【3】リカルド・アクスの昔話
──リカルド・アクスは絶望していた。
地面に膝をつくリカルドの前で、白髪の少女がしゃがみ込む。
ちょっと吊り気味の琥珀色の目が、ジィッとリカルドを見つめた。
「ピヨ。リカルドさん、どうしたの? お腹痛いの?」
「えぇと、見習い魔術師の……」
その少女には見覚えがある。以前、その辺で寝ていたフレデリクを保護してくれた少女だ。
そういえば、名前を聞いていなかったような気がする。
口をモゴモゴさせるリカルドに、少女は「ティアだよ」と名乗った。
「ティアさん、今見たものは忘れてください」
「今見たもの?」
「その、歌ったり、踊ったり……」
「なんで?」
あまりにも無垢な「なんで?」が、青年の羞恥心をグリグリ抉る。
オフゥ……と声を漏らし黙りこむリカルドに、ティアは首を傾げた。
「リカルドさんは、歌ったり踊ったりが好きな人?」
そういえばこの少女は、不眠症のフレデリクに子守唄を歌ってくれる心優しい人間なのだ。きっと、日頃から歌うのが好きなのだろう。
だがリカルドは、自分が歌や踊りを嗜むイメージとは程遠いことを自覚している。
実際、嗜むなんて言えるような出来栄えではないのだ。
「なんで隠すの?」
責めるような口調ではなく、ただ純粋に不思議そうにティアは問う。
「歌ったり踊ったりは、悪いこと?」
「う……」
その言葉が、胸に刺さった。リカルド・アクスは歌と踊りに救われた人間なのだ。
自分の態度が、歌や踊りを恥ずかしいものだと貶めてしまったようで心苦しい。
リカルドは口ごもりながら、ボソボソと言う。
「歌も踊りも、悪いことじゃないんすよね……でも、自分には似合ってないから、恥ずかしくて……」
「ピロロ? ……似合ってる人じゃないと、歌って踊っちゃ駄目なの?」
ティアのあどけない純粋さが、リカルドの心を揺らした。
その時、リカルドの心に芽生えた感情は──ティアには大変失礼ではあるが──近所の犬猫相手に、本音をポツリと語りたくなるような感情だ。
今まで誰にも言えなかった、隠していた。
だけど隠したままでは、自分はいつまでも進めない。
「……自分は、人を笑わせられる人になりたいんです」
琥珀色の目がパチクリと瞬きをする。
リカルドは、ぎこちなく自分の素性を語り出した。
「自分は、魔物狩りの一族の人間で……」
「ピヨッ……魔物狩り……」
「壁の向こう側の方には、あまり馴染みがないっすかね。『褐色の肌のアクス』と『長い手足のランゲ』は割と昔からある、魔物狩りの一族なんです」
〈楔の塔〉の西には、魔物の行き来を阻む「壁」と呼ばれる結界があるが、壁の東側にも人里は幾つかある。
壁の東側はそれなりに広く、〈楔の塔〉だけでは全ての地域を守りきることは難しい。
だからこそ、魔物狩りの一族がいるのだ。
アクスとランゲはそれぞれ別の土地の魔物狩りだが、双方とも比較的〈水晶領域〉に近い里や村で暮らしている。
魔物達は基本的に〈水晶領域〉から離れることはできないが、それでもたまに人里に下りてくるものはいて、魔物狩りの一族はそういった魔物達を狩って、人々を守ってきたのだ。
リカルドの家もそうだった。
物心ついた頃から、魔物狩りの訓練を受ける日々。時に、実際に魔物狩りに連れて行かれることもあった。
……そこで、悲劇は起こった。
「自分には妹がいたんですけど、魔物退治の最中に毒を受けてしまって……余命あと数ヶ月って医者に宣告されたんです」
敵は蛇の姿をした魔物だった。気づいた父がすぐさま魔物を仕留めたが、妹は毒を受けた後だった。
自分がもう少し強ければ、周りに警戒していれば──そう、何度悔んだか分からない。
「自分は、余命数ヶ月の妹にどう接すれば良いか分からなくて……」
病床の妹は、いつも健気に笑っていた。
迫りくる死に誰よりも怯えているのは、彼女自身だったろうに。
──元気づけなくては。楽しい思い出を沢山作らなくては。
そう考えれば考えるほどリカルドは空回り、会話がぎこちなくなって、逆に妹に気を遣わせた。
「妹の前で、上手に笑えなくて、楽しませることもできなくて、どんな顔したらいいのか、どんな話をしたらいいのか分からなくて、頭がグチャグチャで……そんな時、旅の芸人さんが来たんです」
「芸人さん? 芸をする人?」
「そっすね。歌とか踊りとか手品とか……何より喋るのが上手な人で、物語を語るのがすごく上手かった」
少女が心ときめかせる、王子様とお姫様のロマンス。
思わず吹き出さずにはいられない、くだらない笑い話。
ハラハラドキドキして、それでも最後はハッピーエンドが約束されている冒険譚。
同じ話でも、リカルドが語るのと芸人が語るのとでは大違いだ。
その芸人が語れば、ありふれた昔話も臨場感たっぷりの楽しい一時になる。
「その芸人さんは妹に死が迫ってることを承知で、毎日妹のところに通って、芸を披露してくれたんです」
芸人は毎日、あの手この手で妹を笑わせてくれた。
いつも周りに気を遣って笑っている妹が、芸人の前では心から楽しそうに笑っていて、それが有難いのと同時に悔しかった。
自分は兄なのに、妹を笑わせてやれない。
そうやって自分を責めて、毎日、無力感に苛まれていた。
「自分は、何もできないのがもどかしくて……そんな時、その芸人さんが言ってくれたんっすよ」
リカルドは目を閉じ、あの日貰った言葉を思い出す。
「『お前はいつも通りでいい。笑わせるのは俺の仕事だ』……その言葉に、自分は救われたんです」
妹の前で上手に笑えなかった。気の利いたことが言えなかった。
そんなリカルドに、芸人は特別なことはしなくていい、いつも通りでいいんだ、と言ってくれた。
その言葉のおかげで、リカルドは最期の瞬間まで妹と向き合うことができたのだ。
きっとぎこちなくはあったけれど、それでも芸人にその言葉を貰う前と後では大違いだった。
「妹が死んで、その芸人さんが旅に出てからも、ずっと、あんな風になりたいって思ってて……」
「ピヨ? その時の歌が、さっきの? えっと、ポッポッ……ってしてたやつ?」
「はい。芸人さんお得意の歌とダンスで……これを見ると妹は大喜びするんです」
だってすごく元気になるでしょ? という妹の笑顔を思い出すと、胸がいっぱいになる。
思えばあの時、芸人は妹だけでなく、リカルドも笑わせてくれていたのだ。
(……あの人みたいになりたい)
自分は魔物狩りの一族で、戦いから逃げることはできない。逃げるつもりもない。戦って人々の笑顔を守ることだって、大事な役割だ。
それでも魔物との戦いの休息に、ちょっとした芸で、気の利いた話で、誰かを笑わせることができたなら……それはとても誇らしいことだと思うのだ。
「自分の同期は、ちょっと情緒が壊れてて……」
「じょーちょが、壊れる?」
「笑いながらキレる人と、悲しみながらキレる人なんで……」
「ピヨ……それは、大変……」
実際、大変なのだ。
ニコニコしながら返り血まみれで槍を振り回す男と、悲しいですと主張しながら高威力の魔術を広範囲にぶちかます女である。
それぞれの境遇を思えば、仕方のない話ではあるが。
「……だから、普通に楽しいことで笑わせたいな、って。討伐室なんて、いつ死んでもおかしくない立場だから、尚更そう思うんです」




