【29】詐欺師の便利な「ま・さ・や」の法則
フレデリクの部屋を後にしたティアは、ペタペタと歩きながら考える。
おそらく魔物達は、〈水晶領域〉を離れる手段を手に入れたのだ。それも、ごく僅かな魔物が独占するのではなく、複数の魔物に分け与えられている状況にある。
魔物達は魔力濃度の濃い土地でないと生きられないため、長年〈水晶領域〉に閉じ込められてきた。
その枷がなくなったら、魔物達は望むままに、執着する人間に近づくだろう。
ある者は人を喰らい、犯し、なぶり、熱を奪い、そして好みの感情を啜る。〈原初の獣〉のように人との力比べを望む魔物は、嬉々としてその爪を振るうだろう。
──いずれ、魔物と人の大きな戦いが始まる。或いは、もう始まっているのだ。
その時、ティアはどの立場を選べば良いのか……いっぱい、いっぱい、いっぱい考えたけれど、どうしたら良いかが分からない。
(お姉ちゃん達、殺されちゃったの? もういないの?)
悲しい。とても悲しい。悲しい気持ちを昇華するために歌いたいけれど、ここは人の群れの中だ。
仲間のハルピュイアを殺した人間がここにいる。ならば報復は当然だ。殺して首折り渓谷に捨ててしまえばいい。
……そういう、ハルピュイアにとって当たり前の選択に、躊躇している自分がいる。
(魔物側についたとして、わたしは、レンやセビルが魔物に食べられそうになるのを、黙って見てられない。絶対やだ)
それだけが、今のティアにとって確固たる事実だった。
だけど、その事実をもとに、何を選べば良いのかが分からない。
(いっぱい考えても、分からない、なら……)
ティアはペフッと息を吐き、ペタペタと廊下を走りだした。
* * *
会議室を出たヒュッターは、「あぁー」と声を漏らしながら、凝った肩をグルグル回した。流れるように腰もトントンと叩く。
魔物の襲撃が一段落した後も、被害状況の把握に、救援物資の手配、各地への報告、連絡網の見直し、などなど、考えるべきことは多くあり、そういった諸々の調整役にヒュッターは駆り出されていた。
ランゲの里側は当主のフレデリクが負傷しており、かなり戦力が減っている。
なので、アクスの家から駆けつけたリカルドが色々と頑張っていたのだが、そうすると今度は、ランゲ一族の重鎮達が良い顔をしない。
同じ魔物狩りの一族同士、仲良くすれば良いだろうに、そこはメンツの問題があるらしい。嫌な話である。
更に言うなら、〈楔の塔〉側がでしゃばっても、それはそれで良い顔をされない。
そういう時、〈夢幻の魔術師〉カスパー・ヒュッターというのは、とても丁度良い存在なのだ。
建前上は〈楔の塔〉の魔術師だが、出向しているだけの人間であり、かつ一目置かざるをえない高名な実力者である(実際は詐欺師だが)。
そういうわけでヒュッターは、〈楔の塔〉の魔術師、ランゲの人間、アクス家代表のリカルドの間を繋ぐ緩衝材のような役割をしていた。
場がギスギスしたら「ままままま」。
(使用例「まぁまぁまぁまぁまぁ、みなさん、少し落ち着きましょう。どちらの言い分もご尤もです」)
話を進めたい時は「さささささ」。
(使用例「さぁさぁさぁさぁさぁ、こちらにどうぞ。早速サインをちゃちゃっと。はい、ありがとうございまーす」)
適度に謙遜したい時は「ややややや」。
(使用例「ややややや、私はそんな大したことなんてしていませんよ。皆さんの尽力があってこそです」)
今日から使える、詐欺師の便利な「ま・さ・や」の法則である。そのうち、生徒達にも伝授してやろう。
……なんてことを考えていたら、生徒の一人、ティアがこちらに駆け寄ってくるのが見えた。
「ヒュッター先生。お話ししたいことがあるの」
(んー、ここは後回しにしない方がいいな)
魔物の襲撃で大人だって神経が擦り減っているのだ。子どもなら尚更だろう。
ましてティアは実際に魔物と遭遇しているのだから、メンタルケアはしておいた方がいい。
詐欺師は周りから信頼されてナンボなのだ。信頼を稼ぐ機会は見逃せない。
「いいぞ、歩きながら話すか」
ヒュッターは少し歩幅を縮めて、ティアが歩くペースに合わせた。
ティアは相変わらずペタペタした歩き方だが、初めて見た頃より腰が落ちていないし、膝が曲がるようになってきたな、と思う。
「あのね、わたし……」
そこでティアは少し言い淀んだ。言いたくないのではなく、言葉を整理しているように感じたので、ヒュッターは黙って続きを待つ。
ティアはまた口を開いた。
「どっちかを選ばなくちゃいけなくて、でも、選べなくて。どうしよう、ってなっちゃって」
(どっちかを選ぶ? なにそれ、恋愛の話?)
ヒュッターはティアの周りの人間関係を思い出す。多分、そういう話じゃない気がした。
もしかして就職の話だろうか? たとえば、二つの部屋から「うちの所属にならないか」と誘われている、なんていかにもありそうだ。
ティアは飛行用魔導具を使いこなせる貴重な人材だし、同時に希少な歌詠魔術の才能がある。
「ヒュッター先生に、自分で考える癖をつけろって言われたから、いっぱい考えたの。すごくいっぱい考えた。それでも、『どうしよう』の答えが出ない時、ヒュッター先生はどうする?」
ティアは具体的な説明は避けた。もしかしたら、スカウトした部署の人間から「この話は他の人には内緒だよ」と口止めされているのかもしれない。
ヒュッターはふーむと唸り、ティアにも分かる噛み砕いた説明を考える。
「そうだな、たとえばお前が、二つの商会から『うちで働かないか?』と勧誘されたとする。どっちの条件も魅力的だ。選ぶのが難しい。いっぱい考えたけれど、どっちを選ぶか答えが出ない」
「うんうん」
「そういう時に必要なのは、『考える』の前に『調べる』だ」
「ペヴッ……!」
ティアは驚いた顔をしている。
やっぱりな、とヒュッターは思った。これは以前から思っていたのだが、ティアは調べごとの類が苦手だ。
分からないことがあると、とりあえず近くにいる親しい人に訊いて、それで解決してしまう。
「まずはその選択肢について徹底的に調べろ。人に訊くなら、なるべく大勢に訊け。そうして情報を集めてから、もう一回考えるんだ」
「じょーほーを、あつめる……」
詐欺師だからこそ断言できる。考えるためには情報がいるのだ。
情報を並べて、整理して、そこから考えることが始まる。
ただ、いくら情報収集をして考えても、結論を出せないこともあるだろう。
「それでも選べなかったら、選ばないってのも選択肢だ。世の中にはスカウト全部蹴って、旅に出るって奴もいるしな」
「すごい。そんな人いるの」
「いるいる、選択肢は与えられるものじゃない、自分で作り出すものだ! って具合にな」
若気の至り大爆発の俺だ、とは言わないでおく。
この場合、自分で作りだした選択肢があまりにショボくて、後から死ぬほど恥ずかしくなるところまでセットである。大人って辛い。
「ピヨップ! それ、カッコイイね!」
尊敬の目を向けるティアに、ヒュッターは苦味を知る大人の顔で言った。
「まぁ、なんにせよ、結論を出すタイミングには気をつけろよ。あまり遅すぎると、両方からそっぽを向かれることもあるからな」
「ペゥゥ……ヒュッター先生も……」
「ん?」
チラリとティアを見る。
琥珀色の目はどこか寂しげだった。
「ヒュッター先生も、そっぽ向いちゃうかなぁ……」
ヒュッターは軽く瞬きをする。ティアの懸念が分からなかったのだ。
ただ、不安を抱いている相手がいるなら、詐欺師がすることは決まっている。
不安を煽るか、取り除くかだ。今は後者一択。
「俺は先生だからな。お前がそっぽ向かれたら、新しい就職先を探してやるよ。そういうの得意、超得意」
だって詐欺師だし。と胸の内で呟き、自信たっぷりにニヤリと笑う。
ティアはペフンと安心したように息を吐く。そうして吊り気味の目尻を下げ、あどけなく笑った。
「ヒュッター先生、ありがとう」
「おう、先生だからな」
* * *
(考えて考えて結論を出す前に、じょーほーしゅーしゅ)
ティアは自分にそう言い聞かせる。
生き残りの仲間はいるのか──いるはずだ。ハルピュイア討伐がおよそ二年前。そして最近、ダーウォック王城でハルピュイアらしき魔物が目撃されている。
他にも気になることはある。魔物達が〈水晶領域〉を出られるようになった手段とは何か、誰が拵えたのか。
(わたし、すぐに結論出して、何かしなきゃって思ってた。ヒュッター先生とお話して良かった……)
殺し合いを始める前に、まだできることはあるはずだ。




