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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
七章 北へ
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【27】魔物の王の執着


 ダーウォック王城の玉座に座る老王ダーウォック国王ヴァルデマルは、神経質に窓の外を見た。

 灰色の空からは、絹糸のように細い雨がシトシトと降り始めている。


「遅い」


 ヴァルデマルは不機嫌を隠さぬ声で唸り、肘置きをコツコツと指で叩いた。

 そばに控えていたフードの男が、口元だけで薄く笑う。


「もう間もなく到着されますよ。それまでに、ダーウォック新教の教典を作られては?」


 ヴァルデマルはフンと鼻を鳴らすと、扉のそばにいる大臣に「あれを持て」と命じる。

 大臣はすぐさま、一冊の本を持って戻ってきた。

 立派な装丁を施されたそれは、ダーウォック新教の教典だ。

 ヴァルデマルは既に自分に反対する者の一部を粛清し、新しい大司教を任じて、教典作りをさせていた。

 真新しい教典を受け取ったフードの男は、大袈裟に驚いてみせる。


「なんと仕事のお早い。きっと、我らが王も喜びましょう! ……おや」


 フードの男が窓に目を向ける。つられて窓を見たヴァルデマルは気がついた。

 オレンジ色の羽を持つ、大きな鳥が──鳥女が飛んでくる。

 その足にぶら下がっているのは、一人の若者だ。

 鳥女が窓の近くまで飛んでくると、その若者は窓枠を乗り越え、ヴァルデマルの前に姿を見せた。

 男にも女にも見える、十代後半の若者だ。

 整った美しい顔、顎の辺りで切り揃えた白髪、金属を溶かして流し込んだような銀色の瞳。


(……これが、魔物の王)


「その方が、神となる者か?」


 男にしては高く、女にしては低い、静かな声だった。

 老齢のヴァルデマルには、目の前の若者など、子どもとさほど変わらなく見える。

 だが、ここにいるのは魔物なのだ。

 魔物が見た目通りの力の持ち主でないことは、ジルという金髪の魔物が証明している。

 ヴァルデマルは決して臆さず、それでいて威圧しすぎない、王らしい厳格さで魔物の王に応じた。


「余はダーウォック国王ヴァルデマル。これより、ダーウォック新教の神となるものである」


 魔物の王が、ヴァルデマルの正面に立つ。

 そこにすかさず、フードの男が近づき、「教典にございます」と教典を差し出した。

 魔物の王はヴァルデマルの前だというのに、教典のページを捲り始める。

 そうして紙面に目を向けたまま、口を開いた。


「新たに神にならんとする者に問う」


 ヴァルデマルは密かに身構えた。

 きっと魔物の王は、このダーウォック新教における魔物の扱いについて訊いてくるのだろう。

 無論、魔物を弾圧するつもりはない。魔物達には、このダーウォックを守る戦力になってもらわねばならないのだ。

 ヴァルデマルは充分な協力体制を維持するために、できる限り魔物の要求に応じるつもりでいた。

 魔物の維持のために人間を差し出せと言われれば、犯罪者共を差し出す用意はできている。

 幸い、粛清したい者はこの城の中にも外にも大勢いるのだ。己の妻や、血の繋がった息子達も含めて。


(さぁ、魔物の王よ、何を問う?)


 魔物の王は、教典を読みながら訊ねた。


「死後の世界とは、どのようなものか」


「……なに?」


「新たな神は、魔物の死をどう定義する」


 ヴァルデマルの思考が一瞬麻痺する。


(魔物風情が何を言うのか)


 教典では人が行き着く死後の世界には触れているが、魔物の死後に関しては特に触れていない。

 ダーウォック新教の教典は、元々、ダーウォックの国教であるルステリア教をベースに、「重婚、離婚の禁止」と「魔物を悪とする描写」の二点を削り、ダーウォック国王を神とする旨を足して、諸々を微調整したものである。

 魔物の王は教典を閉じ、ほぅっと吐息を零した。


「この教典。歪みのない製本、しっくりと手に馴染む、それでいて美しい装丁、素晴らしい」


 白髪の下で、銀色の目がユラリと揺れる。


「だが、肝心の中身に……(おまえ)に説得力がない」


 教本を持つのと逆の手が、ローブの中に潜り込み、何かを引き抜く。

 カラン、カラン、と音を立てて床に落ちるのは、水晶でできた鋲だ。

 ヴァルデマルは魔物の王のローブから目が離せなくなった。ローブの隙間に広がるのは、漆黒、漆黒、漆黒の……。


「おまえは、わたし達の神ではない」


 五本目の鋲が落ちた時、ヴァルデマルの目に映る世界が変わった。


「あ、あぁ……ああ……」


 そこにいるのは、恐怖だ。人の形をした恐怖だ。

 白髪の下の顔が黒一色に見える。その黒い顔の中に浮かび上がる銀色が、ヴァルデマルを見ている。

 目を瞑りたいのに瞑れない。目を離せない。


「う、あぁ、ぁあああっ……!」


 まるで見えない手がヴァルデマルの皮膚から体内に潜り込み、脳を、舌を、臓器の一つ一つを撫で上げているような悪寒、恐怖、絶望。

 涙と嗚咽が止まらない。滲む視界の中で、他の魔物達は膝をつき、頭を垂れていた。

 そして人間達は……大臣が、兵が、一人、また一人と歩きだす。


 彼らが向かう先は──開け放たれた窓。


 誰かが金切り声をあげて、窓から飛び降りた。それを皮切りに、玉座にいた人間達は次々と窓から飛び下りていく。


 ここは、最上階だ。


 グシャリ、ゴキリ、べチャリ──肉が潰れ、骨が折れ、血が飛び散る音がする。


「あ、あぁ……ああ……」


 ヴァルデマルは震える足で玉座から立ち上がった。

 魔物に操られているのではない。己の意思で、彼は歩く。

 この恐怖から己を救ってくれる、死を求めて。


「キャーーーアアーーーアーーアーー!」


 老王は顔を涙と鼻水と涎で汚しながら叫び、そして窓枠を飛び越えた。




 グシャリ。



 * * *



 玉座に人はいなくなり、そこに残るは魔物の王とその臣下のみ。

 宰相とカロンララはいまだ膝をつき、頭を垂れ、魔物の王を見ないようにしている。

 魔物であっても、直視できないのだ──この圧倒的な恐怖を。

 魔物の王は床に落とした〈水晶鋲〉を拾い上げ、己の胸元にブスリと刺した。

 別に胸元である必要もないので、二本目以降は雑に胴に突き刺していく。

 やがて、全ての〈水晶鋲〉を刺し終えると、部屋を満たしていた恐怖は和らいだ。


「良い。顔を上げよ」


 宰相とカロンララが、顔を上げた。

 魔物の王は宰相に訊ねる。


「ジルはいずこか?」


「美術品を鑑賞しております」


「そうか。気が済んだら戻るよう伝えよ。もう、ここに用はない」


 ここに神はいなかった。

 ただ、この教典は気に入った。持って帰ってじっくり読んでみたい。

 そうしたら、次はどこを探しに行こう。

 どこに行けば、神様はいるのだろう。

 教典を見つめる魔物の王に、宰相が恭しく告げる。


「我が王、既に次の神に目星はつけております」


「ならば、連れて参れ」


「仰せのままに。カロンララ、急ぎの伝令を」


 宰相に声をかけられ、カロンララは嫌そうな顔をしている。

 それでも王の手前、不満は飲み込み、宰相の言葉に耳を傾けた。



 * * *



 その日、〈楔の塔〉の見習い、ゾフィー・シュヴァルツェンベルクは、いつもより少し早起きをし、庭園の散歩をしていた。

 今、宿舎で同室のルキエがダーウォック奪還作戦に参加しており、ゾフィーは実質一人部屋状態である。

 ルキエがいなくて一人で起きられるのか、と見習い仲間達に散々心配されたゾフィーは、むきになって連日早起きに挑んでいた。

 そうしたら時間が余ったので、髪の毛の編み込みに挑戦してみたところ、これが会心の出来栄えだった。だから、散歩がてら誰かに見せびらかそうと思ったのだ。

 ゾフィーは少し癖の強い黒髪を、肩の上辺りで切り揃えている。左右には一房ずつ紫色の髪──これは、染めているのではなく、呪術師の証だ。

 この紫の髪が街では悪目立ちするので、ゾフィーはいつもフードをかぶって隠していた。

 だけど、〈楔の塔〉ではゾフィーの髪色に言及する者はいない。

 だから思い切って、紫の髪が目立つように編み込みをしてみたのだ。紫色のリボンを編み込んだみたいで、我ながら気に入っている。


(すれ違った人が、「あれ……あの子いつもとなんか雰囲気が違うな……ドキッ」ってなっちゃったりして〜)


 そんなことを考えていたら、前方にモジャモジャ赤毛と、前髪の長すぎる黒髪が見えた。同じ見習い仲間のローズとゲラルトだ。

 ゾフィーはちょっと背筋を伸ばし、しゃなりしゃなりと歩きながら二人に近づいた。


「二人とも、おはよぉ〜」


 いつもより可愛い声で言って、首を軽く捻る。サイドの編み込みがよく見えるようにするためだ。

 先にゾフィーに気づいたローズが、朗らかに言った。


「やぁ、ゾフィー、おはよう! 今日の髪型、強そうな蛇みたいでカッコイイな!」


 爽やかな朝に、デリカシーの欠片もないデカい声が響き渡る。

 ゾフィーは地団駄を踏んだ。


「ローズさん、最低ー!」


「えっ、蛇より蛙の方が好きだった?」


「こういう時は、お花とか宝石とか、綺麗で可愛い物にたとえてよぉ〜! ゲラルト、褒めて!」


 突然、話を振られたゲラルトは、「えっ」と困ったような声を漏らした。多分、長い前髪の下の目は左右に彷徨っているのだろう。


「僕は、そういうのは、よく分からないので……」


「もう〜〜〜!」


 できれば、物語に出てくる王子様的に「やぁ、ゾフィー。君の美しい黒髪に神秘的な紫がよく映えるね」とかなんとか言ってほしいところだが、寡黙なゲラルトにそれを期待するのも酷だろう。


「可愛いとか、似合ってるとか、それだけで良いからぁ!」


「……妙齢の女性に軽率にそのようなことを言ったら、決闘沙汰になりませんか?」


「ならないよ!? いつの時代の話してんのぉ!?」


 まったく、見習いの男達ときたら。

 ローズはデリカシーがないし、オリヴァーはボケボケだし、ユリウスはいつも不気味に笑ってるし、ゲラルトは口下手だし、レンは美少年アピールばかりだし……(フィンは最年少だし純朴だから許す)。

 ただ、こうやって普通に軽口が叩けるのは嬉しいな、とも思う。

 雑談をしながら、ゾフィーはローズの背後を見た。

 ローズの畑のそばに、見覚えのない木の苗が植えてあったのだ。


「ローズさん、その苗は何?」


「近くの村で分けてもらったんだ。冬になったら、良い匂いのする花が咲くんだって」


 ローズは植物を育てるのが好きらしく、〈楔の塔〉の敷地内に畑を作って、色々育てている。

 時に珍しい苗を求めて、近くの村に出向いたりもしているらしい。


「それも、研究に使うの? 植物に魔力付与する研究だっけ?」


「この苗は研究用じゃなくて……お土産、かなぁ」


「ふーん。研究は順調〜?」


「あぁ、ゲラルトが色々と手伝ってくれてるおかげで。なっ、ゲラルト!」


 ローズに肩を叩かれたゲラルトは、「恐縮です」と小声で言った。

 見習いで一番身体能力が高いゲラルトは、元々は剣士だったらしい。らしいというのは、ゾフィーはゲラルトが剣を握っているところを見たことがないからだ。

 最近のゲラルトは、ローズの野良仕事の助手や、調理場の手伝いをしている。自分がやりたいことが定まってきたのだろう。

 そうなると、ゾフィーだって自分のことが話したくなる。

 ゾフィーは呪術師だが、呪術以外のことだってちゃんと勉強しているのだ。


「あたしはねぇ、今日から古代魔導具〈愚者の鎖デスピナ〉の使い方を教わるんだぁ」


 ゾフィーは内緒話のように、口元に手を添えて報告する。

 ローズが少し驚いたような反応をした。モジャモジャ前髪の下で、目が丸くなっている。


「あれって、蔵書室のリンケ室長が管理してるんじゃなかったっけ?」


「そうそう〜。リンケ室長の前は、ミリアム首座塔主補佐も使ってたんだって〜」


 古代魔導具〈愚者の鎖デスピナ〉は、〈楔の塔〉にある三つの古代魔導具の内の一つだ。

 実を言うと、古代魔導具と一口に言っても様々で、「正しく古代に作られた物」より、「古代魔導具を作る技術で、旧時代に作られた物」の方が圧倒的に多い。現代ではそれらをひっくるめて、古代魔導具と呼ぶのだ。

〈離別のイグナティオス〉と〈嗤う泡沫エウリュディケ〉は旧時代の後期に作られた物で、古代魔導具の中では比較的新しいと言われている。

 そして〈愚者の鎖デスピナ〉は現存する古代魔導具の中でも、正しく古代に作られた、最古の古代魔導具と言われていた。

 その使い手に、ゾフィーは選ばれたのだ。

 プスプスと小鼻を膨らませるゾフィーに、ゲラルトが控えめに訊ねる。


「僕はあまり詳しくないのですが、その古代魔導具は……どんな能力が?」


「魔物を本に封印して、使役するんだよぉ。昔はね、そういう技術が当たり前にあったらしいんだけど、現代だともうその技術は殆ど残ってないらしくってぇ。〈愚者の鎖デスピナ〉が唯一の手段なんだってぇ」


〈楔の塔〉の入門試験でも、蔵書室のリンケ室長はその力で魔物を使役し、見習い達を試したらしい──ゾフィーはすぐに合格しているので、実際に見てはいないが。


「だからね、怖い魔物が襲ってきても、ゾフィーちゃんが本に封印しちゃうから大丈夫!」


 パチンとウインクをするゾフィーに、ローズがのんびりした口調で「頼もしいなぁ」と言う。

 気を良くしたゾフィーは、フンフンと鼻を鳴らし、北の空を見た。

 今、同じ見習いの仲間達が、魔物達からダーウォックを奪還するべく、戦いに赴いている。帰ってきたら、自分も新しいことができるようになったのだと自慢するのだ。


「ねぇねぇ、ルキエ達が帰ってきたらさ、また集まってパーティしようよ」


「いいな。ゲラルトも、次は料理に挑戦しようぜ」


「……はい、考えておきます」


 家にいた頃、自分には呪術しかないと思っていた。

 呪い殺すことしかできないシュヴァルツェンベルクの呪術が嫌いで、だけど、それしか己を確立する手段がなくて、苦しかった。

 だけど今は違う。今のゾフィーには、呪術以外にもできることが増えた。

 一緒に戦ったり、お喋りをしたりできる仲間達がいる。


 きっと未来は良いものであると、ゾフィーは温かな希望に胸を膨らませた。



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