【13】美少年の奉仕
調理場に戻ったレンは、保存庫にあったパンとチーズを軽く炙り、湯を沸かして茶を淹れた。
それに摘みたてのベリーとリンゴを添えただけの簡素な夕食だが、空腹には充分なご馳走だ。なにより、ベリーとリンゴがやたらと美味しいので、それだけで満足感がある。
レンは同じ物を用意して、ティアが寝ている部屋に戻った。
ティアは左半身が下になるよう横たわり、寝息を立てている。怪我の殆どが右半身に集中しているためだ。
「ティア、飯食えるか?」
「ぺうぅ……」
ティアの口が小さく動き、寝言か返事か曖昧な声をもらした。
レンは試しに、ベリーを一粒ティアの口元に運んでやる。
ティアはそれをすぐには食べず、チュウチュウと吸うような仕草をした。そうして味を確かめてから、ベリーを口の中まで運ぶ。
「魔女様に分けてもらったんだ。すげー美味いだろ」
「ピョフ……」
応じる声は少しだけ穏やかだ。どうやら快方に向かっているらしい。
それからティアはベリーを数個食べると、スゥスゥと寝息を立てた。
レンはランタンの灯りを頼りに傷を確かめたが、先ほどより明確に傷が塞がっている。これなら、明日には動けるかもしれない。
(問題はどうやってランゲの里に戻るかだよな。途中までは空からでも良いけど、里近くでハルピュイアの姿を見られるとまずいし……つーか、セビル達心配してるよな……なんとか、オレ達は無事だって伝えられたら良いんだけど、今のところ方法がないし……)
どうしたものかと悩みながら、レンは食事に使った物を片付ける。ついでに、魔力を中和するキャンディも一粒口に放り込んでおいた。
もうすっかり遅い時間だ。あの魔女は、食事もせずに何をしているのだろう。
試しに魔女の部屋を覗いてみると、そこには誰もいなかった。
天井からガラス球がぶら下がり、床には本が山積みになっている──部屋の中の様子は変わらず、ただ魔女の姿だけがない。
寝室に戻って寝ているのだろうか。だとしたら、声をかける方が失礼だろう。
レンはティアが寝ている部屋に戻ると、予備の毛布に包まって床に横たわる。
そういえば、今は冬で暖炉に火は入っていないというのに、この屋敷の中は寒くない。
暑すぎず、寒すぎない、心地良い温度が保たれている。
四季の庭を持つ魔女の屋敷は、庭だけでなく屋敷も不思議なのだ。
(なんだか、現実味のない場所だなぁ……)
考えるべきことは山ほどある。するべきことも。
だけど体はクタクタに疲れていて、横になったレンは、あっというまに深い眠りについた。
* * *
「おはよう! レン!」
翌朝、レンが目を覚ますと、ティアは元気になっていた。
もう、ビックリするぐらいいつも通りのティアだ。
「ティア、お前、ちょっと傷口見せてみ?」
「ピヨップ!」
ティアが勢いよく服を捲る。白い腹とヘソが見えて、レンは慌てた。
昨晩、傷の具合を確かめた時はそこまでドギマギしなかったのに、こうも元気な時に服を捲られると、なんだか落ち着かない。
「そこまでしなくていいから! ちょっと首んとこ見せてくれよ」
一番深手だった肩から首にかけての傷は、引き攣った傷痕こそあるが、殆ど塞がっている。ジュクジュクとした汁や血が滲んでいる風でもない。
「これって、もう動かして大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ?」
「いや、でも、後一日ぐらいは休んだ方がいいだろ……あー、でも、早く戻らないとセビル達が心配するよな……」
ティアは本当にケロリとしている。昨日転んで擦りむいた傷が、もう塞がったと言わんばかりに。実際、魔物にとってはその程度の傷なのだろう。
ただ、レンの人間としての感性が、大怪我をした翌日に動き回るのはどうなんだ……と「待った」をかけてしまう。それぐらい、酷い怪我だったのだ。裂けた皮膚の下に見える肉の色、ボタボタと垂れる鮮血の赤は、思い出すだけで背筋がゾッとする。
どうしたものかと悩んでいると、ティアが部屋を見回してニコニコしながら言った。
「ここ、魔女様の家だよね。レン、連れてきてくれて、ありがとう」
「どういたしまして。んー……とりあえず、ティアが元気になったことだし、魔女様に挨拶に行くか」
「ピヨップ!」
ティアがニコニコ歩き出す。それが、レンには少し不思議だった。
魔物であるティアは、いつも無邪気なようでいて、野生動物に似た慎重さがある。外敵に対する反応が早いのだ。
それなのに、魔女様が関わると、途端にティアの警戒心が薄くなる気がする。
魔女の部屋の扉を開けたティアは、朗らかに挨拶をした。
「魔女様、おはよう!」
魔女は昨日と同じ部屋で、同じように本の上に座っていた。
膝の上には、色を閉じ込めたガラス球をのせている。
そういえば、自分達はこの魔女に助けてもらった対価を払っていない。昨晩魔女はレンに「奉仕なさい」と言ったが、具体的に何をしろとは言っていないのだ。
こういう時は、先に切り出した方が良い。レンは一歩前に出て、口を開いた。
「あのさ、魔女様。助けてもらったお礼、何すれば良い? オレ、美少年だから肉体労働はあんまし得意じゃないけど、字を書くの速くて綺麗だぜ。人の字を真似するのも得意だから、お手本見せてくれれば、代筆とかもするし」
その時、ヴェールの奥の目がレンを見た……気がした。
魔女の美しい赤毛が揺れる。今までずっと置物のように座っていた彼女が、本の上からするりと下りたのだ。
床に立った魔女がレンを見下ろす。
「ついてきなさい」
魔女はガラス球片手に、レンの横をすり抜け、廊下に出た。
レンとティアは小走りになってそれを追う。
ティアが魔女の背中に訊ねた。
「魔女様、わたしは何すればいいかな?」
「庭の水やりをなさい」
「ピヨップ! じゃあ、いってきまーす」
ティアは慣れた様子でペタペタと外に向かっていった。こんなよく分からない場所で一人にしないでほしい。
魔女は殆ど足音を立てずに廊下を歩き、鍵のかかった扉に鍵をさす。あの鍵はどこから取り出したのだろう──ジッと見ていたら、いつの間にか鍵は消えていた。
魔女の白い手が扉を開ける。インクと紙と埃の匂いが鼻をくすぐった。
「ここって……書庫?」
魔女の家ではどの部屋でも薬草や薬瓶を見かけたが、この部屋にはそういった物がなく、ズラリと本棚が並んでいた。
それと、隅には書き物机と筆記具が用意されている。
魔女は本棚から二冊の本を引き抜くと、書き物机の上に置いた。
「えーっと……座っていい? のか? ……失礼しまーす」
魔女は何も言わないが、ここに座れという圧を感じ、レンは恐る恐る椅子に座る。
そうして、目の前の本をパラパラとめくった。
どちらも全く同じ装丁の本だ。タイトルは『茨の魔女の真実』。
ただ、パラパラとページをめくったレンは気がついた。この本は片方だけ、中身が真っ白なのだ。
「もしかして、これを書き写せってこと?」
「同じ筆跡になさい」
レンは本を手に取り、ページを捲る。使われている文字は、古語ではないリディル王国語だった。
パラパラとページを捲ると、ところどころ本文の上に横線が引かれ、手書きの文字が書き加えられている。
(修正か改竄か知らないけど、この書き足された字の方で書けってことか……)
つまりは筆跡を真似て、この『茨の魔女の真実』という本を作り直せということだ。
それ自体は良いのだが、レンには一つ懸念があった。
「あのさ、贋本にするつもりなら無理だと思うぜ。だってこの本、相当古いもんだろ? インクの色で偽物だってバレちまうよ」
魔女は無言でレンの背後に立つと、羽根ペンを手に取り、余り紙に線を書いた。
そうして口の中で何かを呟きながら、線を指先でなぞる。
……すると、黒いインクが茶色がかった色に変色した。経年劣化したインクと同じ色だ。
どういう技術か分からないが、魔女は贋本を本物のように加工することができるらしい。
(それより今の詠唱……近代魔術じゃない。多分、古典魔術だ。魔物は魔術を使わないから、やっぱり魔女様って人間なのか?)
魔女の詠唱は、見習い仲間で唯一の古典魔術師であるロスヴィータの詠唱と似ていた。節をつけて歌うような詠唱は古典魔術の特徴だ。
レンは探るように魔女の横顔を見る。横から見てもヴェールの角度は絶妙で、口元しか見えない。
「それを書き終えたら、出てお行き」
「……はーい」
レンは素直に返事をしておくことにした。
なにせ、一番怖いのは無期限で拘束されることだ。元より長居をするつもりはなかったし、魔女の提案はレンにとって都合が良い。
(よし、やるか)
レンは自慢の金髪を高い位置できっちり結び直すと、袖を捲って羽根ペンを握る。
『──これは、我がローズバーグ一族の礎となる、初代〈茨の魔女〉レベッカ・ローズバーグがもたらした恩恵を記したものである』
最初の一文は、こう書き直されていた。
『──これは、我がローズバーグ一族の礎となる、初代〈茨の魔女〉レベッカ・ローズバーグの末路を記したものである』




