【6】蛮剣姫
三年に一度の〈楔の塔〉入門試験が終わった翌日の朝、三流詐欺師の〈煙狐〉もとい、〈夢幻の魔術師〉カスパー・ヒュッターは慌てて髭を剃っていた。
黒獅子皇の命を受けて、〈楔の塔〉に潜入して早一ヶ月。
指導室の仕事は、これからやってくる魔術師見習いどもの面倒を見ることらしい。そのため、睡眠時間を削って、魔術史や帝国史の教科書を読み返し、授業の準備をしていたら寝坊したのだ。
これから一年間、見習い魔術師達は、午前中は全員、共通の授業を受ける。これは指導室の魔術師達が交代で教鞭を取るものだ。
そして午後は個別教室。各々が所属する教室で専門的な授業を受ける。
(確か、新入りは十二人って話だったな……今回の指導員は四人で、一人三人ずつ生徒を受け持つらしいが……)
ヒュッター教室の生徒は三人。
午後の個別授業で何を教えるかは、指導員に任せるという大変放任的なスタイルであった。
〈楔の塔〉の魔術師達は、独自路線の魔術を扱う者も多いので、自主性を大事にしているらしい。
(いざとなったら、俺は肉体言語を大事にしている魔術師だから、走り込みと筋トレをしよう……って感じで誤魔化すか……いやでも、それで一年保たせるのは厳しいし……)
午後の個別授業の内容を考えるのも大変だし、午前の共通授業の用意も地味に辛い。
ヒュッターは表向きは魔術師組合の人間だ。そのため、当初は基礎魔術に関する授業を期待されていた。
だが魔術の知識のない彼は、「いやー、すみません! 私は幻術一筋の幻術馬鹿なので!」でゴリ押し、魔術史や帝国史といった歴史関係の授業を受け持つことに成功したのである。
(くっそ、この年になって、また勉強する羽目になるとは……帝国史は学生時代にやったけど、魔術史は魔法大学で詐欺をする時にちょっとかじった程度なんだよな……)
ため息混じりに髭の剃り残しがないかを確認し、ローブに着替え、眼鏡をかける。
そうして堅物魔術師の顔を取り繕ったヒュッターは、早足で第一準備室に向かった。
第一の塔〈白煙〉の二階にある第一準備室は、見習いの指導員となった魔術師達が打ち合わせをするための部屋だ。
部屋には、既にヒュッター以外の指導員達が着席していた。奥の席に座った室長のヘーゲリヒがジロリとヒュッターを見る。
「いやー、どうも、おはようございます」
ヒュッターはヘコヘコと頭を下げながら、自分の席に向かう。すると、隣の席の同僚、ゾンバルトに「おはようございます」と笑いかけられた。
ゾンバルトは二十代後半の金髪の男だ。いつも白い歯を見せて爽やかに笑っている。
爽やかすぎて逆に胡散臭ぇな、とヒュッターは常々思っていた。
「大変ですね、ヒュッター先生」
大変ですね、なんて言葉を爽やかに笑いながら言うな。そういう台詞は同情的な顔で言うべきだろうが……と考え、気づく。
何が大変だと言うのか。
ヒュッターが怪訝に思っていると、室長のヘーゲリヒが口を開いた。
「では全員着席したところで、机のリストを見たまえ。そこに今回の合格者十二名の担当指導員が記載されている」
どれどれ、とヒュッターはリストを手に取る。
ヒュッター教室の生徒は三名。
ティア・フォーゲル、レン・バイヤー。そして……。
──アデルハイト・セビル・ラメア・クレヴィング。
ヒュッターは堅物魔術師の顔を取り繕いつつ、発言した。
「ヘーゲリヒ室長。私の教室に、皇妹殿下っぽい名前の子がいるのですが」
「アデルハイト殿下ご本人だよ、君ぃ」
「ちょっ、ちょっ、ちょ……いや、なんすかそれ」
思わず堅物魔術師の皮が剥げて、本音になってしまった。
だが、それでヒュッターの正体を怪しむ者はいないだろう。自分の教室に皇妹殿下がいるなんて言われたら、誰だってそうなる。
しかもヒュッターは──三流詐欺師〈煙狐〉は、皇帝陛下直々の命令で、正体を隠して潜入している身なのだ。
(あの黒獅子皇の妹だぁ? ……おいおいおいおい、聞いてねぇぞ、皇帝様よぉ!!)
先帝は王妃も側室も愛妾も複数いたので、とにかく子どもが多かった。公にはされていない隠し子もゴロゴロいる。
帝国人ともなれば、皇帝一族の名前は全て言えて当然──と言いたいところだが、果たしてどれだけの帝国民が、皇帝一族全員のフルネームを答えられるだろう。それぐらい人数が多いのだ。
正直ヒュッターも全員は自信がない。王子が三人だけの、お隣のリディル王国を見習ってほしい。
(それでもアデルハイト殿下は分かるぞ……南の異民族の血を引く、〈蛮剣姫〉だ)
帝国の南に位置する草原の国トルガイは、複数の部族から構成されていて、その内の一部は帝国側に敗北し、帝国と従属関係を結んでいる。
そうして帝国側に献上された族長の娘が産んだ娘が、アデルハイトだ。
帝国側に従属していないトルガイの部族は、既に帝国側に屈した部族を裏切り者と誹り、攻め込んでくることがある。
そういう時、戦場に駆り出されるのが、アデルハイトの部隊だ。
帝国貴族からは異民族の血を引く娘と嘲笑され、母の故郷トルガイの民からは帝国に寝返った裏切り者と憎まれる。
それでもなお、母の故郷の曲刀──蛮剣を振り回し、戦場を駆ける苛烈な姫。そうしてついた通り名が〈蛮剣姫〉だ。
(黒獅子皇は何考えてんだ、妹まで〈楔の塔〉に寄越すとか……いや、待てよ)
アデルハイトは異民族の血を引く姫として、帝国でも持て余されている存在だ。
国内貴族で、彼女を正妻に迎えたいと思う者はいないだろう。
……となると、アデルハイトもまた〈煙狐〉と同じで、黒獅子皇にとって捨て駒という可能性もあるのではないだろうか?
(それか、ここにアデルハイト殿下がいるのは、黒獅子皇も想定していなかった事態って線も捨てきれないが……あぁ、くそっ。とりあえず、連絡係のハイディちゃんに報告しねぇと)
気がつけば、室内の全員が息を殺してヒュッターを見ていた。
ヒュッターはクイと眼鏡を持ち上げ、堅物魔術師の皮を被り直す。
「ヘーゲリヒ室長。皇妹殿下の指南役は、私の手に余ります」
「エーベル塔主直々のご指名だよ。諦めたまえ」
それはつまり、皇妹殿下に何かあったら、ヒュッターを切り捨てようということではないだろうか。
黒獅子皇にも、〈楔の塔〉にも、いつでも切り捨てられる駒扱いされている。
あぁ、神よ。俺が何をしたというのか……と嘆く詐欺師に、同僚のレームが身を乗り出して言った。
「ヒュッター先生。私達もフォローしますからっ!」
レームの横で、ゾンバルトが白い歯を見せて爽やかに笑う。
「共通授業で教えるのは、僕達も同じですしね。まぁ、気楽にやりましょうよ!」
気楽にやれるわけねーだろ、この爽やかクソ野郎。とヒュッターは密かに歯軋りした。
* * *
第一の塔〈白煙〉の食堂の一番端にある長いテーブルで、レンは美味しそうな食事に手をつけることもなく頭を抱えていた。
席順は一番端からレン、セビル、ティア。向かいの席は端からオリヴァーとローズだ。
同じ見習い魔術師である、とんがり帽子の少女、蛇っぽい黒髪の少年、それと気弱そうな小さい少年は、どこかにいなくなってしまった。
彼らだけでなく、食堂にいた魔術師達は皆そそくさと食堂を後にしているか、遠巻きにしてセビルを見ている。いつもなら美少年に注目しろとぼやくところだが、今はそんな文句も出てこない。なにせ皇妹殿下だ。そりゃ注目もする。
レンは覚悟を決めて、口を開いた。
「えー、それで、アデルハイト殿下におかれましては、何故、この〈楔の塔〉に参られたのでございましょうか……」
「勿論、魔術を学ぶためだ。レンよ、そうかしこまるな。今まで通り、気安く接するが良い」
なんて無茶を言いやがる、とレンは唇を曲げて黙り込んだ。
セビルの向こう側では、ティアがパンを小さく千切って食べながらレンを見ている。
「レン、顔がシワシワしてるよ」
セビルも大きな一口でパンを食べながら言った。
「どうした、美少年に戻らぬのか?」
「……あーもうっ!」
レンは両手で顔をこねると、バッと勢いよく顔を上げた。高い位置で結った金髪が、ファサッと揺れる。
その顔は、いつものキラキラ美少年だ。
「じゃあ、言うけどさっ、魔術を学ぶ場所なんて他にもあるだろ! 金があるんだから、魔術師を雇って家庭教師にすりゃいい! わざわざ〈楔の塔〉を受験するなんて、政治的な事情がありますって言ってるようなもんなんだよ! そうなんだろ!? 頭脳派美少年なめんな!」
「うむ、その威勢。いつものレンだな」
満足げに頷くセビルの向かいの席で、ローズが感心したように「レンは頭が良いんだな!」と言う。
ティアはフンフン頷いた。
「そうだよ、レンは頭が良い! すごく良い!」
「頼りになるぜ!」
美少年を褒め称えるのは良いことである。だからティアは許そう。
だが、大人二人。お前らは駄目だ──と、レンはローズとオリヴァーを睨んだ。
「しっかりしてくれよ、そこの大人二人!」
のほほんと野菜を食べているローズの横では、オリヴァーが真剣に朝食の皿と向き合っていた。
〈楔の塔〉の朝食は、大皿に盛り付けた物が、テーブルの中央にいくつか置いてあって、そこから各自で取るスタイルになっている。
ティアは少食なのかパン一つ。セビルは芋のスープと腸詰め肉が多め。ローズは野菜中心……と偏っている中で、オリヴァーは真剣に朝食を吟味し、バランス良く皿に盛り付けていた。
しっかり野菜を噛み締め、飲み込んでから、厳かな口調でオリヴァーは言う。
「朝食は一日の始まり。よく噛み締めて食べるのだ」
オリヴァーの横では、ローズがモジャモジャヒゲを汚しながら芋のスープを飲み、感心している。
「芋のスープ、美味しいな! オレ、これ好きだなぁ。作り方教えてもらいたいぜ!」
もうこいつらは放っておこう、とレンは決めた。
そうこうしている間に、ティアがパンを食べ終える。
「ティア、それで足りるのか? わたくしの肉を分けてやろう」
「ううん。わたし、これで充分」
腸詰め肉を勧めるセビルに、ティアはフルフルと首を横に振る。遠慮しているわけではなく、本当に少食らしい。
(いや、今は飯の話してる場合じゃないだろ……)
このままでは、誰もセビルの事情に突っ込まないまま、朝食を終えてしまう。
レンは眉間の皺をグニグニ揉んで伸ばし、セビルを睨んだ。
「……で、どういう事情で〈楔の塔〉に来たんだよ」
「うむ。兄に北方連合のダーウォックに嫁げと命じられてな。頭にきたので皇位簒奪してやろうと思ったら、返り討ちに遭ったのだ」
想像以上に物騒だった。
皇位簒奪──つまり、兄に剣を向けたのだ。この物騒女は。
「兄には契約精霊が二体もついているから、暗殺は容易ではない。そこで、兄も干渉できない〈楔の塔〉に身を置けば、結婚を回避でき、精霊に対抗する魔術も学べると考えたのだ」
そこで言葉を切り、セビルはスプーン片手に何かを考え込むような仕草をした。
「結婚を回避することができ、兄に対抗する力を得られる……即ち、一度で二度の得がある。そうだ、庶民はこういうのを『お得』と言うのであろう、レン?」
「やめろよ、お姫様がお得とか言うなよ、もうっ!」
頭を抱えるレンとは対照的に、ティアがいつもの調子で言う。
「お得って、良いことだよね? じゃあ、セビルは〈楔の塔〉に来られて、良かったねぇ」
「うむ!」
ティアの言葉に頷くセビルは少し得意気で、そしてあんまり嬉しそうなものだから、レンはそれ以上何も言えなくなってしまった。
だって、入門試験に合格して、嬉しくて内心はしゃいでいるのは、レンも同じなのだ。
セビルの事情に言及することは諦め、レンは朝食と向き合う。大皿の料理は残り少なくなっていて、特に腸詰めは一つもない。
(あんまり良いもんばっか食うのも、母さんに悪いし……パンとスープでいいか)
レンがパンを手に取ると、セビルが自分の皿に山ほど盛りつけた腸詰め肉を二つ、レンの皿にのせた。
「食べておくが良い、育ち盛り」
「遠慮なんてしてやらねーぞ。美少年だからな」
「調子が出てきたではないか。これからもその調子で、わたくしを楽しませるが良い、美少年」
「楽しませるための美少年じゃないってーの。オレのための美少年ですぅー」
レンが唇を尖らせて言い返すと、セビルは楽しそうに声をあげて笑った。




