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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
八章 境界の魔女
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【10】離脱


 茂みから飛び出してきたカマキリの魔物は、翅で勢いよく跳躍しながら、オリヴァーの首を狙った。

 オリヴァーは咄嗟にロミーを後ろに庇い、槍を突き出す。

 槍は当たらず、大鎌に似た前足がオリヴァーの二の腕を浅く切り裂いた。

 オリヴァーは何度か槍を突き出すが、攻撃は当たらない。カマキリの体が細いせいで、正確に当てづらいのだ。

 槍を突くのではなく振って、切り裂くなり叩くなりした方が効果的に見えるが、それをするにはこの辺りは木々が密集しすぎている。


「オリヴァーさん、逃げるぞ! 香のあるとこまで引き返そう!」


 レンの叫びに、オリヴァーが「うむ」と頷き、ロミーの手を引いて走る。

 ティアとレンも、それに続いた。

 ペタペタ走りながら、ティアは声をあげる。


「みんな、ちょっとだけ耳塞いでっ!」


 戦闘手段の少ない今のティアにできること。それが、これだ。

 ティアはすぅっと息を吸い、声を張り上げる。


「魔物──! 村の外に魔物が出たよー! 大きいカマキリの魔物──!」


 ハルピュイアの姿をしている時には劣るが、ティアは人の姿でもそれなりに大きい声が出せる。

 ランゲの屋敷まで届いたかは微妙だが、少なくともセビル達には届いたはずだ。

 ティアの大声に、カマキリの魔物が一瞬、動きを止めた。カマキリは案外、耳の良い生き物だ。

 知能が低いので、精神干渉効果のある歌は効かないが、大きい声で驚かすぐらいはできる。


(ただ、驚かすしか、できない……!)


 ポケットの中には、ハルピュイアの姿に戻れるキャンディがある。

 最悪の場合ハルピュイアに戻れば、ハルピュイアの武器である歌が使える──ただ、ここにはオリヴァーとロミーがいるから、戻るわけにはいかない。

 やがて前方に、村を囲う柵が見えてきた。このまま柵沿いに走れば、村の中に逃げ込める。

 あと少しだ、と思ったその時。


「──ぴょふ?」


 ティアの喉から、空気の塊が漏れた。少し遅れて首と肩の間あたりに激痛。

 背後にいるカマキリの魔物とは、まだ距離があった。だが、すぐ真横の茂みから別の一体が飛び出してきたのだ。

 大鎌に似た前足が、その内側についた棘が、ティアの肉を抉りながら切り裂く。


「ティア──!」


 レンがティアの名を呼ぶ。その声の合間に、ティアは聞いた。ガサガサと茂みが揺れる音を。あれは、レンの左手側だ。


(三体目!)


 茂みから飛び出したカマキリの魔物が、大鎌を振り上げる。

 ティアは首から血を流しつつ、地を駆け、レンを突き飛ばした。

 棘付きの鎌が、ティアの右肩から腰にかけてをザリザリと切り裂く。切れ味の良い刃物みたいに、スッパリと切れたりはしない。棘が引っかかりながら、肉を裂くのだ。

 ティアはギャフッ、とくぐもった声を漏らし、地面に倒れる。

 だが、そのまま気絶するほどハルピュイアは柔じゃない。ティアは跳躍用魔導具のレバーを引き、羽を起動。

 姿勢を低くし、一番近くにいるカマキリに狙いを定め──跳んだ。跳躍頭突きだ。

 そこに別のカマキリが近づき、両足の大鎌を振り下ろしてティアの背中に食い込ませた。まるで、抱きしめるかのように。

 鋭い顎がティアの首筋に食らいつく。先ほど切り裂かれた首の傷が広がり、ティアは痙攣した。


「ガヒュッ……アガッ、ア、アアッ……」


「ティアを離せ──!」


 レンが叫んで何かを投げつける。村の柵に引っ掛けていた香炉だ。どうやら、走って取りにいってくれたらしい。

 香炉から漏れた煙に、カマキリが怯む。

 食い込んでいた顎が外れたその隙に、ティアはカマキリの抱擁から抜け出した。


「ルァァァァアアアアアア!!」


 ティアはカマキリの首を掴んで、全体重をかける。カマキリが後ろにひっくり返った。

 虫の魔物はバランス感覚が良く、すぐにピョンと起き上がってしまう。だから、そうなる前にティアはカマキリの頭部を思い切り踏みつけた。

 人間の足は鉤爪がなくて不便だけれど、平たいから踏み潰すのには便利だ。

 ティアはブーツの底で念入りに、カマキリの頭部を踏み砕く。


「……ハァッ……ハァッ…………ガヒュッ……ハァッ……」


 カマキリが死んだのを確認し、ティアは身を起こす。

 首周りと背中、それと右肩から腰にかけてをザックリ切り裂かれ、いたるところから血が吹き出している。酷い有様だ。

 駆け寄ったレンは、今にも泣きそうな顔をしていた。

 大丈夫だよ、と言おうとして、ティアは失敗する。声のかわりに、カヒューカヒューと変な吐息が漏れた。

 村の柵の近くでは、オリヴァーがロミーを背中に庇いながら、カマキリの魔物二体を相手に奮闘している。

 この手の魔物は、多少手足がもげたり、体を刺された程度では動きをとめない。下手に槍を使うより、大きい石で頭を砕いた方が確実だ。

 丁度良い石を探すため、視線を彷徨わせたティアは、気づいた。

 また追加で二匹、カマキリが茂みから出てきたのだ。これは流石に手に余る。

 ティアは血泡を吐きながら、叫んだ。


「オリヴァーさ……離脱っ……しよ……ガヒュッ……わだ、しぃ、レン連れでぐっ、がらぁ!」


 ゲホゲホとむせながら、ティアは跳躍用魔導具を起動し、レンに駆け寄る。

 オリヴァーも意図を察したのだろう。

 槍で魔物を牽制しながら詠唱を始めた。飛行魔術だ。

 オリヴァーがロミーを、ティアがレンを連れて跳躍し、柵を越えて、村の中に入る。そうすれば、多少は時間が稼げる。


(すぐに離脱するのは駄目。魔物が全部オリヴァーさんの方に行っちゃう。オリヴァーさんの詠唱が終わるまで、時間稼ぎしないと)


 ティアの考えを、レンも察したらしい。

 レンは先ほど投げつけた香炉に、まだ煙が残っていることを確認すると、大きく振りかぶり、オリヴァーの方に投げた。


「おーい! カマキリども! オレ達はこっちだぞー!」


 オリヴァーの足元に香炉が転がり、たちのぼる煙にカマキリが怯む。

 その内の数匹は、香炉をなくしたティアとレンが丁度良い獲物だと思ったのか、翅を広げて跳躍し、距離を詰めてきた。

 そのタイミングで、ティアは跳躍用魔導具を発動する。


「レン、づがまっで……!」


「おう!」


 レンは傷に触れないよう気をつけながら、ティアの首ねっこに正面からしがみつく。それを確認して、ティアは地面を蹴って跳躍した。

 一飛びでは柵に届かないから、まずは近くの木の枝の上に着地。

 このタイミングでオリヴァーも飛行魔術を発動し、ロミーを抱えて飛び上がった。

 オリヴァーはもう柵のすぐそばまで来ていたので、跳躍した勢いで柵を飛び越える。


「オリヴァーさん、三歩分なら前に進めるようになったんだな」


 レンが呟きながら、ティアに正面から抱きつく。

 実に格好つかないが、跳躍するならこれが一番安定するのだ。長距離飛行なら足にぶら下がってもらう方が良いのだが、跳躍の場合、足が自由に動かないとレンを踏んで大惨事になる。


(柵を越えるなら、もう一回……)


 柵を越えるように跳ぼうとしたその時、四匹のカマキリが一斉に翅を広げて跳躍した。ティアの留まる木を目指してだ。


「ペヴヴッ……!」


 これだと、柵を越えられない。仕方がないから、ティアは反対方向──村から遠ざかる方へ跳躍する。

 その時、クラリと眩暈がした。血を流しすぎたのだ。

 ティアは木の枝に着地できず、バランスを崩して地面に着地した。


「ティア!?」


 レンが心配そうにティアの顔を覗き込む。

 ティアは口に溜まった血を地面に吐き捨て、掠れた声で言う。


「ヴヴ……傷、思ったより、深いみたい。魔力がいっぱいある場所で、回復しないと、まずい、かも」


「魔力がいっぱいある場所……?」


「ヴヴゥー……ヴゥー……」


 ここから最も近い、魔力が豊富な場所。そして、レンが安全な場所──ひとつだけ心当たりがある。

 ティアは素早く上着とブーツを脱ぎ捨てると、レンに押しつけた。そしてポケットに手を突っ込み、キャンディの小瓶を取り出す。


「レン、足掴んでて」


 背後からカマキリが迫ってきている。もう時間はない。

 レンがティアの足首を掴む。ティアはキャンディを口に放り込む。

 ティアは跳躍用魔導具で、高く、高く跳躍した。そして、すかさずキャンディを噛み砕く。

 酩酊感。伸ばした腕から白い翼が広がる。

 村から多少離れたが、オリヴァーがこちらに気づいていませんように──こればかりは、もう賭けだ。


「ルゥゥゥァァーアー!」


 風の精霊に歌声で呼びかける。力を貸してほしい。風にのせてほしい、と。

 そうして、白翼のハルピュイアは、足に美少年をぶら下げて、北の方角へ滑空するように飛んだ。


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