【27】珍しい生き物を見るように
『ゲハハハハハ! お次は、飛行用魔導具の出力を上げる実験だ! 出力を上げるってぇのは、なんでこんなに心踊るんだろうなぁ!』
……というカペル老人の手によって出力を上げた飛行用魔導具は、ティアを第二の塔〈金の針〉の方まで豪快に吹き飛ばした。もはや、砲弾から放たれた弾丸である。バレットの飛行魔術でも追いつかない速度だ。
グルングルンと回転しながら飛んでいたティアが、地面が近づくのと死が近づくのを同時に感じていたその時、足首に何かが絡まった。
ロープのような何かだ。それがティアの体を下に引っ張り、回転を止めてくれた。
(今なら……行けるっ!)
ティアはしっかりと胸を張り、両腕を広げ、背中の魔導具に魔力を流し込む。
全身が風をしっかりと受け止めているのが分かる。体が浮上していく。
「………………飛べた」
まだ、安定しているとは言い難い。辿々しい飛び方だ。
それでも、体が回転しない。きちんと風にのっている。
「わぁ……わぁぁぁ……!」
喜びに胸を震わせ、ティアは歌うように声をあげる。
「ピョロロッロ! ピョロロッロ! 飛んでる! わたし、ちゃんと飛んでる!」
感動の声を漏らすティアの足元で、「ギャァァァ」と悲鳴が聞こえた。
そういえば、足に何かが絡まっているのだった。それが錘になることで、バランスが取れたのだ。
ティアは体の傾きに気をつけながら足にぶら下がる何かを見る。
足に絡まっているのは黒革の鞭。その先端でプラプラ揺れているのは大柄な男だ。
ティアは満面の笑みでお礼を言った。
「バランスとれた! ありがとう! ぶら下がってる親切な人!」
「ふざけんなぁっ、お前も……お前も見習いかっ!」
「そう! 見習い! コンニチハ!」
ティアは足首に絡まる鞭をブンブンと振った。ご機嫌な人間が、カバンの持ち手を振るのに似ている──つまり、悪気はなかったのだ。
足元の悲鳴がますます大きくなった。
「今すぐ下ろせ!」
「もうちょっと飛びたいから、後でね!」
「クソがぁぁぁぁ!」
風を切るように、とはいかない。なんとか風をつかまえて、それにのるのが精一杯だ。
その感覚を思い出すように、ティアは体を傾ける。足元の錘が建物を掠めて絶叫する。
「アアアア! 今年の見習いどもは、どいつもこいつも最悪だな!」
「ピヨッ?」
「まとめて討伐室で引き取って、肉盾にしてやろうかぁ!?」
「…………」
ティアは琥珀色の目をキョロリと動かし、男を見下ろした。
男は唾を飛ばして、口汚く喚き散らしている。
「お前ら見習いの価値なんて、そのぐらいだろ!」
「…………」
「どうせ、大して役に立たねぇんだから、俺達の役に立って死ねっ! クソったれ!」
「………………ピョフ、フフフフフ」
ティアは思わず舌舐めずりをした。
──なんて魅力的な人間だろう。
鍛えられた頑丈な体。芳しい悪意の香りは、魔物達が生まれる深淵のそれだ。
ハルピュイアは、頑丈な体をもつ、負の感情にまみれた人間を繁殖相手として特に好む。
そういう意味で、この男はとても魅力的で都合が良かった。
もし、「愛してる」が自分の都合で他者を踏み躙る行為なら、この人間は愛するのにとても丁度良い、と思うぐらいに。
(でも、それは、セビルの言う「愛しく思う」じゃない気がする……)
愛については、ひとまず保留にしておこう。
ただ、ハルピュイアの獲物として、この男が魅力的なのは事実。
(わたしは繁殖しないから、いらないけれど、お姉ちゃん達は欲しがるかな?)
お土産にどうだろう、と男の顔をまじまじ見ていたティアは気がついた。
男の顔には×印の大きな傷痕があるのだ。
気に入った人間に印をつける魔物はいくつかいるが、その中でも〈原初の獣〉の爪痕は特に有名だ。ティアでも知っている。
〈原初の獣〉のお気に入りに、他の魔物が手を出すのは、とても良くない。
「ピヨッ? その傷……」
その時、背中の魔導具がプスッと気の抜ける音を立てた。おそらく、魔力切れだ。
風の放出が弱まり、ティアの体がガクリと傾く。
「ピョァァァァァアア!」
「ギョアアアアアアア!」
ティアと、その足にぶら下がる男の体は、グングン急降下していく。
ティアは咄嗟に急旋回し、近くにある木に突っ込んだ。
* * *
(くそっ、くそっ、くそったれ!!)
地面に倒れたダマーは悪態をつきながら、身を起こした。
飛行用魔導具で飛んでいた白髪の少女は、今にも墜落しそうだったから、ギリギリまで高度が下がったところで、鞭から手を離して着地したのだ。
勢いがついていたせいで、地面をゴロゴロ転がる羽目になったが、そこは討伐室の身体能力である。受け身を取ったので、大きな怪我はない。
「なんなんだ、今年のクソ見習いどもはぁ!!」
怒鳴った瞬間、頭上でガサリと音がし、ダマーはギョッとした。白髪の少女が逆さまになって姿を現したのだ。
どうやら少女は頭上の木の枝に、足でぶら下がっているらしい。ちょうどダマーの顔の高さに、少女の逆さまの顔がある。
少女は無表情だった。琥珀色の目は瞬きもせず、ダマーの顔を見ている。
「その傷……」
少女の白い手が、ダマーの顔の傷を指さした。
ダマーは動揺を押し殺し、不敵に笑う。
「これは、〈原初の獣〉にやられた傷だ」
無表情だった少女の顔に、表情が生まれる。それは畏怖でも敬意でもない。
図鑑で見た珍しい虫を発見した、あどけない子どもの顔だ。
「オジサンは、不思議なことをするんだね?」
「──!!」
動揺にダマーの背筋がゾクリと冷えた。
立ち尽くすダマーの前で、少女は逆さまで木にぶら下がったまま、なにやら考えこむ。
「なんだっけ、カイが言ってたの……あ、思い出した」
少女の白い指先が、ダマーの頬を包んだ。
琥珀色の目が、じぃっとダマーを覗き込む。
「『他者を人間扱いしない奴ほど、自分は人間扱いされたがる』」
無邪気で、あどけなくて、それなのに背筋が凍るような甘美な声で、少女は歌うように告げる。
「『……おもしろいね?』」
甘やかな声は耳の奥を震わせ、その震えが全身に伝わっていく心地がする。
トロリと甘い蜜と臓腑が冷える冷水を、喉から流し込まれたような甘美さと寒気。
何か恐ろしいものと対峙しているという悪寒。
ダマーの喉が恐怖に引きつる。
(なんなんだ、こいつは……!)
恐怖を振り払うべく、ダマーは拳を握りしめ、少女の顔を殴ろうとした。
だが、それより早く上空から誰かが下りてくる。鳶色の髪に革のジャケットを着た男──管理室の魔術師ウィンストン・バレットだ。
「あー、肝が冷えた……チビさん生きてるかい?」
「ピヨッ! あ、バレットさんだ! バレットさん、あのね、わたし飛べたよ!」
「うん、見てた見てた。とりあえず、あの出力だと長時間持続しないから、そこは要改善だ」
そう言ってバレットは、少女の体をヒョイと肩に担いだ。
何か言ってやらねば、と思った。こんな酷い目にあったのだ。
それなのに、喉が凍りついて動かない。
文句は山ほどあるのに、少女の甘やかで冷たい声が、耳の奥で何度も何度もこだまする。
「はい、それじゃ、お騒がせしました。撤収撤収」
「はーい。オジサン、バイバイ」
飛び去るバレットと少女の姿を、ダマーは結局無言で見送る。
喉が酷く乾いていた。握った手は、冷たい汗でグッショリ濡れている。
(……考えすぎた。あのガキに、そんなこと分かる筈がない……だが……)
機会があれば、事故に見せかけて消した方が良い。
彼の勘がそう告げていた。
* * *
「チビさん、怪我はないかい?」
「ないよ! 元気! あのね、バレットさん。この魔導具、魔力を込めたら、また練習したい」
「無理はしなくていいんだよ。あのじいさんのワガママに応えてたら、キリがないんだから」
「違うよ。わたしが、やりたいの」
バレットの肩に担がれながら、ティアは己の胸がドキドキしているのを感じた。
空を飛べたという実感からくる高揚だ。
(……飛べる。わたし、きっとまた飛べる)
最初はクルクル回転しながら直進するしかできなかったけれど、途中で錘を得たことで、感覚が掴めた。
自分は飛べる。もっと上手に、もっと速く、もっと高く!
(もっともっと上手に飛べたら、フレデリクさんみたいに、ピュンピュンできるかな)
思えばティアは今まで、何かを頑張るということをした経験をしたことが、あまりない。敢えて言うなら人間のフリはすごく頑張ったが、それは必要に駆られてしたことだ。
ハルピュイアのティアは、楽しく空を飛んで、歌を歌って、それだけで満足だった。
そんなティアの中に、初めて、競争を望む気持ちが芽生える。
頑張ってできるようになったことは、誰かと比べてみたいのだ。だって、頑張ったから。
(魔法戦、ちょっとだけ、頑張るぞー! って気持ちに、なった気がする)
それはハルピュイアの目に、小さな闘志が宿った瞬間だった。




