【5】ライバル宣言
「昨日は錘になってくれてありがとう!」
ティアがニコニコしながら礼を言うと、×傷の男は額に青筋を浮かべ、腰の後ろに手を伸ばした。
「ダマーさん」
リカルドが静かに口を挟む。傷の男──ダマーはギロリとリカルドを睨んだ。
悪意に満ちた凄まじい眼光だ。だが、リカルドは顔色を変えるでもなく淡々と言う。
「見習い相手にダセェ真似したって、噂になってますよ。恥ずかしいんでやめてください」
「言うじゃねぇか、リカルド。俺はキレたら何するか分からないぜ?」
「だから、そういうのがダサいと……」
ため息をつくリカルドのもとに、ダマーがのっしのっしと近づく。
不思議と、ダマーはティアに近づこうとしない。
ティアがしゃがんだままじぃっとダマーを見上げていると、ダマーは不気味そうに顔をしかめ、ティアから一歩距離をとった。
そうしてティアの存在を無視し、リカルドに詰め寄る。
「寡黙なお前がべらべらとお喋りなんて珍しいじゃねぇか。こういうガキが好みなのか?」
「…………」
威圧感を隠さぬダマーと無言のリカルド。そんな二人のやりとりをよそに、ティアはペタペタと回り込んでダマーの顔を観察した。
やっぱり、とても良い面構えだ。ハルピュイア好みである。
ダマーがさりげなくティアから顔を背けたので、ティアは反対方向に回り込んで顔を観察した。
とても魅力的だ。この自分勝手な悪意が、トロリと溶け出した感じがとてもいい。
ちょっと舐めてみても良いかなぁ、とティアは舌舐めずりをする。
「なぁ、リカルド。お前が怪我をしたら、一ヶ月後の魔法戦はどうなるだろうな?」
「…………」
「代わりに俺が出るのも悪くないと思わないか?」
「…………はぁ」
リカルドはため息をついて、空を仰いだ。
「……だそうですけど、どうしますか、フレデリクさん?」
「知らないよ。そんなの室長に相談して」
リカルドの問いかけに、冷めた声が応じる。
静かに空から降りてきたのは、薄茶の髪のヒョロリと手足の長い青年フレデリク・ランゲだ。今日は槍を持っていない。
ダマーが、舌打ちをしてフレデリクを睨んだ。
「フレデリク! お前、俺のことを尾けてたのか?」
「……なんで? 僕はその子を探してたんだよ」
フレデリクは心底どうでも良さそうにダマーを一瞥し、その視線をティアに向けた。
ティアはお土産候補の観察をやめて、フレデリクに挨拶をする。
「フレデリクさん、こんにちは!」
「こんにちは。この間は怖がらせちゃってごめんね。はい、これ」
フレデリクが手にしていた小さな包みをティアの手にのせる。ふんわりとバターの良い香りがした。
ティアはこの包みを知っている。第三の塔〈水泡〉で時々販売している嗜好品の焼き菓子だ。
「お菓子?」
「お詫び。この間の子達と食べて」
お詫びというのは、ティア達の目の前でオリヴァーをボコボコにしたことを言っているのだろうか。
そうだとすると、「この間の子達」はあの場に居合わせた者を指すのだろう。
(レンと、セビルと、ヘーゲリヒ室長呼んでくれたローズさんと……)
それならばとティアは訊ねた。
「オリヴァーさんにもあげていい?」
「うわ……」
フレデリクが顔をしかめた。ニコニコ笑顔が引っ込むと、彼は案外目つきが鋭くてオリヴァーと似ていることが分かる。
それにしても、オリヴァーの名前を出しただけでこの態度。
(リカルドさんは、フレデリクさんが弟を心配してて、追い返そうとしてるって言ってたけど……)
オリヴァーの身を案じて、追い返そうとしているにしては、何かが引っかかる。
誠実なオリヴァーが心から兄を慕っているように見えるから、なおのこと。
「おい、フレデリク」
無視されていたダマーが、苛立たしげにフレデリクにくってかかる。
「お前まで、魔法戦前に情報を垂れ流すつもりじゃないだろうな?」
「なぁにそれ」
フレデリクはハッと息を吐くみたいに笑った。
「手札がバレたぐらいで、僕達が見習いに負けるとでも?」
冷ややかで、だけど確固たる自信に満ちた声だった。
赤みがかった目に浮かぶのは、ダマーに対する侮蔑。
お前は情報が漏れたら負けるのか──とその目が言っている。
フレデリクは冷ややかさを引っ込めて、ニコリと笑みの形に目を細めた。
「寧ろ情報戦で、こっちが不利になるぐらいのハンデをあげないと可哀想でしょ」
そう言ってフレデリクは長身を折り曲げ、ティアと視線を合わせる。
「見習いさん……えぇと、ティアだっけ。いいよ。知りたいことがあったら、なんでも教えてあげる」
「情報収集していいの?」
「どうぞ」
ティアは少し考えた。
情報収集。知っておきたいこと──これだ。とティアは口を開く。
「じゃあ、フレデリクさん、また飛行魔術、やってもらっていい? 背中に乗っけてもらうやつ」
フレデリクは少し驚いたような顔をしたが、柔らかく笑って頷いた。
「賢い子だね。敵の手の内を見るのなら、実際に魔術を使わせるのが一番だもの」
ダマーが「おい、フレデリク!」と声を荒らげた。
だがフレデリクはそれを無視して、ティアに背を向けるようにしゃがみこむ。
「どうぞ」
「ありがとう!」
フレデリクはティアを背負うと詠唱をする。
前にも聞いた、飛行魔術の詠唱だ。風が二人の体を包み込んで、フワリと軽やかに浮かび上がる。
管理室室長カペル老人作の飛行用魔導具の、弾丸みたいな飛び上がり方とは大違いだ。
フレデリクはそのまま、〈楔の塔〉の城壁沿いに空を飛ぶ。
「下ろす時は別の場所に下ろすね。ダマーに絡まれるの、面倒だし」
フレデリクは親切で優しい人だ。
この人が、オリヴァーに怒りを向ける理由が分からない。
(魔法戦に関することは、きっと、他の人からでも聞ける)
だから、フレデリクに一番訊きたい質問はこれだ。
「フレデリクさんは、どうしてオリヴァーさんに怒ってるの?」
「……命懸けで魔物と戦ってる職場に押しかけられて、高跳び披露されて、『力になりに来た』とか言われたら、殺意湧かない?」
「フレデリクさん、オリヴァーさんが飛行魔術見せる前から怒ってた」
ティアを背負うフレデリクの表情は分からない。ただ、肩が小さく動いたことにティアは気づいていた。
フレデリクはしばし黙り込んでいたが、やがてポツリと答える。
「……ごめんね。言いたくないや」
「ピロロ……そっかぁ。じゃあいいや」
「いいんだ?」
「無理に聞き出した答えは、本当じゃないと思うから」
素直に答えるティアに、フレデリクは肩を震わせて笑った。
「やっぱり君は、賢いね」
その一言が、ちょっとホッとしているように聞こえたのは気のせいだろうか。
ティアは目を閉じて、風を感じた。気持ち良い。やっぱりフレデリクの飛行魔術は巧みだ。
なにより、人を背負っているのにこの安定感というのがすごい。
「じゃあ、いっぱい教えてもらったから、今度はわたしの話するね。わたし、今、飛行用魔導具の練習してるの」
「あぁ、管理室で作ってたっけ、そういうの。あそこのバレットさん、長距離飛行のすごい人だよ。隣の国で国内記録作ってたはず」
なんと、とティアは目を丸くした。
小回りのきく機動力の高さに秀でたフレデリクと違い、バレットは長距離飛行が得意だと聞いてはいたが、まさかそこまでだったなんて。
「ピヨッ、バレットさん、すごかった!」
「ね。飛行魔術って長距離飛行向きじゃないのに」
そう言ってフレデリクが旋回する。
フレデリクの背中におぶさりながら、ティアはその体を確かめた。
細い手足、細い背中。
この人は、飛行魔術のために体の肉を落としている人だ。ティアも同じだから分かる。
身軽に飛ぶためには、必要以上に肉がついてはいけないのだ。
この人の体は、飛ぶための体だ。
「フレデリクさん」
「なぁに?」
今から口にする言葉のことを考えると、ちょっとドキドキした。
ドキドキする。不思議だ。自分は緊張してる。でも、言うのだ。
「わたし、今はまだ上手に飛べないけど……すぐに、フレデリクさんより上手に飛ぶよ。きっと飛ぶ」
「ふふ、それって、ライバル宣言?」
「……ライバル?」
ティアはその単語を舌の上で転がすみたいに繰り返す。
ライバル。意味は知っている。でも、誰かが自分のライバルなんて考えたことがなかった。
ライバル、ライバル、競争相手──そう理解した瞬間、頭の奥がパチッとして、目の前が開けた気がした。
「そう、それ! ライバル! フレデリクさんは、わたしの初めてのライバル!」
フレデリクは、もう隠さずに笑っていた。小馬鹿にしたような笑い方じゃない。
純粋に楽しくて笑っているみたいな、そういう笑い方だ。
「ふふっ、ふふふふふ……そんなこと言われたの、初めてかも」
「わ、どうしよう。ライバルって、なんかすごくいい。こう……負けないぞー! って気持ちになる」
フレデリクの体がグングン上昇する。風を切る速度が変わった。
速い。だけど、この人はきっと、もっと速く飛べるのだ。
繊細な魔力操作が要求される、高度な飛行魔術を維持しながら、フレデリクは楽しげに宣言した。
「じゃあ、勝ちにおいで。負けてあげる気はないけれど」
「うん、勝ちにいくね」
こうして声に出して宣言するのは大事だ、とティアは理解した。
声にした誓いは、ただ胸の中で呟くよりもずっと強い誓約となる。
その誓約は、勝ちたいという気持ちを更に高めてくれるのだ。
(すごい、ずっと胸がドキドキしてる。怖い時のドキドキじゃない。ワクワクのドキドキだ)




