【14】魔女だけが、覚えてる
その本は、かつて隣国で名を残した魔女の物語だった。
魔女の名は、初代〈茨の魔女〉レベッカ・ローズバーグ。
ありとあらゆる物を焼き尽くす黒炎の魔術と、人の生き血を啜る人喰い薔薇要塞の魔術を操る最凶最悪の魔女。
彼女はその絶大な力を以て侵略者を蹂躙し、国王に引き立てられたという。
(……この侵略者ってのが、旧帝国領なんだよな……ちょっと複雑だ)
レベッカはその力で旧帝国領の兵士を虐殺し、名誉を得たのだ。
この辺りの序盤は、特にページ数を割いている部分だった。書き直された部分も少ないので、レンは黙々と文字を書き写していく。
(古語ってほどじゃないけど、古い言い回しが多いな……旧時代が終わって、少しした頃に書かれた本かな?)
その後、彼女はリディル王国内で多くの敵を作り、命を狙われた。そして最後は、ある若者の剣で体を貫かれる。
自らの死を悟ったレベッカは、同じローズバーグ家の人間に命じ、自らの魂を素材に古代魔導具を作るように命じた。
──と、ここまで読んでレンはギョッとした。
(人間の魂を素材に、古代魔導具を作るだぁ?)
思い出すのは、討伐室との魔法戦でヘレナが使用した〈嗤う泡沫エウリュディケ〉。
古代魔導具は意思を持ち、声を発するのだ。
あの時は、気味が悪いなぁぐらいにしか思っていなかったが、この本に書いてあることが事実なら……気味が悪いどころの話じゃない。
古代魔導具は人の魂を加工し、道具に仕立て上げたものなのだ。それは死体で道具を作るも同然の冒涜だ。グロテスクでおぞましい行いだ。
レベッカの死の場面では、最後の方に横線が引かれ、修正指示が書き込まれていた。
『自らの死を悟ったレベッカは、同じローズバーグ家の人間に命じ、自らの魂を素材に古代魔導具を作るように命じた』
↓
『レベッカの死を悟ったローズバーグ家の人間は、レベッカの魂を素材に古代魔導具を作った』
元の字に寄せて文章を改竄しながら、レンは背後に意識を向ける。
魔女は床に積み上げた本の上に座り、膝にガラス球をのせて、レンを見ていた。
レンは慎重に文字を書き連ね、インクを吸わせる紙を挟んでページを捲る。
元の本によると、レベッカの魂で作られた古代魔導具〈彩色庭園〉は、他者から色と魔力を得て、溜め込むことで、レベッカの力をそのまま顕現するものであるらしい。
つまりローズバーグ家は、レベッカを古代魔導具化することで、永遠の存在にしようと考えたのだ。
ところが、〈彩色庭園〉はあまりに力が強すぎて、ローズバーグ家の人間に使いこなせる者はいなかった。〈彩色庭園〉は使用者の魔力を吸い、殺してしまう。
(また、文字が書き足されてる)
書き足された文字によると、レベッカの再生に固執するローズバーグ家は、古代魔導具〈彩色庭園〉からレベッカの魂を半分だけ取り出し、ローズバーグ家の人間の中に取り込む実験を行ったという。
もはや、正気の沙汰とは思えない話だ。これが作り話だとしたら、ローズバーグ家にとって風評被害も良いところである。
(……というか、魂を分割なんて、できるのか?)
そんな疑問が浮かんだが、古代魔導具が人間の魂を加工したものなら、できるかもしれない。
だがその場合、分割された魂はどうなってしまうのだろう? レンは自分にたとえて考えている。
(オレの意識が二つに分かれるみたいな? それって、ややこしいな……)
頭の中で二人の美少年が、「よう、オレ、美少年だな」「そっちのオレもなかなかの美少年だぜ」と会話している。
なんだか頭が馬鹿になりそうだったので、レンはその考えを振り払い、字を書くことに集中した。
(だんだん分かってきたぞ、元の話と書き直した後の違い……)
元の本では、〈茨の魔女〉レベッカは、自らの存在を永遠のものとするようローズバーグ家の人間に命じている。
だが、加筆された文章だと、レベッカはそんなことを望んでおらず、ローズバーグ家が勝手にレベッカを信奉し、永遠のものにしようとしたことになっているのだ。
──永遠を望んだのは〈茨の魔女〉レベッカか。それとも彼女の信奉者たるローズバーグ家か。
レベッカの魂は、古代魔導具〈彩色庭園〉の中と、ローズバーグ家の人間の中の二つに分かたれた。
そこまでしても、ローズバーグ家はレベッカ・ローズバーグを再現できなかったのだ。
そんなある日、古代魔導具〈彩色庭園〉が鳥の魔物に盗まれてしまう──この、「鳥の魔物に盗まれて」の部分も横線で消され、修正指示が書き足されていた。
修正された内容が、こうだ。
* * *
ある日、〈彩色庭園〉が保管された部屋の窓辺に、一匹のハルピュイアがやってきた。
ハルピュイアは〈彩色庭園〉を一目見て気に入り、歌を歌う。〈彩色庭園〉もまた、その歌を気に入った。
それから、何度も昼と夜を繰り返し、ハルピュイアと〈彩色庭園〉は幾つもの言葉を交わした。空と歌の話をした。
「あなたにも、外を見せてあげたいな。風の気持ち良さを教えてあげたい」
ハルピュイアがそう言ったので、〈彩色庭園〉はこう返した。
「ならば、連れてお行き」
ハルピュイアは〈彩色庭園〉を大きな鉤爪で掴み、空に飛び立った。
遠く、遠くの空へ。高らかに歌いながら。
あなたがあまりに綺麗だから、空の色を教えたかったの。
羽を膨らます春の風を、あなたにも感じてほしかった。
窓の外、世界を見に行こう。
薔薇よ、薔薇よ、あなたとなら、どこまでも。
薔薇よ、薔薇よ、あなたとなら、いつまでも。
──あなたを盗んで、どこまでも。
* * *
文字を書き写しながら、レンは密かに冷や汗を流す。
今まさに、庭の方からティアの歌声が聞こえていた。
「『窓の外、世界を見に行こう。薔薇よ、薔薇よ、あなたとなら、どこまでも』」
元の記載によると、〈彩色庭園〉はハルピュイアが盗んだことになっている。実際、盗んだのだ。ハルピュイア自身もそう認識して、歌を残している。
だが書き足された文章だと、〈彩色庭園〉は自らを連れ出してほしいと、ハルピュイアに望んだことになっている。
この手の文章は、書き手が何に好意的で、何に悪意を抱いているか、なんとなく分かるものだ。
元の文章は、初代〈茨の魔女〉に好意的──というより、もはや信奉している。そして、〈彩色庭園〉を盗んだ鳥の魔物は、おぞましきバケモノであると悪意たっぷりに描写されていた。
だが、書き足された文章から見えてくるものは違う。
〈茨の魔女〉の信奉者達は愚かしく、そして〈彩色庭園〉を盗んだ──否、連れ出したハルピュイアには友愛を感じるよう描写されている。
この本に元から書かれていたことと、後から書き足されたこと、どちらが真実なのか、レンには判断がつかない。
ただ、ここまでくれば、自分の後ろに座る魔女の正体は漠然と見えてくる。
「……魔女様は、〈彩色庭園レベッカ〉なのか?」
「黙って手を動かしなさい」
レンは手を動かしながら考える。
古代魔導具〈彩色庭園〉は他者の色と魔力を得て、それを溜め込み、初代〈茨の魔女〉の力を顕現するものであるという。
初代〈茨の魔女〉の扱う力の詳細は分からない。ただ、古典魔術は近代魔術にはない、強い力を持っている。
旧時代最強格と言われた魔女なら、四季を無視した庭を作ることもできるのではないか。自らの分身とも言える、人の形をした仮の体も作れるのではないか。
(……いや、間違いなくできる)
彼女はハルピュイアのティアに、人の皮を与えているのだ。
それなら、己に似せた人の皮を作って、少し動かすぐらいはできるだろう──背後に座る彼女が、それだ。
(……〈彩色庭園レベッカ〉は古代魔導具だ。だったら、使用者がいるはず……〈嗤う泡沫エウリュディケ〉とヘレナさんみたいに、古代魔導具には使い手がいるはずだ)
あ、と気づいてレンの手が止まる。
〈彩色庭園レベッカ〉の契約者が誰か、なんて。
そんなの一人しかいないではないか。
──ティアを助けた男、カイだ。あいつが古代魔導具〈彩色庭園レベッカ〉の契約者だ。
時刻は昼近くになっていた。
庭からはティアの楽しそうな歌声が聴こえる。水やりなどとっくに終えただろうに、ティアはずっと歌い続けているのだ。飽きもせず、楽しそうに。
家主の魔女は、騒がしいのは嫌いだというくせに、ティアの歌を止めない。
本の内容は、ほぼ書き終えた。
〈茨の魔女〉の末路は、ハルピュイアに連れ出されたところで、ほぼ終わっている。
レンは書き終えた文字を見直し、魔女に訊ねた。
「この本に書いてある、〈彩色庭園〉を持ち出したハルピュイアは、どうなったんだ?」
無視されるかな、と思った。
だが、魔女はポツリと呟く。雫を一滴垂らすような静けさで。
「ハルピュイアの寿命は短いわ」
知ってるよ。とレンは胸の内で呟いた。
ティアの寿命を思う度、レンの胸は締め付けられる。
これは、寿命の異なる生き物に対する、人間のわがままな感情だ。
「……魔女様なら、延命措置もできたんじゃない?」
「あの鳥は、それを望まなかった」
その声がすぐ真横から聞こえて、レンはギョッとした。
いつのまにやら、魔女がレンの真横に移動していたのだ。
魔女は白く細い指で羽根ペンを摘まみ、インクを吸わせる余り紙の端に、サラサラと文字を綴る。
* * *
──延命を望むか?
魔女の問いに、〈彩色庭園〉を盗み出したハルピュイアは言った。
『いらないよ。だって、わたしは充分生きたもの。いっぱい飛んで、歌って、卵も産んだ』
ハルピュイアは満たされていた。
その生を歪められることなく、正しく全うしたのだ。
『そんなことより、わたしと同じハルピュイアと会う機会があったなら、仲良くしてほしいな。わたしも、大好きな友達のことを歌にして残すから。ハルピュイア達が、あなたを好きになるように』
* * *
永遠を望まず、己の生を全うしたハルピュイア。
永遠の命を望まれ、魂を歪められた魔女。
生を全うしたハルピュイアは歌を通して、子孫のハルピュイア達に魔女への想いを残した。
死を歪められた魔女は、今も生き続けている。半分だけの魂で、古代魔導具〈彩色庭園レベッカ〉として。
ティアが魔女に懐いていた理由が、今ならなんとなく分かる。
ハルピュイア達は、魔女へ向けた愛の歌を──「あなたを盗んで、どこまでも」を聞かされて育ったのだ。だから無意識の内に、魔女に心惹かれてしまう。
永遠を望まなかったハルピュイアは、だけど確かに、魔女への愛を遺したのだ。
レンは魔女が余り紙に書いた文字を見つめた。
「なぁ、魔女様。それも本に書こうぜ」
「必要ない」
魔女は文字を綴った紙を摘まみあげ、何かを呟く。歌うように、囁くように。
すると、指先に黒い炎が生まれ、瞬く間に紙を焼き尽くした。灰の一欠片すら残さずに。
「私だけが覚えていれば、それでいい」




