【26】ピョフピョフペッペポー
ロスヴィータは小柄で華奢な少女だ。とんがり帽子を被っているので、つい背が高いと錯覚しがちだが、体格はレンとさほど変わらない。
そんなロスヴィータが、自分よりずっと大柄なダマーを見上げ、怒りに満ちた声で告げる。
「さっきの言葉を取り消せ。ママは逃げてなんかいない」
「逃げたんだろ。〈原初の獣〉が怖くなって」
ロスヴィータがマントの中から数本の小枝を取り出す。その顔は怒りを通り過ぎて、憎悪にどす黒く染まっていた。
そんなロスヴィータに、ダマーがニヤニヤ笑いながら、自身の顔の傷を親指で指し示す。
「この傷が何を意味するか、お前なら分かるだろう? 〈原初の獣〉と戦って生き延びた俺を相手に、見習い風情が勝てると思うのか?」
「へぇ、勝ってもいないのに、生き延びたことを誇るんだ。それでよく、戦士の誇りだなんて言えたものね。笑っちゃう」
ロスヴィータの切り返しに、今度はダマーが頬を引きつらせた。
〈原初の獣〉とは何だろう。あの×印の傷にはどんな意味があるのだろう。
分からなかったので、レンは素直にオットーに訊ねた。
「オットーさん。〈原初の獣〉って? なんかヤバい魔物のこと?」
「そうそう。そいつがねぇ、戦って気に入った相手には、ああやって顔に印をつけんの。だからあの傷は、〈原初の獣〉に認められた証ってわけ」
共通授業でも、魔物の習性については少し触れている。
魔物の中には、気に入った獲物に印をつけて、何度も狙うことがあるらしい。印のつけ方は様々だ。傷をつけたり、体の一部を奪ったり。
なるほど、あの傷は〈原初の獣〉に敗北していると同時に、強者として認められた証でもあるのだ。
だから、ダマーはそれを誇っているし、ロスヴィータは勝ってもいないのに、と皮肉を返したのだろう。
ダマーは憎たらしげにロスヴィータを睨みながら、腰の後ろに手を回した。
彼は腰の後ろに革製の鞭をぶら下げている。乗馬鞭ではなく、蛇のように長い鞭だ。
ここは魔法戦の結界の中で、物理攻撃は効かないはず──そこまで考えて、レンはハッとする。
ダマーが口の中で何か詠唱しているのだ。
(鞭で魔法剣みたいなことする気じゃ──!)
魔導具を使った攻撃は、魔法戦の結界内でも有効なのだ。怪我はしないかもしれないが、当たれば相当痛い。
オットーとセビルが険しい顔で駆け出す。おそらく、間に割って入ろうとしたのだろう。
だが、離れた場所にいる二人より先に、ダマーとロスヴィータの間に割って入る者がいた。
ついさっきまでレンの近くで震えていた、黒髪の小柄な少年──フィンだ。
(あいつ、いつのまに……!)
フィンは真っ青な顔でガタガタ震えていた。
それなのに、短い両腕をめいっぱい伸ばして、ロスヴィータを背中に庇っている。
「そ、そういうの、振り下ろしたら、い、痛い、からぁ……っ」
フィンは涙目で鼻水を垂らしながら、引きつった声で言う。
ロスヴィータがギョッとした顔で、フィンの肩を掴んだ。
「ちょっと、そういうことしなくていいから! これは、アタシとそいつの問題で……!」
「だ、だってぇ……う、うぅぅ──……っ」
流石にこれは、あのダマーとかいう男も毒気が抜かれただろう、とレンは思った。
だが、ダマーは薄ら笑いを浮かべたまま、鞭を振り上げる。フィンとロスヴィータに鞭を振り下ろすつもりなのだ。
一度は足を止めたオットーとセビルが、剣を手に動いた。
だが、二人が近づこうとした直前、ダマーがそちらをチラリと見た。すると、ピシィッと鋭い音がして、オットーとセビルの足元に衝撃が起こる。
まるで、見えない鞭がもう一本あって、それがオットーとセビルを牽制したかのようだった。
二人が足を止めた隙に、ダマーが鞭を振り下ろす。
黒蛇のような長い鞭が風を裂いて、ロスヴィータとフィンを狙った。
──その時、誰かが二人の前に立ち塞がる。
前髪の長い少年、ゲラルトだ。
彼は手にした木箱を掲げて、ダマーの鞭を受け止めた。
鞭と木箱がぶつかった瞬間、小さな爆発が起こる。おそらく、炸裂する火の魔術を鞭に付与していたのだ。
(見習い相手に、そこまでするかよ!? なんてやつ……!)
ここは魔法戦用の結界の中なので、木箱に引火することはない。
ゲラルトも無傷だ。長い前髪には焦げ跡一つない。
「……あの。お届け物に、きました」
ボソボソと言いながら、ゲラルトは木箱を差し出した。
ダマーは太い眉をひそめて、ゲラルトを睨む。
「その荷物は管理室に手入れさせた、討伐室の武器だな?」
「……はい、お届けに」
「管理室から預かった物を、盾にするとは良い度胸だな? ……処分ものだぞ」
ダマーが鞭で地面をピシャリと叩いた。
ゲラルトは俯きながら「すみませんでした……」とボソボソと謝る。
そこにようやく追いついたオットーが、割って入った。
「ダマーさん、そのへんにしときましょう。相手は見習いなんですから」
「うるせぇ、守護室の腰抜けは黙ってろ」
「まぁまぁまぁ」
オットーは穏やかにたしなめるが、ダマーはなかなか苛立ちを収めない。明らかにオットーの方が年上なのだが、年長者を敬う気持ちはないらしい。
このままでは埒が明かない。
ようやく追いついたレンは、セビルに早口で話しかけた。
「オレ、ひとっ走り〈金の針〉に行って、偉い人呼んでくるっ」
「……待て、レン。声がする」
誰のだよ、と言いかけてレンは口をつぐんだ。
レンの耳にも届いたのだ。
「ピョフピョフペッペポーーーーーーーーーー!!」
悲鳴なんだか、鳴き声なんだか、奇声なんだか分からない、ティアの声が。
レンとセビルは声の方に目を向ける。空だ。空から何かが降ってくる──グルングルンと回転する白髪の少女が。
セビルとレンは同時に声を上げた。
「ティア!」
「何やってんだあいつ──!?」
金属製の箱に鉄板を複数つけた物を背負ったティアは、グルグルと前転しながら弾丸のように飛来した。
その足に、ダマーが振り上げた鞭が絡まる。
「ピョフゥゥゥゥゥ!!」
それが、タイミングが良かったのか、悪かったのかは分からない。
ただ、地面に追突するかに見えたティアの体は、足首に鞭が絡まった途端、グングンと急浮上を始めたのだ。
絶叫するダマーを、足にぶら下げたまま。
レンもセビルもオットーも、ロスヴィータもフィンもゲラルトも、誰もがポカンとした顔で空を見上げている。
「ピョロロッロ! ピョロロッロ! 飛んでる! わたし、ちゃんと飛んでる!」
「ギャアアアアアア! 下ろせぇぇぇぇ!!」
ご機嫌なティアの声と、ダマーの悲鳴が青空に響き渡った。




