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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
七章 北へ
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【23】戦争に執着した魔物の話


 ルキエの父を説得したヒュッターは、肩を叩きながら宿の階段を上ると、メビウス首座塔主が滞在している部屋の扉をノックした。


「失礼します。指導室のヒュッターです」


「どうぞ」


 扉の向こう側から短い返事が聞こえた。

 ヒュッターはくたびれたオッサンの顔に真面目な教師の表情を貼りつけ、扉を開ける。

 メビウスは部屋の奥にあるテーブルの前に座っていた。テーブルには地図が広げられており、今後の旅程が書き込まれている。

 ヒュッターは扉の前で報告を始めた。


「ゾルゲ氏には、一度お引き取りいただくことになりました」


「……ゾルゲ氏のことはミリアムから聞いている。相当、粘られたのではないか?」


 ルキエの父ドルク・ゾルゲは、少し前から〈楔の塔〉に押しかけては、娘を返せと主張していた。

 ただ、それはメビウスが留守中の出来事で、対応は殆どミリアム首座塔主補佐と、指導室室長のヘーゲリヒが担当していたという。

 ミリアム首座当主補佐とヘーゲリヒ室長でも、ドルクを引き下がらせるぐらいしかできなかった。

 だから、メビウスはヒュッターがどんな対応をしたのか、気になるらしい。

 ドルク・ゾルゲを説得──もとい言いくるめたのは、詐欺師がよく使う話術だ。

 まずは相手の不安を煽る情報を次々と出し、「自分は今、大変なことになっている」と錯覚させる。つまりは焦らせ、思考を麻痺させるのだ。

 そこに親切な態度で「私が助けてあげますよ」「代わりに処理しておきますよ」と手を差し伸べれば、思考が麻痺した人間は、差し伸べられた手を取ってしまう。

 ヒュッターはあくまで真面目な教師らしい態度で、無難な答えを返した。


「ルキエが置かれた状況を説明したら、ゾルゲ氏は理解を示してくださりましたよ」


 ちょっと大袈裟に、ラス・ベルシュ正教の存在をちらつかせました。とは言わないでおく。

 実際のところ、ドルクが無理やりルキエを連れて帰ったところで、ラス・ベルシュ正教が乗り出してくる可能性は低い。というより、ほぼない。

 メビウスはいつもと変わらぬ険しい表情だったが、ヒュッターの言葉に少しだけ目元を緩めた。


「……そうか。貴方は説得が上手いのだったな」


 メビウスは小さく唇の端を持ち上げた。苦笑にも微笑にも見える、そんな笑い方だ。


「正直、貴方が来てくれて助かった。俺はどうにも説得の類が上手くない」


(あー、うん。そんな感じするな。この人、絶対口下手だろ。現場で剣振り回してる方が向いてるお人だよ)


 そもそも、人手不足であるとは言え、組織のトップが現場に出すぎなのだ。

 ヒュッターが〈楔の塔〉に着任してから今日に至るまで、メビウスが〈楔の塔〉にいたことの方が珍しい。

 今もこうして、メビウスはダーウォック奪還作戦に参加している。


(……この人がトップやらされてんのは、多分、古代魔導具の持ち主だからだろうな。どうにも魔術師ってやつは、古代魔導具を偏重しすぎる傾向にある)


 現在、〈楔の塔〉にある古代魔導具は三つ。


 メビウス首座当主の〈離別のイグナティオス〉。

 蔵書室室長リンケの〈愚者の鎖デスピナ〉。

 そして、討伐室の聖女ヘレナの〈嗤う泡沫エウリュディケ〉。


 この三人から選ぶなら、メビウスがトップに立つのが妥当という判断なのだろう。


(……こういう特殊な組織あるあるだが、組織体系が時代に適応できてないんだよなぁ)


 メビウスはどんな気持ちで古代魔導具を手に取り、首座当主の座を受け入れたのだろう。

〈楔の塔〉の頂点に立つ男は、ヒュッターに向かって律儀に頭を下げた。


「ゾルゲ氏の説得、感謝する。ヒュッター先生」


「自分は、指導室の仕事をしたまでのことです。首座当主もご存じでしょう。今の私は、ろくに幻術が使えない」


 無詠唱幻術を身につけた代償で、魔力を扱うと苦しむ体質になってしまった──初日にぶちまけた設定は、当然メビウスの耳にも届いているはずだ。

 俺は幻術も魔術も使えないからな。そこんとこ忘れるなよ? と内心、念を押しつつ、ヒュッターは誠意に満ちた態度で言った。


「戦力にならないからこそ、こういった形で見習い達を守るのが私の役目です」


 だから俺を戦力に数えるなよ、ほんと! マジで! ──切実な詐欺師の願いである。


「貴方は立派だ、ヒュッター先生」


 メビウスは少しだけ体を傾け、椅子に背中を預ける。その行動が、ヒュッターには少し珍しく見えた。

 メビウスはヒュッターより少し年上の、四十代半ばの男だ。だが、鍛えられた体と精悍な面持ちは、いつだって疲労やかげりを感じさせなかった。〈楔の塔〉の頂点に相応しい荘厳さがあった。

 それなのに、今の彼はなんだか疲れているように見える。


「俺は……守ることができず、死なせた者が何人もいる。その中には見習いだった者もいた」


「それは……十三年前の、大規模襲撃の話ですか?」


「知っているのか」


「そういうことがあった、とだけ。相当数の犠牲者が出たと聞きました」


 その大規模襲撃については、少し調べた。

 今から十三年前、とある上位種の魔物が下位種の魔物を引き連れて、人間相手に戦争(、、)を仕掛けたのだ。

 本来、魔物は魔物同士で戦争をしない。戦争は人間のものだ。

 戦争に執着したその上位種の魔物は、下位種の魔物を引き連れて、〈楔の塔〉に戦争を仕掛けた。

 ……結果、それは〈楔の塔〉でも過去最悪の戦いとなり、大勢の魔術師が犠牲になった。

 その中に、当時見習いだった者もいるのだろう。


(……オットーさんが、妻と、生まれてくる予定だった子を亡くしているのも、この時だったな)


「あれは、最悪かつ愚かしい魔物だった。戦争のなんたるかも知らぬくせに、戦争がしたいのだと笑い、魔物達をけしかけてきた。上位種が〈水晶領域〉を離れれば、いずれ体が朽ちると知りながら、それでも戦争を望んだ」


 魔物は時に、人そのものではなく、人が生み出したものにも執着するという。

 宝石や絵画などの芸術品、歌、創作物など……そして、戦争もまた、人が作り出したものに変わりないのだ。

 かつて、人の戦争を目にした魔物は、それに焦がれ、いびつな執着を覚えた。


 ──戦争がしたい! 膨大な死が無機質な数字になる、そんな戦禍に己も身を置きたい!


 そうして、その魔物は戦争の真似事を始めた。

 真似事。そう、真似事だ。

 人と人の戦争のように、金や土地、権利を目的にしているわけでもない。

 あるいは怨恨を口実にすれば良いのに、それすらないのだ。


「魔物の執着は、悪質だ。人を食らい、なぶり、犯す魔物もいれば、我々には理解が及ばぬものに執着する魔物もいる。そして……そういう魔物ほど、恐ろしく強い」


 下位種の魔物が人に向ける執着は、比較的分かりやすい。人を食う、なぶる、犯す、大体この辺りだ。

 だが、人に近い姿をとる上位種になるほど、執着の形が複雑化する。


(つまりはまぁ、人間くさくなるほど、妙なこだわりができるんだろうな)


 頭が良い奴が面倒臭くなるのは、人も魔物も変わらないらしい。

 そして、面倒臭い魔物ほど強くなる──ならば、魔物の王は一体どれだけ面倒臭いのだろう。考えたくもない。


「ヒュッター先生」


 メビウスは椅子にもたれていた背中を伸ばし、ヒュッターを真っ直ぐに見上げる。

 実直で切実な眼差しだった。


「いざという時は、貴方が見習い達を逃してやってくれ。西だ。何があっても、魔物は西の壁を越えられない」


 西の壁──理屈はわからないが、そういう結界があるのだ。

 楔の塔の西側に、北に向かって伸びる見えない壁。それは魔物だけを通さない、人と魔物を隔てる絶対的な壁だ。

 それがあるから、帝国の平和は保たれている。


「壁は必ず死守する。何があってもだ。だから……どうか見習い達を頼む。彼らを死なせないでくれ」


 ふと、思った。

〈楔の塔〉が抱える秘密、そしてメビウスが首座当主を務める理由は、その壁が関わっているのではないか、と。


 詐欺師の勘だ。


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