【1】血が通わぬ物の美しさ
「ユリウス坊ちゃん、またわたしは置いてけぼりですかー?」
「クク……仕方あるまい。お前を連れて行くと、精霊避けの結界に引っかかる」
その晩、ユリウスは契約精霊アグニオールの指輪を外すと、鍵付きの引き出しにしまった。
宿舎で同室のフィンは、少し前に眠ったところだ。いつもは早めに就寝するフィンだが、今日は珍しくランプの灯りを分けてほしいと言い、書き物をするユリウスの机のそばで、本を読んでいた。
少し前まで殆ど字の読めなかったフィンが、一人で本を読むようになったのだ。その成長がユリウスは静かに誇らしかった。
多分自分は父ザームエルと同じだ。人を試すことと同じぐらい、教えるのが好きな性分なのだろう。
フィンが読書を切り上げ就寝したのを確認してから、ユリウスは一人で部屋を抜け出した。
(……治安の良いことだ)
ユリウスは昔、浮浪児だったから分かる。本当に治安の悪い地域では、人は夜に出歩こうなんて考えない。暗闇に潜む人間の恐ろしさは、魔物と大して変わらないのだ。
周囲を城壁で囲われ、守護室の人間が見回りをしている〈楔の塔〉は、ユリウスが知るどの街よりも治安が良い。
宿舎を抜け出したユリウスは庭園に向かった。目指すは、庭園の管理人小屋だ。
あの管理人小屋で普段寝泊まりしている老人──ただの庭師に見えるその男こそ、〈楔の塔〉の整備を担う、整備室の室長クルーガーだ。
このクルーガー、ここ最近は持病の腰痛が悪化しているらしい。そして今日はギックリ腰をやらかしたらしく、医務室で寝泊まりをすることになったのだとか。
つまり、今夜はこの小屋を調べる絶好のチャンスなのだ。
この情報を流した、協力者のゾンバルトは、こっそり型を取って複製した合鍵をユリウスに握らせ、こう囁いた。
『侵入する時はアルムスター先生に気をつけてくださいね』
アルムスター。それは見習い魔術師の指導員の中で最年長の、いつもビクビクオドオドしている冴えない中年男である。
そんな彼は付与魔術の名手で、少々特殊な魔導具の作り手であるらしい。
何故、そのアルムスターに警戒する必要があるのか。疑問に思うユリウスに、ゾンバルトはある噂を教えてくれた。
『実はですね、アルムスター先生を整備室の室長代理にしてはどうか、って意見が上層部から出てるんですよ』
室長代理は、現室長クルーガーに何かあったら、そのまま自動的に室長になる。つまりは次期整備室室長だ。
そしてこの件を進めている上層部というのが、第一の塔〈白煙〉塔主のエーベルなのである。
メビウス首座塔主、ミリアム首座塔主補佐、〈白煙〉塔主エーベル──この三人には繋がりがあるとユリウスは考えている。そこにアルムスターも加わると考えて良いだろう。
(アルムスター教室の生徒はフィン、ルキエ、ゲラルトの三名──この三人が、アルムスターの配下になったという線は薄い……いや)
自分の甘ったれた考えに、ユリウスは苦笑する。
(繋がりはないと思いたいんだな、俺は)
声に出せるなら、クックックと皮肉げに笑い、俺も甘くなったものだ、と零していただろう。
ザームエル追放の理由と〈楔の塔〉の秘密に、見習いの仲間達は関与していてほしくない。それがユリウスの本音だ。
ユリウスは小屋に近づいた。小屋のカーテン越しに僅かな灯りが見える。その灯りのそばに見えるシルエットを見て、ユリウスはそれが誰かを察した。
痩せた体とモジャモジャ頭──おそらく、アルムスターだ。
ユリウスは窓に近づき、耳をそばだてた。室内からは微かに、アルムスターの声が聞こえる。
「……あぁ、とても敵わない……もっと……もっと……」
アルムスターは、いつもビクビクオドオドし、不安そうな声を出す男である。
だが今聞こえた呟きからは、素晴らしい絵画を見た画家のような憧憬と陶酔を感じた。
(敵わない? 何と何を比較した上での発言だ?)
呟きと共に聞こえるのは、微かな作業音だ。
(どうやらアルムスター先生は、整備室室長代理候補として、小屋の留守番を任されているらしい……つまり、留守番が必要な何かがここにあるということか)
セビル達との情報交換で、庭園に地下への入り口があるのではないか、という話になってから、ユリウスはずっと考えていた。
重要な入り口を、剥き出しにする可能性は低いのではないか?
そう考えると一番怪しいのが、この小屋なのだ。
早くアルムスターが寝てくれないだろうか、とユリウスが焦れていると、室内から何か小さく硬い物が倒れる音が聞こえた。
「あぁ、オイルが……うん、ごめんね、今綺麗な着替えを持ってくるからね」
一瞬、ゾッとした。なんだ、何に話しかけた──その答えに思い至り、二度ゾッとする。
部屋の灯りが落とされ、扉が開く音がした。アルムスターが小屋を出たのだ。おそらく着替えとやらを取りに行くつもりなのだろう。
これはチャンスだ。ユリウスはアルムスターの姿が見えなくなったのを確認して、複製した鍵を取り出し、小屋の中に入り込んだ。勿論、内側から鍵をかけることも忘れない。
当然だが、小屋の中は真っ暗だ。何も見えない。こういう時、アグニオールの指輪があると、灯りを灯すのに便利なのだが、今は置いてきているから仕方がない。
ユリウスは短縮詠唱をして、指先に小さな火を灯した。小屋の外から気づかれないよう、ギリギリまで小さくした火で、右手の方から順番に室内の様子を確かめる。
寝泊まりに必要な物を最低限揃えただけの、こざっぱりした小屋だ。庭仕事に使う道具は、小屋の外の用具入れに収納しているので、室内にはその手の道具がない。
(そういえば、ローズも土いじりをする時は、外の用具入れから借りると言っていたな……)
つまり、道具を借りに来た人間がいても、小屋に入れる必要がないのだ。
(そもそも、整備室の室長が、こんな小屋に泊まる理由はなんだ? 近くに宿舎があるというのに)
部屋の隅にある作業机を照らしたユリウスは、顔をしかめた。
作業机にはいくつかの人形が並んでいる。少女を模した、陶器製の高級人形だ。人形作りに使うと思しき、小さなナイフやヤスリ等の道具が机に散らばっている。
指導室の魔術師アルムスターは、この国でも数少ない人形型魔導具職人だ。
魔導人形と呼ばれるそれは、魔力付与することで自由に動かすことができるという。
金の巻毛の少女人形は、花の髪飾りが可憐だ。宝石を散りばめた豪奢なドレスを身につけて、可愛らしく微笑んでいる。
栗毛をふんわりとまとめた少女人形は帽子を被り、造花のブーケを胸に抱いていた。その造花は目を疑うほど精緻な金属細工だ。
銀の直毛の少女人形は、楚々としたドレスを身につけ、繊細なレースのヴェールをかぶっていた。
人形そのものの出来栄えも素晴らしいが、身につけている服や小物も一級品だ。ユリウスはザームエルに鍛えられているので、この手の物の審美眼に長けている。
今は頼りない灯りだけが頼りなので正確な鑑定はできないが、相当な値がつくことは間違いないだろう。
(……しかし、随分とこだわりの強そうな人形だ)
人はよく出来た人形を見ると、「まるで生きているかのよう」「本物の少女のようだ」と口にする。
だが今ここにある人形は、「人形だからこそ美しい」のだ。作りものめいた美の究極系とでも言うべきか。
血の通った人間らしい生々しさは求めず、芸術品としての美を追求したような、執念ともいえる凄みを感じる。
(……これを作った人間は、人間が好きではないのだろうな)
アルムスターを見る目が変わりそうだ。
ふと、ユリウスはテーブルの上に、一つだけ作りかけの人形があることに気がついた。
白い肌に真っ直ぐな黒髪の人形、その頭部だ。横には製作図があり、黒髪に白いドレスの少女人形の完成図が細かに描かれている。
(なるほど、これを作っていたわけか)
ひとまず、今は人形は放っておいて良いだろう。
床を重点的に調べていると、部屋の奥の床に取っ手が見えた。持ち上げると、下に階段が見える。
(空気は澱んでいない。風が流れている……外に繋がっているのか?)
ユリウスは僅かに逡巡したが、すぐさま引き戸を持ち上げて階段の中に滑り込み、戸を元の位置に戻した。




