【2】モジャモジャさんとツンツンノッポさん
「静粛にしたまえ。これより、試験内容について説明する」
ヘーゲリヒが一歩前に進み出ると、雑談をしていた者達は一斉に静まり返った。
群れの中から、強い生き物が現れた時みたいだ。ティアは己の口に手で蓋をする。
「これから諸君には、一人一つずつこの袋を渡す。中身は携帯食料、地図、そして鍵だ」
ヘーゲリヒの横で、助手役のレームが布袋を掲げた。
近くに馬車が停めてあって、そこに同じ物が大量に積み込んであるらしい。
袋はさほど大きな物ではないが、何せ百個以上だ。当然に嵩張る。
「諸君らにはこれを持って森に入り、〈楔の証〉を探してもらう」
レームがローブのポケットから何かを取り出して、「こういうのですよー」と掲げた。
手のひらサイズのメダルだ。銅が混ざっているのか、少し赤みがかった色をしている。
「これを手に入れて、この場所に戻ってきたら合格とする。期限は明後日の正午まで。なお、出発は申し込み順で、少しずつ時間をずらして行う」
「あのぉ〜」
ヘーゲリヒの言葉が一区切りになったところで、受験者の一人が挙手をして口を挟んだ。
ティアと同じ年ぐらいの金髪の少年だ。質は良いが体のサイズに合っていないブカブカの服を、裾を捲って着ている。
背中に届く長さの金髪を、結ぶでもなく背中に流しているので、どこか少女めいて見えた。
少年は小首を傾げて、上目遣いにヘーゲリヒを見上げる。
「出発時間をずらすのって、不公平じゃないですかぁ〜? 受験者は全部で百二十八人。仮に一人あたり一分ずつずらしたとしても、二時間近くズレちゃいますよぅ?」
ひゃくにじゅうはちにん。とティアは口の中で復唱した。
(すごい、いっぱいだ。そんなにいるんだ)
あの少年は、いちいち受験者の人数を数えていたのだろうか。頭脳派だ。ティアは一人目と最後の人で、出発時間が大幅にズレることなんて考えもしなかった。
ティアが尊敬の念を向けていると、少年はチラッとティアを見て、何やら手を動かした。ティアを指さし、その指でヘーゲリヒを指し示す仕草だ。
少年が口をパクパクさせて、小声で何か言っている。
(……『お前からも、言ってやれ』……? 何を?)
よく分からなかったので、とりあえず手を振ってみたら、少年は諦め顔で天を仰いだ。
ヘーゲリヒがオホンと咳払いをする。
「物事は、あらゆる事態を想定し、早くから準備をしていた者に有利に働く。それだけのことなのだよ」
反論を許さぬ口調で言って、ヘーゲリヒはティアと金髪の少年をジロリと睨んだ。
何故睨まれたのか分からなかったので、とりあえず手を振ってみたら、更に睨まれた。
「さぁ、それでは一番の者から順番に名前を呼ぶので、袋を受け取って出発するように。棄権したい者は、今の内に申し出たまえ」
* * *
ヘーゲリヒが番号を読み上げ、呼ばれた者は袋を受け取り、森の中に入っていく。
ティアは適当な石に腰掛けて、その流れを眺めていた。
だんだん退屈になってきたので、鼻歌を歌っていると、誰かがティアに「やぁ」と声をかける。
ティアは声の方を振り向き、ピヨッと声をあげた。
ティアに声をかけたのは、大きな赤いモジャモジャだった──訂正、髪とヒゲが伸び放題の、赤毛の男だった。男は筋肉質な体に質素な旅装を身につけ、斜めがけの鞄を下げている。
その顔は上半分を赤い巻き毛が、下半分はモジャモジャのヒゲが覆い隠していて、年齢がイマイチ分かりづらい。
赤毛のモジャモジャ男は、気さくな口調でティアに話しかけた。
「君、一番最後に来た子だろ。もしかして、君も間違えて、〈楔の塔〉の方に行っちゃったのかい?」
君も、の言葉にティアは門番の言葉を思い出した。
「あ、門番のおじさんが、会場を間違えた人が、他にもいるって……」
「そうそう、オレもなんだ。間違えて、塔の方に行っちゃってさー」
赤毛の男はクルクルした赤毛をかきながら、明るく笑った。嘘のない快活な笑い声は、若い声だ。ヒゲのせいでだいぶ年上に見えるが、案外若いのかもしれない。
男は斜めがけの鞄から、干したプラムを取り出すと、ティアに差し出した。
「お近づきの印に、どーぞ」
「くれるの? ありがとう!」
ティアは満面の笑みでプラムを受け取り、小さく齧った。
赤毛の男もティアの横にしゃがんで、鞄から取り出したプラムを齧る。
「オレ、ジョン・ローズって言うんだ。ローズさんって呼んでくれよな!」
「ローズさん。わたしはティアだよ。ティア」
「ティア、よろしくな! オレ、最後から二番目だからさー。一緒にのんびり待とうぜ」
「うん」
それからしばらく、白髪の少女と赤毛のモジャモジャ男は、並んで座ってのんびり雑談をした。
志願者同士で雑談をしている者は、ティアとローズ以外にも割といる。中には、最初から面識のある者同士でチームを組んで、試験を受けに来た者もいるらしい。
一人、また一人と番号を呼ばれて森に入っていくのを眺めていたティアは、ふと気がついた。
受験者の数人が試験官に話しかけ、離れた場所に停めてある馬車に乗り込んでいるのだ。
「ねぇ、ローズさん。あの人達は、どうして馬車に乗ってるんだろう?」
「うーん、棄権するとか?」
「試験会場の森に、入ってもいないのに?」
「言われてみれば、確かに……」
二人が疑問に首を捻っていると、背後で低い声がした。
「白き娘と、モジャモジャよ。お前達は初受験か」
ティアとローズは同時に振り返った。
背後にある木に、長身の青年がもたれている。
薄茶の髪をツンツンと逆立てた、二十代前半の青年だ。動きやすそうな服に胸当てをしていて、手には杖ではなく槍を握っている。
「〈楔の塔〉の入門試験は、合格して魔術師見習いになれば衣食住が保証される。だが、試験で命を落とすことも少なくない……故に、口減らしに利用する者が後を絶たないんだ」
男が言うには、家のお荷物となった人間や、食い扶持に困った大家族の子どもなど、持て余されていた人間が、この入門試験に追いやられることがあるらしい。
もし入門試験に合格すれば、そのまま〈楔の塔〉で引き取ってもらえる。入門試験で死ねばそれまで、というわけだ。
……と、そこまで考えて、ティアは気がついた。
「あれ? それって、試験で死なずに不合格になったら、どうなるの?」
「〈楔の塔〉は、不合格者であっても、希望すれば下働きとして雇ってくれる」
〈楔の塔〉は魔術師のための施設だが、実際には魔術師以外の人間も暮らしているらしい。
掃除、炊事、洗濯、施設や備品等の整備・管理、外部とのやりとりなど。あれだけの規模の建物ともなれば、そういった仕事をする人間も必要となる。
つまるところ、口減らしのために追い立てられてこの場所に来た者の選択肢は三つ。
合格して魔術師見習いになるか、不合格で下働きになるか、試験で命を落とすかだ。
槍の男は、馬車に並ぶ棄権者の列に目を向けた。
「だが、最初から魔術師になるつもりのない家を追い出されただけの者が、命懸けの試験を受けるのはあまりに理不尽。それ故、見かねたあの試験官達は、棄権者を予め保護している」
その言葉に、ローズが髭に覆われた顎をかきながら、「ん〜?」と唸った。
「だったら最初っから、下働きしてくれる人希望〜、って募集すれば良いのにな」
「それだと一般人が来てしまうから、都合が悪いのだろう」
(……あれ?)
ティアの頭に疑問が浮かぶ。
何故、〈楔の塔〉に一般人が来ると都合が悪いのだろう?
そして何故、この男は〈楔の塔〉の事情を知っているのだろう?
その疑問を上手く言葉にできず、ピロロロロ……と言葉を舌の上で転がしていると、槍の男がティアとローズを交互に見て言った。
「白き娘とモジャモジャよ。俺は、お前達が下働き希望者なのだと思ったから声をかけたのだ。棄権をするなら早い方が良い」
その言葉にティアは目を丸くした。
棄権して下働きなんて、とんでもない。
「違うよ。わたし、魔術師になりにきたんだよ」
「オレも。魔術の勉強したくて来たんだぜー」
「そうか、要らぬ世話なら、すまなかった。だが……」
槍の男が森を睨む。
その鋭い眼光は、森の奥にある何かを見据えているかのようだった。
彼の武人然とした佇まいからは、これから戦場に赴く者の静かな気迫を感じる。
「過去の入門試験では死傷者が出ている。身の危険を感じたら、すぐに棄権するがいい」
なるほど、とティアは呟く。
「つまり、三年前に試験に落ちたんだね!」
「そっか、再受験かぁ!」
「違う」
デリカシーの足りないティアとローズの大声に、槍の男は眉一つ動かさなかった。
彼は、切れ長の目に強い決意の輝きを宿し、低く重く告げる。
「再々々受験だ」
その時、試験官のヘーゲリヒが「四十三番!」と番号を読み上げた。
「四十三番、オリヴァー・ランゲ。来たまえ」
「では、俺は行く。生きて再会できることを願おう」
格好良く告げて、再々々受験の男オリヴァー・ランゲは、槍を片手に試験官のもとへ向かう。
その背中に漂う貫禄は、歴戦の戦士のそれだった。さすが、再々々受験なだけある。
「頑張ってね、ツンツンノッポさん」
「ツンツンノッポではない」
オリヴァーの手の中で槍がヒウンと音を立てて回った。気持ちの良い風切り音だ。
オリヴァーは槍を握り直し、ティアを振り返る。
「人は俺のことを、赤き雨のオリヴァーと呼ぶ。覚えておくがいい」
試験官のヘーゲリヒが「早くしたまえよ!」と叱咤したので、オリヴァーはそのまま試験官のもとに向かった。
──再々々受験で、赤き雨の、ツンツンノッポ、オリヴァーさん。
ティアはしっかりと胸に刻んだ。
この試験会場に来てからというもの、人がいっぱいで覚えられるか不安だったけれど、モジャモジャのローズさんと、ツンツンノッポのオリヴァーさんはもうバッチリだ。
ティアの横で、指を折って何かを数えていたローズがポツリと呟く。
「再々々受験ってことは、えーと、試験は三年に一回だから……九年前から受けてるってことか。随分小さい頃から、頑張ってるんだなぁ」
「九年も!」
それは、とてもとても長い時間だ。凄まじい執念がないとできないことだ。
ティアはこっそり、オリヴァーに尊敬の目を向けた。
それからティアとローズは、のんびりとプラムを齧りながら雑談をして時間を潰した。
当初の受験者は百二十八人だが、棄権して下働き希望に転向した者が三〇人近くいたらしい。順番は、思っていたよりも早く回って来た。
「百二十七番、ジョン・ローズ」
「行ってくるぜー」
「行ってらっしゃい、ローズさん」
ローズが立ち上がり、試験官から袋を受け取って森の中に入っていく。
程なくして、ティアも名前を呼ばれた。
「百二十八番、ティア・フォーゲル」
「ピヨップ!」
元気に挙手し、ティアはヘーゲリヒのもとへ駆け寄る。
膝を曲げず、両手は下げて、ペタペタと走るティアを、ヘーゲリヒはジロジロと見た。
「君は足が悪いのかね?」
「ううん?」
特に怪我をしているわけでもないのでそう答えると、ヘーゲリヒは言葉を飲み込み、渋面で告げる。
「無理だと思ったら、すぐ棄権するように。生半可な覚悟では、〈楔の塔〉の魔術師にはなれないのだよ」
「生半可じゃないよ」
愛嬌のある少女の顔から笑みが消えた。あどけなさが抜け落ちると、少女の顔に残るのは冷たい鋭さだ。
琥珀色の目が、ヘーゲリヒを射抜くように見据える。
「だって、わたしが欲しいのは、これだけだもの」
「……さっさと行きたまえ」
ヘーゲリヒが、地図や携帯食糧の入った布袋を押し付ける。
助手のレームが、ティアの肩を叩いて、森の入り口を指で示した。
ローズが入っていったのとは反対側の入り口だ。時間だけでなく、出発地点もずらしているらしい。
「貴女はこっちね。棄権するなら、ここに戻ってきて。少しでも怖いと思ったら、棄権しなさい」
ツンツンノッポのオリヴァーも、試験官のヘーゲリヒとレームも、やけに棄権を勧めたがる。
その態度にティアは気づいた。
(あぁ、そっか。この人達は、知ってる側の人間なんだ)