【12】美少年と魔女
「……あんたが魔女様?」
レンの言葉に、女は口を閉ざしたまま何も言わない。ただ、目元を隠すヴェールの向こう側から、確かな視線を感じる。
なんとなく、試されている気がした。
だから、レンは疲れた頭を必死で働かせる。まずは、自分達がおかれた状況を伝えなくては。
「ティアが大怪我をしてる。魔力の濃い場所で回復させてやりたいんだ。ここって魔力濃度濃い? それなら、ティアを休ませてほしいんだけど……」
やはり、魔女は何も言わない。
たじろいだレンは、そこで初めてこの部屋の様子に気がついた。
部屋はそれほど広い部屋ではない。個人の書斎ぐらいの大きさだろうか。部屋の左右には棚が並び、薬草らしき物が入った瓶や、本が収められている。
ただ、本は全ては入りきっていないらしく、幾つか床に積み上げられていた。
そしてなにより特徴的なのは、天井から吊るされている色とりどりのガラス球だ。
ガラス球は人の頭ほどの大きさもあれば、握り拳ほどの大きさの物もある。
てっきりガラス球に色をつけているのかと思ったが、よく見ると違う。ガラス球の中で色が漂っているのだ。
色水か、あるいは色のついた煙か、そのどちらとも言い難い質感は、審美眼に長けたレンの目でも判別できない。
(そうだ。ティアの話だと、この魔女は色を欲しがるんだ)
おそらく、このガラス球の中を漂うものが、契約者から得た色なのだ。
レンはガラス球から魔女に視線を戻した。
「もしかして、契約とか代償とかがいる感じ? えーっと、色と魔力だっけ? ……オレ、魔力はあんましないんだけど、色なら……なんか綺麗なもの探してこようか?」
魔女は無造作に右手を持ち上げた。
すると、天井から吊るされていたガラス球の一つが勝手に外れて、フヨフヨと漂いながら彼女の手元に収まる。
「生憎と」
突然、魔女が口を開くものだから、レンはものすごくビックリした。
美しく、冷たい声だ。
「今は間に合っていてよ」
間に合っているのは色か魔力か。それは分からないが、魔女との交渉材料がいきなりなくなってしまった。
ならば次の手は、と考えるレンに魔女は言う。
「奉仕なさい」
「……そしたら、ティアを休ませてくれる?」
返事の代わりに、魔女は何か古い歌のようなものを口ずさみ、右手の指をスイッと動かした。
すると足下から薔薇の蔓が二本伸びる。
一本は廊下の外に伸びていったから、きっと先程と同じ道案内なのだろう。
もう一本は、レンから見て右手の棚にある薬瓶を一つからめとった。
薔薇の蔓が、レンに薬瓶を差し出す。中身は薄い黄色のキャンディだ。瓶のラベルの文字をレンは睨んだ。
(これって、リディル王国語? ……の、多分古語……)
古語でも、現代に通じる部分は多い。
レンはローズにリディル王国語を教わっていたので、かろうじて「一日三回。魔力の中和」の部分だけは読み取れた。
(一日三回飲めば、魔力を中和できる? そんな薬を寄越したってことは……)
レンは恐る恐る魔女に訊ねる。
「もしかして……ここってもう、魔力濃度が濃い?」
返事はないが、多分その通りな気がした。何故なら、先ほどからやけに眩暈がするのだ。
てっきり疲労と緊張のせいだと思っていたが、それだけではないらしい。おそらく魔力中毒の前触れだ。
レンは背負っていたティアを床に下ろすと、キャンディを一粒口に放り込む。
薔薇とハーブが香る、爽やかな甘みのキャンディだ。口の中で転がしていると、気分の悪さが少し軽減された気がする。
こういう大事なことは、ちゃんと説明してくれよ! という文句を飲みこみ、レンは魔女に礼を言った。
「魔女様、キャンディありがとう」
やはり、返事はない。
ふと気になって、レンは訊ねた。
「あのさ。魔女様ってもしかして、喋るとすごく疲れる人? それなら、あんまし話しかけないようにするけど」
これは魔女の挙動を見ていて気づいたのだが、魔女はどこか気怠げで、体を少し動かすことすら億劫そうに見えたのだ。だから、声を発するのも苦痛なのではないか、とレンは考えた。
ほんの少しの沈黙の末、魔女は美しい唇を開き、冷たい声で言う。
「騒がしいのは嫌いよ」
「了解。じゃあ物静かな美少年するから、あんま邪険にしないでくれな」
レンはティアを背負い直すと、薔薇の蔓が導く部屋に向かい、歩き出した。
* * *
薔薇の蔓が案内したのは、寝室らしき小部屋だった。
先ほどの魔女がいた部屋に似た内装で、こちらはベッドがある。
血のこびりついた上着やブーツを脱がせ、ティアをベッドに寝かせたレンは、木製の丸椅子に座り、フーッと息を吐く。
疲れた。ものすごく疲れた。このまま自分も寝てしまいたいが、まだやるべきことがある。
レンはひとまず、薔薇の蔓に話しかけてみた。
「なぁ、ここって水場はある? 血の汚れ、落としたいんだけど」
薔薇の蔓がスルスルと動きだしたので、レンはそれについていった。
薔薇の蔓が向かったのは屋敷の外、庭にある井戸だ。近くに丁度良い桶もあったので、レンはまず水を汲み、ティアのもとに向かった。
濡らしたハンカチで傷を拭いてやると、傷口の様子がよく分かる。既に出血は止まり、傷は塞がりかけていた。なるほど驚異的な魔物の回復力である。
一通りティアの体を清めてやった後は、洗濯だ。血まみれの服を洗って絞った頃には、空は既に暗くなっていた。じきに夜になるだろう。
(オリヴァーさん達、すげー心配してるだろうな……ヒュッター先生とセビルは大丈夫かな……)
本当なら、ここから狼煙を上げるべきかもしれない。
だが、この場所を──魔女の屋敷を他の人間に告げる行為は避けた方が良いだろう。バレたら説明が面倒だし、それ以前にあの魔女に殺されそうな気がする。
(カイって奴は留守なのか? それは好都合だけど……ティアが回復したら、なるべく早く出ていった方が良いだろうな)
できれば魔女に根掘り葉掘り聞きたいが、あの調子だとろくに答えてはくれないだろう。
滞在を許してくれただけでも、幸運と思うべきだ。
(魔力を中和するキャンディまでくれたことだし……これ、地味にすごいキャンディだよな?)
ポケットに手を突っ込んだレンは、ティアがハルピュイアに戻るためのキャンディも、ポケットに突っ込んでいたことを思い出した。
二つの小瓶を取り出し、眺める。
人に化けたハルピュイアを元に戻す薬。
魔力濃度の濃い土地で、魔力を中和する薬。
どちらも、簡単に作れる代物ではないだろう。
(何者なんだろ、魔女様って……)
* * *
魔女の屋敷を勝手に歩き回ったら怒られるだろうか、と不安だったが、案内役の薔薇の蔓に話しかけると、洗濯室や調理場らしき部屋にも案内してもらえた。調理場には保存の利く食料もある。
魔女本人からは生活感を感じないが、屋敷の至る所に人が生活している痕跡があった。おそらく、カイという男もここで暮らしているのだ。
洗濯を終え、一通り調理場や保存庫を確かめたレンは、魔女の部屋に戻った。食料を分けて貰おうと思ったのだ。
なにせ今日は殆ど食料を口にしていないのである。レンは大食いではないが、育ち盛りだ。
魔女は先ほどと同じように本の上に座っていた。まるで、そういう置き物みたいだ。
レンは物静かな美少年の声量で、静かに話しかけた。
「魔女様、ちょっとだけ食べる物を分けて貰えないかな? パンとお湯だけでも……いや、贅沢言っていいなら、庭になってたベリーかリンゴも欲しい」
魔女が指を一振りすると、薔薇の蔓が何かを持ってきた。ランタンだ。
「好きにおし」
レンは思わず喜びの声を上げた。
「ありがと魔女様!」
元気に礼を言ってから、慌てて口を塞ぐ。いけない、いけない。今のレンは物静かな美少年なのだ。
「魔女様は何か食べる? オレ、ついでに用意するよ?」
「必要ない」
「……ふーん、そう。分かった」
薔薇の蔓からランタンを受け取りつつ、チラリと魔女を観察する。
豊かな胸とくびれた腰。魅力的な肢体を包む黒いドレスと、鮮やかな赤い巻毛の対比が美しい。顔は見えないけれど、すごい美人だ、という予感がした。
それなのに……あぁ、それなのに、なんということだろう。
レンの頭をよぎったのは、同じ見習い仲間のモジャモジャなローズの赤毛なのだ。
(なんか髪色が似てるからさぁぁぁ、流石に、あのモジャモジャでムキムキのローズさんと似てるってのは、失礼だよなぁぁぁ……!)
少し気まずくなって、レンはそそくさと部屋を出た。
ランタンに火をつけたら、適当なカゴを借りて庭園へ。
夜の庭園は、季節感の無さとはまた別の不気味さがある。レンは早足で初夏の植物が生えた辺りに向かい、ベリー類を探した。
先ほど、レンは初夏の花のそばでベリーの木を見かけたのだ。
「あったあった、これこれ……」
なんとなく静かすぎるのが怖くて、レンはわざと声に出し、ラズベリーをプチプチと摘む。
一応ランタンで照らしているが、夜だと実が熟しているかの判別が難しい。
味はどんなものだろう、と一つ口に放り込んだレンは驚いた。今まで食べたベリー類の中で、一番美味しかったのだ。
「うっまぁ……! なんだこれ。瑞々しくて、すげー味が濃い!」
瑞々しいけれど水っぽくはない。果汁を濃縮したような甘みと、後からくる爽やかな酸味。
これはティアにも食べさせてやろう、とレンはベリーを摘んでカゴに入れた。




