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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
二章 新人教師と見習い魔術師達の日々
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【11】何かになりたい生き物達


 ティアの前方をレンがタッタカ走る。それをティアはペタペタ走って追いかけた。

 タッタカ、ペタペタ。

 タッタカ、ペタペタ。

 ティアは人間の足で走ることに慣れていない。なので鈍足ではあるけれど、体力があるので人間よりずっと長く走っていられた。

 レンは特別足が速いわけでも、体力があるわけでもないので、ティアが追いつくのはあっという間だった。

 第一の塔〈白煙〉を出て、塔と塔の間にある庭園のような場所で、レンは荒い息をしながら足を止める。

 レンが振り向き、ティアを睨んだ。走り疲れたのか、その顔は真っ赤だ。


「なんで、追っかけてくんだよ」


「うーんと……なんでだろ?」


 何か、追いかけようと思った理由がある気がする。

 理由〜、理由〜とティアが首を捻っていると、レンがハァッとため息をついて、その場に座った。

 庭園にはフカフカの芝が生えている。ティアもレンの隣に座った。

 レンがしているみたいに、膝を抱えて座り、ティアは歌を口ずさむ。

 慰めようとか、間をもたせようとか、気まずい空気を払拭しようとか、そういうことを思ったわけじゃない。

 天気が良いからとか、芝の香りが気に入ったからとか、そういう理由で、ハルピュイアはなんとなく歌う生き物なのだ。

 これでも人のフリをしている間は、割と自重している。


「『ララルゥア・ララルゥア・メーテア、ララルゥア・ララルゥア・メーテア、ララルゥア・アルシェ・ディーアーヴァ』」


「……なんだよ、それ」


 レンが膝を抱えてティアを見る。ティアはちょっと名残惜しく思いつつ、歌を止めた。


「晴れた日で気持ちいいから、みんなおいでよ! の歌」


「なんで歌った?」


「歌いたかったから?」


「…………」


「ピョッ! そうだ、歌ってたら思い出した! レンを追いかけた理由!」


 レンがギュゥッと顔をしかめる。まるで、これから痛いことが起こるから、それに耐えようとしているみたいな、そんな顔だ。

 なんでそんな顔をするのだろう。蹴ったりつついたりなんて、しないのに。

 不思議に思いつつ、ティアは口を開く。


「あのね。さっき、ヒュッター先生が訊いたでしょ。魔術で何をしたいか? って」


「……おう」


「それにね、レンがお金持ちになりたいって答えたのが、不思議だったの」


 レンの眉間に深い皺が寄る。そのくせ、恥ずかしがるみたいに顔が赤いのはどういうわけだろう。

 レンがボソボソ言った。


「どうせお前も、馬鹿みたいだ、軽薄だ、くだらないって思ったんだろ」


「ピロロロロ……そういうのじゃなくて」


 ティアはピロピロと喉を鳴らしながら、懸命に言葉を探す。


「魔術で何をしたい? って訊かれて。わたしは空を飛びたい、セビルは魔法剣を使いたいって答えたでしょ。なのに、レンは何かになりたいって答えたから、それがよく分からなかったの」


「質問に対する答えが噛み合ってないって?」


「そんな感じ。レンは何かになりたいの?」


「当たり前じゃん。立派な魔術師になりたい、金持ちになりたい、偉い人間になりたい……普通は何かになりたがるもんだろ。『何かをしたい』と『何かになりたい』は、大体繋がってるんだから」


 レンの言葉は、ティアにとってちょっとした衝撃だった。

 だって、ティアは何かになりたいと思ったことはない。ハルピュイアのままでいい。

 今でこそ人の姿をしているけれど、それは飛行魔術を学ぶための手段で、別に人間になりたかったわけではないのだ。


「……人って、何かになりたがるんだ?」


 ティアがポツリと呟くと、レンは少しだけ目を見開き、それからクシャッと顔を歪めて笑った。


「お前って、変なやつ」


「ピヨッ!?」


「なんか、物差しが周りと違うっていうか……あ〜……」


 自分の言葉で何かに気づいたのか、レンは抱えた膝に顔を伏せて、綺麗な金髪をグシャリとかいた。一つに結んだ髪が少しほつれて、サラサラ流れる。


「そうだよな。オレ、自分の物差しが小さいって思われるの嫌で、見栄を張ったんだ」


「物差しって、長さ測るやつだよね? 小さいと駄目なの?」


 大真面目に訊ねるティアに、レンはフハッと息を吐くみたいに笑う。


「そういうとこ、やっぱ変わってるよ、お前」


 レンは抱えていた膝を伸ばし、芝生に両手をついて空を見上げた。

 初めて会った時、レンは目を逸らさない強い生き物だと思った。今のレンはちょっと弱っている生き物だ。


「オレさ、別に魔術師になるのが夢だったとか、そういうんじゃないんだ。あの家を飛び出して食って行けるなら、なんだって良かった」


 いつも強気なレンの顔が、弱気に曇る。


「……だから、ヒュッター先生の『何がしたい?』って質問に答えられなかったんだよ」



 * * *



 レン・バイヤーはバイヤー商会の商会長の息子だ。

 ただし、正妻の子ではない。妾の子だ。


「ティアはさ、『美人は得だ』って言われたことあるか?」


「ピヨッ? 美人は得? ……繁殖に有利ってこと?」


「おい着眼点……いや、間違っちゃいないんだろうけどさぁ……もっと言いようがあんだろ……」


 レンはティアの顔をマジマジと眺めた。

 少しキツめの目つきだが、愛嬌のある可愛らしい顔立ちだ。あと数年したら、そこそこ美人の部類に入るのではないだろうか。

 だが、ティアは今一つピンとこない、という顔をしている。レンはため息をついた。


「オレの母さん、すげー美人だけど、全然得なんかしてなかった。デカい商家のオッサンに目をつけられてさ、無理矢理、妾にされたんだ。その時、愛し合ってる恋人がいたのにだぜ? ……それで産まれたのがオレ」


 母は抵抗し、断ろうとしたらしい。だが母の父がそれを許さなかった。

 母の実家は貧しい家だったから、与えられる金に飛びつき、娘を売ったのだ。


「オレが産まれる前から、親父の正妻には息子が三人いてさ。正妻と上の兄貴達は、母さんとオレにすげー嫌がらせするわけ」


 レンがまだ小さかった頃は、レンの父親が度々庇ってくれた。

 だが、正妻はそれが面白くなかったのだろう。彼女とその息子達の所業は日に日にエスカレートし、そしてついに一線を越えた。


「ある日、あの正妻(ババア)が下男に金を握らせて、母さんの顔に熱い油をぶちまけさせたんだ」


 母は一命を取りとめたが、美しい顔は半分爛れてしまった。

 その日から、父はレン達が暮らす離れに寄りつかなくなった。まるで臭い物に蓋をするみたいに。

 だったらいっそ、オレと母さんを解放してくれと思った。

 だが、顔の爛れた妾を見捨てたら、世間から後ろ指を指され、商売に影響が出るかもしれない、と父は考えたらしい。だから彼は、妾とその息子を離れで飼い殺しにした。

 レンは本が欲しいと懇願した。この離れを出て、母を支えて生きていくには学がいる。外国語の読み書きや、難しい計算をできるようになりたかったのだ。

 だが、正妻がそれを邪魔した。


 ──お前にはそんなもの不要でしょう? あの女と同じ綺麗な顔があるんですもの。どうとでも生きていけるわ。


 美人って得ねぇ、と言って笑った正妻の顔に、レンは唾を吐き、しこたま殴られた。


「オレって美少年だろ? 母さん似でさ。オレの美少年っぷりを見れば、母さんがどんだけ美人だったか分かるだろ?」


 ティアは琥珀色の目で、じぃっとレンを見た。

 レンの境遇を、ティアは憐れむでも同情するでもなく、ただ無表情で聞いている。

 その反応の薄さが、妙に気楽だった。


「……母さんがさ、オレを見て泣くんだよ。そっくりに産んでごめんねって。私に似てるから、お前も酷い嫌がらせをされるんだ、ごめんね、ごめんね。って」


 正妻はレンの顔を見る度に、あの女に似ていて気に入らない、と罵詈雑言を浴びせた。

 妾の顔を傷物にして、夫が妾のもとに出入りしなくなって、それでも彼女の気は晴れないのだ。だから、今度はレンに当たる。

 それを見た母は泣きながら、レンに謝るのだ。そっくりに産んでごめんね、と。


(母さんは、何も悪くないのに)


 正妻には息子が三人いて、一番下の兄だけは、レンにお古の服をくれたり、こっそり本を融通したりしてくれた。レンが読み書きできるのも、その兄のおかげだ。

 兄が融通してくれた本で〈楔の塔〉の存在を知ったレンは、三年に一度の入門試験に全てを賭けて、家を飛び出した。

〈楔の塔〉でなら、自分でも勉強ができる。魔術師になれるかもしれない、と縋りつくような思いで。


「セビルの言うとおりだよ。オレが幸せになったところを、正妻(ババア)やクソ兄貴達に見せびらかしたかったんだ。オレの方が凄いんだぞ。幸せなんだぞって。それで……」


 少しだけ、喉が詰まる。

 見栄を張るための言葉はスラスラ出てくるのに、本当に思っていたことを口にすると、どうしてこんなに、苦しくなるのだろう。


「それで?」


 ティアが続きを促す。無垢な目で、真っ直ぐにレンを見て。

 レンは顔をグシャリと歪めた。きっと今の自分は美少年じゃない。


「それで……母さんに言いたかったんだよ。母さんがそっくりに産んでくれたおかげで、オレは人生得をしまくり! みんなに可愛がられてる、幸せ愛され美少年なんだぜ! って……」


「なら、それを最初から正直に言えば良いのだ。馬鹿者」


 声はすぐ後ろから聞こえた。振り向くと、セビルが腕組みをしてレンとティアを見下ろしている。

 セビルはズンズンとこちらに歩み寄り、レンの左隣に座った。右にティア、左にセビル。挟まれたレンが居心地悪そうにしていると、セビルが手にした紙袋からクッキー一枚を取り出す。

 そして紙袋をレンに押しつけた。


「ティアまで回せ」


「……何これ」


「ピヨッ! あ、お菓子だー」


 紙袋には大きめのクッキーが二枚入っていた。

 レンは一枚取り出して、紙袋をティアに渡す。

 ティアもクッキーを手に取り、三人に一枚ずつ行き渡ったところで、セビルが言った。


「ヒュッター先生に頼まれたおつかいだ……が」


 セビルは口紅に彩られた口の端を持ち上げ、ニヤリと笑う。


「くすねてやったのだ」


「はぁ?」


 セビルはレンとティアの顔を交互に見て、フッと鼻を鳴らす。


「欲しかったからな」


 セビルはきちんと「いただきます」と言ってから、クッキーを食べた。

 ティアも「いただきます!」とクッキーを齧る。相変わらず小さい一口だ。いつも元気が良いくせに、ティアは何故か食事はポソポソ食べる。

 レンも小声で「いただきます」と言ってクッキーを齧った。口いっぱいにバターの香りが広がる。甘い。美味しい。菓子なんて、いつ以来だろう。

 レンがクッキーを噛み締めていると、セビルが口の端の食べかすを指で拭いながら言った。


「わたくしの母は、人質同然で父に召された身だ」


 あっ、とレンは小さく声をあげた。セビルが何に腹を立てたのか、今更気づいたのだ。

 先帝の女癖の悪さは有名だ。何人もの女が泣かされたと聞く。セビルの母もその一人だ。


「ハーレムを作るのなら、全員を幸せにする覚悟で、心からお前を愛してくれる者を集めるがいい」


「…………はぁい」


 小声で言うレンに、セビルが「素直でよろしい」と返した。



 * * *



 ポソポソとクッキーを食べながら、飛べなくなったハルピュイアは考える。


(人間って、難しい)


 レンの母には、愛し合っていた恋人がいたという。

 セビルは、ハーレムを作るなら心から愛してくれる者を集めろと言う。


(まるで、愛がとっても良いものみたい)


 ティアが知っている歌にも、愛を歌ったものは沢山ある。

 それは尊いものだと、美しくて素晴らしいものだと、人間が作る愛の歌は、愛を讃える歌ばかりだ。


 ──愛してるわ、ティア。わたしの大事なお友達。


 愛を囁く幼い声が、いつまでも耳にこびりついている。

 耳障りだ。早く消えてほしい。とティアは思った。


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