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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
二章 新人教師と見習い魔術師達の日々
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【4】本人の知らないところで増える肩書き


「私は密かに研究を重ね……ついに、詠唱無しで幻術を発動する、無詠唱幻術に成功したのです」


 無詠唱、の一言に室内の空気がざわついた。

 人間は詠唱なくして魔術を使えない。だが、ただ一人だけそれを成功させた人物がいる。

 隣国の魔術師の頂点、七賢人が一人〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレット。

 世界で唯一の無詠唱魔術の使い手は、帝国人ではないのだ。

 隣国に遅れをとってなるものかと、帝国の魔術師達はこぞって無詠唱魔術の研究をしたが、誰一人として彼女が至った高みに辿り着いていないという。

 それを幻術限定でも行使できるようになった……ともなれば、間違いなく賞賛されるべき大快挙だ。

 指導室室長のヘーゲリヒが、眉間に皺を寄せた。


「にわかに信じがたい話だがね、君ぃ? 少なくとも私は、そんな噂を一度も聞いたことがない」


「はい、秘密裏に研究していましたから……ですが」


 ヒュッターはローブの胸元を押さえ、クッと喉を震わせる。


「その代償に、私は魔力操作を行うと心臓が激しく痛み、手足が痙攣し、呼吸困難になり、全身の血の巡りが悪くなって冷え性になり肩凝り、腰痛、神経痛、便秘、イボ痔に悩まされるようになり、夜も眠れない日々が続いているのですっ」


 後半いらなかったかな、とも思ったが、ついつい舌が回ってしまったのだから仕方がない。こういうのは勢いだ。

 ヒュッターはゆっくりと顔を上げ、室内にいる全員の顔を見回した。

 全員、息を潜めて話の成り行きを見守っている。良い空気だ。

 この「周りがこちらの話に聞き入っている」という空気に、妙な満足を覚えてしまうところが彼が詐欺師たるゆえんだった。

 三流詐欺師は、普段はダルダルしている顔に、決意を固めた男の顔を貼りつけた。彼はそこそこ演技派詐欺師なのだ。


「私の覚悟を示すため……皆さんに、私の無詠唱幻術をご覧にいれましょう」


 ヒュッターはカッと目を見開き、喉の奥からコォォ……と低い声を発した。

 その気迫に、部屋中の視線が釘付けになる。

 ヒュッターはローブの袖に隠した花を握り潰す。これは魔力を帯びた花で、潰すと魔力を放出して光の粒を発するのだ。

 本当にささやかな光の粒なのだが、その方がそれっぽくて良い。

 詠唱無しで生まれた微かな輝きに、人々が息を呑む。

 ヒュッターは裂帛の気合いと共に声を発した。


「はぁぁぁぁぁあああああ!」


 無詠唱なのに声をあげるのか、と突っ込んではいけない。こういう時は、「何かやってますよ」という演出が大事なのだ。

 ヒュッターは顔中にビッシリと脂汗を浮かべ、ガタガタと震える手を持ち上げた。

 すると、どこからともなく白い鳩が五匹飛び出す。

 部屋の魔術師達が驚きの声をあげた。


「鳩!?」


「どこから……いや、幻術、なのか?」


「あんなリアルな鳩が……」


「しかも、無詠唱で!」


 ヒュッターが手を右に振ると鳩達は右に、左に振ると左に、指をクルクル回すと天井周辺をグルリと回り、最後は窓の外に飛び立っていった。

 ハァハァと苦しげな呼吸を繰り返すヒュッターの口元を、つぅっと一筋の血が流れる。


「ヒュッターさん!」


 隣の席のレームが声をあげて、ハンカチを取り出した。

 それをヒュッターは片手を持ち上げて止め、自分のハンカチで口元を拭う。


「貴女のハンカチが汚れてはいけない」


 血糊とバレないようにするためなのだが、ここは気の利く男っぽいことを言っておく。

 これはなかなか渋く決まったのではないだろうか。


「これが、私の無詠唱幻術です。ですが、無詠唱でも詠唱有りでも、全身が激しく痛み動悸が激しくなり呼吸困難になって吐血です。今の私は、まともに魔力を操れない体になってしまった……」


 ヒュッターは全身を小さく震わせ、さも苦しげにフゥッフゥッと浅い呼吸を繰り返した。

 急病の演技は、詐欺師にとって必須技術である。


「魔術師組合の中には、私を妬み、失脚させようとしている者もいます。そいつらに、今の私の状態を知られたら……奴らはそれを言い分に、私を魔術師組合から追放するでしょう」


 三流詐欺師の〈煙狐〉は、普段は澱んでいる目をキラリと輝かせた。

 悲壮感の中に強い覚悟の滲む男の顔で、ヒュッターは堂々と告げる。


「〈楔の塔〉はありとあらゆる魔術が集う塔。ここならば、私のこの症状を改善するためのヒントがあるかもしれない……だから私は、〈楔の塔〉に出向したのです!」


 おぉ……と、室内の者が吐息を漏らす。

 隣の席のレームなど、感極まった様子で口元に手を当てていた。


「そうだったんですね……それなのに私ってば、気軽に幻術を見たいなんて言って……」


 年下の女性に気を遣わせてしまった。

 なけなしの良心が痛まないでもないが、おかげでますます部屋の空気は、ヒュッターに対し同情的になっている。

 塔主エーベルが、慈しむようにヒュッターを見た。


「事情は分かりました。貴方の秘密が〈楔の塔〉から漏れることがないよう、そして貴方の体質が改善し、完璧な無詠唱幻術が扱えるよう、わたくし達は尽力しましょう」


 エーベルは少しだけ茶目っ気のある笑みを浮かべて付け足す。


「〈楔の塔〉は魔術を学ぶ者の味方ですから」


 ヒュッターは、自分はなんと恵まれた環境にやってきたのだろう──という喜びを全身から滲ませた。

 そうして片手で顔を覆い、震える声で「ありがとうございます」と礼を言う。


(うぉっしゃー! 乗り切ったー!)


 無詠唱幻術なんて盛りすぎたかな、とも思ったが、魔力操作ができなくなった、という理由づけのインパクトが欲しかったのだ。

 そこで、最近耳にした隣国の英雄〈沈黙の魔女〉の無詠唱を拝借したのである。

 一般人相手なら、詠唱など適当にムニャムニャ言って済ませたが、ここにいるのは魔術のプロ。下手な詠唱では嘘がバレる可能性がある。そういう意味でも無詠唱は都合が良かった。


(会議が終わったら、鳩達には、たっぷりと良い餌をやるかぁ……)


 ヒュッターがやり遂げた満足感に浸っていると、隣の席のレームと目が合った。


「実は、私もなんです……」


「え?」


 私も詐欺師なんです、というカミングアウトだろうか。

 いやいや、流石にそれはない。と焦るヒュッターに、レームは感極まった声で言う。


「私も、魔力器官が損傷していて……魔力操作をすると、全身が痛むんです」


 ギョッとするヒュッターに、ヘーゲリヒが小声で囁く。


「レーム君は、以前は討伐室のエースだったのだよ」


 だから、あんなにもヒュッターを気遣っていたのか。

 微妙に頬が引きつりそうになるヒュッターに、レームは健気な笑顔を向けた。


「ヒュッターさんの体質が改善するよう、私も協力します。これから……一緒に頑張りましょうね!」


「あ、はい、どうも……」


 仮病を使っている時、本当の病人がそばにいると気まずいものである。

 罪悪感一歩手前の気まずさを隠し、ヒュッターはヘラヘラ笑う。

 それから小さな連絡事項を幾つか共有して、会議は終了した。

 この後は、指導室室長ヘーゲリヒから指導室での仕事について説明があるらしい。

 全く、初日は覚えることが多くて大変だ。


「ヒュッター君、ちょっと」


 部屋を出る直前、ヒュッターを小声で呼び止めたのは、金髪薄毛で小太りの、金にがめつそうなオッサン──財務室室長のアイゲンだった。


(やべ、早速探りを入れにきたのか……)


 身構えるヒュッターに、アイゲンは小声で囁く。

 何か取引を持ちかける気か。


「痔には、第一分室の薬が効くぞ」


「…………」


 ──こうして、三流詐欺師〈煙狐〉の潜入ライフは、イボ痔持ちという肩書きと共に幕を開けたのである。



 * * *



 指導室の人間達が会議室から退出した後、医務室第二分室の分室長であるパウラ・マイネは居心地悪そうに目をキョロキョロさせた。

 マイネは三十歳ほどの黒縁眼鏡をかけた、黒髪の女である。

 今でこそ会議の場だからと、黒髪をキチンとまとめ、パリッとした白衣を着て、デキる女の空気を漂わせているが、普段はヨレヨレの白衣を着て、ボサボサの髪でゴロゴロしている割とダメなお姉さんだ。


(誰もあーしが、表裏逆の肌着を着て、左右で違う靴下を履いているとは思うまいよ……ふふ……あ〜、それにしても、ここに残れって塔主の合図があったけど……)


 やがて、会議室から人がはけ、残ったのは塔主エーベル、総務室室長シャハト、財務室室長アイゲンだけになった。マイネ以外、重鎮である。


(古典派だけで集まって会議ってのが、意地悪〜い。ヘーゲリヒ室長は近代派だから、こういう時、仲間外れにされがちだよねぇ〜)


「マイネ分室長」


 塔主のエーベルが穏やかな口調で言う。

 エーベルは一見、温和で慈悲深く、親しみやすい人物に見える。

 だが、第一〜第三塔主の中で一番恐ろしい人だ。少なくともマイネはそう思っている。


「〈夢幻の魔術師〉カスパー・ヒュッターの苦しみ方は、貴女の目にはどう見えましたか?」


 マイネは先ほど、無詠唱幻術を披露したヒュッターの様子を思い出した。

 あれが演技に見えたか、とエーベルは問いかけているのだ。


「あー、どうでしょうね〜。うちの室長ならともかく、あーし……私は見ただけで仮病かどうか見抜けるほど、優秀じゃないんで〜」


 ヘラリと笑いながら髪をかいたら、まとめた髪がほつれて毛束が飛び出し、大惨事になった。

 エーベルは穏やかに笑っているが、シャハトとアイゲンは微妙な顔をする。


(剛毛は、まとめ髪にするのが大変なんだよぉ〜!)


 マイネが心の中で言い訳をしていると、総務室室長シャハトが硬い口調で言った。


「無詠唱幻術というのが、どこまで本当か疑わしくはありますが、苦しみ方は本物のように見えました。あれが演技だとしたら、非常に手慣れている」


「わしにも、あれが演技には見えませんでしたな」


 財務室室長アイゲンも腕組みをしながら頷き、同意する。

 塔主エーベルは三人の意見に順番に耳を傾け、穏やかで慈悲深い笑顔のまま言った。


「しばらくは様子を見ましょう。魔術師組合が何かを仕掛けてきたのなら……レーヴェニヒの時と同じように処理するまでです」


(おぉ、怖い怖い……)


 肩を竦めつつ、マイネは爆発した髪をピンで留める。少しでも大惨事を食い止めようと思ったのだ。

 だが、ピンは呆気なく剛毛に弾き飛ばされ、だらしなく垂れてプラプラ揺れた。


登場人物が多くてすみません。


エーベル:第一の塔〈白煙〉塔主。優しそうだけど怖いおばちゃん。

シャハト:総務室室長。ダンディ。

アイゲン:財務室室長。イボ痔同盟。

マイネ:医務室第二分室の分室長。だらしないお姉さん。


ぐらいに、ふわっと覚えてもらえれば大丈夫です。

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