【20】ティア、大人になる
見習い魔術師ルキエ・ゾルゲは、作業机の前に座り、黙々と塗料を練りながら、先ほどのやりとりを振り返っていた。
(……少し、きつく言いすぎたかも)
ルキエは魔導具職人として仕事ができればそれで良くて、人間関係に興味がない。というより、できれば放っておいてほしい。
ティアとユリウスが喧嘩しようが何しようが、ルキエには興味がなかった。
ただ、職人が作った物を粗末にするのは許せない。
(あの腕輪、金属や宝石部分を加工するだけで、どれだけ時間がかかると思ってんのよ。魔導具のベースになるって、それだけですさまじく手間がかかるのに、それを床に叩きつけるとか馬鹿の極みだわ。というか、物の価値が分からない子どもに腕輪を押しつけて仲良くしようとか言い出すユリウスも大概に馬鹿者よ。どいつもこいつも魔導具をなんだと思ってんの)
思い出したら腹が立ってきて、塗料を練る手に力がこもった。
すぐそばのテーブルでは、管理室室長のカペルと、その補佐役のバレットが飛行用魔導具の羽の角度について話し合っている。
こういう風に、魔導具について熱意を持って語り合う人間がいることが、ルキエには嬉しい。いっそ、この作業室に寝泊まりしたいと思うぐらいに。
その時、バタンと音を立てて扉が開いた。
ペタペタと走りながら駆け込んできたのは、先ほど部屋を出て行った白髪の少女──ティア・フォーゲルだ。
* * *
先ほどの作業室に駆け込んだティアは、ペフッペフッと呼吸を整えながら部屋の中を見回す。
カペル室長とバレット、そしてルキエ。さっきと同じ顔ぶれがそこにいることを確認し、ティアは言った。
「さっきのわたし、良くなかった! 魔導具に頼るのは、気持ち悪いじゃなくて、悔しいだった! 空を飛べなくて魔導具に頼るの悔しかった! でも……」
道具を頼ることを悔しいと思う気持ちは変わらない。
だけど、自分の中にある悔しさに気づいたら、ちゃんとそれを咀嚼し、呑みこむことができたのだ。
悔しさを腹の奥にグッと押し込み、向き合わなくてはいけないものがある。
「道具を作ってくれた人のこと、ちゃんと考えてなくて、ゴメンナサイ」
それはこの場にいる三人に向けた言葉だったけれど、何故かカペル室長とバレットが、同じ動きでルキエを見た。
年長者二人にジッと見られたルキエは、気まずそうに視線を彷徨わせ、ボソリと呟く。
「……結局、どうするの。飛行用魔導具。使うの、使わないの」
「使う。使いたい、です」
〈楔の塔〉に来て、レンやセビルにたくさん助けてもらった。それが嬉しかった。
道具に助けてもらう時も、その気持ちを忘れないようにしよう。
ティアは目を閉じ、自分の胸に言い聞かせる。
(便利な道具を作ってくれた優しい誰かに、ありがとうの気持ち。大事。すごく大事)
そうして覚悟を決めて目を開いたら、すぐ目の前に老人の顔のアップがあった。
ティアは仰け反り叫ぶ。
「ピョフゥッ!?」
「言ったな? 使うと言ったな? よし、早速試運転だ! バレット! 記録用紙を持ってこい!」
「あー、俺はね、無理に使わなくても良いと思うんだよ……うん」
消極的なバレットを、カペルは「バカモン!」と一喝する。
そうしてカサカサと素早い動きでティアの背後に周り、肩を押してバレットの方を向かせた。
「見ろ! この子どもの希望に満ちた目を!」
ティアは完全に敵を警戒する目をしていた。
フシャァッと鳴きながら臨戦態勢をとるティアに構わず、カペルは捲し立てる。
「純粋な子どもの希望を潰す気か!」
「いや、でも、安全性……」
「お前がいるから、問題なかろう」
カペルの一言に、バレットは深々とため息をつく。
「……はいはい、善処しますよ。まったく、自分の欲望に忠実なじーさんなんだから……」
* * *
飛行用魔導具にいくつかの調整をしてから、カペルはティアとバレットを連れて外に出た。
ルキエは作業室で塗装練りの作業を続けているけれど、窓の向こう側に見える彼女は、さっきとは座っている位置が違った。窓の外が見える位置だ。
ティアは手を振ったけれど、ルキエは手を振り返してはくれなかった。
「さて、それじゃあ早速、説明を始めるぞ!」
カペル室長はウキウキとした様子で、手にした魔導具を掲げる。
飛行用魔導具は簡単に言うと、金属の箱に金属板でできた翼を取り付けた物だ。箱には背負いやすいように革ベルトがついている。
「これを背負う! 魔力を流し込む! そしたら風が出て浮くから、あとは適当にバランスを取れ! 以上!」
「室長。雑すぎますって……」
「馬鹿め。子ども相手に説明する時は、専門用語を使わず、分かりやすく簡潔にが基本だ。ほれ、早速背負ってみろ」
はぁい、と返事をして、ティアは飛行用魔導具を背負う。肩紐とは別に、胸の上でも固定するベルトがある。それぐらいしっかり固定しないと危ないのだ。
背負った魔導具は、それなりに重かった。ティアは力が強いので負担になるほどではないが、空を飛ぶことを考えると、もっと軽い方が良いのではないかと思う。
実際、カペル室長もそう考えているようだった。
「軽量化が目下の課題でな。だが、軽くしすぎると脆くなる。そのバランスが難しいんだ……よし、ベルトの調整は大丈夫だな。そしたら、箱の横にあるレバーを引いてみろ」
「レバー?」
「箱の横から出てるやつだ」
言われた通り、ティアは手探りでレバーなる突起を掴んで引く。すると、背後でカション! と音がした。
恐る恐る振り向くと、折り畳まれていた金属の翼が大きく広がっている。
「ピヨッ、すごい! 羽が広がってる!」
「そうだろう、そうだろう。狭い場所を歩く時に、羽が広がってると邪魔になるからな」
確かに、狭いところを歩く時に羽が広がったままだと、人や物に衝突しかねない。よく考えられている。
きっとこれが、エラが言っていた「道具を作ってくれた人の優しさ」なのだ。
ティアがそのことを実感していると、カペルは拳を握りしめて力説した。
「なにより変形はロマンだからな! ロマン! 効率だけにこだわってたら、職人なんぞやってられんわ!」
作り手の優しさは? とティアは思った。
バレットが乾いた笑いを浮かべて、口を挟む。
「室長、ロマンだけじゃ飯食えませんから。使い手の都合も考えてくださいよ」
「はん、使い手の都合なんぞ、どうでもいいわ! ワシが作りたいから作る! 採算だのなんだの面倒なことは財務室の奴らに押しつけておけ! ゲハハハハ! 好きに作って金儲けもできるんだから笑いが止まらんわ!」
エラの真摯さに触れたティアは、道具を作ってくれた人への感謝を忘れないようにしよう、と思った。
その気持ちが、すごい勢いで吹き飛んでいく。
(人間って、色々なんだなぁ……)
ティアが、一つ大人になった瞬間であった。
そんなティアに、カペルが上機嫌に告げる。
「さぁ、お待ちかねの試運転の時間だ。早速魔力を込めてみろ」
「ピヨッ、そうだ、カペル室長。わたし、魔力放出下手で、いっぱい出しちゃうの。今日の訓練で紙をボロボロにしちゃったけど、魔導具は大丈夫?」
「紙をボロボロ? あぁ、そういう訓練やっとったなぁ……その後、魔力耐性が高い紙を使わなかったか?」
「使ったよ。それなら、ちゃんとできた」
「なら、問題ない。魔導具っていうのは、多少多めに魔力を流し込んでも、必要な分以外は弾くようにできとるんだ。逆に、魔力放出が苦手な奴でも使えるように魔力誘引効果も盛り込んでるしな」
つまり、ティアのように魔力を流しすぎたら余計な魔力は弾き、エラのように魔力放出が苦手な者からは、ちゃんと魔力を引き出せるというわけだ。よくできている。
「意図して大量の魔力を流し込まん限り、壊れることはないから安心しろ」
「ピヨップ!」
元気にひと鳴きして、ティアは背中の魔導具に魔力を込める。
ハルピュイアの姿だと、魔導具を壊してしまうけれど、人間の姿ならギリギリ大丈夫だ。
背負った魔導具が、フォンと軽い音を立てる。
そして、ティアの体は軽く浮き上がり……次の瞬間、魔導具から吹き出した風に押され、グルグルと前転をしながら空中を転がっていった。
転がりながら、飛んでいるのだ。
「ピョェエエエエエエエエエエエエエエエエ!!」
このままでは駄目だ。
ティアはグンと胸を張り、両腕を広げてバランスを取った。
胸を張った拍子に前転が後転になり、風の射出口の向きが変わったせいで、ティアの体はクルクル回りながら、空中にポーンと投げ出される。
さながら、噴水に噴き上げられたかのように。
「ペフブゥーーーーー!」
空中に投げ出されたティアの体を、誰かが捕まえた。バレットだ。どうやら飛行魔術で助けに来てくれたらしい。
ティアはグルグルと目を回しながら、訴える。
「ピヨ……バレットさん……これ、わたしの知ってる、『飛ぶ』と違う……ペフッ」
「うん、まぁ、空中を転がってるって感じだったわな……」
バレットはティアを肩に担いで、ヒラリと地面に降り立つ。
地面に下ろして貰ったティアが、ペフゥペフゥと鳴いていると、カペルが素早く詰め寄った。
「いいぞ、いいぞ……空中でのバランスの取り方が絶妙に上手い。しかも体が軽くて、高い所を怖がらないときた。こいつは逸材だな……!」
ティアが背負った魔導具に損傷がないことを確かめると、カペルは目を爛々と輝かせて宣言した。
「よし、羽の角度を変えて再挑戦だ。どんどん行くぞぉ!」
「ペフヴゥゥゥゥ!?」




