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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
七章 北へ
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【16】都合の良い話


 レンの異母兄ケヴィンは、ヒュッター教室で一人、椅子の上に縮こまっていた。

 この教室の椅子はどれも簡素な物で、太っている彼には少し窮屈なのだ。

 モゾモゾと尻の位置を気にしていると、教室の扉が開いて、レンの担当指導員ヒュッターが姿を見せた。


「やー、どうもすみませんね。お待たせしまして」


 ケヴィンがレンの母の訃報を告げた後、レンは「外の空気を吸ってくる」と言って、部屋を飛び出していったのだ。

 ヒュッターは、ケヴィンにここにいるように伝え、レンを追いかけて教室を出て行った。

 そして、数分経った今、こうして戻ったきたのだ。


「ケヴィンさん、今夜はどうされます? 塔に宿泊するなら、自分が申請を手伝いますが」


「いえ、大丈夫です。近くの村に、既に宿をとってあるので……」


「あー、そうですか」


 どうしよう、訊いて大丈夫だろうか?

 不安になりながら、ケヴィンは恐る恐る訊ねる。


「あのぅ、レンは……」


「同じ教室の仲間が、レンのそばにいます」


 同じ教室の仲間。レンに。その言葉がケヴィンには驚きだった。

 自分は、レンに仲間ができる光景を想像したことがなかったのだ。


「……レンに、仲間ができたんですね」


「えぇ、レンは見習い達の代表補佐で、他の仲間とも上手くやってますよ」


「そうなんですか……あの、レンには魔術の才能が?」


 ケヴィンの言葉に、ヒュッターは少し考えこんだ。

 えぇ、才能がありますよ! という即答はせず、ヒュッターは言葉を選ぶように言う。


「率直に言うと、あまり向いてないでしょうね。経験や魔力量の少なさを、工夫して補ってはいますが……その『工夫する力』を魔術限定にしてしまうのは惜しい」


 最後の言葉に、少しドキッとした。

 この人は、レンをよく見ている。レンの強みを分かっているのだ。

 ヒュッターは誠実な態度で、ケヴィンに告げる。


「レンが魔術師になることを反対するつもりはありませんが、将来の夢を魔術師に限定する必要はないと思います」


 この人は〈楔の塔〉の魔術師だ。ならば当然、生徒には魔術師になってほしいはず。

 それなのに、ヒュッターは魔術師の道を強引に勧めたりはしない。

 真摯に、レンの将来を考えてくれているのだ。


「〈楔の塔〉では魔術の個別授業とは別に、一般教養の授業もあります。今は幅広い分野に触れ、将来の方向性を決めていく方が良いかと」


「そう、ですか……」


「レンは学ぶことに対する意欲が高いので、先輩や指導員達からも可愛がられているんですよ」


「はぁ……」


 我ながら、気のない返事になってしまった。

 つくづく自分は、レンに対して真摯ではなかったのだと思い知らされる。


(この先生の方が、ずっと誠実だ……)


 ケヴィンが静かに打ちひしがれていると、ヒュッターが少しだけ表情を和らげた。


「レンに貴方のようなお兄さんがいてくれて、安心しました」


「えっ」


「ほら、レンは甘えられる相手が少ない境遇だったでしょう? ですから、きっと貴方の存在はレンにとって大きかったのではないかと」


 その言葉に、ケヴィンの胸が疼いた。

 ……ほんの少しの自尊心と、それがもたらす罪悪感に。


「レンが貴方に抱きついた時は驚きました。あいつがあんな風に甘えるところを、初めて見たので。それだけで、あぁ、良いお兄さんなんだな、と思いましたね」


「……そんなに、立派なものではないんです」


 手放しの賞賛を、ケヴィンは否定せずにはいられなかった。

 舌の奥に苦々しさが、ベッタリと貼りついている。それを少しでも払拭したくて、気づけばケヴィンの口は動いていた。


「……僕は上の兄二人に比べて出来が悪くて、鈍臭くて……何をやっても駄目な子どもでした」


 ケヴィンの母は事あるごとに、『お父様はそんな貴方にガッカリしたから、他の女のところに行った』などと言う。

 母は夫の移り気を、出来の悪い息子のせいにしたかったのだ。実際、出来の悪いケヴィンに父がガッカリしていたのは事実だ。

 だから、ケヴィンはいつも居心地の悪い思いをしていた。

 そうして、母と兄から逃げた先で、離れに辿り着き、レンに出会ったのだ。

 その時のレンは、六つかそこらだっただろうか。

 レンは明らかに、ケヴィンのことを警戒していた。だから、ケヴィンはほんの思いつきで、ポケットに入っていたおやつのクッキーを、レンに差し出したのだ。


「ある日、小さいレンにクッキーをあげたら……すごく、喜んでくれて」


 思えばケヴィンは、自分の行動で誰かに喜んでもらったことがなかった。いつも周りをがっかりさせてばかりで。

 だから、幼いレンが喜んでくれて、良い気分になってしまったのだ。


「それ以来、お菓子とか、古着とか、本とか……お土産に持っていくようになりました。レンは……すごく、懐いてくれて」


 いつしか、レンもカトリナも、ケヴィンに心許すようになった。

 自分より恵まれない境遇の美しい母子が、自分を慕っている──その事実は、ケヴィンの自尊心と優越感を満たしてくれる。

 ケヴィンは決して、マメに離れに顔を出していたわけではない。

 気が向いた時だけ、自分に余裕がある時だけ、自尊心を満たしたい時だけ、土産を持ってレンに会いに行った。

 こんなのペット扱いより、なお悪い。毎日の世話をしたわけでもなく、気が向いた時だけ可愛がっていたのだから。

 それでも、レンはケヴィンを慕ってくれた。他に、自分達母子に優しくしてくれる人間がいないから。


「レンが、〈楔の塔〉目指して家を出た後、カトリナさんは僕に、こう言ったんです……『もう、気を遣わなくて大丈夫よ』と」


 ケヴィンの狡さを──自尊心を満たすために母子を利用していたことを、カトリナは見抜いていたのだ。

 ケヴィンはもう恥ずかしくて、居た堪れなくて、その日から離れに近づかなくなった。


「……そして、カトリナさんは、離れで一人死んだんです。誰に看取られることもなく……」


 もし、自分がもっと離れを気にしていたら、カトリナを医師に診せていたら、こんなことにはならなかったかもしれない。

 その時、ケヴィンの頭をよぎったのは、罪悪感を上回る恐怖──レンにバレたら糾弾されるかもしれない、という恐怖だ。


「僕は、自尊心を満たすためにレンを利用しておいて……最後は無責任に、全てを投げ出したんです。そして、カトリナさんを死なせてしまった……」


 今更こんな懺悔を口にするのは、このヒュッターという教師が誠実そうだったからだ。

 この男は真剣にレンの将来のことを考えてくれている、良い先生だ。

 だからこそ、知っておいてほしい。レンが置かれていた境遇を。

 ケヴィンは深々と頭を下げ、懇願した。


「無責任な僕が、こんなことを言える立場ではないけれど……どうかお願いです。レンに、こんな最低な家族のいる家なんて忘れさせて、〈楔の塔〉で安定した生き方をさせてやってください、ヒュッター先生」





 三流詐欺師〈煙狐〉は内心頭を抱えていた。


(重い重い重い。そんなお願いされても、俺はただの詐欺師なんだよ)


 正直、そんなことわざわざお願いしなくても、レンは大丈夫だろう、とヒュッターは思っている。

 レンは自分が魔術の才能はないと分かった上で、自分に何が向いているかを試行錯誤できる人間だ。好奇心旺盛で、人懐こく、頭の回転も早い。

 ケヴィンがヒュッターにそんなお願いをしたのは、懺悔をすることで自分が楽になりたい気持ちもあるのだろう。


(まぁ、それでも半分ぐらいは……ちゃんとレンの将来を心配してるんだろうなぁ)


 レンの異母兄ケヴィン・バイヤーに対するヒュッターの第一印象は、「詐欺師に騙されやすそうなお坊ちゃんだな」である。

 見るからに裕福そうな出立ち。それでいて、どこか自信なげで、自分を肯定してくれる誰かを探している印象。


(そういう奴が、自分より不遇の弟に、兄ちゃん兄ちゃんって慕われたら……そりゃまぁ、気分良くなるよなぁ)


 さて、どうしたものか。

 ここで「分かりました、レンのことは任せてください」とは言いたくない。だって自分はいずれ〈楔の塔〉を去る詐欺師なのだ。

 だからヒュッターは誠実な教師の顔で、ケヴィンに告げる。


「どうか頭を上げてください、お兄さん。貴方がどんなに自分を責めたところで、事実は変わらないんです……レンにとって、貴方が優しい兄であるという事実は」


 ケヴィンがハッと顔を上げ、ヒュッターを見る。

 こっちを見たな? よろしい。

 ターゲットがすがるようにこちらを見たら、この詐欺は成功したも同然だ。

 ヒュッターは優しさと力強さが半分ずつの声で、断言する。


「貴方が罪悪感を抱いているのなら、これからもレンにとって良い兄でいてやってください。そうして、優しい嘘で最後まであいつを騙しきってください」


「……僕に、できるでしょうか?」


 ケヴィンが弱気な声で呟いた。だが、その弱気の中に滲む小さな期待をヒュッターは見逃さない。

 この手のタイプの「できるでしょうか?」は背中を押して欲しがっているサインだ。

 ヒュッターは少し表情を緩めた。堅苦しくない砕けた笑い方で、こちらに親しみを感じさせるように。


「そんなに難しいことではないはずです。だってレンは……貴方のことが、大好きなんですから」


 ケヴィンの目に涙が滲む。

 彼はふっくらした顔をクシャクシャに歪め、再び頭を下げた。


「……ありがとうございます。ヒュッター先生」


 自分は大したことをしていませんよ、という態度を返しながら、三流詐欺師は内心苦笑する。

 我ながら、なんとまぁ。優しい嘘で最後まで騙しきれだなんて、これはあまりにも詐欺師に都合が良すぎる言い分だ。


 優しい嘘の空虚さも、残酷さも、全部知っているくせに。


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