【19】心の底から憎めたら
「レンは、ダーウォックに行く必要ないと思う」
ティアがそう切り出したのは、レンがケヴィンを見送った翌日のことだった。
レン達ヒュッター教室の三人は、午後の個別授業ではそれぞれ別行動になる。
ティアは管理室で飛行用魔導具の訓練か、歌詠魔術の訓練。セビルは守護室で魔法剣の訓練。
レンは蔵書室や管理室で勉強や調べ物をしている。筆記魔術の練習もしたいし、最近はその派生で、蔵書室の魔導書作りの技術にも興味があるのだ。
なので、午後はそれぞれが別々に過ごし、個別授業が終わった後の夕方、夕食前の時間になると、庭園のガゼボにあるベンチに集合するのが、日課になっていた。
そこで、ティアが切り出したのだ。
珍しくピヨピヨ鳴くこともなく、静かな声で、レンはダーウォックに行く必要はない、と。
レンはティアの言葉の真意を考えた。
レンは足手まといだから、来る意味がない──と言っているわけではないのだろう。
「それって、オレはダーウォックに行く理由がないから?」
「そう。わたしはお姉ちゃんに会いたいし、セビルは、えぇと……」
ティアの言葉をセビルが引き継ぐ。
「〈楔の塔〉とイクセル殿下に、貸しを作りにいくのだ」
「そう、それ。わたしとセビルは行く理由があるけど、レンはないよね?」
レンは、「んー」と喉を鳴らした。
ティアの言葉は正しい。しかも今、ダーウォック王城は魔物に占領されているのだ。非常に危険なこの状況で、レンがダーウォックに行く意味はあるのか。
それについて、レンはもう答えを出していた。
「オレ、ダーウォックに行くぜ」
ティアは不思議そうな顔をしている。「どうして?」とその表情が言っていた。
セビルは無言だ。ただ、腕組みをして、試すようにレンを見ている。
レンは、まだ上手にまとまっていない自分の気持ちを、一つずつ言葉にしてみた。
「お前らの力になりたい、って気持ちもあるんだ。だけど、それだけじゃなくて……なんて言えばいいかな。結局はオレのためなんだよ。オレが、美少年になるために、ダーウォックに行くんだ」
ピヨ? とティアが首を傾げる。
「レンはもう美少年でしょ?」
「そこで更なる高みを目指すのが、美少年なんだよ」
〈楔の塔〉で留守番をして、勉強をすることだって、決して悪い選択ではないはずだ。
だけどレンは、そこからもう一歩踏み出してみたい。
母さんそっくりに産んでもらってハッピーだぜ! ──と言いたくて始めた、美少年振る舞いだけど、どうせならもっと極めてやろうと思うのだ。
ただ容姿が美しいだけではない美しさ。生命の溢れ出るパワー的な美しさだ。やはり、言語化できない。
生命の溢れ出るパワーってなんだ。と自分の頭にツッコミを入れ、レンは言葉を絞り出す。
「つまり、オレは、すげーやばくてとんでもない最強美少年になるために、ダーウォックに行くの! 分かった?」
ティアは口を菱形にして、ピロロンと鳴いた。
そして、あどけない表情で繰り返す。
「すげーやばくてとんでもないさいきょーびしょうねん」
「繰り返すなよ! 今ちょっと自分でも、頭悪い表現だなーって思ったんだから!」
途端に、黙って聞いていたセビルが声をあげて笑った。小馬鹿にする風ではない、楽しげな笑い声だ。
「良いぞ、レン! その調子で、お前はお前が求める美少年を極めるが良い」
「おう、言われなくても極めるよ。ところで、セビルさ……」
レンはジトリと半眼になり、以前から密かに考えていたことを口にする。
「今回のダーウォック奪還作戦……何か企んでないだろうな?」
「ほぅ、何かとは何だ? 申してみよ」
「ダーウォック国王ぶっ殺して、国を乗っ取ろうとか……」
セビルはパチパチと瞬きをし、そして何かを真剣に考える素振りをした。
「ふむ……それも悪くないな。だが、却下だ。ダーウォックはわたくしには寒すぎる」
セビルは、ダーウォックに行く理由を、〈楔の塔〉とイクセル王子に貸しを作るため、と言う。だが、それだけだろうか。とレンは思うのだ。
セビルは単純明快を好むくせに、時々すごく分かりづらい考え方をする。
多分それは、セビルが皇妹で、レンの知らない権力闘争の世界の重責があるからだ。
レンの疑問を察したのだろう、セビルは薄く微笑んだ。
「お前達が思っている以上に、クレヴィングの名は重いのだ。今回の件は、わたくしがクレヴィング姓を持っていたことも関係している。だからこそ看過できん」
ティアがピロロと鳴きながら、授業内容を反芻するように宙を見た。
「クレヴィング姓って、ラス・ベルシュ正教にもらうやつ……だよね? ピロロ……その姓がないと、皇帝になれない……」
「そうだ。この姓を持つ子は、皇帝に認められた証でもある」
ふと気になり、レンは訊ねた。
あまり楽しい話ではないけれど、今ここで聞いておかねばと思ったのだ。
「あのさ、クレヴィング姓を持ってる皇帝一族って、政治的に価値があるってことだよな? ……すげー嫌な言い方だけど」
「気にしなくていいぞ。わたくしは、自分に政治的以上の価値があると知っているからな」
「なら、なんでセビルは南方戦線に参加してたんだ? なんか、黒獅子皇ってセビルの扱いが雑っつーか……」
「わたくしにクレヴィング姓を与えたのは、兄ではない。先帝──つまりはわたくしの父だ。わたくしは、父に溺愛されていたのでな」
つまり、セビルは父である前皇帝に認められていたのだ。
その辺りの皇帝一族の事情は、非常に複雑である。レンは自分でも少し調べてみたが、本当に面倒臭かった。
先帝が、あちらこちらの女性に手を出しすぎたせいだ。
「ティア、わたくしは以前、お前に言ったな。お前には、向けられた愛を拒む権利がある、と」
レンはその話を知らない。だけど、どのタイミングだったか、なんとなく想像はつく。
ティアは、フィーネという少女に閉じ込められていた。
フィーネはおそらく、悪意なく無邪気にティアを愛したのだ──だけど、ティアはフィーネを嫌悪した。
だからティアは、フィーネが口にした「友達」という言葉を嫌がる。以前、ユリウスに友達になろうと言われた時など、ユリウスに飛びかかって激怒した。
セビルは静かな声で、レンとティアの二人に問う。
「皇帝の寵愛を受ける姫──それは、幸せか?」
レンは考える。
帝国で一番の権力者に愛される姫。誰もがその座を欲しがるはずだ。
だが、寵姫の座の裏側には熾烈な権力闘争がある。
「周りの者には幸福に見えるであろう。それこそが、女にとって最高の喜びであると考える者もいる……だが、わたくしの母は幸福ではなかった」
セビルの母は、草原の国トルガイ北部の、帝国に屈した部族の姫。いわば人質だ。国内貴族ではないから尚更、難しい立ち位置だったのだろう。
「確かに母は愛されていた。だが、馬に乗って草原を駆けることもできず、自由に剣を振るうこともできず、鳥籠のような宮殿に閉じ込められ、父を慰めることを強要される日々」
ふと、レンは気づいた。膝の上で握られたセビルの拳が、白くなるぐらい握りしめられている。
手の甲には、くっきりと筋が浮いていた。
「わたくしが幼かった頃、母は寵姫の座を妬んだ者に、毒を盛られて死んだ。だが……」
呟く声が、低くなる。
「母は、自分の盃に毒が入っていることを知っていたのだ。知っていて、それを飲み干した」
セビルの声に宿るのは、怒りだ。
自分にはどうしようもない、やるせなさと理不尽に対する怒りだ。
「母は、戦場で死ぬことすらできなかったのだ」
それはレンには理解できない考えだ。
だって、レンは戦いが嫌いだし、戦場で死ぬことを名誉だとは思わない。
だけどきっと、セビルにはそれが最高の生き方なのだ。
「父は、わたくしのことを愛していた。だから、クレヴィング姓を与えたが、その愛はわたくしを幸せにはしなかったのだ」
戦場で死ぬ名誉は分からない。ただ、時に深い愛情が誰かを苦しめることは、レンも知っている。
レンの両親もそうだった。父は当初、母を愛していた。
そうして母は自由を奪われ、正妻は嫉妬に苦しみ、凶行に走った。正妻に同情する気は微塵もないが、彼女もまた苦しんでいたことぐらいは分かる。
レンが黙り込んでいると、ティアがポツリと訊ねた。
「……セビルは、お父さんを愛してる? 憎んでる?」
セビルは笑った。
いつもの快活な笑顔ではなく、少しだけ眉根を寄せた、複雑な笑顔で。
「心の底から憎めたら、楽なのだがな」




