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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
八章 境界の魔女
202/207

【17】フレデリク・ランゲの隠しごと


「心配したぞ、ティア! レン!」


 夕方より少し早い時間、ランゲの屋敷に到着したティアを抱きしめたのはセビルだった。

 セビルは抱きしめたティアに頬擦りをしてくれたので、ティアも嬉しくなって頬をグリグリした。


「怪我はないか? レンはどうした?」


 そう言ってセビルは、フレデリクに背負われているレンを見た。

 蜘蛛の魔物と遭遇し、凄惨な現場を目にしたレンは、あれからずっと気絶している。

 フレデリクはレンを背負い直しながら、穏やかに答えた。


「大きな怪我はないよ。ここに戻る途中で魔物に会って、ちょっと怖い思いをさせちゃったんだ」


 フレデリクの答えに、セビルはホッとした様子だった。

 そこに、「フレデリク!」と声を荒らげながら、中年の男が駆け寄ってくる。薄茶の髪に長身の男だ。服装の雰囲気から、ランゲ一族の人間なのだろう。


「叔父上、ただいま戻りました」


「蜘蛛が出たと聞いたぞ」


「えぇ、二体ほど駆除しました。人語を理解していましたが、上位種ではなさそうです」


「……そうか」


 フレデリクの叔父だというその男は、ティアとレンをチラリと見た。

 その目が、ティアとレンをまじまじと観察したように見えたのは、ティアの気のせいではないはずだ。

 男は声をひそめ、フレデリクに訊ねる。無論、耳の良いティアには全部聞こえているのだが。


「その二人は、行方不明になっていた子ども達だな? 印付きなら別室に……」


「大丈夫です。僕が確認しました」


 何やら意味深なやりとりだ。

 ティアがじぃっと見つめていると、男は気まずそうに目を逸らした。


「私は、その少年をどこかで休ませてこよう」


 そう言って男はフレデリクから、気絶しているレンを受け取る。

 そこにすかさずセビルが「わたくしも行くぞ」と同行を申し出た。

 なんとなく男から不穏な空気を感じていたので、レンを一人にしなくて良いのは有り難い。

 フレデリクの叔父とセビルは、レンを連れて別室に向かい、ティアはフレデリクと共に会議室に向かった。これから、それぞれの情報を共有するのだ。

 ただ、会議室で大勢と話をする前に、ティアには確認したいことがあった。


「フレデリクさん」


「うん?」


「印付きってなぁに?」


 フレデリクは困ったように視線を彷徨わせた。

 ティアは知っている。この人は、嘘や誤魔化しが得意ではないのだ。

 フレデリクは会議室の手前で扉を開けた。物置に使っているらしい小部屋だ。どうやら内緒の話らしい。

 二人は部屋に入ると、扉をしめた。


「こんなところで、ごめんね。あまり人に……〈楔の塔〉の人に聞かれたくない話だから」


 そう前置きをして、フレデリクは話し始めた。


「魔物の中には、気に入った獲物は殺さないで、傷をつけたり、なんらかの印を残したりする奴がいるでしょ」


 有名なのは〈原初の獣〉だ。

 人間と戦うことが好きな〈原初の獣〉は、再戦したいぐらい気に入った人間は殺さず、顔に×印の大きな傷を残す。

 これは自分のお気に入りの獲物なのだという、いわば目印だ。

〈原初の獣〉は、他の魔物に獲物を取られぬよう、分かりやすく目立つ印を残す。

 だが、中には自分だけ分かればそれで良いから、と分かりづらい目印をつける魔物もいるという。


「そうやって印をつけられた人間を……うちの家では、印付きって呼ぶんだ。印付きは、魔物を呼び寄せる。だから……」


 フレデリクの顔が歪む。苦々しげに。


「ランゲでは、印付きになった者は……囮に使う決まりなんだ」


 その言葉に、ティアはそれほど驚かなかった。

 群れの中で弱った一匹を、囮にして狩りをする──よくある話だ。

 ただ、フレデリクはそのやり方を好ましく思っていないのだろう。だから、ティアとレンに「印付きか」と言われた時、強めに否定した。


(フレデリクさんは、そういうのが嫌なんだろうな)


 フレデリクはランゲ家の当主(仮)だという。それでも、家の方針を決められるほどの権限はないのだ。

 それは、ティアもなんとなく分かる。何故ならティアもまた、ハルピュイアの群れの女王(仮)だったからだ。

 女王(仮)は他のハルピュイアよりちょっと強いだけで、群れの在り方を決定するような権限はない。


「……嫌な話でしょ? 古い家では、よくあるんだ。古典魔術の名家オーレンドルフでは、印付きは殺すか幽閉だって聞いたことがある」


 同じ人間でも、住む場所や所属する組織が違うと、考え方や常識が異なることが多々ある。

 それは、魔物狩りのランゲと〈楔の塔〉でも同様なのだ。

〈楔の塔〉では、印付きを囮にしたり、あるいは幽閉したり、殺害したりということはしない。寧ろ、ダマーのように強者に認められた証と考える者もいる。

 ティアは色々と腑に落ちた気持ちだった。


「そっかぁ……だから、フレデリクさんは〈楔の塔〉に来たんだね」


 えっ、とフレデリクが小さく声を漏らす。

 ティアは琥珀色の目で、じぃっとフレデリクを見上げた。


「だって、フレデリクさん、嘘とか隠しごとが上手じゃないでしょ。お家にいたら、きっと誰かに気づかれちゃうもの」


「…………何の話」


 フレデリクの目元がピクリと震えた。応じる声は、動揺に掠れている。


「オリヴァーさん、印付きだよね」


 魔物が残す印は、〈原初の獣〉のように分かりやすいものもあれば、パッと見ただけでは分からないものもある。

 多分、オリヴァーは後者だったのだ。

 魔物の中には、肉体だけでなく、人間の血を啜ったり、夢や記憶を食ったりする者もいる。

 そして、感情を好んで食らう魔物も。


「多分、食べられたのは『恐怖』かな? オリヴァーさん、恐怖が麻痺してるんじゃなくて、恐怖を食べられちゃったんだ」


「…………」


「フレデリクさんは、それを隠したかったんだよね?」


 フレデリクは強張った顔のまま、フラリと背後の棚にもたれる。

 その顔には疲労の色が濃く、よく見ると目の下には隈が浮いていた。きっと、魔物の襲撃が始まってから、この人はろくに寝ていないのだ。


「……確証が、あるわけじゃないんだ。でも、確信はしてる」


 そう呟いて、フレデリクはその場にズルズルとしゃがみ込んだ。



 * * *



 フレデリクの弟オリヴァーは、普通の子どもだった。

 特別な才能があったわけではないが、家族思いで、真面目な努力家だ。

 そんなオリヴァーが、殊更勇敢そうに振る舞うのは、オリヴァーの生来の気質ではなく、兄が弱虫で臆病だからだと、フレデリクは自覚していた。

 子どもの頃のフレデリクは、魔物が怖くて、訓練が嫌いで、いつもメソメソ泣きながら、大人達から逃げ回っているような子どもだったのだ。


『魔物狩りなんてしたくない。きっといつか、魔物に食べられて死んじゃうんだ……ひぃん……やだぁ……』


『大丈夫だ、兄者! 兄者には俺がついてる! 俺は魔物なんて怖くないぞ! 俺は恐怖を知らぬ男だからな!』


 フレデリクが部屋に閉じこもって泣き言を言う度に、オリヴァーは兄を励ました。

 自分は強い、怖いものなんてない、と懸命に強調して。



 * * *



「オリヴァーは普通の子どもだったんだ。本当に、普通の……」


 呟きながら、フレデリクは思い出す。幼い日のことを。


 夜道で物陰からウサギが飛び出してきた時、オリヴァーはビックリして尻餅をついた後、「ここは滑りやすいから、兄者も気をつけた方がいいぞ」と涙目で主張した。


 雷が鳴っていた日、轟音を怖がったオリヴァーは、唐突に耳を塞いで歌を歌い始めた。曰く、「良い天気だから、歌いたくなったんだ」。


 夜、一人でトイレに行くのが怖かったオリヴァーは、兄についてきてくれと言えず、一人で廊下を爆走してすっ転び、漏らして廊下に水たまりを作った。


「……強がりなだけで、本当は怖がりだったんだ」


 隣に座るティアは、じぃっとフレデリクを見つめていた。

 同情するでもなく、気遣うでもなく、かといって、好奇心を滲ませるでもなく。


「小さい頃のフレデリクさんと、オリヴァーさんって、仲良しさん?」


「……どうだろ。まぁ、悪くはなかったんじゃないかな」


 自分は魔物狩りなんてしたくないのに、やる気に満ちている弟が煩わしいと思う時もあった。

 兄の自分が弱虫だから、弟に無理をさせているという引け目もあった。

 そういう複雑な感情はあったけれど、最終的にどう思っていたかと言われたら、「まぁ良い弟だよね」と好意的に見ていた……気がする。

 昔の話だ。もう、鮮明になんて思い出せない。


「いつから、オリヴァーさんは変わったの?」


「父が蜘蛛の魔物に殺された時……だと、思う」


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