【13】お金で救われた人、救われなかった人
「ユリウスのこと、あんまり嫌わないで欲しいんだ……」
フィンの言葉にセビルが「ふむ」と何か考え込むような顔をした。
「確かお前は、ユリウスとは宿舎で同室であったな」
「うん……」
フィンが頷き、ティアをチラチラと見る。
ティアはセビルに引っつくのをやめて、フィンをじっと見た。その視線に萎縮するみたいに、ますますフィンが俯く。あれは弱い生き物の仕草だ。
(でも……)
ティアはちょっとだけ考える。
これは最近学んだことだが、大抵の人間はセビルに対して萎縮するのが普通らしい。何故なら、皇妹殿下は強い生き物だからだ。
それを思うと、自分から話しかけてきたフィンは、まだ勇気がある方なのかもしれない。
「オイラ、学のない木こりの息子で、勉強に全然ついていけなくて……宿舎でユリウスに勉強を見てもらってるんだ」
〈楔の塔〉は入門試験さえ受ければ、誰でも魔術を学ぶことができる。そのため基礎学力にばらつきがあり、ティアのように文字の読み書きや計算が危うい者も時々いた。フィンもその一人だ。
ティアは、フィンが自分と同じように課題の紙を貰っているところを、何度か見かけている。
「オイラの家、兄弟多くて……オイラ、足が悪くて足手纏いだから、口減らしで〈楔の塔〉に送られたんだ」
言われてみれば、フィンはいつも足を引きずったような歩き方をする。
背が低くて、いつも俯いてボソボソ喋り、足を引きずり歩く少年。それがフィン・ノールだ。
「オイラ、雑用係でも良かったけど、駄目で元々の気持ちで試験を受けたら合格して……でも、全然授業についていけなくて……えっと、オイラの話はどうでもよくて」
ポツポツと自分の事情を語っていたフィンは、ブンブンと首を横に振り、顔を上げてティアを見た。
「ユリウス、人に勉強教えるのが好きなんだ。だから……ティアとエラに魔力操作技術を教えるって言ったのも、自分の実力見せつけるとか、そういうのじゃないと、思う……」
どうやらフィンは、ユリウスが実力を見せつけようとしたのが不快で、ティアが激昂したのだと勘違いしたらしい。
実際はそれ以前の問題で、ティアが友達というものに凄まじく拒絶感があるからだったのだが、ティアは黙っていることにした。
周りがそう勘違いしているのなら、それでいいや、と思ったからだ。
黙って話を聞いていたセビルが、呆れ顔で口を挟む。
「だが、ユリウスの誘い方には問題があるぞ。物を贈れば友達になれるという発想が気に入らん」
フィンが痛いところを突かれた顔になる。太い眉毛が情けなく垂れた。
「それは、まぁ、あるけど……ユリウス、すぐお金で解決したがるし……」
お金。それがどういうもので、人間はそれにどういう価値を見出すか、ついでにどういう風に使うかをティアは知っている。人間の勉強をする時に教わったのだ。
(ユリウスは、お金で解決したがる人……)
そのことについて、ティアは特に思うことはないが、セビルはあまり良く思っていないようだった。
しかめっ面になるセビルに、フィンが萎縮した態度で言う。
「でも、ユリウスは悪いやつじゃないと思うから……嫌いにならないでくれると嬉しい。それだけ言いにきたんだ」
フィンはペコリと頭を下げると、第一の塔〈白煙〉の方に戻っていった。足を引きずるみたいなすり足でだ。
その背中を見送り、ティアは人間の常識について教わった時のことを思い出す。
行き倒れのティアを拾った男──カイはポケットから丸くて平たいピカピカを取り出して、こう言った。
『そうだ、ティア。良い物をあげよう』
『これなぁに? ピカピカしてるね』
『金貨だよ。機会があれば、金貨を見た人間の反応をよく見てみるといい』
人間性が垣間見えて楽しいよ、と呟くカイは薄く笑っていた。
カイは楽しくないのに笑う男だ。そういうところがとても人間らしいとティアは思っている。
別にカイが人間か魔物かどうかに、興味はないけれど。
『カイは金貨が好きじゃないの?』
『便利ではあるけれど……金貨は、俺を救ってはくれないからね』
そう言ってカイは肩を竦めた。
本当にどうでも良さそうな、そして少しだけ寂しそうな顔で。
(ユリウスは、お金で救われた人なのかな。それとも救われなかった人なのかな)
ティアは、フィンが言っていたことを全て真に受けたわけではない。
そもそもフィンだって、ユリウスと知り合って日が浅いのだ。ただちょっと勉強を教えてもらっただけで。
(……でも、フィンは、それがすごく嬉しかったんだろうな)
その気持ちはティアもちょっと分かる。
ティアも、レンやセビルに勉強を教えてもらって嬉しかった。
誰かがレンとセビルを嫌いと言ったら悲しいし、二人の良いところを教えに行きたいと思う。さっきのフィンのように。
(ユリウスと友達になりたいとは思わないけれど、ユリウスがどういう人なのかは、知っておいた方が良い気がする……)
自分が属する群れを大事にしないといけないのは、ハルピュイアも人間も同じなのだ──そうティアは学び始めていた。
* * *
共通授業の後、第一の塔〈白煙〉内で昼食を食べてから、午後の個別授業が始まるまでの時間は、見習い魔術師にとっての昼休みだ。
レンはいつも、食堂でダラダラしたり、少し早めにヒュッター教室に行ってティアやセビルと他愛もない話をしたりするけれど、今日はどちらもしなかった。
ボソボソと一人で食事を食べたレンは、特に目的もなく廊下をぶらぶら歩く。なんとなくティアが向かわなそうな日陰の方へ。
ティアに会いたくなかった。会ったら、何か刺々しいことを言ってしまいそうで。
『友達なんていらないっ!!』
さっきからずっと、ティアの慟哭が胸に刺さっている。
レンは己の胸を押さえて、唇をギュッと曲げた。
(あっそう、じゃあオレとも友達になりたくないんだ。へー、そうかよ。オレは友達になりたいって思ってたのにさ)
廊下の突き当たりに来てしまった。
レンは足を止め、その場にズルズルしゃがみ込む。
(もう……友達なんじゃないかって、思ってたのにさ)
子どもの頃、こっそり屋敷を抜け出して、外に遊びに行った時のことを思い出した。
その日は友達になれたと思ったのに、後でバイヤー商会の妾腹の子だとバレて、もう遊んでもらえなくなったのだ。
──あの子は友達じゃないよ! 知らない子!
昨日遊んだ子が、他の友達相手に手のひらを返した瞬間を今でも覚えている。
なんだか酷く惨めな気持ちで、レンは洟をすすった。
その時、背後で足音が聞こえた。二人分の足音に、一瞬ドキッとする。ティアとセビルではないかと思ったのだ。違った。
「ローズよ、こっちだ。レンを発見した」
「あ、いたいた! おーい、レン!」
レンは目元を擦って、少しだけ振り返る。
こっちに近づいてくるのは、見習い魔術師の駄目な大人代表──ツンツン髪のオリヴァーと、モジャモジャ赤毛のローズだ。
二人は廊下の突き当たりにしゃがむレンを、左右から挟んでしゃがむ。
右にオリヴァー、左にローズ。
デカい大人二人に挟まれると、妙に圧迫感がある。普段左右にいるのがティアとセビルなので尚更に。
「……なんだよ」
レンがぶっきらぼうに言うと、ローズがモジャモジャヒゲを近づけて、レンに小声で言った。
「オレ達と、イイコトしようぜ!」
「は?」
今度はオリヴァーが厳かな口調で言う。
「お前に、大人の遊びを教えてやろう」
「はぁ?」




