【15】否定するための考察
奉仕活動を終えたレンは、ティアと一緒に軽く昼食を済ませ、魔女の家を発つことにした。
なにせランゲの里が魔物に襲撃されている最中に、レンとティアは失踪してしまったのだ。
あれからおよそ一日が経過している。戻るなら早い方が良い。
(なにより、カイって奴がいつ戻ってくるか分からないし)
ティアに人の姿を与えた魔女様の正体は〈彩色庭園レベッカ〉。
初代〈茨の魔女〉レベッカ・ローズバーグの魂を、半分だけ宿した古代魔導具だ。
〈彩色庭園レベッカ〉は他者の色と魔力を得て、それをガラス球に溜め込む。必要に応じてその魔力を消費することで、初代〈茨の魔女〉が操る魔術を全て再現できるらしい。
ティアに人の皮を与えたのも、旧時代の魔術なのだろう。
(問題は、〈彩色庭園〉を盗んだハルピュイアが死んだ後、いつ、カイが〈彩色庭園〉を手に入れたか。カイは何者か、だけど……)
カイに関することもさりげなく訊いてみたが、魔女は何も答えてくれなかった。亡きハルピュイアの話を最後に、彼女はもう何も語らない。
今も、屋敷を出ようとするレン達を見送りに来るでもなく、最初に見たガラス球の部屋でじっとしている。
……おそらく魔女は本調子ではないのだろう、とレンは推測している。
魔女は殆ど動かないし、喋らない。動く時は必ず手元に、色と魔力を貯めたガラス球を引き寄せる──魔力を補給しないと、身動きが取れないのだ。
(契約者のカイが近くにいないからか、それとも、魂の半分が欠けている不完全な状態だからか……他に理由があるのかは分からないけど、調子絶好調! って感じじゃないんだろうな)
ティアとレンを助けた代償に、色を要求しなかったのは、おそらく契約者がここにいないからだ。
(まぁ、契約者がいなくても、この家と人の皮を維持するだけの力は溜め込んでるみたいだけど……)
門を潜ったところで、レンは美しい庭園に囲まれた屋敷を振り返る。
四つの季節を並べた異形の庭──もう二度と見ることはないだろうから、目に焼き付けておこうと思ったのだ。
「レン、行こう」
ティアが声をかけたその時、門を潜って何かがスルスルとレン達を追いかけてくる。
滞在中、何かとレンを案内してくれた薔薇の蔓だ。蔓はレンを追い抜かして、南の方角に進んでいく。
ティアがピョフフンと嬉しそうな声をあげた。
「道案内、してくれるって」
「お前、あの魔女様に気に入られてんなぁ」
「ピヨッ? レンもそうだと思う」
「まっ、美少年だからな!」
薔薇の蔓は足場が悪い場所を避け、比較的歩きやすい道を進んでくれる。
大急ぎでランゲの里に戻るため、跳躍用魔導具とハルピュイアに戻るキャンディを併用することも考えた。だが、セビル以外の人間に見つかったらまずいので、結局歩いて戻ることにした。
特に、オリヴァーやフレデリクのような飛行魔術使いがいる以上、空から捜索されている可能性は非常に高い。ハルピュイアの姿で出くわしたら、一大事だ。
「問題は、ティアの怪我をどう誤魔化すかだよなぁ」
「オリヴァーさん、あの場にいたもんねぇ」
カマキリの魔物に襲われた時、ティアは派手に出血している。
オリヴァーとは距離が離れていたので、怪我の度合いまでは分からないだろうが、あまりケロッとしていたら不自然に思われるかもしれない。
特に、あの時のティアは派手に出血していたのだ。
「森の奥に逃げたところで水場を見つけて、そこで一晩過ごしたことにしようぜ。その時に血の汚れは落とした。怪我は出血こそしたけど、深手じゃない、って感じで」
「ピヨップ!」
「いざとなったら『いつも規則正しい生活してたから大丈夫だった』でゴリ押そうぜ。オリヴァーさんなら、これでいける」
「ピロロロロ……いける、かなぁ?」
傷痕はまだ残っているが、もう殆どかさぶたになっている。
オリヴァーには、あまり見せないようにした方が良いだろう。いざという時は、セビルにも手伝ってもらって誤魔化さなくては。
その打ち合わせをしながら歩いていると、薔薇の蔓が動きを止めた。ちょうどその辺りで、森の空気が変わった気がする。
(ここも森ではあるけれど……なんか、深くて暗い夜の森を抜けた、みたいな)
木々の密集度合いが変わったからだろうか。周囲が明るくなったような気すらする。
道案内をしてくれた薔薇の蔓はスルスルと、魔女の屋敷のある方に戻っていった。
その方角に、レンはなんとなく手を振る。
「魔女様、ありがとー」
聞こえているか分からないが、礼儀正しい美少年は礼を言っておく。レンを真似するみたいに、ティアも「ありがとー」と蔓に手を振る。
やがて蔓が見えなくなったところで、ティアがクルリと体の向きを変え、レンを見た。
人を誑かすハルピュイアは、基本的に愛らしい少女の顔をしている。目尻がキュッと上を向いた琥珀色の目に見つめられ、レンは少し緊張した。
「レンもありがとう。魔女様の家まで、連れていってくれて」
「これで貸し借りはなしだからな」
「ピョフ? わたし、レンに何か貸したっけ?」
「入門試験。ほら、黒い魔物が出た時、お前、オレとセビルを背負ってくれたろ」
ティアはキョトンとしている。ティアはまぁまぁ鳥頭だから、入門試験のことを忘れているのかもしれない。
レンは先を歩きながら、素っ気ない口調で言う。
「入門試験! リンケ室長が蛇の魔物操っててさ」
「ビックリしたねぇ」
「あれ、最近聞いた話じゃ古代魔導具の力らしいぜ」
〈愚者の鎖デスピナ〉──あの時点で、レンは古代魔導具の使い手と遭遇していたのだ。
あの時のレンはまだ、魔物が現代でも生きていることすら知らなかった。
「その後、黒い狼と遭遇したじゃん! デカくてやばい奴! あいつと遭遇したせいで、オレ達、合格できるかギリギリで……」
試験は〈楔の証〉を手に入れて、三日目の正午までに戻らないといけなかった。
だが、レン達は二日目の夜に黒い狼の魔物に遭遇し、追い詰められたのだ。
成人男性より二回りは大きい、毛むくじゃらの人狼。大きな口、鋭い爪。
ティアがレンとセビルを連れて逃げてくれなかったら、どうなっていたか分からない。
(……あの人狼、結局見つからなかったんだよな)
その時、何かがレンの頭に引っかかった。
黙り込むレンの顔を、ティアが覗き込む。
「レン、どうしたの?」
(あの時は、魔物は〈水晶領域〉を長く離れられないって思ってた……でも、今は事情が違う)
頭に浮かんだ恐ろしい考えを否定するために、レンは考察をした。
「あの時さ、合格したの、オレ達が一番最後だったよな?」
「ピヨップ! わたしのちょっと前が、オリヴァーさんだって言ってたよ。あとね、ローズさんはルキエと一緒に行動してて、ルキエが金庫を開ける鍵を作ってくれたんだって」
金庫の鍵は組み合わせて使う物だが、それ自体は簡素な作りだった。職人志望の器用なルキエなら複製ぐらい作れるだろう。
「……一番乗りはゾフィーだっけ?」
「うん。本当は最初っから合格が決まってたんだけど、気まずいから試験受けた振りしたんだって言ってたよ。あと、ロスヴィータとユリウスも合格早かったって。二人とも強いもんね」
ゾフィーは呪術師の家の人間で、〈楔の塔〉に必要な人材だった。
ロスヴィータは古典魔術の、ユリウスは近代魔術の天才だ。ましてユリウスは念を入れて傭兵を雇っていたし、試験を合格するのは早かっただろう。
「……一番最初に、黒い魔物のことをヘーゲリヒ室長に報告したのは」
「ピロロロ……多分、エラかフィンじゃないかな。二人とも、黒い魔物を見たって言ってた気がする」
魔力放出が苦手なエラも、木こりの息子であるフィンも、あの試験に合格できるほどの実力者ではない。だが、黒い魔物が出たことで、他の試験者が落とした合格証を拾い、運良く合格することができたのだという。
少し意外だが、ティアは同じ見習いの女子同士で、こういった話もしているらしい。おかげで、普段あまり聞く機会のない女性陣の事情も見えてきた。
「なぁ、ティア……」
言いかけたレンの口をティアが手を伸ばして塞いだ。
ギョッとするレンの耳元に唇を寄せ、ティアが囁く。
「足音、聞こえた」
その言葉に真っ先に浮かんだのは、あのカマキリの魔物だ。
だが、耳を澄ますとレンにも聞こえた。サク、サク、と草を踏みしめる軽い足音だ。
ややあって、木陰から一人の若い娘が姿を見せた。
「助けて……」
年齢は二十歳前後だろうか。赤褐色の長い髪の女だ。この季節には不釣り合いな薄手の服を着ている。
女はレンとティアを見つけると、か細い声で懇願する。
「助けて……私、魔物に追われて……」
レンが女を観察している間に、ティアはもう動いていた。
ティアはタタタと小走りになって女に近づく。
「あ、おい、ティア……」
レンが止めるより早く、ティアは女に近づき──そして飛び上がり、女の顔面にブーツの底を叩き込んだ。
女が空気の塊を吐き出すような音を漏らして、仰向けにひっくり返る。
ティアは軽やかに着地をし、女を見下ろして告げた。
「お前は、人間じゃない」




