表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
九章 塔の攻防
241/250

【おまけ】コルドゥラ・リンケと二人の聖女候補

 早くに両親を亡くしたコルドゥラ・リンケは弟と共に孤児院で暮らしていた。

 その孤児院には、定期的に聖女ヘレナ候補生達が慰安訪問に訪れる。

 聖女ヘレナ候補生達は皆美しく、優しかった。

 慰安訪問に訪れた彼女達は、澄んだ歌声の讃美歌を披露し、可憐な声で読み聞かせをして、綺麗な手で怪我人や病人の看病をしてくれる。

 コルドゥラも孤児院の子ども達も皆、聖女ヘレナ候補生達が大好きだった。彼女達が来る日を、いつも心待ちにしていた。



 ある日、コルドゥラの弟が流行りの風邪を患い、起きられなくなった。咳が酷く、熱が下がらない。

 どうか薬を、とコルドゥラは孤児院の院長に縋り付いて頼んだが、院長はそんなコルドゥラを罵った。

 お前達孤児は、ここに住まわせてもらい、食事を与えられているだけで恵まれているのだ。なのにお前はそれ以上を望むのか。なんと欲深いことか! ──院長はそう罵り、コルドゥラの頬を打った。

 院長に薬は望めない。だが、このままだと弟が助からない。だってもう、五日もろくに食事をしていないのだ。水を飲むだけで酷く咳き込み、体を起こすことすらできなくなっている。

 コルドゥラはすがるような思いで、聖女ヘレナ候補生達が暮らす施設に向かった。

 あの優しい聖女候補生達なら、慈悲深いヘレナ達ならきっと弟を助けてくれる。薬を恵んでくれるに違いない。

 そう信じて門を叩いたが、現れた年嵩の修道女は、「ヘレナ達は皆、お勤め中です」の一点張り。


「お願いです、薬をください。弟の咳が止まらないんです、お願いします」


 明らかに手すきの者が背後に見えた。だが彼女達は皆、コルドゥラがすがるような目で見ると、サッと目を逸らして早足で立ち去ってしまう。


(どうして、どうして、助けてくれないの。孤児院に来てくれた時は、あんなに優しかったのに)


 孤児院で優しく微笑んでいた聖女候補生達が、コルドゥラなんて存在しないかのように振る舞う──幼いコルドゥラは理解した。

 孤児院で優しかったのは、聖女候補生の勤めだったから。それだけだ。

 彼女達にとって最も優先すべきは聖女候補生の勤めで、それは孤児院の子どもの訴えより優先されるものなのだ。

 コルドゥラは聖女ヘレナ候補生達に頼ることを諦め、トボトボと帰路につく。

 その途中、誰かに腕を掴まれた。見るからに粗野な雰囲気の中年男だ。

 男は赤ら顔をコルドゥラにズイと近づけ、酒臭い息で言った。


「お嬢ちゃん、薬を探してるんだって? おじさんのお手伝いをしてくれたら、薬を買ってあげよう」


 これは駄目だ。コルドゥラは「結構です」と言って腕を振り払おうとした。

 だが、コルドゥラの細腕を掴む男の手は、ピクリとも動かない。


「離してくださいっ」


「いいから来い!」


 コルドゥラの腕を掴む手に力が籠る。まるで、腕が折れても構わないと言わんばかりの強さだ。

 痛い、怖い、どうしよう。助けて、とコルドゥラは叫んだ。だけど、誰も来てくれない。見るからに貧しい身なりの少女に、誰も見向きなんてしない。


 ──お前達孤児は、ここに住まわせてもらい、食事を与えられているだけで恵まれているのだ。なのにお前はそれ以上を望むのか。なんと欲深いことか!


 孤児院の院長の言葉が頭をよぎった。そうだ、きっと助けを求めることすら、高慢なことだったのだ。


「お待ちなさい」


 その時、コルドゥラと男の間に割って入る者がいた。修道服姿の若い娘──ヘレナ候補生の一人だ。仲間達からは、冷静なヘレナと呼ばれていた。


「その手を離しなさい」


 冷静なヘレナは氷のような眼差しで、じっと男を見据える。

 長い金のまつ毛に縁取られた目は、一歩も引かぬという鋼のような意志を宿していた。


「俺は薬を買ってやるって言っただけだろ!」


「ならば、わたくしも連れて行きなさい。わたくしには薬学の心得があります。間違った薬が処方されることのないよう、見ていて差し上げます」


 男が舌打ちをして、冷静なヘレナに拳を振り下ろした。

 ヒィッと息を呑むコルドゥラの前で、冷静なヘレナがよろめく──が、彼女は悲鳴一つあげなかった。

 尻餅をつくことも、膝をつくこともせず、彼女は殴られた顔をユラリと持ち上げて男を見据える。


「満足ですか?」


 痣の浮いた顔を歪めることもなく、彼女はただまっすぐに男を見つめていた。


「満足したのなら、薬を買いに行きましょう。病人の治療が最優先です」


 冷静なヘレナの気迫に当てられ、男がたじろいだ。

 男はふらついた足で背を向けて逃げ出す。

 男は、最初から薬を買うつもりなどなかったのだ。それを口実にコルドゥラに良からぬことをしようとしただけで。

 冷静なヘレナがコルドゥラを見た。

 痣の浮いた顔。とても痛そうなのに、顔を歪めることなく、彼女は言う。


「あの男は責任を放棄しましたが、心配いりません。薬なら……」


 冷静なヘレナが全てを言い終えるより早く、誰かがこちらに駆け寄ってきた。

 少し濃い肌色をした黒髪のヘレナ候補生だ。確か、とびきり歌が上手くて、歌好きのヘレナと呼ばれていた。


「ヘレナ! 薬を持ってきたよ! ……って、その顔!」


 歌好きのヘレナが、泣きそうな顔で冷静なヘレナの頬に触れる。

 冷静なヘレナの表情が、ほんの僅かに緩んだ。


「大したことありません、ヘレナ。それより、早くその薬をヨルンの元に届けなくては」


 その言葉にコルドゥラはハッとした。


「名前……弟の……」


「覚えています。貴女がコルドゥラで、弟がヨルン」


 美しいけれど、冷たい眼差し。

 美しいけれど、冷たい声。

 それなのに、こんなにも暖かく感じるのは何故だろう。

 冷静なヘレナが白い手をコルドゥラに差し出した。


「さぁ、わたくし達を連れて行ってください」


 歌好きのヘレナが、コルドゥラを安心させるように笑った。


「リンゴも貰ってきたの! 大丈夫、きっとヨルン君、元気になるよ!」


 その時、コルドゥラは思ったのだ。聖女ヘレナになるのは、この人達だ。

 この二人のどちらかしかあり得ない。



 それなのに、聖女ヘレナに選ばれたのは別の人間で、冷静なヘレナと歌好きのヘレナは修道院を去ったのだ。



 * * *



「リンケ室長」


 蔵書室室長コルドゥラ・リンケは、指導室室長ヘーゲリヒに呼ばれて足を止めた。

 要件は分かっている。呪術師ゾフィーと、反逆罪で捕えられたユリウスの処遇についてだろう。

 ヘーゲリヒは、見習い魔術師達を案じているのだ。


「ユリウス君の追放処分は短慮すぎる。メビウス首座塔主が戻っていないのに……」


「ミリアム首座塔主補佐の腹心である私から、取りなしてほしいという話でしたら、お断りします」


 穏やかな声でキッパリ告げるリンケに、ヘーゲリヒが苦い顔をする。

 リンケとヘーゲリヒは歳が近いので、互いに遠慮がない。


「君が、ミリアム首座塔主補佐に忠誠を誓っていることは知っているがね」


「勘違いしないでください、ヘーゲリヒ室長。これは忠誠ではありません」


 サティもミリアムも、神に愛された存在だ。そうでなかったら、何のための神なのだ。


「私は、あの方の信仰を──それが報われることを信じているのです」


「……それが君の信仰かね」


 ヘーゲリヒの言葉に、リンケは笑った。

 かつて、聖女ヘレナ候補のお姉さん二人に向けた、少女の笑みで。


「そんな崇高なものではありませんよ。ただ、大好きなだけです」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ