの飛行魔術と、前に向かう飛行用魔導具の推進力が喧嘩しているのだ。
「オリヴァーさん、飛行魔術弱めて!」
「お前の負担が増えるぞ!」
「大丈夫! だって……」
オリヴァーの重さを加味して、体の傾きを調整する。
金属の羽が、風をとらえる。
「わたし、飛ぶの得意!!」
胸を張って、得意と言えるのはなんて気持ちが良いのだろう。
地面に突っ伏して、飛べない、飛べない、と絶望するハルピュイアはもういない。
二人の体がフワリと滑らかに浮上する。
跳躍にも似たオリヴァーの急上昇とも、弾丸の射出に似た飛行用魔導具のそれとも違う滑らかな飛行だ。
「ピョッ、フゥ──!」
体を少し傾ける。大きく旋回。
反対に傾け、浮上。旋回──できる。
その感覚は、足にダマーという錘をぶら下げた時と同じだ。
「オリヴァーさん! ギリギリまで下に行って、ビュン! って上行くからね!」
「ならば俺は、上に行く時に、飛行魔術の出力を上げよう」
「ピヨップ! いっくよぉー!」
坂道を滑り降りるように、急降下。普通の人間なら悲鳴をあげそうなところだが、オリヴァーは動じない。心強い。
「ここ!」
ティアが声を上げた瞬間、オリヴァーが飛行魔術で体を浮かせる。
ただ真上に飛ぶのではない。ティアの飛行用魔導具の推進力で斜め上に進みながら二人は飛んだ。
「フフッ、ペフフッ、できたっ! わたし達、飛べてる! 飛べてるよ、オリヴァーさん!」
「あぁ……感謝する、ティア・フォーゲル!」
「ピョフフフフ、わたしも、嬉しい。ありがとう、オリヴァーさん!」
今のティアは、まだ一人では飛べない。
それでも、人間が作った飛行用魔導具と、オリヴァーの飛行魔術の力を借りて、確かに再び空に舞い戻ったのだ。




