【8】ごとーしゅ(仮)
ランゲの屋敷を目指し、先頭を歩くオリヴァーの後ろを、レンが小走りになって追いかけながら話しかける。
話題は、先ほどのロミーという少女についてだ。
「なぁなぁ、さっきのロミーさんって、オリヴァーさんとどういう関係?」
「同郷の人間だ」
「もうちょっと踏み込んでくれよ。幼馴染? よく一緒に遊んだりするの?」
「否。俺は訓練のため、山に籠っていることが多いから、村の子どもとは殆ど遊んだことがない」
「じゃあ、どうやって、ロミーさんと知り合ったのさ」
オリヴァーは昔を思い出すかのように、顎に手を当てる。
「あれは、俺がまだ子どもの頃だった。ロミーが山で猪に襲われていて……」
「オリヴァーさんが助けたんだ?」
「助けようとして死にかけたところを、父が助けに来た」
レンが半眼になって呻く。
「……そうだった。オリヴァーさん、強そうなだけで別に強くはないんだった」
オリヴァー・ランゲは鍛え抜かれた長身、眼光鋭く精悍な面差しと、見た目だけなら大変強そうな男である。だが、槍の腕前は訓練を受けていない一般人よりはマシ、という程度。飛行魔術は、とにかく真っ直ぐにしか飛べない。
ティアはオリヴァーの素敵なところを沢山知っている。
勤勉で努力家。常に丁寧な暮らしを心がけており、料理と裁縫、掃除が得意。見習い魔術師の中で誰よりも上手に洗濯物を畳み、暮らしを快適にする豆知識が豊富。
……ただ致命的なことに、槍術と魔術の才能がないのである。
オリヴァーは、レンの失礼な発言に気を悪くするでもなく、話を締め括った。
「それ以降、ロミーはよく俺の訓練を見に来るようになったのだ」
「へー……ロミーさんは差し入れとか持ってきたり? 頑張って〜、とか言ってくれたり?」
「あぁ。きっと、槍術に興味があるのだろう」
「美少年パンチ!」
レンは素早くオリヴァーの背中を小突く。
オリヴァーはレンを見下ろし、真剣な顔で言った。
「そうか。お前は体術に興味があるのだな」
「この朴念仁め〜! という気持ちを込めた美少年のツッコミだよ」
オリヴァーとレンのやりとりを、ティア、セビル、ルキエの三人は少し後ろから見守る。更にその後ろをヒュッターとオットーの大人二人が歩く形だ。
執拗にオリヴァーに絡むレンに、ルキエが冷めた目を向けた。
「……ゾフィーがいたら、きっと一緒に絡んでたでしょうね」
「ピヨ? なんで?」
「ああいう話、大好きでしょ」
そうなんだー。という気持ちでティアはレンとオリヴァーを見る。
ただ、レンがいつもより騒がしいのは、ルキエの言う「ああいう話」が好きだから、という理由だけではないと思うのだ。
「久しぶりにオリヴァーに会えて、嬉しいのもあるのだろう。最近は気を張り詰めていたからな」
セビルの言葉に、ティアもペフン! と頷く。
こういう状況ではあるけれど、やっぱり同じ見習い仲間に会えると嬉しいのだ。
特にレンは、オリヴァーやローズに可愛がってもらってるから尚のこと。
あれは兄貴分に会えて、ちょっぴりはしゃいでいるのだ。
* * *
ランゲの屋敷は小さい要塞のような趣きで、山側には堀があり、石を積んで作った壁が広がっている。おそらく、山側から魔物が攻めてきた時のことを想定しているのだろう。
村に面した側には、居住用の屋敷がある。大きくて立派ではあるが、華美ではない。実用性に重きを置き、修繕と補修を繰り返した屋敷は、〈楔の塔〉と少し似ていた。
オリヴァーが戻ると、使用人達が「あら、オリヴァー様」と驚いたような顔をする。
ティアは、オリヴァーが伝令のためにランゲの里を発ったばかりだったことを思い出した。
(そっか。予定より早く……それも、わたし達を連れて戻ってきたら、タダゴトじゃないもんね)
「あぁ、悲しいです……悲しいです……」
ホールの隅っこから、聞き覚えのある声がして、ティアはピヨッと目を丸くする。
杖を胸に抱いて、両手で顔を覆っている銀髪の女──討伐室のヘレナだ。
「魔物の痕跡が見つかってしまった以上、山に入らなくてはならない……冬の山で魔物討伐……寒いの嫌いなのに……悲しい……あら?」
さめざめと嘆いていたヘレナは、オリヴァーの背後にいるティア達の存在に気づいたらしい。
涙の雫で濡れたまつ毛をパチパチと上下させて、小首を傾げている。
「そちらにいらっしゃるのは、守護室のオットー様と、指導室のヒュッター様、それと見習いの皆様では……ダーウォック奪還作戦に向かわれたあなた方が、どうしてここに……?」
やはり、こちらにはダーウォックの現状が伝わっていないのだ。
説明が難しい状況だが、すかさずヒュッターが口を開いた。
「ダーウォックの国王は崩御。ダーウォック奪還作戦は中止です。ひとまず、他の魔術師の方々を集めてください」
「国王が崩御……まさか……」
「魔物に殺されたそうです」
ヒュッターの言葉に、ヘレナは「なんてことを……」と唇を戦慄かせた。
ヒュッターは深刻な顔で告げる。
「この近辺で魔物の痕跡が見つかったことは、オリヴァーから聞きました。ですが、魔物は既にランゲの里周辺だけでなく、メルヴェンの街や、西の壁周辺にも現れている」
いよいよヘレナの顔から血の気が引いた。
魔物の活動が〈水晶領域〉外で活発になること──それが、〈楔の塔〉が最もおそれていた事態なのだ。
ヘレナは「悲しいです」という口癖を引っ込め、ハキハキした口調で言った。
「分かりました。すぐに人を集めましょう。皆様は奥の大広間へ……そこが会議室代わりです」
* * *
大広間は人の出入りが多い部屋なのだろう。扉は開けっぱなしになっており、中には会議用の机や椅子が持ち込まれている。
ヘレナはすぐに他の者にも声をかけてくれたらしい。ティア達が着席してから然程時間をおかず、ランゲの里の戦力が部屋に集結した。
オリヴァーの兄、フレデリク・ランゲもだ。
いつも穏やかに微笑んでいるニコニコノッポさんことフレデリクは、流石に今はにこやかに微笑んではいなかった。険しい顔をしていて、その目の下には濃い隈がうかがえる。
それでも彼は、見習い魔術師達がいることに気づくと、ティアを見て困ったように笑った。
「こんにちは、ライバルさん。困ったことになったね」
「ピョフゥ……うん」
部屋に集まったのは、ティア達を除くと、討伐室の魔術師が六名(フレデリク、ヘレナを含む)。調査室の魔術師が三名。
それと、武人らしい革の胸当てをした男達が十数人──彼らは皆、ランゲ一族の戦士らしい。
ふと気になって、ティアはフレデリクに訊ねた。
「リカルドさんはいないんだ?」
「リカルドはアクスの里の方にいるよ。彼も魔物狩り一族の人間だから」
アクスの里は、ランゲの里より南東にあるらしい。
そちらにも〈楔の塔〉の魔術師が派遣されているが、アクス一族の方が比較的数が多く余裕があるため、状況次第ではリカルドもこちらに来るだろう、とのことだ。
そんなやりとりをしていたら、ランゲの里の者がフレデリクに声をかけた。
「ご当主、集められる者はこれで全てです」
ピヨッ? とティアは声を上げる。
「フレデリクさんはごとーしゅ? ごとーしゅは偉い人?」
「この家の代表みたいな感じかな。(仮)をつけといていいよ」
「ごとーしゅ(仮)?」
「普段は、〈楔の塔〉にいるわけだし。殆ど当主代理の叔父に丸投げしてるから」
「そうなんだ?」
「そうなんだ。当主らしいことするのなんて、こういう非常時ぐらいだよ」
「そっかー。うん、分かった。フレデリクさんはごとーしゅ(仮)!」
そのやりとりを聞いていたレンが、隣に座るティアの脇をつついた。
なぁに? と首を動かすと、レンは小声で言う。
「なぁ、ティア。お前とフレデリクさんって、いつもそんな感じの会話してんの?」
「うん。いつもこんな感じ」
「なんか、独特のテンポっつーか……ふわっふわしてるなぁ……」
「きっと、兄者とティアは気が合うのだろう」
ティアとレンのやりとりを聞いたオリヴァーが、しみじみと言う。
「はい、雑談はそこまでだ。状況報告を始めるぞ」
ヒュッターが見習い達をたしなめたところで、情報交換が始まった。
まずはヒュッターが、自分達の境遇について簡潔に語る。
ダーウォック奪還作戦は中止になったこと。メビウス首座塔主はイクセル王子達といること。南下しようとしたティアが上位種の魔物に遭遇したこと。
メルヴェンに滞在している調査室の魔術師は、おそらく全滅だろう、とヒュッターが口にした時、全員の顔が青ざめた。特に調査室所属の魔術師達は、苦悶の表情を浮かべている。
「そういうわけで、ランゲの里経由で〈楔の塔〉を目指そうと思っていたところ、オリヴァーと合流したわけです」
ヒュッターがそう締めくくると、フレデリクが険しい顔で「報告、ありがとうございます」と返した。
静かな声だ。だが、その目の奥では、静かな怒りと殺意が燃えている。
「そういうことでしたら、こちらで護衛をつけて、指導室の皆さんを〈楔の塔〉に送ります。ここも安全ではない以上、急いだ方がいい」
その人選について、フレデリクは話し合おうとしたのだろう。
だが、彼が言葉を続けるより早く、扉に人が駆け込んできた。革の胸当てをして槍を持った、ランゲ一族の人間だ。
「魔物の襲撃です! 虫の魔物を複数発見。また、現場には蜘蛛の糸も……!」
蜘蛛の糸。その言葉にフレデリクが大きく目を見開いた。




