表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
二章 新人教師と見習い魔術師達の日々
25/196

【10】俺にも考えがある(ない)


「貴様はその目標とやらを叶えて、誰に見せびらかしたいのだ?」


 セビルの言葉に、レンは何かを言いかけ、唇を噛み締める。言い訳や罵詈雑言を口にしようとして、それをグッと飲み込んだ顔だった。

 レンは椅子を鳴らして立ち上がると、無言で教室を飛び出す。

 ティアが「ピヨッ!?」と声をあげ、レンの背中とセビルを交互に見た。菱形になった口が大変阿呆っぽい。


「ピロロロロロ……いってきます!」


 結局ティアも立ち上がり、走ってレンを追いかけていく。腕を振らず、膝を曲げない、ペタペタした走り方だ。


(なんだあの走り方?)


 ティアの奇怪な走り方は気になるが、今はこちらが先だな、とヒュッターはセビルを見た。

 セビルは鼻の頭に皺を寄せ、嫌悪感を露わにした顔で、レンが出て行った扉を睨んでいる。

 そこにあるのは失望と軽蔑。それと悔しさだ。


(なるほど、なるほど……)


 ヒュッターはいつもの飄々とした態度を崩さず、さりげない口調で言った。


「レンに何か期待してたんだろ。こいつは他とは違うかも、って」


「その通りだ。だが、失望した」


 セビルが低い声で吐き捨てる。

 彼女は鷹揚で気さくな人間だが、それでも油断なく心を引き締めている、他者には踏み込ませない一線がある。皇帝一族の人間であることを考えれば当然だ。

 そんな彼女が、ティアとレンには心を許していた。

 踏み込んでほしくない一線の、一歩手前までは近寄ることを許しているように見えた。


(……やれやれ)


 ヒュッターは無意識に右手を動かした。煙草が吸いたかったのだ。流石にお姫様の前では駄目だろう。

 手持ち無沙汰な右手でチョークをつまみ、ヒュッターは呟く。


「俺に言わせてみれば、レンの夢は、あの年頃の少年なら真っ当に見えるぜ。少なくとも、兄をぶっ殺したいってのより、よっぽど健全だ」


「…………」


 詐欺師になる前、まだ自分が少年だった頃は、レンと似たようなことを漠然と考えていた。

 大金持ちになって、良い飯食って、綺麗な姉ちゃんはべらせて……そういう、自分は幸せなんだという姿を、誰かに自慢したかった。

 人とは違う何かが欲しい。だけど、ただ欲しいだけじゃない。

 それを、見せびらかしたかったのだ。


『貴様はその目標とやらを叶えて、誰に見せびらかしたいのだ?』


 セビルの言葉は正しい。正しすぎて、レンの自尊心を傷つけた。

 あの年頃の少年なら、自分は幸せですよ、優れてますよ、というのを誰かに自慢したく思うこともあるだろう。

 すごい奴だと他人に思われたい、その気持ちがヒュッターにはよく分かる。

 まぁ、そうして見栄を張り、嘘や取り繕うことばかり覚えた人間の末路が、三流詐欺師なのだけど。

 ヒュッターはこれみよがしにため息をついた。


「ところで、さっきの兄をぶっ殺す宣言だが……あれは、探り入れてんだろ?」


 ヒュッターの言葉に、セビルが感心したように瞼を持ち上げる。


「ほぅ? よく気づいたな」


(そりゃ、気づくわ)


〈楔の塔〉の魔術師はその殆どが、閉鎖的環境にいるせいで世間知らずで、世情に疎い。

 だからセビルは、つい最近まで〈楔の塔〉の外にいた受験生や、魔術師組合から派遣されたヒュッターから、情報を得ようとしたのだ。

 兄を討ち取ろうとして返り討ちに遭った──そう口にしたことで得られる反応から、兄が追っ手を差し向けているか否かを探っていたのだ。


(つまり、アデルハイト殿下は情報を欲している)


 ヒュッターは片手でチョークを弄りながら訊ねた。


「陛下を襲撃したのは、いつ頃だ?」


「夏の頭頃だ。辺境のヴァルムベルクでひと騒動起こった時期だな。そこからは足取りが掴めぬよう逃亡生活をしながら〈楔の塔〉を目指したので、情報収集が充分にできていないのだ」


 ふむ、とヒュッターは口元に手を添える。

 ヒュッターもとい、〈煙狐〉が黒獅子皇から勅命を受けたのが春の終わり。セビルの謀叛はその後。

 つまり、セビルが命を狙ったから、〈煙狐〉を〈楔の塔〉に送り込んだというわけではないらしい。


(連絡係のハイディちゃんにアデルハイト殿下のことを訊いても、「そのまま任務を続けてください」しか言わないしな……さて、どうしたもんか)


 ヒュッターは慎重に言葉を選んだ。


「……俺が〈楔の塔〉に来たのが、夏の中頃だ。世間話にゃ人並み程度に耳を傾けてるが、アデルハイト殿下謀叛って噂は今日まで聞いてない」


「つまり、兄上は表向きは追っ手をかけていない……わたくしなど、取るに足らぬということか」


 セビルが唇の端を持ち上げ、獰猛な笑みを浮かべた。そういう笑い方をすると、かの黒獅子皇にそっくりである。

 わー兄妹ー。と薄っぺらい感想を抱きつつ、ヒュッターは鼻から息を吐く。

 ひとまず、釘は刺しておいた方が良いだろう。


「ここでの揉めごとは勘弁してくれ。〈楔の塔〉にとって、皇帝一族の存在は火種だ」


 ヒュッターは右手のチョークをクルリと回し、その先端をセビルに突きつける。

 そうして眼光を鋭くし、低い声で告げた。


「あまり火の粉を振り撒くようなら……俺にも考えがある」


 考えなど、ない。ハッタリである。

 そのハッタリが通じたのか、かわされたのかは分からない。少なくともセビルは気押されてはくれなかった。

 ただ、曲刀に手をかけることもしない。


「分かった。貴方の言う通り、自重しよう。ヒュッター先生」


 一応、先生扱いはしてもらえるようである。

 読み通りだ。セビルのような人間は、こちらが下手に出過ぎると、見下されて相手にされなくなる。

 逆にこちらは強者だと思わせれば、ある程度対話に応じてくれると踏んだのだ。


(しっかし、まぁ……皇帝一族こえー)


 セビルは直情型だが、単純というわけではない。常に相手のことを値踏みしている。

 そして、懐に入れた相手には寛大だが、切り捨てる時は躊躇しない。そういう冷酷さがないと、生き延びることができないからだ。

 だから、ヒュッターも一歩間違えれば──それこそ、黒獅子皇の手先とバレたら、切り捨てられるかもしれない。

 ヒュッターは手にしたチョークを口元に運び、慌てて教卓に置いた。動揺のあまり、煙草と間違えて咥えそうになったのである。

 動揺を見せてはいけない。あくまで強者らしく堂々と……とヒュッターは自分に言い聞かせ、懐から財布を取り出す。


「そういうことなら、まずはヒュッター先生から最初の課題だ」


 ヒュッターは財布から銅貨を数枚取り出し、セビルの前に置いた。

 眉根を寄せるセビルに、ヒュッターはニヤリと口の端を持ち上げる。


「買い物はできるか?」


「馬鹿にするな。お忍びでよく街に出る」


「なら余裕だな。第三の塔〈水泡〉の食堂で嗜好品の販売をしててな。十一時丁度になると美味いクッキーが出るんだよ。すぐに売り切れる人気商品だ。買ってきてくれ」


 時刻は十一時少し前。第三の塔〈水泡〉は少し離れているので、急がねば間に合わない時間だ。

 セビルは無礼者! と喚き散らすような真似はしなかった。銅貨をつまみ上げ、真意を探るような目でコチラを見ている。


「皇妹殿下は、銅貨をくすねて自分の物にしちまおうなんて卑しいこと、考えたりしないだろ」


「当然だ。見損なうな」


「このちっぽけな銅貨を、欲しくて欲しくてたまらない人間もいることを忘れんなよ」


 セビルが口をつぐんだ。

 彼女は銅貨をポケットにしまうと、立ち上がり、教室を出ていく。

 その背中にヒュッターは声をかけた。


「それと、何が嫌で怒ったのかは、ちゃんと声に出して言えよ。言わなくとも分かれってのは甘えだ。まして、知り合ったばかりの人間相手なら尚更な」


 返事の代わりに、セビルが片手を持ち上げた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ