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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
八章 境界の魔女
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【9】フレデリク曰く「作戦名『ヘレナ爆弾』」


 蜘蛛の糸、の言葉に顔色を変えたフレデリクは、駆け込んできた男に早口で問う。


「魔物を発見した位置は? 種類と数は?」


 魔物の襲撃を告げた男は地図を指さし、ここにムカデの魔物が、ここにカマキリの魔物が、と告げる。数は正確には分からないらしい──正確に分からないほど、数が多いのだ。

 そして極めつけが、木々の間に張り巡らされた蜘蛛の糸。確実に蜘蛛の魔物がいる。

 ヘレナが両手を顔で覆い、泣き崩れた。


「あぁ、よりにもよって虫の魔物……最悪です……そんな魔物と戦わなくてはならないなんて……虫嫌いなのに……」


 ほろほろと泣くヘレナを、フレデリクがチラリと見る。

 彼は思案顔で呟いた。


「数の多い雑魚はヘレナ向きだけど……小型の虫だと相性が悪いな」


 ヘレナの所持する古代魔導具〈嗤う泡沫エウリュディケ〉は、魔力を帯びたものを取り込み、炸裂する泡を生み出す。

 一度に沢山の泡を作れるので非常に強力なのだが、泡は移動速度が遅いという弱点があった。つまり、素早くて小回りが利く虫の魔物と相性が悪いのだ。

 フレデリクは「よし」と呟き、提案した。


「まずはヘレナを虫の群れに放り込んで、〈嗤う泡沫エウリュディケ〉で倒せるだけ倒そう。撃ちもらしは、こっちで処理」


「わたくしを虫の群れに放り込むと仰いました? 仰いましたね? ……なんて悲しいのでしょう。まずは同期から葬らなくてはならないなんて……」


 同期なのに、悲しいほど協力できない二人である。

 そこにオットーが、「まぁまぁ」と割って入った。


「ヘレナさんには中型の虫を任せましょう。空を飛ぶやつは、火の魔術で焼き払っちまいたいが……山火事になったら困るんで、水の魔術を使える奴と組ませたらいい」


 討伐室の他の面々も意見を出し合い、それぞれの配置が速やかに決まっていく。

 概ね決まったところで、ヒュッターがため息まじりに言った。


「この状況で、俺達に護衛をつけて〈楔の塔〉まで送ってくださいとは言えないな……俺らは戦力にならんし、村の見回りを手伝うぞ」


「なら、俺は兄者の支援に……!」


 オリヴァーが椅子から腰を浮かせるのと、フレデリクがヒラリと机を飛び越えるのは、ほぼ同時だった。

 フレデリクの拳がオリヴァーの横っ面に直撃する。

 バタンと椅子ごとひっくり返ったオリヴァーを見下ろし、フレデリクは低い声で吐き捨てた。


「お前は大人しく村の見回りをしてろ」


(…………あれ?)


 フレデリクの声に、怒りとは違う感情が垣間見えてティアは困惑した。

 きっと、これに気づいたのはティアだけだろう。

 フレデリクの声に滲んでいた感情は、焦燥と恐怖──魔物が好む感情だ。



 * * *



 帝国の人間の大半は、魔物はとうに滅びた生き物だと思っているらしいが、この村では魔物はまだ日常的な脅威だ。

 故に、魔物が出たことを知らせる鐘が鳴った時は戸締りをして家にこもる。

 ただ、魔物が人里まで降りてくることは滅多にないため、鐘が鳴っても外に出て、畑仕事をしている者はチラホラといた。

 そういう者達に、今回の襲撃はいつもと違うことを伝え、家に入るよう促すのが、見習いであるティア達の役割だ。


「皆、中に入ってくれ──! 魔物の襲撃だ! 今回はいつもより数が多い!」


 声を張り上げるオリヴァーの後ろを、ティアとレンは並んで歩いた。無論、ティアは跳躍用魔導具を背負っている。

 村人への声かけは、オリヴァー、ティア、レンと、ヒュッター、セビル、ルキエとで二手に分かれて行うことになった。

 守護室のオットーは、元討伐室の人間で魔物との戦闘経験もあるため、山と村の境を守る役目だ。

 フレデリクやヘレナのような実力者は山に入り、実力がそこそこの人間は境目の警備、見習い達は村の見回り、という分担である。

 歩きながらレンが呟いた。


「歯がゆいな……こういう時、筆記魔術って実戦向きじゃないって痛感するぜ」


 今回の遠征で、レンは筆記魔術に必要な紙とインクを持ってきている。

 筆記の腕が鈍らないよう、宿で書く練習をしているところは、ティアも何度か見たが、実際に使ったことは一度もない。

 討伐室との魔法戦では、筆記魔術使いを他の仲間達がフォローする形で活用したが、今回の遠征で同じ作戦を使うのは難しいのだ。


「ペヴヴ……歯がゆいのは、わたしも同じ。空を飛べないの、悔しいよ」


 今のティアは跳躍用の羽で跳び回ることはできるが、飛行は難しいのが現状だ。そうなると、できることが限られてくる。

 ティアがポソリと呟くと、先頭を歩くオリヴァーが振り返った。


「ティア。お前の目と耳の良さも大事な武器だ。今は魔物を警戒しなくてはならない状況。必ず役に立つ」


 確かにそうかもしれない。ただ、虫がたてる音は、獣の咆哮に比べたら小さいものだ。

 耳の良いティアでも、離れた山の中にいる虫の羽音までは聞き分けられない。


「ペヴヴ……獣の魔物なら、鳴き声で分かるんだけど……虫は難しい…………ペウッ!?」


 耳を澄ましながら周囲を見回していたティアは、目を丸くした。

 村を囲う木の柵の向こう側に、人の姿を見つけたのだ。

 黒髪の小柄で痩せた女性──オリヴァーの幼馴染のロミーだ。


「オリヴァーさん、あっちに、ロミーさんが……!」


「なに?」


 オリヴァーとレンは、ティアが指さした方向を凝視する。だが、その時にはもうロミーらしき人物の姿は木々の間に隠れて見えなくなってしまった。

 オリヴァーが険しい顔でティアに問う。


「本当に、ロミーがいたのか?」


「うん、あっちの木の間を通っていったよ」


 ティアの言う「あっちの木の間」とは、つまり村の外だ。村の周囲は木々が多いので、少し奥に進むとあっという間に姿が見えなくなってしまう。

 冷静なレンが、オリヴァーを見上げた。


「オリヴァーさん、ロミーさんの家ってどこ? 家族に心当たりないか、聞いた方が良くない?」


「俺はロミーの家を知らん。そもそも家族がいるのかも分からん」


「知っとけよ! 訊けよ! 朴念仁っ!」


 レンに罵倒されたオリヴァーは、村の外に向かって「ロミー!」と声をかけた。

 だが、返事はないし、ロミーの姿が見えることもない。

 三人はバラバラにならぬよう、ひとかたまりになって、村の入り口に向かう。

 そこでオリヴァーがもう一度「ロミー!」と声をかけた。やはり、返事はない。

 レンが辺りを見回し、提案した。


「オリヴァーさん、柵の周りをぐるっと一周しようぜ。どっちにしろ、他に村人がいないかどうか、見回らないといけないんだし」


「あぁ、そうしよう」


「ティアは、人の声がしないか耳をすませてくれ」


「ピヨップ!」


 三人は離れないように気をつけつつ、柵の外側に回り込み、村の周りを歩く。

 柵はそれなりの高さがあり、乗り越えるのは難しいが、いざとなったらオリヴァーとティアは飛行魔術と跳躍用魔導具で飛び越えられるから問題ない。

 柵には一定間隔で香炉のような物が吊るされていて、そこから独特のにおいの煙が広がっている。


「オリヴァーさん、あの煙はなぁに?」


「魔物が嫌う煙だ。空を飛ぶ虫の魔物は、柵を簡単に超えてしまうからな」


 そういえば、村の中でもところどころ、この香炉を見かけた気がする。

 ただ、ハルピュイアであるティアは「変なにおいだなー」ぐらいにしか思わないから、全ての魔物に効くわけではないのだろう。


(効果があるのは虫と……あとは、鼻の良い獣型の魔物ぐらいかな。それ以外の魔物がくると、ちょっとアブナイ)


 歩きながら、ティアは耳をすました。

 村の外に、自分達以外の人間の足音は聞こえない。話し声や悲鳴の類もだ。

 山や森は、いつも色んな音がする。

 風が草木を揺らす音。野生動物の足音。鳥の鳴き声──なのに今は、野生動物や野鳥の鳴き声や気配を殆ど感じない。

 聞こえるのは草木が揺れる音ばかり。


(……静かすぎる)


 おそらく、野生動物達は気づいているのだ。この辺りに危険が迫っていると。

 魔物が見つかったのは、ランゲの屋敷の奥にある山だ。だが、裾野に広がる森から回り込んで、村の方までやってこないとは限らない。

 無論、その森もランゲ一族が見回りをしているが、見落とすこともあるだろう。虫の魔物は発見が難しい。

 ハルピュイアであるティアは、ある程度、他の魔物の痕跡が分かる。

 今のところ、この辺りに魔物の痕跡はない──が、だからと言って、安心できる状況でもない。

 その時、ティアの耳が微かな声を捉えた。あれは、若い娘の声だ。


「あっち! 声した!」


 ティアが指さした方角に向かって、オリヴァーが走る。ティアとレンもそれに続いた。

 村を囲う森を、山側に少し進んだ先。木々が密集している辺りに人影が見える。


「ロミー!」


 声をかけても返事はない。ロミーはぼうっと立ち尽くしていた。

 その横顔に、オリヴァーに見せたような快活な表情はない。


(もしかして、人間の精神に干渉する魔物が、この辺りにいる……?)


 人間を釣り餌にする魔物をティアは知っている。

 まずは手頃な人間に精神干渉を施し、人里から離れさせる。そして、その人間を探しにやってきた他の人間を、まとめて襲うのだ。この状況は、それに似ている。


「ロミー!」


 オリヴァーがロミーの細い手首を掴み、声をかける。

 そこでロミーはハッとしたように体を震わせた。丸い目が、パチパチと瞬きをしてオリヴァーを見る。


「……えっ、オリヴァー君……なんで……」


「何故、ここにいる」


「あの、お腹減って……食べるもの……探して……」


 オリヴァーの詰問に、ロミーはか細い声で答える。

 俯く彼女の首は折れそうなほど細く、肉がない。栄養状態が良くないのだ。

 オリヴァーもそれに気づいたのか、続く言葉を飲み込んだ。ゴソゴソとポケットを漁っているのは、何か食べる物を渡そうとしたのだろう。

 そんなオリヴァーの向こう側で、茂みが揺れるのをティアは見た。


「オリヴァーさん! 何かいる! 大きいの!」


 ティアが叫ぶのと、それが飛び出してくるのはほぼ同時だった。

 緑と茶色が混じった細い体、六本ある足のうち、前足二本は大鎌に似た形をしていて、内側にビッシリと棘が生えている。

 そして、胸の辺りには煌めく水晶片。

 それは人間ほどの大きさの、カマキリの魔物だった。


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