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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
七章 北へ
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【21】雄の子は、暗く冷たい崖の下


「ヒュッター指導員、少々よろしいですか……何者かが、この馬車を尾行しているようです」


 その言葉に、ヒュッターは内心ドキッとした。

 明確な心当たりがあるわけではないが、やましいことはまぁまぁある。なにせ三流詐欺師だし。

 馬車の中の空気は明確に張り詰めている。

 セビルが馬車酔いでぐったりしているレンを支えながら、ティアに声をかけた。


「ティア、見えるか?」


「うん。馬車のずっと後ろの方に、馬に乗ってる人がいるね。三人」


 ティアの耳が良いことは知っていたが、どうやら視力も相当良いらしい。ヒュッターの目では、人影なんて黒い点が見える気がする……ぐらいにしか分からない。

 護衛役として同乗している守護室のオットーが、剣の柄に手をかけて言った。


「まだ、〈楔の塔〉を発って間もないのに、なんとまぁ……素人臭い尾行ですねぇ。魔物ではないようですが」


 ヒュッターは咄嗟に考える。

 可能性として考えられるのは、第一に黒獅子皇側の人間、第二にダーウォック側の人間。


(少なくとも、ハイディちゃんじゃねぇな。あの子、すげー有能だし。下手な尾行はしないだろ)


 黒獅子皇が無能な部下を寄越したとは思えない……否、三流詐欺師を諜報員として送り込んでいるから、やっぱりちょっと信用できない。


(ただ、ダーウォックの人間の方が、可能性としては高い気がするな)


 ヒュッターは眼鏡をクイと持ち上げ、オットーに進言した。


「……イクセル王子と合流したい王妃派、或いはイクセル王子を暗殺したい国王派、どっちもあり得そうな線ですね」


「同感です。まずは、接触してみないことにはですが」


 オットーが頷いたその時、ティアが座席から降りた。

 揺れる馬車の上では立って歩くのが難しいらしく、ティアは床に手と足をついて、荷物を漁り出す。


「ティア、何してんだ?」


「これって、わたしの出番だよね! 偵察! してくる!」


 ティアは飛行用魔導具を背負い、テキパキとベルトで固定する。以前はルキエに手伝って貰っていたが、すっかり慣れたらしい。

 なるほど、飛行用魔導具で上空から見張って貰えれば、連中を取り逃がしても追いかけることができる。


(……というより、馬車に乗ってるのが嫌になったんだな)


 飛行用魔導具を装着したティアは、幌馬車の出口に向かい、元気に宣言した。


「ピヨップ! じゃあ、行ってきまーす!」


 ピョンと幌から降りると同時に、短い羽を広げて跳躍用魔導具を起動。

 高く、高く飛び上がったところで羽を飛行用に切り替え、ティアは風に乗って飛んでいった。

 ところが、ティアは思いのほか高く飛ばない。それどころか、高度を下げてくだんの尾行者に近づいていく。


(……何やってんだ?)


 ヒュッター達が見守っている中、ティアが再び低空飛行で戻ってきた。

 ティアは器用に金属羽を畳みながら滑空し、幌馬車の縁に着地する。

 そして琥珀色の目をクルリと動かし、ルキエを見た。


「あのね、あの人達、ルキエに用事があるみたい」


 その瞬間、ルキエの顔が明確に強張った。

 指導室の所属であるヒュッターは、見習い魔術師達の家庭事情を多少は把握している。

 なので、この馬車を尾行していた人物にも、すぐにピンときた。


(……そういうことか)


 レンの継母がレンを追い出せと訴えていたように、見習い魔術師の家族が〈楔の塔〉に干渉してくることが、しばしばある。

 ルキエの家族もまた、そうだった。


「馬に乗ってる人が三人いて、真ん中の人は、ルキエのお父さんだって、言ってたよ」


 やっぱりそうか、とヒュッターは内心舌打ちする。

 実は少し前から、何度か訪ねてきていたのだ。ルキエの父が「娘に会わせろ」と。

 ルキエが面会を拒んでいたので、〈楔の塔〉側はルキエの父にそう伝えていたが、納得していなかったらしい。

 そうして、ルキエの父は〈楔の塔〉周辺をうろつき、ルキエと接触する機会を待っていたのだ。


(これは……指導室の仕事だよなぁ)


 別の意味で面倒なことになったぞ、とヒュッターは額に手を当てた。



 * * *



 ティアがルキエの父を発見した場所は、立ち寄る予定だった村に近かったため、ヒュッターがルキエの父を説得し、とりあえず村まで同行してもらうことになった。

〈楔の塔〉は閉鎖的な組織に見えるが、自治領内にある町や村とは、意外と交流がある。

 特に自衛力の低い小さな村などは、魔物が現れたら〈楔の塔〉頼りなので、宿泊場所等で便宜を図ってくれるらしい。

 今回のダーウォック遠征組はそれなりの大所帯だが、全員宿に泊まれることになった。

 他の魔術師達はせっせと荷物を宿に運び込み、ついでにセビルは、馬車酔いしたレンを背負って運んでいる。

 そんな中、ヒュッターがゾルゲ父娘を連れて、宿の食堂に移動していた。どうやら、そこで込み入った話をするらしい。

 メビウス首座塔主はヒュッターに同行していないようだったので、ティアはこっそり後を追いかけた。

 ルキエの父を発見したのも、話しかけたのもティアなので、やはり気になったのだ。

 喉がピョフピョフ鳴らないよう気をつけながら、ティアは食堂の扉の陰に隠れる。


「以前にもお話しした通り、ルキエは結婚相手が決まっているんです」


 ルキエの父の声が聞こえた。怒鳴りたいのを抑えているような声。おそらく、扉が開きっぱなしになっているからだ。

 だからヒュッターは、わざと扉を開けっぱなしにしたのだろう。ルキエの父が周囲の目を気にする性格だと踏んでいるのだ。

 ルキエの父ドルク・ゾルゲ氏は淡い金髪にターバンを巻いた、壮年の男だった。

 きちんと整えた口髭に、細かな刺繍の入った服と、一目で裕福と分かる出立ちの人物である。

 更に彼の左右には、帯剣した男が控えていた。どうやら護衛らしい。

 そして、そんなドルクの正面の席にはヒュッターとルキエが並んで座っている。

 ルキエは青白い顔のまま唇を引き結び、一言も喋らない。そんなルキエを一瞥して、ヒュッターが口を開いた。


「その結婚相手の方とは、婚約手続きも済んでいらっしゃるのですか?」


「勿論です!」


「はー、なるほどー……ルキエさんは婚約手続きが成立する前に、家を出たと言っていますが」


「婚約手続きは親が代理でするのが当たり前でしょう」


 なんだか難しい話をしている。

 ティアには結婚と婚約の違いがいまいち曖昧なのだが、つまりはつがいになることを約束するものだと認識している。

 ハルピュイアは交尾した後で人間の雄を殺してしまうのだが、生き物の中にはつがいを大事にし、家族という群れを作る種族がいることぐらいは理解している。

 狼の魔物然り、人間もまた然りだ。


(ルキエは、つがいや新しい家族を作るつもりがなかったんだ)


 群れが作れないと、他の獲物に襲われ生存率が下がるものだが、人間の場合、家族以外にも群れの作り方はある。それこそ、〈楔の塔〉だって一つの群れの形態だ。

 だったら、家族という形に拘らなくて良いのかもしれない……が、繁殖しないと困るというルキエの父の言い分もティアには分かる。繁殖は大事だ。


(でも、絶滅寸前のハルピュイアと違って、人間はいっぱいいるし……ルキエが嫌なら、無理に繁殖しなくても、良いんじゃないかなぁ)


 ルキエも父親にそう言えば良いのに、何故かずっと黙って俯いている。

 嫌なことは嫌だとハッキリ言う、あのルキエがだ。


「とにかく、一度家に戻りなさい。母さんも心配している」


 ドルクの言葉にルキエは俯いたまま、小さな声で応じた。


「……………………帰らない」


 ドン! と大きな音がした。ドルクが拳でテーブルを叩いたのだ。


「いい加減にしろ! お前はゾルゲの娘なんだぞ。私の顔に泥を塗る気か!」


「まぁまぁまぁ、ゾルゲさん。落ち着いてください」


 ヒュッターがなだめると、ドルクは少しだけ怒りを引っ込める。

 その僅か一呼吸の隙間で、ルキエがポツリと呟いた。


「……私に結婚なんて無理だわ。向いてないのよ」


 途端に、ドルクの眉が吊り上がる。

 ルキエが黙り続けていた理由をティアは理解した。口答えすると、余計に父の怒りが燃え上がるからだ。


「向いている、いないの問題じゃない! 父親の私に恥をかかせるなと言っているんだ!」


 ティアは口を半開きにした。

 ドルクの言い分に、驚いたのだ。


「あんな良い人の何が不満なんだ。寛大で、お前の道楽も許してくれる、良い人じゃないか」


「…………」


「育ててやった恩を仇で返すつもりか。お前の姉は、ちゃんと良い家に嫁いだというのに」


「…………」


 言い返さないルキエに、ドルクは早口で捲し立てた。

 人間は住む地域によってルールが違う。

 ルキエが生まれた土地では、父親が群れの中で一番偉い生き物で、娘の結婚だか婚約だかも決めるのが当然であるらしい。

 そして、ルキエはそれが無理だと思ったから、家を飛び出して〈楔の塔〉に来たのだ。

 気がついたら、ティアの体は勝手に動いていた。

 ペタペタ歩きで話し合いのテーブルに近づき、床を蹴って飛び上がる。

 そうしてティアは、ルキエの父が座る椅子の背もたれの上に着地した。椅子の背もたれを、止まり木代わりにしたのだ。

 ヒュッターとルキエがギョッとしている。ルキエの父だけは、自分を見下ろすティアに気づいていない。

 ティアは背もたれの上でしゃがみ、ルキエの父の頭に両手を添えて、上から覗き込んだ。


「オジサン、ハルピュイアって知ってる?」


「な、なんだ君は……!?」


 突然真上から覗き込まれ、ルキエの父が悲鳴じみた声をあげる。

 その声にティアの魔物の部分が気を良くした。

 あぁ、きっとこの人間は、魔物がまだ生きていることすら知らないのだろう。


「ハルピュイアはね、本当に時々、雄が生まれるの。雄のハルピュイアは羽も鉤爪もない。生殖能力もない。人にそっくりだけど、ヘソがないから人じゃない」


 歌うように節をつけて、滑らかな声に甘やかな毒を塗り込めて。

 ティアは口の両端を持ち上げる。

 この体勢なら、ヒュッターにもルキエにもティアの表情は見えない。見えているのは、ルキエの父ただ一人。


「雄のハルピュイアは首折り渓谷では生きていけない。だから生まれた瞬間、崖から落として殺しちゃうの」


 顔に添えた指先に力を込め、ハルピュイアは醜悪に笑った。


「オジサンは、雄が偉い場所に生まれて良かったね?」



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