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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
九章 塔の攻防
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【9】ロスヴィータの葛藤


 ──ァォォオオオオオオオオオオン!!


 何これどうなってんの──とゾフィーは混乱していた。

 囚われのゾフィーをローズが助けてくれたが、そこにミリアム首座塔主補佐が追いかけてきた。

 追い詰められたローズは、自身の力を封じる呪いの指輪をゾフィーに解呪させ、ミリアムの氷の魔術を破壊(珍しく格好良かった)。

 そのおかげで、一時は窮地を脱したかと思ったが、ミリアム首座塔主補佐は切り札である古代魔導具〈愚者の鎖デスピナ〉を使用。ゾフィーとローズを鎖で捕えた……。


 そこに何故か、指導室のオドオド指導員アルムスターが現れ、助けを求めてきた。

 そのタイミングで響いたのが、狼の鳴き声だ。

 鳴き声は〈楔の塔〉の城壁の外ではなく、明らかに中から聞こえた。


(なになに、本当になにが起こってんの? 敷地内に狼が入ってきたわけ?)


「首座塔主補佐っ……ヒィッ、魔物が地下に……!」


 アルムスターの叫びに、ミリアム首座塔主補佐は素早く庭園の方を振り向く。

 女神像を思わせるその美しい顔は、やはり動揺に歪んだりはしない。だが、ゾフィーは初めて、ミリアムから人間みのある必死さを感じた。

 ガシャンガシャンと、家具を乱暴にひっくり返すような音が聞こえる。それと、乱暴に扉を開ける音も。おそらく、ここからそう離れていない、庭園にある庭師小屋から聞こえる音だ。


「ルォォオオオオン!!」


 再び聞こえた鳴き声は、明らかに先ほどより距離が近くなっている。

 木々の合間に黒い何かが見えた。ミリアムが掲げるランタンの灯りが、その姿を照らし出す。

 成人男性より二回りは大きい巨体。全身を覆う黒い毛並み。二足歩行の黒い狼──人狼と呼ばれる魔物だ。

 ゾフィーはヒィッと息を呑む。


(なんで!? なんで、こんなところに魔物がいるのっ!?)


 古代魔導具〈愚者の鎖デスピナ〉は、魔物を封印して使役する力がある。だが、あの人狼は古代魔導具の力で使役されている魔物ではないのだ。

 人狼は肩に白っぽい何かを担いでいた。あれは服ではないだろうか?


(待って、あれって女の子!?)


 白いドレスを着た黒髪の少女──顔はよく見えないけれど、ゾフィーとそんなに違わないように見える──を人狼は肩に担いでいる。

 ミリアムが声を上げた。


「フィーネ! ……黒い毛並みの人狼が一匹。捕えなさい、〈愚者の鎖デスピナ〉」


『捕獲対象が特定できません』


 ミリアムの手首の腕輪が、淡々と応じる。

 古代魔導具〈愚者の鎖デスピナ〉は、人も魔物も捕えることができる強力な拘束用魔導具だ。

 但し、欠点もある。射程が短く、また捕獲対象の特定が苦手なのだ。

 たとえば複数の仲間と敵を追っていたとする。敵を追い詰めた使用者が、「あの男を捕えろ」と命じても、〈愚者の鎖デスピナ〉は捕獲対象を特定できない。下手をすると味方の男性を捕らえてしまう。

 捕獲対象を明確にしないと、〈愚者の鎖デスピナ〉は発動しないのだ。


(でも、今のはなんで特定できなかったの? 黒い毛並みの人狼で、間違ってないのに…………あっ)


 多分、肩に背負った少女だ。あの少女を捕獲対象に含むか、含まないかが、〈愚者の鎖デスピナ〉には判断できなかったのだ。

 ミリアムが再度指示を口にするより早く、人狼は少女を担いだまま走り出す。向かう先は、第一から第三の塔がある方角だ。


「魔物が入り込んでいます! すぐに捕らえなさ……っ」


 声を張り上げたミリアム首座塔主補佐は、全てを言い終えるより早く、咳き込んだ。彼女は喉を悪くしているのだと、ゾフィーは聞いたことがある。

 大声を出せないミリアム首座塔主補佐に代わり、大声で叫んだのは鎖でグルグル巻きにされたローズだった。


「魔物が出たぞーーー! 二足歩行の黒い狼で、肩に女の子を担いでる! 塔の方に向かったぞ! 誰か捕まえてくれーーー!」


 ゾフィーの鼓膜がビリビリ震えるほどの大声だ。

 ビックリして硬直しているゾフィーの横で、ローズがミリアム首座塔主補佐に言う。


「こんな感じで良いかな?」


「…………」


 ミリアム首座塔主補佐は何か言いたげな顔をしていたが、ローズには何も言わず、ついでに鎖を解放することもなく、アルムスターに命じた。


「状況の説明を」


「よ、よく分からないんですっ、いつも通り小屋にいたら、あの人狼が突然飛び込んできてっ……地下に……それで、あぁ、あの子を……神の子をっ……!」


 アルムスターは動転しているらしく、しきりに訳の分からないことを繰り返している。


「貴方達の処分は保留にしましょう。アルムスター指導員、その二人は反逆者です。〈愚者の鎖デスピナ〉で封印を施しておくので、見張りなさい」


「ミ、ミリアム首座塔主補佐は……」


「私は、私の役目を果たさなくては」



 * * *



〈楔の塔〉は混乱に陥っていた。

 庭園の方からは狼の鳴き声が響き、あちらこちらから「魔物だ!」「子どもが人質に取られている!」と叫び声が聞こえる。

 ロスヴィータとエラは、第一の塔〈白煙〉の近くにある茂みに隠れ、小声で囁き合った。


「……情報が錯綜しすぎだわ。何がどうなってるのよ、これ」


「女の子が人質に、と聞こえますが……もしかして、ゾフィーさんが……」


 今夜のユリウスとゾフィーを逃す作戦にあたり、ロスヴィータとエラは第一の塔〈白煙〉に封印されたアグニオールの封印を解き、水の魚でユリウスの元へ届ける──という役割を担っていた。

 ロスヴィータが単独行動ではなくエラと組んだのは、水の魚と視覚共有をしている間、ロスヴィータが無防備になるからだ。

 作戦は順調で、二人は第一の塔〈白煙〉に忍び込み、アグニオールの解放に成功。更に、水の魚を使って第二の塔〈金の針〉の地下にいるユリウスのもとにアグニオールの指輪を届けることにも成功した。

 ところが水の魚は何者かの攻撃で破壊され、ユリウスの状況が分からなくなっている。

 そして二人がユリウスの元へ駆けつけようとした矢先に、この狼騒動だ。

 ロスヴィータはマントの中から小枝を一本取り出した。


「まずは辺りを探ってみるわ。『不合理な献身、宿る雨、(まなこ)を失くした魚達、泳ぎて映せ』」


 木の枝を水が包み、小さな魚になる。夜だと周囲の視認が難しいが、それでも外をがむしゃらに走り回るよりは効率的だ。

〈楔の塔〉の敷地はそれなりに広い。まずは、第二の塔〈金の針〉の方にロスヴィータは魚を飛ばした。ユリウスが脱出に成功したかを確かめるためだ。

 第二の塔〈金の針〉が見えてきたところで、ロスヴィータは気づく。

 二足歩行の黒い毛むくじゃらの巨体の魔物が見える。あれは、いわゆる人狼と呼ばれる種の魔物ではないか? その肩には、小柄な少女が担がれている。なるほど、確かに黒髪の少女だ。だが、ゾフィーではない。


「第二の塔〈金の針〉付近に、黒い人狼がいるわ。肩に女の子を担いでいるけど、ゾフィーじゃない……あっ、今、塔の中から魔術師達が出てきて、応戦してる」


 第二の塔〈金の針〉は、討伐室と守護室がある塔だ。戦闘の得意な魔術師達が常駐している。

 応戦している魔術師の中には、顔に×印の傷がある男──ダマーの姿もあった。


(あいつは、前にママを侮辱した嫌な奴……)


 同じように〈原初の獣〉の印を顔につけられ、引退を余儀なくされたロスヴィータの母を、ダマーは逃げ出した臆病者呼ばわりしたのだ。

 ただ、ダマーが討伐室の中でも実力者なのは間違いない。人狼相手に上手く立ち回っている。

 エラが小声で訊ねた。


「肩に担いでいる女の子は、一般人の方でしょうか?」


「そうね。きっと下働きの人間の中から、運びやすそうな小さい子を攫ってきたんだわ」


〈楔の塔〉には魔術師以外の下働きの人間も複数いる。食堂などで働いている者達がそうだ。おそらく、あの狡猾な人狼は、対魔術師戦の人質にするために、子どもを攫ったのだ。

 人狼は確かに強敵だが、討伐室の魔術師が複数で挑めば、決して勝てない相手ではない。


「ロスヴィータちゃん、あの人狼はどこから入り込んだのでしょう? 門の方は騒ぎになってない……ですよね?」


「言われてみれば、そうね……」


 人狼は肩に少女を担ぎ、魔術師達の攻撃を防ぎながら、時折遠吠えをしている。

 ……まるで、自分はここにいるぞ、と主張しているみたいに。

 エラがハッとしたように呟く。


「その人狼、もしかして……入門試験で現れた魔物かも」


「そういえば、エラは姿を見てたわね?」


「えぇ、鳴き声も……似てる、気がします」


 入門試験に現れた黒い人狼は、とうとう見つからずじまいだったという。

 魔物は長期間〈水晶領域〉を離れて生きていけないから、その人狼もまた、〈水晶領域〉に戻ったのだろう、と誰もが思っていた。


(でも、今は、状況が違うじゃない……)


 本来魔物が辿り着くことはできない、ダーウォック王城に魔物が現れたのだ。

 なら、〈楔の塔〉がそうではないと、どうして断言できるだろう。

 ふと、水の魚越しに人狼の動きを見ていたロスヴィータは気がついた。


(あの人狼、何がしたいのよ。全然、逃げる気配がないし、なんかやたらキョロキョロしてるし……)


 また遠吠え。そんなことをしたら、〈楔の塔〉の魔術師達は、皆そこに駆けつけるに決まっているのに。


 ──その時、ロスヴィータは一つの可能性に、思い至った。思い至ってしまった。


「……エラ。あの人狼のとこに行くわよ」


「えっと、ユリウス君を助けに行くんですね?」


「それもある、けど。それだけじゃない……」


 その続きを口にすることが、ロスヴィータにはできなかった。

 自分の考えが外れていてほしいと、頭のどこかで願ってしまったからだ。


 * * *


 ユリウスの前に立ち塞がっていた、第一の塔〈白煙〉塔主エーベルは、狼の鳴き声を聞くと同時に、構えた杖を下ろした。


「……どうやら、優先順位が変わったようですね」


 優先順位。つまり、ユリウスの口封じよりも先に、狼の魔物を始末したいということか。


「ザームエル・レーヴェニヒにとって、最も優先順位の高い存在が貴方だったように、私にとって最も優先順位の高いものは、塔の存続」


 エーベルは牢に背を向け、歩き出す。

 その背中に、ユリウスがアグニオールをけしかけたりしないと分かっているのだ。


「連綿と続く祈りを途切れさせてはならない。ミリアムは神の子に全てを捧げていますが、私はこの塔の在り方に全てを捧げているのです……そうでなければ、いままで人柱となってきた者達が報われないではありませんか」


 最後の言葉に、この女の本音が垣間見えた。


「なるほどな……貴様は過去の契約者を知っている、ということか」


 エーベルは足を止め、振り返る。

 その顔はやはり、優しげな老婦人のそれだ。


「魔物退治に尽力するなら、今だけは貴方の存在に目を瞑りましょう」


「クク……状況が落ち着いたら、殺しに来るか?」


「討伐の功績次第では、生かしておくことも考えますよ」


 まるで、編み物をしながら世間話をするような口調で言い、エーベルは地下牢を立ち去る。

 ユリウスは冷たくなっていた手を一度握って開いた。

 気づいてしまった真実、整理したくない感情、腹の中はまだグチャグチャだが、一つだけ分かることがある。


(今、見習い全員が、俺とゾフィーを助けるために動いている)


 その状況で、魔物が現れたのだ。ならば、するべきことはただ一つ。


「魔物狩りだ。行くぞ、アグニオール」


「行きましょう! 行きましょう! メラッと燃やしてさしあげます!」


 この状況、戦う手段を持たない者も、動いている可能性が高い。

 足の悪いフィンが巻き込まれていないことを、ユリウスは密かに祈った。


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