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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
七章 北へ
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【25】説得力のあるもの

 突然声をかけられたルキエが言葉を失っていると、白髪銀眼の人物は思い出したように、羽織っていたマントのフードを被り直した。

 そして先ほどと同じ口調で、淡々と繰り返す。


「それは、何を描いているのだ?」


「特に、何というわけじゃないけど……作ろうと思った物を書き留めてるだけよ」


「見てみたい」


 ルキエは困惑した。年齢はルキエと大して変わらないように見えるのに、なんだか同年代の人間と話をしている気がしないのだ。

 銀色の目は瞬きもせず、ルキエを見つめている。


「……どうぞ」


 アイデア帳を渡すことに、抵抗はあまりなかった。この人物は、アイデアを盗みたいわけではないように思えたのだ。

 スケッチブックを受け取った指先は華奢で白く、美しい。職人の手ではないことは確かだ。


(男の人の手かしら……私より大きいけど、女の人の手にも見えるわ)


 白い指先が、パラリパラリとスケッチブックを捲る。

 銀色の目はスケッチブックに描かれたラフ画を、書き込まれた文字を、一つ一つじっくりと追いかけていた。


「何故」


 突然その人物が口を開いた。

 白い指がスケッチブックの文字をなぞる。


「何故、色を変える?」


 それは、紐を編んで作る飾り紐のアイデアのラフだ。

 白い指先が指しているのは、一定の間隔で区切った線と、そこに書き込まれた「糸の色味を変える」の文字である。


「それ、腕に巻く装飾品にしたいのよ。それで、一般的な女性の腕の幅がこれぐらいでしょ」


「うん」


「だったら、色味をこの幅で変えると、どこから見ても模様が映えるのよ」


 フードを被った白髪頭が、コテンと横に傾いた。

 よく分かっていない様子なので、ルキエは鞄から試作品の飾り紐を一つ取り出す。

 赤い色糸を主とした腕飾りだ。それを白髪の人物の手首にクルリと巻きつけた。


「ほら、これ。こうして着けるでしょ」


「うん」


「で、色んな角度から見て」


 白髪の人物は左手を目の高さまで持ち上げ、手首を捻る。

 そして、納得したように呟いた。


「炎だ」


「そういうイメージで作ったの。揺れる炎の微妙な色の変化を表現したくて」


 銀色の目が揺れる。その目があんまり艶やかで美しいものだから、なんだか濡れているように見えた。

 どんな塗料なら、色糸の組み合わせなら、ガラスと金属なら、この色を再現できるだろうか。

 白髪の人物は、ほぅ……と息を吐いた。


「糸は炎にあらず。されど、これは確かに炎だ。目にした者の心に炎を灯す、そのための創意工夫……」


 左手首で揺れる飾り紐を、右の指がそぅっとなぞる。

 その感触を楽しむように。慈しむように。


「この飾りには、説得力がある」


 ルキエは口の端をムズムズさせた。

 どうしよう。困った。これはとても嬉しい。


「……気に入ったのならあげるわ、それ。試作品だけど」


「良いのか? 希少な物であろう? わたしは今、これに釣り合う価値ある物を所持していない」


「その言葉で充分よ」


 銀色の目が少し丸くなって、ルキエを映す。

 そうしていると、なんだか少し幼く見えた。それは、まるで──。


(あぁ、そうだ……ティアに似てるんだわ)


 良くも悪くも、思ったことをそのまま口にしたような、素朴さ。純粋や無垢と似て非なる何か。それを、ティアやこの白髪の人物から感じるのだ。

 だから、この人物の褒め言葉は世辞や嘘ではない、と思うのだ。


「私、自分が思っていた以上に褒め言葉に飢えていたんだわ。お腹いっぱいになった。ありがとう」


「言葉は飢えを満たすのか?」


「心の飢えをね」


 ルキエが素っ気なく返すと、その人物は何やら感銘を受けたように一言。


「……奥深い」


 なんだか恥ずかしくなってきたので、ルキエはスケッチブックを鞄にしまった。

 白髪の人物は、左手首に結んだ飾り紐をまだ見ている。よほど気に入ったらしい。

 かと思いきや、彼は何かに気づいたように、ハッと顔をあげた。


「創作の音がする」


 なんだそれは、と思ったが、すぐルキエも理解した。

 どこからともなく、ピアノの音が聴こえるのだ。

 その音に引き寄せられるように、白髪の人物はフラフラと歩き出す。

 大丈夫かしら、この人。という気持ちが半分。純粋にピアノの音色が気になったのが半分。

 なんとなく気になって、ルキエもついていった。

 斜め後ろを歩きながら、ルキエは白髪の人物に訊ねる。


「音楽が好きなの?」


「人が創り出したものは、美しい」


「……貴方って、芸術家?」


 なんとなく、その独特の言い回しが芸術家のようだと感じたのだ。

 だが、白髪の人物はゆらりとルキエを振り返ると、どこか硬い声で言った。


「違う。それは、わたしから最も遠い存在だ」


 ならば、美術品蒐集が好きな道楽貴族だろうか。それだと、お供の人間の一人や二人、いても良さそうなものだが。


(お忍びで屋敷を飛び出した、貴族の子……とかだったりして)


 やがて、ピアノの音がハッキリ聴こえるようになったところで、白髪の人物は足を止めた。

 そこにあるのは、町はずれにある比較的小綺麗な屋敷だ。

 屋敷の一階の窓が開いていて、そこからピアノを弾く人物の姿が見える。三〇歳ぐらいの淡い金髪の男だ。


(本当に上手い演奏だわ)


 これは素人が趣味で弾いている演奏ではない。技術を磨いてきた者の演奏だ。音楽が好きなティアが聴いたら、きっと喜ぶだろう。


「あの者は、何者か」


 白髪の人物がルキエに訊ねた。


「知らないわ。私はこの町の人間じゃないもの」


「そうか」


 白髪の人物は、近くを通った老婦人を捕まえると、また同じことを訊ねる。

 いかにも人の良さそうな老婦人は、ニコニコしながら質問に答えた。


「あぁ、ヒンケルさんはピアニストですよ。盲目のピアニスト、って何年か前までは中央の方で活躍されてたんですけどね。今は引退されて」


 盲目。確かにそのピアニストは目を閉じて演奏をしていた。

 滑らかに動く指が奏でるのは、有名な恋の歌だ。


「最近、恋人ができたそうで。演奏が華やいでて、素敵ねぇ」



 * * *



 演奏が終わっても、白髪の人物は余韻に浸るように、しばらくその場でぼぅっとしていた。

 その様子は、アルト塔主の演奏に聴き惚れているティアの様子に似ている。

 ルキエは空を見上げた。


(……雲が増えている)


 これまでの旅程は、天候に恵まれていたが、明日は雨になるかもしれない。

 ルキエは、まだボゥッとしている白髪の人物に声をかけた。


「貴方、一人で帰れる?」


 この白髪の人物は、お忍びの貴族ではないか、という説がルキエの中では強くなっている。

 自分が家まで送ってやろう、とまでは思わないが、保護者なり同行者なりがいるのなら、引き渡した方が良い気がした。


「問題ない。いずれ迎えが来る」


「……そう。じゃあ私、帰るから」


 迎えが来るのなら、まぁ大丈夫だろう。

 ルキエが鞄を抱え直すと、白髪の人物は左手を軽く掲げた。


「美しき炎を献上した娘よ。わたしは更なる創造を望む。それはお前達にしかできぬ、価値ある行いだ」


 これからも物作りを頑張れ、という励ましだろうか。

 ルキエは気恥ずかしさ半分、嬉しさ半分の苦笑を浮かべ、軽く片手を振った。


「そうね、頑張るわ。ありがとう」


 そうして白髪の人物に背を向け、歩き出す。

 あの純白の髪と溶けて溺れてしまいそうな銀の目を、どんな素材で再現しようと、楽しく考えながら。


(あのピアノも、すごく良かった……有意義な時間だったわ)


 せっかくだから、ティアにあのピアニストのことを教えてやろうか。

 ただ、ティアがあのピアニストの家に突撃して迷惑をかけるのも心苦しい。

 そういう時、レンはあまり強くティアを止めないし、セビルはティアを止めるどころか、一緒に押しかけて曲のリクエストをしかねないのだ。まったく困った三人組である。

 そんなことを考えていたら、宿の前にくだんの三人組の姿が見えた。それと、オリヴァーもいるではないか。

 ルキエに気づいたティアが、大きく手を振る。


「ルキエー! あのね、明日の天気が怪しいから、ちょっと早めにここを発つって!」


「分かった。急いで荷物をまとめる」


 早足で宿に近づいたルキエは足を止め、ティアをじっと見た。

 純白の髪に琥珀の目。少し吊り気味の目が、僅かに丸くなってルキエを見る。


「ピョフッ? ルキエ、どうしたの?」


「なんでもない」


 やっぱり、あの白い人物に少し似ている。

 何が、と言われると上手く言葉にできないけれど。

 白い人物と、ティア。


 ──同じ生き物だと、そう感じたのだ。



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