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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
八章 境界の魔女
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【3】吸血鬼の物語


 目の前には人に近い姿をした上位種の魔物。上空には目玉鳥の群れ。

 ティアの頭に浮かんだ選択肢は二つ。戦うか、逃げるかだ。

 自分がハルピュイアであることを明かし、命乞いをしようという考えは浮かばなかった。

 魔物は同種族以外に対する仲間意識が薄い。仮にティアがハルピュイアであると明かしたところで、この魔物達がティアを見逃すとは限らないのだ。

 人間ゴッコをしている気持ち悪い奴がいる。殺そう──それが魔物の思考だ。

 殊に上位種は人間に強く執着するからこそ、半端な人間ごっこをする同族を嫌う。


(どうするのが、正解だろう)


 こういう時、咄嗟の判断や機転を効かせることが、ティアは苦手だ。そういうのは、いつもレンやセビルに頼りっぱなしだった。


(でも、ヒュッター先生なら、自分で考えろって言う)


 ティアは周囲の様子を観察した。それなりに木々の多い林は、既に夜の訪れもあり、暗くなり始めている。

 その事実はティアに有利に働くものではなかった。何故なら魔物は大抵、夜目がきくからだ。寧ろ、夜の方が力を増す魔物の方が多い。

 ……目の前にいる、この金髪の魔物のように。

 むむむ、と悩むティアを、金髪の魔物はニコニコしながら見ている。

 なんだかやけに楽しげだ。


「ねっ、ねっ、この服どう思う? ……って、あー……血で汚れてるんだった。本当はさ、この辺に刺繍が入ってて素敵なんだよ。ほらほら、似合ってるでしょ? どう、物語に出てくる吸血鬼っぽいでしょ?」


「……きゅーけつき?」


 胡乱な顔をするティアに、金髪の魔物は笑顔で両手を広げて言う。


「人間達が考えてくれたんじゃない。人の血を吸う美しい魔物の物語!」


 そういえば、ゾフィーが好きな物語の中に、そういうものがあった気がする。

 血を吸う魔物──吸血鬼と人間の美しくも切ない恋の話だとかなんとか。

 なら、目の前のこの男は、吸血鬼なのだろうか?


「俺はね、生まれた時は、ただ血を求めるだけの魔物だったの。人の血を啜ることができれば、それで良かった。でも、人間達はそんな俺をモチーフに、素敵な物語を作ってくれたんだよ」


 金髪の魔物は胸に手を当て、どこか陶酔した表情で語りだす。

 やけにはしゃいでいるのは、ティアを人間の少女だと勘違いしているからだ。


「美女の生き血を啜る、美しい男の姿をした吸血鬼。そういう物語を人間が作ったの。知ってる? 舞台にもなったんだって。俺、それを知ってすごく感動しちゃって〜。ほらほら、この衣装もそれに合わせて用意させたの」


 そう言って、金髪の魔物はフリルのついた袖をヒラヒラと振る。人間の血で汚れた手から、ポタポタと血の滴を滴らせて。

 金髪の魔物は血に汚れた指をペロリと舐めた。


「俺ね、昔は血を啜れるなら、それで良かったんだ──それこそ、地面に流れた血を這いつくばってベロベロ舐めてたわけよ。でも、今はお上品に首筋からいただくって決めてるの。だってほらぁ、その方が美しいじゃない?」


 獲物にとどめを刺すのに首筋を噛むのは、まぁ分かる。

 だが、血が欲しいのなら、別にどこからでも良いのでは、とティアは思った。おそらく、この魔物も昔はそうだったのだ。

 だが、人間が作った「吸血鬼」の物語を知って、それに執着した。


「首筋から血を吸うなんて、ロマンティック! 人がそういう物語を作ったから、今の俺がある。俺は人間の創作を、芸術や美術を、愛しているんだよ!」


 うつ伏せに倒れていたティアは、ゆっくりと起き上がる。

 それを金髪の魔物は止めたりしなかった。この魔物は本当に強い魔物だ。その気になれば、花を摘むような気軽さで、ティアの頭を捩じ切れる。


「吸血鬼の物語ではさ、うら若き乙女の生き血を吸うっていうのが、お約束なんだよね〜」


「だから、わたしの血を吸いたくて、ワクワク?」


「そう、ワクワク〜」


 そう言って金髪の魔物は、毟り取った飛行用魔導具の金属羽をポイと地面に投げ捨てた。

 その僅かな時間で、ティアは考える。鳥頭なりに懸命に。


(生き血を吸うって言ってた。多分、すぐには殺さない気だ。飛行用の羽は壊されたけど……跳躍用の羽は、まだ無事……のはず。それなら……!)


 ティアは無言で上着を脱ぎ捨てた。

 露わになった首筋に、金髪の魔物が舌なめずりをする。


「素直な良い子は大好きだよ」


 金髪の魔物がティアの前に立ち、腰をグッと引き寄せた。そうして大きく口を開け、ティアの首筋に牙を立てる。

 チクリと首が痛んだ。構わずティアは、飛行用魔導具のレバーを引く。飛行用から跳躍用に羽を切り替えようと思ったのだ。だが、壊れた羽が引っ込まない。力任せに毟られた時、微妙に歪んでしまったからだ。


(切り替われ! 切り替われ!)


 ジュルリ、ジュルリと音がした。金髪の魔物がティアの血を啜っている音だ──それが、数秒で止まる。

 おぇっ、という声がした。金髪の魔物は顔を歪めて仰け反り、悲鳴じみた声をあげる。


「おぇぇっ、なにこれ、まっず……!」


 その時、引っかかっていたレバーが動いた。飛行用の羽は半端に収納された状態のまま、跳躍用の短い羽が飛び出す。

 ティアはグッとその場にしゃがみ、狙いを定めた。


「ルァァァァアアアアアア!!」


 跳躍用魔導具を発動し、ティアは勢いよく飛び上がった。その白髪頭が、金髪の魔物の顎に直撃する。ティア必殺の跳躍頭突きだ。〈楔の塔〉に帰ったらオリヴァーにも教えてあげよう。

 地面にひっくり返った金髪の魔物には目もくれず、ティアは再び跳躍用魔導具を起動し、高く飛ぶ。


「ふんっ!」


 まずは最初の跳躍で、近くの木の枝に飛び移った。

 ポケットを漁り、魔女様に貰ったキャンディを取り出して口に放り込む。五分だけハルピュイアに戻れるキャンディ。まだ、舐めたり噛んだりはしない。歯で咥えるだけだ。

 そうして二回、三回と跳躍を繰り返して、また別の木に飛び移る。


(これで、少しは時間が稼げ……)


「追いかけっこかい、ウサギちゃん?」


 その声は、すぐ真横で聞こえた。

 同時に体の右側から衝撃。ティアは地面に叩き落とされる。


「ヴヴヴヴヴヴ……っ! グゥゥ……っ!」


 キャンディが口からポロリと転がり落ちた。ティアは這いつくばり、土だらけのキャンディを咥える。

 右腕と肩に激痛。多分人間なら、骨がグシャグシャになっていた。


(跳躍用魔導具は、まだ壊れてない!)


 キャンディを咥えたティアは跳躍する。まずは木の上。そこでキャンディを噛み砕き、木の上から空高く、高く、限界まで高く跳躍する。

 口腔に広がるのは、花の香り。それがもたらす酩酊感が痛みを少しだけ忘れさせてくれた。

 その頃にはもう、ティアの足は──鉤爪はブーツを破って飛び出している。ティアは思い切り両腕を伸ばした。

 上着を脱いだ腕から、純白の羽が飛び出す。


「ルルゥーーーァアーー!!」


 ティアを狙って上空で待機していた目玉鳥達が、動きを止める。

 怪鳥達は気づいたのだ。金属の羽を背負っていた人の子が、自分達よりも強い魔物であることに。

 ティアは羽を広げながら、風の精霊に呼びかける歌を歌った。

 ティアの歌声に惹かれた風の下位精霊達が、ティアの体を風に乗せてくれる。

 風切り羽を切られたティアは、今まで通り自由には飛べない。だが、風の精霊の力を借りれば、高い所から滑空することはできる。

〈楔の塔〉の入門試験では、セビルとレンを足にぶら下げて、崖から降りたのだ。

 あの時よりもずっと高くからの滑空だ。荷物も少ない。


(風向きは良くない。向かい風だ。でも、風の精霊の力なら、ギリギリいける……)


 目玉鳥の群れが滑空するティアを追いかけてくる。

 ティアは風の精霊に捧げる精霊讃歌を歌いながら、そこに別の歌声を重ねた。ハルピュイアは、一度に三つの声を出せるのだ。

 精霊讃歌を歌いながら、残りの二つの声でティアは歌う。


 ──涙の日、己の無価値を知るだろう(その皮を一つずつ剥いで)

 ──泥の中の花は誰に見られることもなく(その肉を一つずつ削いで)

 ──腐り溶けて混ざり合う(その骨を一つずつ溶かして)


 それは、魔物を構成する魔力を暴走させて、内部から破壊する歌。魔物を殺すための歌だ。

 近くにいた目玉鳥が痙攣して、地に落ちる。残りの数羽は歌声を警戒し、ティアから距離を開けた。

 その隙にティアは目玉鳥達を引き離し、北へ向かう。






 背中に金属の塊を背負い、純白の羽を広げて滑空していくハルピュイア。

 その姿を地上から見上げ、金髪の魔物──ジルは耳を押さえる。

 なまじ耳が良いものだから、あのハルピュイアの歌が気持ち悪いのだ。


「今の子って、ハルピュイア……? どうりで血がまずいと……」


 血の味を思い出し、ベェッと舌を出したジルは考える。

 何故、ハルピュイアが人間の姿をしているのだろう。ハルピュイアにそんな能力はなかったはずだ。

 それに、あの金属の羽。どう見ても、人間が作った物だ。魔物はあんな凝った道具を作れない。


「もしかして、宰相が〈楔の塔〉に送り込んだ子かな? ……いや、それはおじいちゃんの眷属だった気が……まぁ、いいか」


 たかがハルピュイア一匹だ。

 上位種の魔物にとって、ハルピュイアなど、そこらの小鳥と大差ない。取るに足らない存在なのだ。


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