【10】俺にも考えがある(ない)
「貴様はその目標とやらを叶えて、誰に見せびらかしたいのだ?」
セビルの言葉に、レンは何かを言いかけ、唇を噛み締める。言い訳や罵詈雑言を口にしようとして、それをグッと飲み込んだ顔だった。
レンは椅子を鳴らして立ち上がると、無言で教室を飛び出す。
ティアが「ピヨッ!?」と声をあげ、レンの背中とセビルを交互に見た。菱形になった口が大変阿呆っぽい。
「ピロロロロロ……いってきます!」
結局ティアも立ち上がり、走ってレンを追いかけていく。腕を振らず、膝を曲げない、ペタペタした走り方だ。
(なんだあの走り方?)
ティアの奇怪な走り方は気になるが、今はこちらが先だな、とヒュッターはセビルを見た。
セビルは鼻の頭に皺を寄せ、嫌悪感を露わにした顔で、レンが出て行った扉を睨んでいる。
そこにあるのは失望と軽蔑。それと悔しさだ。
(なるほど、なるほど……)
ヒュッターはいつもの飄々とした態度を崩さず、さりげない口調で言った。
「レンに何か期待してたんだろ。こいつは他とは違うかも、って」
「その通りだ。だが、失望した」
セビルが低い声で吐き捨てる。
彼女は鷹揚で気さくな人間だが、それでも油断なく心を引き締めている、他者には踏み込ませない一線がある。皇帝一族の人間であることを考えれば当然だ。
そんな彼女が、ティアとレンには心を許していた。
踏み込んでほしくない一線の、一歩手前までは近寄ることを許しているように見えた。
(……やれやれ)
ヒュッターは無意識に右手を動かした。煙草が吸いたかったのだ。流石にお姫様の前では駄目だろう。
手持ち無沙汰な右手でチョークをつまみ、ヒュッターは呟く。
「俺に言わせてみれば、レンの夢は、あの年頃の少年なら真っ当に見えるぜ。少なくとも、兄をぶっ殺したいってのより、よっぽど健全だ」
「…………」
詐欺師になる前、まだ自分が少年だった頃は、レンと似たようなことを漠然と考えていた。
大金持ちになって、良い飯食って、綺麗な姉ちゃんはべらせて……そういう、自分は幸せなんだという姿を、誰かに自慢したかった。
人とは違う何かが欲しい。だけど、ただ欲しいだけじゃない。
それを、見せびらかしたかったのだ。
『貴様はその目標とやらを叶えて、誰に見せびらかしたいのだ?』
セビルの言葉は正しい。正しすぎて、レンの自尊心を傷つけた。
あの年頃の少年なら、自分は幸せですよ、優れてますよ、というのを誰かに自慢したく思うこともあるだろう。
すごい奴だと他人に思われたい、その気持ちがヒュッターにはよく分かる。
まぁ、そうして見栄を張り、嘘や取り繕うことばかり覚えた人間の末路が、三流詐欺師なのだけど。
ヒュッターはこれみよがしにため息をついた。
「ところで、さっきの兄をぶっ殺す宣言だが……あれは、探り入れてんだろ?」
ヒュッターの言葉に、セビルが感心したように瞼を持ち上げる。
「ほぅ? よく気づいたな」
(そりゃ、気づくわ)
〈楔の塔〉の魔術師はその殆どが、閉鎖的環境にいるせいで世間知らずで、世情に疎い。
だからセビルは、つい最近まで〈楔の塔〉の外にいた受験生や、魔術師組合から派遣されたヒュッターから、情報を得ようとしたのだ。
兄を討ち取ろうとして返り討ちに遭った──そう口にしたことで得られる反応から、兄が追っ手を差し向けているか否かを探っていたのだ。
(つまり、アデルハイト殿下は情報を欲している)
ヒュッターは片手でチョークを弄りながら訊ねた。
「陛下を襲撃したのは、いつ頃だ?」
「夏の頭頃だ。辺境のヴァルムベルクでひと騒動起こった時期だな。そこからは足取りが掴めぬよう逃亡生活をしながら〈楔の塔〉を目指したので、情報収集が充分にできていないのだ」
ふむ、とヒュッターは口元に手を添える。
ヒュッターもとい、〈煙狐〉が黒獅子皇から勅命を受けたのが春の終わり。セビルの謀叛はその後。
つまり、セビルが命を狙ったから、〈煙狐〉を〈楔の塔〉に送り込んだというわけではないらしい。
(連絡係のハイディちゃんにアデルハイト殿下のことを訊いても、「そのまま任務を続けてください」しか言わないしな……さて、どうしたもんか)
ヒュッターは慎重に言葉を選んだ。
「……俺が〈楔の塔〉に来たのが、夏の中頃だ。世間話にゃ人並み程度に耳を傾けてるが、アデルハイト殿下謀叛って噂は今日まで聞いてない」
「つまり、兄上は表向きは追っ手をかけていない……わたくしなど、取るに足らぬということか」
セビルが唇の端を持ち上げ、獰猛な笑みを浮かべた。そういう笑い方をすると、かの黒獅子皇にそっくりである。
わー兄妹ー。と薄っぺらい感想を抱きつつ、ヒュッターは鼻から息を吐く。
ひとまず、釘は刺しておいた方が良いだろう。
「ここでの揉めごとは勘弁してくれ。〈楔の塔〉にとって、皇帝一族の存在は火種だ」
ヒュッターは右手のチョークをクルリと回し、その先端をセビルに突きつける。
そうして眼光を鋭くし、低い声で告げた。
「あまり火の粉を振り撒くようなら……俺にも考えがある」
考えなど、ない。ハッタリである。
そのハッタリが通じたのか、かわされたのかは分からない。少なくともセビルは気押されてはくれなかった。
ただ、曲刀に手をかけることもしない。
「分かった。貴方の言う通り、自重しよう。ヒュッター先生」
一応、先生扱いはしてもらえるようである。
読み通りだ。セビルのような人間は、こちらが下手に出過ぎると、見下されて相手にされなくなる。
逆にこちらは強者だと思わせれば、ある程度対話に応じてくれると踏んだのだ。
(しっかし、まぁ……皇帝一族こえー)
セビルは直情型だが、単純というわけではない。常に相手のことを値踏みしている。
そして、懐に入れた相手には寛大だが、切り捨てる時は躊躇しない。そういう冷酷さがないと、生き延びることができないからだ。
だから、ヒュッターも一歩間違えれば──それこそ、黒獅子皇の手先とバレたら、切り捨てられるかもしれない。
ヒュッターは手にしたチョークを口元に運び、慌てて教卓に置いた。動揺のあまり、煙草と間違えて咥えそうになったのである。
動揺を見せてはいけない。あくまで強者らしく堂々と……とヒュッターは自分に言い聞かせ、懐から財布を取り出す。
「そういうことなら、まずはヒュッター先生から最初の課題だ」
ヒュッターは財布から銅貨を数枚取り出し、セビルの前に置いた。
眉根を寄せるセビルに、ヒュッターはニヤリと口の端を持ち上げる。
「買い物はできるか?」
「馬鹿にするな。お忍びでよく街に出る」
「なら余裕だな。第三の塔〈水泡〉の食堂で嗜好品の販売をしててな。十一時丁度になると美味いクッキーが出るんだよ。すぐに売り切れる人気商品だ。買ってきてくれ」
時刻は十一時少し前。第三の塔〈水泡〉は少し離れているので、急がねば間に合わない時間だ。
セビルは無礼者! と喚き散らすような真似はしなかった。銅貨をつまみ上げ、真意を探るような目でコチラを見ている。
「皇妹殿下は、銅貨をくすねて自分の物にしちまおうなんて卑しいこと、考えたりしないだろ」
「当然だ。見損なうな」
「このちっぽけな銅貨を、欲しくて欲しくてたまらない人間もいることを忘れんなよ」
セビルが口をつぐんだ。
彼女は銅貨をポケットにしまうと、立ち上がり、教室を出ていく。
その背中にヒュッターは声をかけた。
「それと、何が嫌で怒ったのかは、ちゃんと声に出して言えよ。言わなくとも分かれってのは甘えだ。まして、知り合ったばかりの人間相手なら尚更な」
返事の代わりに、セビルが片手を持ち上げた。
 




