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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
二章 新人教師と見習い魔術師達の日々
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【21】冬になったらまた


 洞窟の中で、ハルピュイアと人間二人が、なにやらヒソヒソ話を始めた。

 何を始めるつもりかしら、とジャックが気体の体をハルピュイアに近づけた瞬間、琥珀色の目がジャックの意識のある辺りをギョロリと見た。

 やはり、こちらの居場所に気づいているのだ。

 そうなるとますます、あのハルピュイアのそばに近寄りたくなくなった。

 ハルピュイアの歌は近くにいるほどよく効く。指向性の高い歌を操る女王相手ならなおのこと。


(あの、魔物を滅ぼす歌……あまり、近くでは聞きたくないな)


 ハルピュイアは間抜けにも、人間の体を温めるのに夢中になって、歌を歌うことを忘れているらしい。


(魔物を滅ぼす歌が、どれぐらいの時間でボクを殺すかは、分からない)


 あのハルピュイアは元の姿に戻れる時間が限られているから、魔物を滅ぼす歌は確実な攻撃手段ではないのだ。

 ハルピュイアは本来、何時間でも歌っていられる生き物だ。それが群れを成して歌を重ねて襲ってくるからこそ脅威なのだが、あのハルピュイアはひとりぼっちで、かつ時間制限付きだ。そこに付け入る隙がある。

 その時、黒髪の女が立ち上がり、積み重なった岩を曲刀の柄で叩き始めた。岩を崩して逃げ出すつもりだろうか?


(だったら、無駄だよ)


 ジャックは岩や石の隙間に冷気を流し込み、凍り付かせる。これで、簡単には崩せないはずだ。

 黒髪の女は出口付近の岩や土を削って、穴を作っている。その際に、何やら角度を気にしているようだった。

 金髪の少年がハルピュイアの羽に包まりながら、細かく指示を出している。

 やがて、拳一つ分ぐらいの穴を掘り、黒髪の女がハルピュイアに声をかける。


「ティア、良いぞ」


「ピヨッ、了解!」


 ハルピュイアは鳥の魔物だが、翼の先に人の手に似た部位がある。その手が何かを握りしめていた。

 あれは、先ほどジャックに火球を放った、赤い蝶のブローチだ。人間が作った魔導具という代物だ。


(また、火球を放つ気? ううん、あれに連発できるだけの魔力はない……)


 ハルピュイアがブローチを握りしめて、魔力を流し込む。

 ジャックはハッとした。もしかしてあのブローチは、魔力を沢山流し込むと、また使えるようになるのだろうか?

 だとしたら、厄介だ。


(そうなる前に、ブローチを氷漬けに……)


 ジャックがブローチに近づくのとほぼ同時に、ハルピュイアが先ほど掘った穴にブローチを置いた。

 火球が飛び出すのだろうか。氷漬けにしなくては──ジャックが気体の体を近づけた瞬間、ブローチが眩いほど強く輝く。


(……え)


 次の瞬間、ブローチが爆発した。火球を放ったのではない。内側から爆ぜたのだ。

 ジャックは人間達が使う、魔導具の存在こそ知っていたが、それを魔物が使うとどうなるかを知らなかった。

 洞窟の氷が砕け、そして、ジャックの体は散り散りに霧散する。

 一方ハルピュイアは、羽を広げて人間二人を庇っていた。こちらはほぼ無傷だ。だから、細かく向きを調整していたのか。


「今だ! 外へ!」


 黒髪の女が叫び、ハルピュイアと少年の手を引いて外に飛び出す。


(いけない、いけない、逃してしまう……!)


 それでも今は自分の体を保つことを考えなくては。このままだと、ジャックの体は霧散して消滅してしまう。

 だが、ジャックが己の体を維持しようと躍起になったその時、ハルピュイアが歌を歌った。


 ──精霊讃歌。


 精霊に捧げる歌が響くと同時に、風の下位精霊達が集まった。

 下位精霊達の起こす風が、ジャックの体を攫っていく。

 たかが下位精霊の風ごときに、とジャックは嘆いた。あのブローチの爆発で、体が霧散していなければ、まだ体を保てたのに!


(あぁ、もう駄目みたい。体がバラバラになっちゃった……)


 強烈な眠気が、ジャックを襲う。体が限界を迎えたのだ。

 今から〈水晶領域〉に戻り、自分が見たものを伝えるのは無理だろう。

 だから、ジャックは最後の力でハルピュイア達に告げる。


『おやすみなさい、さようなら。冬になったら、会いましょう』


 そうしてありもしない目を閉じ、空を揺蕩いながら冬の魔物は考える。

 本来なら極彩色の美しい羽を持つ、ハルピュイアの女王。

 羽を奪われ飛べなくなって、極彩色と繁殖能力を手放し、人間の振りをしている哀れな魔物。


(あのハルピュイアの置かれた状況……誰かの悪意を感じる)


 それは深く重く、そして粘ついた悪意だ。

 その悪意があのハルピュイア個人に向けられたものなのか、ハルピュイアという種に向けられたものなのかは分からない。

 ただ、苦しめ、苦しめという暗く重く偏執的な悪意を感じるのだ。

 あの白翼のハルピュイアは、遠くない将来きっと破滅するだろう。そうなるように、仕向けられている。


(可哀想なハルピュイア。次の冬まで生きていられたら、また会おうね)



 * * *



 ティア達が洞窟の外に飛び出すのとほぼ同時に、背後でガラガラと音がした。洞窟が崩れ落ちたのだ。

 ティアは周囲に意識を巡らせた。あの冬の魔物ジャックの、強くて冷たい魔力はもう感じない。多分、風の精霊達が散り散りにしてくれたのだ。

 ティアが「精霊讃歌」の最後の一節を歌い終えると同時に、飴の効果が切れた。

 羽が体の内側に収納されていく。足が変形する。


「うぎゅぅぅぅぅ……うぐぅー」


 地面をのたうち回るティアに、レンとセビルが駆け寄った。

 レンがティアの手足を見て、ぎゅぅっと眉根を寄せる。


「おい、大丈夫なのか、これ。なんか、腕が裂けて……」


「ペフゥ……うぅ、人に化けるの、すごく痛いの……でも大丈夫。死なないから……」


 ペフゥペフゥと喉を鳴らしていると、ティアの体をセビルが正面から抱き止めた。


「しばらく、こうしていると良い」


「駄目だよセビル。わたし、力強いから、痛くしちゃうかもだよ。わたし、セビルに酷いことするのイヤだよ?」


「……わたくしは鍛えているから平気だ!」


 セビルが不敵に笑ってティアを見る。その顔を見たら、なんだかティアは酷く安心してしまって、セビルの体をギュウギュウに抱きしめた。

 筋肉質でしなやかなセビルの腕が、しっかりとティアを抱きしめ返してくれる。

 あの冬の魔物の冷たい抱擁とは違う。嬉しくて温かくて幸せな抱擁だ。


(でも、これが最後かな。正体バレちゃったし……)


 少し切ない気持ちで、ティアはセビルにしがみつく。

 そんなティアの背中を軽く撫でながら、セビルがレンに言い放った。


「さぁ、レン。今のうちに、ティアの正体とこの状況を誤魔化す、言い訳を考えておけ!」


「丸投げかよ!」


 怒鳴り返したレンは、ポカンとしているティアにウィンクをした。

 美少年ウィンクだ。


「心配すんなよ。いざとなったら、オレの美少年オーラに、魔物が逃げ出したってことにしとくからさ」


「ピロロロ……流石にそれは無理だと思う……」


「じゃあ一緒に考えろよ!」


 そう言ってレンはボソボソと小声で付け足す。


「……〈楔の塔〉で飛行魔術覚えんだろ」


「うん! ……うんっ!!」


 レンの言葉に嬉しくなって、ティアは何度も頷いた。

 やがて、ティアの羽が腕の中に完全に引っ込む。足も人間の少女のそれに変化していた。

 裸足のティアに、レンが「ほれ」と言って、ティアのシャツとブーツを差し出す。どうやら、洞窟を逃げる時に拾ってくれたらしい。


「ありがとう! レン!」


「良いから、早く着ろよ! もう!」


 レンが何故かそっぽを向きながら早口で言う。

 ティアはモゾモゾとシャツを着込み、ブーツを履く。

 その間、セビルは洞窟のそばに倒れている雪猪の死骸を検分していた。

 ティアが着替え終えたのを確認し、セビルが問う。


「ティア。この魔物は、お前が仕留めたのか?」


「うん。魔物を殺す歌。感情がぐわ〜ってならないと歌えないの。あと、魔力の消費がちょっと大きい」


 答えながら、ティアも雪猪の死骸を観察する。

 この雪猪は、ティアの歌で体を構成する魔力が崩壊し、死んだものだ。故に目立つ外傷は殆どないが、よく見ると胸の辺りに複数の刺し傷がある。


「これ、なんだろ?」


 ティアが近づいて見ると、レンとセビルも同じようにその傷を覗き込む。

 恐々と傷口を観察したレンが言った。


「調査室の誰かが攻撃魔術使ったか、守護室のオットーさんじゃないか? 特にほら、オットーさんは魔法剣使ってたし」


「それはおかしい」


 即座に否定したのはセビルだ。

 セビルは物怖じせず、雪猪の傷口付近の毛皮をかき分けた。


「四つ足で勢いよく走る猪だぞ? 背中や脇腹ならともかく、胸部に剣を刺すのは困難だ。それと、オットー殿の魔法剣は火属性のものだった。攻撃を受けたのなら、毛皮に焦げ跡の一つぐらいはあるものだろう」


 ティアもセビルに同意見だった。

 この雪猪の胸の傷は、何か不自然なのだ。

 三人が、他に不審な点はないか調べていると、木々をかき分ける音がした。

 セビルが咄嗟に身構え、曲刀の柄に手を伸ばす。だが、ティアはその足音ですぐに誰か気づいた。


「ヒュッター先生!」


 ローブの裾を揺らしながら、こちらに向かってくるのは、ティア達の担当指導員ヒュッターだ。


「おー、お前らこんなところで何して…………うおっ、なんだその白いの!? 猪?」


 ヒュッターは三人の前にある雪猪の亡骸にギョッとしていた。どうやらここまで、魔物に遭遇していないらしい。

 ティアはヒュッターに話したいことがあった。

 教えてもらったばかりの蒸発の知識が役に立ったのだ。それをヒュッターに報告しようとしたら、レンがティアの脇腹をつついて小声で話しかけた。


「おい、ティア。手伝え。ヒュッター先生にバレないように、この石を動かすんだ」


「ピョエッ?」


 レンが指し示しているのは、崩壊した洞窟の石だ。そこそこ大きいが、ティアの力なら押して動かすぐらいは問題ない。

 ティアとレンが二人がかりで、コソコソと石を動かしている間、セビルがヒュッターに話しかけた。


「見ての通り、魔物と遭遇したのだ。調査室の三人と守護室のオットー殿が、身をていしてわたくし達を逃してくれた。だが、逃げた先で別の魔物に遭遇したのだ」


「成程。じゃあ、救難信号の狼煙上げとくか……あー、いや、あっちにも狼煙上がってんなぁ。あの色は調査室のもんだ。まずはそっちに合流しとくか」


 ヒュッターが空の狼煙を見上げている間に、ティアとレンは大きな石を雪猪の近くに動かす。レンは石を動かした地面の跡を足で払って、サッサッと消した。

 そのタイミングで、ヒュッターが雪猪に目を向ける。


「しっかしまぁ……よくもこんなデカい魔物を、お前らだけで……」


「遭遇したのは、この魔獣だけじゃないぜ。人の形をした奴もいた。多分上位種だ」


 レンがティアとセビルに目配せをして口を開く。

 口裏合わせろよ。とその目が言っていた。


「上位種の魔物と、このデカい猪に襲われてさ、もう駄目だと思ったんだけど、セビルのブローチで撃退したんだよ。ほら、火球が出るやつ」


「マジで兵器だったのか……よし、セビルの解答にプラス十五点してやろう」


 そう呟いたヒュッターは、「うん?」と訝しげに雪猪の亡骸を見た。


「でも、こいつは焼け焦げた跡がないぞ? 本当に火球で倒したのか?」


 ギクリとしたティアの顔が見えぬよう、セビルがさりげなく背中に庇う。

 レンはごく自然な口調で続けた。


「オレ達、その魔獣から逃げようとそこの洞窟に入ったら、洞窟が崩れて閉じ込められちゃってさ」


「あー、きっとこいつが体当たりしたんだろうなぁ」


「それで、一か八かで、もう一回魔導具のブローチを使ってみたら、暴発しちゃってさぁ。まぁ、ギリギリ脱出できたんだけど」


「よく生きてたな、お前ら」


 目を丸くするヒュッターに、セビルが「普段の行いが良いからな!」と堂々とした態度で言い放つ。

 レンが先ほど動かした大きな石を指さした。


「あの猪は、魔導具が暴発した時、あの石がぶつかったんじゃないかな?」


「あー、なるほど、打ちどころが悪かったのかもなぁ」


 ティアは素直に感心した。流石はレン、頭脳派美少年だ。

 セビルの陰から「すごい!」の視線を送るティアに、レンが一瞬得意気に笑う。その顔がこう言っていた。「頭脳派美少年だからな!」。

 セビルが腕組みをし、指揮官の風情を漂わせて言う。


「下位種にしろ、上位種にしろ、魔物がこの地域に現れるのは只事ではあるまい。すぐに〈楔の塔〉に戻って報告し、討伐隊を組んでもらった方が良いだろう」


「おー、そんじゃまぁ、狼煙の方に向かって、調査室と合流するかぁ……と、その前に」


 ヒュッターは言葉を切り、ニヤリと笑う。


「お前ら三人で工夫して、危機を乗り越えたんだな。よくやった。百点満点だ」


「ピヨップ! 褒められた!」


「美少年パワーのおかげだな」


「わたくしの機転と魔導具のおかげだな」


「いや待て、セビルがいつ機転を効かせたよ? 頭脳労働したの、ほぼオレじゃん」


「わたくしは戦闘時に細かく機転を効かせて動いているのだ。見る目が足りぬな、レン」


「ピロロロッロ! 嬉しいの歌! ピロロッ、ピロロッ!」


 夕焼け空の下、レンとセビルの楽しげな応酬とティアの歌が響き渡る。

 ヒュッターがヤレヤレと小さく苦笑した。


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